村上春樹はなにを加筆修正しているのか─「夏帆」における改稿分析
村上春樹の最新短編小説シリーズの第一作目「夏帆」の改稿について掘り下げてみたい。
「夏帆」が最初に雑誌に掲載されたのが、2024年5月7日に発売された『新潮 2024年6月号』(創刊120周年記念特大号)で、後に加筆修正され2025年8月1日発売の『文芸ブルータス 2025 夏』に再掲載された。
ではこの一年余りを経て具体的にどこが加筆修正され、その意図はどこにあるのかということを考えてみたい。
二つの版を横に置き、ていねいに読み比べたことで、普通に読んだだけでは気づかないような細かな修正から、物語の本筋に影響を与える重要な変更まで発見することができた。
これからも続く連作「夏帆」シリーズをより楽しむために、ぜひお役立て願いたい。
「夏帆」の特殊な成り立ち
「夏帆」は短めな作品にしてはかなり加筆修正があった印象だ。それはこの短編小説「夏帆」の特殊な成り立ちが起因する。
ひとつは当初「夏帆」は朗読会のために用意された作品だったということだ。
もちろん短編を書くからには後に短編集への収録を念頭に置いていただろうが、おおもとは、「村上春樹 × 川上未映子 春のみみずく朗読会」にて共演した川上未映子さんが、何か新しいことをしたいという提案をして書き始めたと聞いている。
それによって加筆修正が最終的に満足いくまでの時間的な余裕がないまま、朗読会さらには雑誌掲載に至ったのではないか。また朗読することを前提に書かれたという面が大きいとしたら、雑誌掲載ひいては単行本収録のために表現の修正が増えるのは当然だろう。
さらに後に触れるが、たとえば「アリクイ」についての言及が複数追加されている。これは「夏帆」に続く第二作の「武蔵境のありくい」というタイトルからもわかるように、間違いなく連作を意識した追記だ。
つまりふたつ目の「夏帆」の特殊さは、連作短編の第一作だということだ。
村上春樹の連作短編といえば、最近テレビドラマ化もされた『神の子どもたちはみな踊る』がある。しかし『神の子どもたちはみな踊る』は、震災という一貫したテーマはあれど、「夏帆」シリーズのように同じ登場人物で続く連作は、これまでなかった形式ではないだろうか。
このような背景があるために、初出からの二回目の雑誌掲載に至って加筆修正が多々見られると推測する。
アリクイについて、以後の連作への関連付けがより明確に
第二作「武蔵境のありくい」では、主人公の夏帆にとってアリクイが重要な意味を持ってくる。
元々第一作「夏帆」ではアリクイについての言及は、一回だけで、それも佐原を表す比喩でのみだった。しかし改稿版では、さらに二箇所ほどアリクイについての言及が追加される。しかも「武蔵境のありくい」を読んだ後では、その加筆はかなり意味ありげである。
もともとは佐原が夏帆の思考を読み取るような気味悪さを
「アリクイがその細長い舌の先で蟻の巣を舐め尽くすみたいに」
と表現するのみだった。
(ちなみに改稿版では「白蟻」になっている。)
しかし今回の加筆では、その直後に
夏帆が「実物のアリクイの姿を思い浮かべた」という描写が加えられている。
しかもそれは「黒くて大きな雌のアリクイ」なのである。
そして佐原が立ち去った後、
「あとには夏帆と、比喩としての雌のアリクイだけが残された。」
これだけでもかなりアリクイへの言及が増えた感があるが、
さらに二箇所目として、夏帆が新たに書き上げた絵本の内容紹介でアリクイに触れられる。
絵本の中の少女は自分の顔を探すために、世界を旅する。
その中で「ジャングルの奥の小径で、穏やかな気性のアリクイの夫婦とすれ違ったこともある。」
そしてその「アリクイの奥さん」が「凶暴なジャガーにはくれぐれも気をつけるのですよ」という忠告をしてくれる。
そう、アリクイの夫婦もジャガーも次作「武蔵境のありくい」に登場する。
作者は前もって第一作目でこのアリクイの夫婦やジャガーを登場させたかったようである。
ちなみに表記について、「夏帆」では「アリクイ」だが、「武蔵境のありくい」では「ありくい」と記述される。
夏帆についてのディテール変更
改稿によってシリーズ全体の主人公である夏帆についての情報も付け加えられている。
しっかり読み込んでいくとまず、母親との微妙な関係性が浮き彫りになってくる。
夏帆の母親は美人だという情報が追加されるが、
「母親の顔立ちがあまり好きではなかった」というように親子の関係性もすこし見えてくる。
一方で「どことなく無骨で正直そうな父親の顔の方が、深みがあって好きだった」とも語られる。
