人は文学なしに生きられない 理系学生へ伝え続けた先生の逆境20年
理系の人材が不足する一方、文系の人材は余剰が生じる――。今年、そんな試算を政府がまとめました。文系はますます肩身が狭くなりそうな情勢ですが、こうした理系優位の逆境で長らく苦闘してきたのが、鈴鹿工業高等専門学校教授の石谷春樹さんです。エンジニアの卵たちに文学を教えながら何を考えてきたのか。石谷さんに聞きました。
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高専で文学を教えて20年以上になります。エンジニアを育成するための学校ですから、私にとってはアウェーの環境です。
学生たちは皆バリバリの理系で、数学などは一生懸命に必死でやっています。文学の授業に対する姿勢は少し違います。ふだん使っている日本語だから言葉は通じる、という感じです。文学が好きだという学生は、多いわけではありません。
私はそれが悔しくて、文学は人生に必要ないのだろうか、ということをずっと考えてきました。
学生たちにいつも言うのは、どんな仕事も、人の気持ちを考えることの積み重ねで成り立っているはずだということです。実学が重視されて暮らしが便利になるのはもちろん大事なことです。でも、その裏で人の気持ちが踏みにじられて弊害が起きることもある。
他者の気持ちを知り、人間らしい暮らしを取り戻すための手助けになってくれるのが文学だと思います。自分が経験しなくても失業した主人公の気持ちになって苦しんだり、中島みゆきが失恋のつらさをわかってくれて安堵(あんど)したりする。
人の気持ちをくむのが苦手な学生もいるだけに、人は文学なしに生きられないと言い続けています。「プロポーズだって言葉で、文学だ」と。面白いもので、「君の言葉で、好きな人に響くかなあ」などと軽口をたたくと、神妙な顔になる学生もいます。進学や就職を控えた5年生になると、突然私の研究室を訪ねてきて、志望動機をどう書いたらよいかと相談に来る学生もとても多いです。
文系と理系は対抗する概念だと考えたくないんですよね。パンクしないタイヤを作るために、パンクするタイヤの材質を調べる。好きな人の好みを知りたくて格闘するのと同じように、どちらも物語があると思うんです。
先日の演習では、学生たちと一緒に「走れメロス」を読み、誰が一番良い人だと思うか議論しました。約束を果たして戻ってくるメロスに目がいくけれど、人質になってくれた友人セリヌンティウスはどんな気持ちだったのだろう、彼の方が良い人なのでは?と盛り上がりました。
物事はいろんな見方ができるので一面的に見るのはやめよう。工学の研究でもきっと同じだね。そう話してその日は解散しました。文系と理系の間にそびえ立つ壁を壊したい。そう考えて日々奮闘しています。
思えばかつて理系の学校に就職すると決めたとき、純粋に文学を追究できるのかと悩んだこともありました。でも私はここへ来てよかったと思っています。なぜ人生に文学が必要なのか、嫌でもずっと考えざるをえない環境に身を置けたのはとても幸せなことでした。
逆境だったからこそ文学がやはり必要ではないかと思えるようになった。文学の世界につかっていたら、深く考えることができなかったのではないかと思います。
石谷春樹さん
いしたに・はるき 1965年生まれ。鈴鹿工業高等専門学校教授。専門は日本近代文学。「芥川龍之介の作品研究 〈告白〉の軌跡」(武蔵野書院)を来年の春に刊行する予定。
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