「スポーツカーなのにオートマですか?(汗)」 これはアリ?ナシ? MT派の美学vs技術進化、現在地を考える
「フェアレディZでAT?」
「フェアレディZでオートマ(AT)? いかんでしょ」 ネット上で、こんな素朴な書き込みがあった。スポーツカーといえばマニュアル(MT)、つまり自分で操る楽しさの象徴という価値観は長年、ドライバーの間で揺るがぬ常識だった。 【画像】「えぇぇぇぇ!」 これがコンテナから発見された「盗難車両」です! だが現実には、時代の潮目は変わりつつある。都市部での通勤や渋滞時の利便性、若年層の運転経験の多様化などにより、ATの受容は確実に広がっている。ネット掲示板で 「今時MTの探して乗ってみ? 内装古臭くて悲しくなるぞ」 といった意見が出るのも、旧来の価値観と新しい市場動向が交錯している証左だ。 さらに、DCT(デュアルクラッチ)や最新のトルコンATの技術進化により、変速の遅れや加速性能の差はほぼ解消され、MTに迫るレスポンスを実現している。 「昨今のミッションさんはATの方がお利口さんだもの」 という声のとおり、電子制御によるトルク配分の最適化で、日常走行からサーキットまで幅広く対応可能になった。 つまり、ネットで見られる「MTでなければスポーツカーじゃない」という反応は、感情や文化の側面を映したものであり、同時に社会的な背景や技術の進歩を踏まえると、そのまま市場の現実と結びつくわけではない。このギャップこそ、現代のスポーツカー論を考えるうえで重要な出発点となる。
筆者の意見
筆者(出島造、フリーライター)の立場は明確に「ATあり」だ。理由は利便性ではなく、技術進化と社会的な合理性の帰結である。 まず性能面では、最新のATは燃費効率や排ガス制御の精度においてMTを上回るケースも多い。電子制御による最適なトルク配分は、日常のストップ&ゴーだけでなく、スポーツ走行でも安定した加速やレスポンスを可能にしている。 また安全性の観点も見逃せない。自動ブレーキや車線維持支援などの先進運転支援システムは、ATを前提に設計されていることが多く、操作ミスによる事故リスクの低減に寄与する。都市部の渋滞や長距離ドライブを考慮すれば、 「機械ができることは機械に任せる」 という考え方は合理的だ。 現実のモータースポーツの世界も、AT化の流れを反映している。F1ですらセミATが標準であり、従来のMT信奉者が懐古する時代は終わりつつある。 「MTマウント取る爺キモ」 という辛らつなネット上のコメントも、旧来の価値観と現実の乖離を象徴している。 つまり、ATは利便性だけでなく、技術的成熟と社会的要求を同時に満たす選択肢として、現代のスポーツカーにおいて十分に存在意義がある。文化的信条と技術合理性が交錯する中で、ATを採用することは決して妥協ではない。