あくまで顔についての話だが、「顔」というのはこの作品の重要なテーマである。
そしてきわめつけは、初出では見られた「両親は手放しで彼女に深い愛情を注いでくれた」という文章が、改稿によって削除されている。
「娘と母」というのはこれまでの村上春樹作品ではお目にかかれなかったテーマである。
また夏帆の職業についての加筆修正も見られる。もともと絵本作家に加え、「雑誌の挿絵などのアルバイト」もしていたとされていた。
改稿では「広告の図案」という具体的な仕事も追加されている。
夏帆は佐原と再会した後で、以前より多く鏡の前に立って顔を見ることが増えた。しかし自分の顔に興味を抱けないどころか、自分固有の顔であることの必然性さえわからない。
ここまででも佐原に言われた言葉による夏帆の戸惑いぶりがわかるだろう。
そして自分の顔の改善点はわかっているという点で、整形手術を受けた友人をうらやましくさえ思う。
さらに改稿版では「私にはそれができない。それがわからない」と追記され、より深い悲壮感を夏帆に与えている。
佐原についてのディテール変更
もう一人の中心人物である佐原についての情報も変更されている。
改稿によってより顕著になったのが、口調による気味悪さ、怖さが増長されている点だ。
まず最初の衝撃的な発言の語尾だが、
「正直言って、君みたいな醜い相手は初めてだ」というのが
「正直言って、君みたいな醜い相手は初めてだよ」と変わってる。
小さな変更だが、村上春樹が登場人物の言葉に耳を澄ますタイプの作家なだけに、この口調の変化はキャラクターの特徴付けに大きな影響を与えている。個人的には改稿後の「だよ」の方が一見口調が柔らかそうだが、なにかねっとりとした気持ちの悪さを感じる。
そして後に、夏帆は佐原がこのような言葉を出会った女性すべてに投げかけてきたことを知る。
「だいたいは気持ちよくディナーを共にして、素敵なデザートが運ばれてきたあとでね。こういうことは、なんといってもタイミングが大事な意味を持つんだ。」ということまで明らかにされる。
改稿後にはこの後に佐原の言葉が追加されている。
「それは理解してもらえるよね。的確なポイントを見計らってズドンと──」
このような狂気じみた習性について夏帆に共感を求めるのは、さらに怖い。
意図的に女性を最大限傷つけようする意図が垣間見える。
そんな佐原から少しでも距離を置きたいと正直に伝える夏帆に対して、佐原は二人がそう簡単には離れられないという趣旨の発言をする。その際に佐原が言った「君にもそのうちにわかるだろう」が「君にもそのうちにわかってもらえるだろう」に改稿されている。より佐原の働きかけによって夏帆になにかしら良からぬことが襲いかかっていく予感が強まってはいないだろうか。
また改稿後に言葉が消えることによっても、佐原の特性が色濃く表象されるシーンがある。
夏帆が佐原から少しでも遠くに離れたいと伝える直前に、夏帆は「私がいちばん今やりたいことが何か、わかりますか?」と問いかける。
改稿前は佐原は「さあ、なんだろう?」と口に出すのに対し、改稿後は実際には「さあなんだろう、というように」首を振るだけなのである。やや人間味のある言葉だったものが実際には発せられなかったことになっている。
そして夏帆は「そして身体についた汚れのようなものを、きれいに洗い落としたい」と打ち明ける。改稿前には「きれいに」という強調がなかったので、改稿によってさらに佐原の汚らわしさが浮き立っている。
そう言われた佐原の「なるほど。うむ」という反応が続くのだが、改稿後には「うむ」という言葉が削除されている。
これも比べてみれば、ない方が確かに佐原らしい。
これによってさらに不気味な人物が読者の頭の中で構築されていく。
さらに佐原に関するディテールの肉付けは外見にも見られる。
最初に夏帆が佐原に会ったとき、佐原は「仕立ての良いダークスーツにネクタイ」という格好だった。
改稿後は「ペイズリーのネクタイ」という情報が付与されている。
ペイズリーのネクタイなど、令和の時代にそう見るものではない。
しかし複雑な模様が独特な柄は佐原の人間性に合っているともいえる。
また二度目に合ったときの服装についても、革ジャンパーにジーンズとワークブーツと書かれている。それだけでも特徴を表すのにじゅうぶんな統一されたスタイルだが、改稿後には「レイバンの緑色のサングラス」が胸ポケットに差し込まれていたという情報が追加されている。
比喩の追加
佐原に対して「アリクイがその細長い舌の先で白蟻の巣を舐め尽くすみたいに」という比喩が使われたが、改稿後はさらなる比喩が追加されている。
