滅尽龍のシリオン 作:匿名
数日ほど寝ていただろうか、薄く目を開け微睡みの中で身じろぎをして古い棘を落とす。全身に満ちる活力が休眠の終わりを告げているがどうせ予定もない、このままもう一度寝てしまおうか。堕落に身を任せて目を閉じると遠く鳴るでエンジンの駆動音が子守唄のように眠りへ誘う。
子守唄が大きくなる、無意識に唸り声が漏れる。上昇する音量はまだ止まらず自分の真上にまで来てアイドリングに変わる、騒音には違いない。何をしているのかは知らないが不愉快だ、尻尾で横穴の壁を叩き吠えて苦情を入れる、途中であくびになってしまったが言いたいことは伝わるだろう。現に数名分の足音が忙しなく鳴った後駆動音が遠ざかっていく。
目が冴えてしまった、こんなド辺境になんの用があるかさっぱりだが、近所の住民のことも配慮できないのなら次はちゃんと追い返してやる。
起き上がりストレッチをする、今更眠りに戻ることはない。情報でも集めに行こう、縄張りに不法侵入されたのだから自分には解決の義務がある筈だ。思い返す度に不満が溜まり能動的になる。
前回立ち寄った時と何ら変わらない砂埃の似合う集落に着く、日差しと影から夕方にはまだ早いと判断、入り口の看板を眺めながらくぐるが未だにその字が読めない、元々の走り書きと看板の掠れ具合が解読を不可能にしている。大体いつも早朝に来るためゴーストタウンだと勝手に勘違いしていたが、こうしてみると思ったより人がいる。カウンターだけがあるバーに行くと知らない人物が2人、カウンターに座る1人とバーを牽引しているトラックの運転席で眠る1人がいる、この店は移動式だったのか。店員が居ないのならと踵を返そうとした男にカウンターに座っているシリオンが気付いて声を掛ける。
「ん、客か?すまないな、今うちのバーテンダーがどっかに行っちまっ…ておいおいお前さん、なんだその格好、追い剥ぎにでも遭ったか?」
ガタイの良いライダースーツを着た赤いイノシシのシリオンに憐れむような声音で指摘され自分を見下ろす。あのホロウでの出来事から今もバッチリと悲劇の様相を醸し出す自分の衣服。
「ちょっと爆発しただけだ、出直してくる」
「まあ待ちな、あんたバーニスが言ってた常連さんなんだろ?座って行けよ」
いつの間にか常連になっていたようだ、数回しか利用していないし常連の注文を間違えるな。敷居の低さから客足を想像してしまう。
「最初はあいつがホラ吹いていると思ったんだがな、かわいいニトロフューエル好きのシリオンの常連が出来た!って自慢してやがったよ」
非常に遺憾だ、シリオン以外の情報が間違っている。彼女の発言を正すと「シリオンがいた」だけである。そして虚偽の供述からこちらを特定するな。
「どうやら人間違いのようだな」
「確かにそう言いたい気持ちもわかる。諦めな、あいつはそういうやつだ」
笑いながら隣の席を叩くイノシシのシリオン、2つ隣に座るがドリンクがないので手持ち無沙汰だ。
「俺はここブレイズウッドで色んな裏方の雑務をやっていてな、ビッグダディなんて呼ばれてる。歓迎するぜ、常連さん」
「素直に受け取っておこう」
ビッグダディがグラスの液体を一口含み、こちらを不思議そうに見る。
「どうした?ここはお前さんが名乗る番じゃないか?」
「ふむ、そういうものか」
以前は不便を感じていなかったため持ち合わせていなかった名前。これからは我の名を誓いとしよう、自分に課す証明への道のり、世界への挑戦状。自然と背筋が伸びる。
「…名前など今までなかったが、呼びたければ『ネルギガンテ』とでも呼んでくれ」
「名前が無えって、どういう生活してんだお前さん」
物理的に白い目を向けられるが特段恥じることはない。
「その生活の事で聞きたいんだが、ここらでバイクに乗る奴はいるか?」
「何つー冗談だそれは。郊外にゃ数えきれない位の走り屋グループがあるんだぞ、人探しか?」
どうやら一歩目から迷宮入りしたようだ。頬杖をつき鼻息を吐く。直接見ていないので判別できるのはバイクの排気音だけ、しかし母数が多いならしらみ潰しも馬鹿らしい。睡眠妨害は容赦できないが下手人を見つける為に睡眠を削るのでは意味がない。現行犯を捕まえるしかないか。
「そうか、それではここでやることが無くなってしまったな」
「力になれなくて悪いな、まあゆっくりしていけよ」
好意は有り難いがここはやることが無さ過ぎる、バーも休業中なら尚更に。カウンターに背中を預けブレイズウッドを観察する、活気があるとは言えない。人は居るが充分ではなく、建物は劣化が目立つ、刑務作業の様に単一の仕事を繰り返すボンプ、あまりいい環境とは言い難い。人はなぜここに住もうとしたのだろう。そこまで考え、自分のねぐらを思い出す、人にものを言える身分ではないな。
