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もともと田無方面へは、京王井の頭線を延伸するという計画がありました。 当初は久我山〜三鷹〜田無、後には吉祥寺〜田無〜東久留米を結ぶルートとして需要が見込まれ、計画が立てられていました。 京王のこの計画が出てから約1年後には、西武多摩川線も、武蔵境〜東伏見の延伸計画を発表、後に武蔵境〜武蔵関のルートに変更されています。 この背景には、当時、大規模な野球場の建設が計画されていたことがあります。(現在の武蔵野中央公園の場所です) 京王、西武ともに、野球客の輸送という大きな需要が見込めることから両社とも計画に乗り気だったのですが、この野球場はオープンから約1ヶ月で閉鎖されてしまいます。 アテにしていた野球場がなくなってしまった以上、京王と西武が同じエリアに路線を造っても、お互いに客を取り合う競合関係になるだけですし、地元住民からの反対運動も大きくなってしまったようです。 結果、どちらも熱が冷め、この地に南北方向の鉄道路線が開通することは幻となってしまいました。(地元住民の賛同が得られない以上は、たとえ地下路線としての開通を考えるとしても、実現は難しいでしょう)
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そのような都市計画がないからです。 現況では、鉄道事業者が国や自治体(都道府県)の支援無しに、都市部に鉄道線路を敷くことは不可能です。鉄道計画も都市計画や街路計画等に組み入れることで鉄道建設に法的根拠を持たせ、これに従い土地収用などを行うことになります。 そのような法的根拠が伴わないと、土地収用が困難になってとても線路など敷けません(既存路線の複々線化や、地下鉄との乗り入れなどもこのような都市計画の上で建設されているのです)。 そしてそのような都市計画がない理由は、西武鉄道がこのような路線を持ちたいという意思表示を国や自治体に対してしていないからです。 その上で、西武多摩川線の歴史的経緯を理解するべきです。 西武多摩川線は、元々多摩川で取れた砂利を運搬するための鉄道として、明治時代末期に貨物鉄道として計画され、大正時代に多摩鉄道として開業した路線です。貨物専用鉄道として計画されましたが、貨物輸送に片手間に旅客輸送も行いました。 当時は東京の街が巨大化していた時期で、高層建築物なども増えていました。これらのコンクリートの骨材として川砂利が使用されていた時代で、様々な会社が多摩川を中心に様々な川で川砂利を採取しては、都会へ運搬していた時代だったのです。 同時期に多摩川の河原に数多くの川砂利運搬を目的とした路線が開業しています。 この多摩鉄道を、西武鉄道の前身会社のひとつである(旧)西武鉄道(=現在の新宿線・国分寺線・西武園線・多摩川線と、新宿~荻窪間の路面電車を経営していた会社)が、砂利採掘・販売事業に参画するために買収したことが、現在の西武鉄道路線に組み入れられるきっかけです。(旧)西武鉄道はこの他にも「安比奈線」(=南大塚から伸びていた近年まで長期休線だった貨物専用線)も、入間川で川砂利を採取して販売する事業のための路線として建設しています。 そして戦時中に、(旧)西武鉄道は複雑な経緯の末、武蔵野鉄道(=現在の池袋線を経営していた会社で、現在の西武鉄道はこの武蔵野鉄道の存続会社とされている)と、多摩湖鉄道(=現在の多摩湖線を経営していた会社で、現在に至る西武鉄道経営陣の流れはこの鉄道を発端としている)と合併することで、現在の西武鉄道になりました。 現在の西武鉄道に言わせれば多摩川線は、戦時中の鉄道事業者調整の名の下に周辺の鉄道会社を統合したら、「もれなくついてきた」だけの路線なのです。 そして戦後、この多摩川線の延伸構想がなかった訳ではありません。 高度経済成長期に多摩ニュータウン造成が決定すると、西武鉄道もこのアクセス輸送に手を挙げています。その内容は多摩川線を是政から多摩ニュータウン方向へ延ばすと共に、武蔵境から上石神井へ伸ばして西武新宿線と接続し、新宿~多摩ニュータウンのアクセス鉄道とするというものでした。 ですが多摩ニュータウンへのアクセス鉄道は既に小田急と京王が手を挙げていて、この小田急と京王の新線建設プランの方が効率的であること。これに対し西武案は遠回りである上に都市化が進んだ地域(上石神井~武蔵境間)での鉄道建設を伴うため莫大な建設費用が掛かることなどから、却下されたとなっています。 恐らく、西武が今から「やはりこの計画をやりたい」と言っても、小田急や京王との重複を理由に却下されることでしょう。 また戦後、京王帝都が井の頭線を田無へ延伸させる計画を持っていましたが、これは西武鉄道の強い反対で実現できませんでした(路線建設免許取得に至らなかった)。 このような経緯もありましたが、結局は西武多摩川線はJR中央線南側地域の地域輸送に徹する形で落ち着きました。 中央線北側地域の過密な住宅街を考慮すると、北側へ線路を延ばすことは国や自治体の支援が無い限り、現実的ではありません。あれだけの人が住んでいる地域ですから、どう線路を敷いても需要があることは否定しませんが。