夏帆は意図せず佐原を思い浮かべながら、その男のしぐさをこのように表現する。
「まるで海の底に住む動物がその微妙触手を点検しているみたいに」
特に本筋には関係なさそうな比喩に思えるが、実はこの加筆は意味を持っている。夏帆が佐原にそのようなイメージを持ったということが、その後の展開に直接的に関係してくるのだ。この意味について以下で考えていきたい。
物語に関連する重要な加筆修正
夏帆は佐原と奇妙なブラインド・デートから二ヶ月経った後、新しい絵本を書き上げることになる。
改稿前では、ある夜夢を見て、はっと目を覚まし、話を書き上げたとされていた。
「書き終えるのに長い時間はかからなかった」と語られている。
しかし改稿後では、夢を見て午前一時半に目覚めて、夢で見た内容を忘れないうちに書き留める、というようにより具体的に描写されている。そして「描き終えるのに夜明けまでかかった」と、改稿前とは違って時間がかかったニュアンスに変更されている。
これは絵本の内容により重みを感じさせる改稿だが、それもやはり佐原との出会いによって生まれたとも言えるだろう。
次に改稿後の夢を見ていた情景を引用したい。
「彼女はある夜、深い海の底で長い夢を見ていたのだが、途中ではっとはじかれたように目を覚まし、大きく息を吸い込んで海底からゆっくり浮かび上がり、現実の世界に戻った。あたりは真っ暗だった。これ以上暗くなれそうもないくらい真っ暗だった。」
そう夢を見ていたのは深い海底なのである。
思い出してほしい。
忘れたくても、夜に仕事の机で思い浮かべてしまう佐原は
「まるで海の底に住む動物がその微妙触手を点検しているみたいに」と表現されていたではないか。
ここの関連性をていねいに示すために、この比喩が追加されたのではないだろうか。
ちなみに佐原に会ってからこの夢を見て絵本を書き上げた時期について、
改稿前は「半年」、改稿後は「二ヶ月」に変更されている。
半年よりは二ヶ月のほうがよりリアルで、まだ佐原の印象が生々しく残っているような気もする。
また時間軸が少し戻ってしまうが、佐原は夏帆に対して
「僕らはたぶん、またどこかで出会うことになるだろう」という予感めいたことを告げる。これが改稿後には「僕らはたぶん、またどこかでかたちを変えて出会うことになるだろう」と修正されています。
「かたちを変えて」という言葉がていねいにも追加されている。
これをどう受け取ればよいか。
つまりこの後の物語で、佐原が(もしくは佐原的なものが)かたちを変えて登場しているとしたら、それはなんだろうか、という問いが生まれる。もちろんこれは改稿前でも多くの読者が考えていたことかもしれないが。
以上が物語の本筋にも影響を与えかねない加筆修正箇所だ。
その他の加筆修正
傍点の削除
加筆前では「もう一度会って二人で話をしたい?」というような箇所に見られる強調の傍点がかなり多用されていたが、加筆後にはそのすべてが削除されている。
町田さんの年齢
夏帆と佐原を結びつけた町田さんの年齢だが、加筆前は「夏帆よりも四つ年上」とされていたが、加筆後は「四つか五つ年上」に変更されている。夏帆の年齢が26歳とされているので、町田さんは30か31ということになる。
「バイク=モーターサイクル」について
佐原は夏帆のヘルメットまで用意してツーリングに誘うが、そのバイク好きらしい佐原のこのような発言が追記されている。
「ところで、僕はモーターサイクルという呼び名が好きなんだ。」
また佐原のBMWのバイクについて「バイエルンからやってきた凶暴な機械」という表現も追記されている。
これは明らかに佐原とバイクの意識付けに影響を与えている。
そしてモーターサイクルが次作の「武蔵境のありくい」で重要な役割を果たしていることはいうまでもない。
その他至るところで読みやすい文章にするための細かな修正がなされていた。
読みやすい文章に研磨する様子や、物語がスッと読者に入るよう背景情報のニュアンスを変えたりと、村上春樹の思考の痕跡が見てとれた。
この村上春樹の連作短編「夏帆」シリーズの第三作「夏帆とシロアリの女王」が掲載される『新潮 2025年11月号』がついに10月7日に発売される。そんな発売日前日の深夜に、第一作「夏帆」の改稿を通して予習をするのであった。そして机に向かいながら、夏帆と同様に佐原の黒い影を思い浮かべるのであった。
改稿前の「夏帆」掲載の『新潮 2024年6月号』はすでに定価で購入することが難しい現状だが、改稿後は『文芸ブルータス 2025 夏』が簡単に入手可能なので、未読の方はぜひそちらを。


コメント