「また来る」
「おう、また来い」
ビッグダディに挨拶してバーを離れる、運転手は終始起きる気配は無かった。服でも買いに新エリー都に行こう。
「ネルギガンテか…」
少し前からブレイズウッドに現れるようになったとされる異質なシリオン。どこから来たのかは誰も知らず名前も今日まで不明で、主な目撃者がバーニスなのもあり実在は疑問視していた。ニトロフューエルの過剰摂取でついに幻覚まで見始めたかと心配になったヤツらも居たほどだ。郊外の事に詳しそうな素振りは無い、というか常識に詳しそうでは無かった。荒野へとバイクも持たずに歩いて帰っていく。分からんことだらけだ。
「おーいオヤジー、戻ったぞー」
シーザー達が帰ってくる、運送の仕事を終え全員の機嫌は悪くなさそうだ。確実に近づいている祭りに機運が高まっているのだろう。腕っぷしばかり成長していく首領は今回の祭典でどこまで走るのか楽しみだ。
「おい、バーニス。貴様の妄想の常連さんって実在してたんだな、驚いたぞ」
ルーシーに小言を貰いながら空を眺めている燃料狂いにそこそこ大きい声で話かける、全員の耳に入るように。案の定食いつく。
「え~!もう帰っちゃった?ニトロフューエルも飲めて無いのにー?」
「げ、実在の人物でしたの?バーニスの同類がいるなんて頭がおかしくなってしまいますわ」
説教中に逃げられたことに呆れながらルーシーも話題に興味があるようだ。まあ郊外で一匹狼ってのはかなり珍しいからな。狼?
「オヤジ、それでどんな奴だったんだ?」
「概ねバーニスの説明通りだったな。大きな角と羽、それと尻尾、バーにだけ寄って歩いて帰っていった。あとかわいいとは言えんな」
「ええー、ネコちゃんかわいいのにー」
「怪しすぎませんのそれ?」
謎の多い男はこいつ等にとっての吉兆か凶兆か。
買った服に着替えて店を出る、視線が減った感じはしない、ボロボロの服のままでも良かったんじゃないか?手持ちのディニーが心許なくなってきたのでホロウに潜らなければいけない、どこのホロウにしようかなんて考えながら街を歩く。ヴィジョンのスキャンダルが日が経った今でも話に上がっている、全貌を知ってみると大胆なものだ。線路の復旧を引き継ぐのは白祇重工、小規模ながら新進気鋭の建設会社らしい。建設会社の代表は身長が低いというジンクスでもあるのか?
街には様々な施設があるが目を引かれるものは殆ど無い、レストランに至っても食欲を満たすためで美食への造詣は深くない、必然的に通るルートは似通ってくる。顔をしかめながら苦味の強いコーヒーをグッと飲む、胃に溜まる液体の感じに小さな征服感を覚えつつ手すりに体重を預け喧騒に耳を澄ませる。
今日の宿題、バイトのシフト、選挙活動、映画の感想、人の日々の営み。
ホロウ、壊れたボンプ、TOPS、跳ね上がった電気代、将来への不安。
パエトーン、六課、モニカ、パエトーン、パエトーン、人の命の投資。
自分には馴染みの無い会話が大多数を占め、やはり道行く人に自分はいない、近道は存在しないということなのだろう。
大量の情報を取捨していると同じ単語が呟かれていることに気付く。パエトーン、プロキシ、そんな言葉が熱量を持って繰り返されている。日傘をさした少女が両の親指で一心不乱に端末を叩きつけており、距離があってもその仕草からは怒りがありありと見える。自分が迷うことはないから実際のプロキシというものをあまり知らない男は、少女が一介の案内人に情熱を燃やす理由がよく分からない。
「ふん、おととい来やがれ、なのです」
少女は吐き捨て、それから男が近付いてきていることに警戒を滲ませながら顔を上げる。
「何か私に御用でしょ…う…か?」
下を向いていた少女が視線を上げ、日傘で遮られていた男の容姿を見て固まる、一歩後退り、重心は後ろ、傘を握る手は強張っている。普通の反応に男は傷付かない。
「いやなに、お前の独り言が興味深かったものでな」
不審者だ、少女はもう一歩後ろに下がる。
「我はプロキシに詳しくないから疑問に思っただけだ、お前の言うプロキシはそんなに特筆すべきなのかを」
少女が詰め寄る、警戒の色は消散していた。
「当然です!パエトーン様の事を知りたいとは中々見込みがある御仁なのです!」
意気揚々と語りだす少女、その顔は上気している。ホロウの外と内をリアルタイムで繋ぐ神業、自由自在にホロウを進む情報集積力、インターノットに現れてから瞬く間に伝説のプロキシとして名を馳せる依頼の成功率、仕上げにまるで救世主のような人格者だと言う。途中から目を瞑ってくるくると回りだした。
「…ですから、パエトーン様こそ至高のプロキシなのです!」
胸に手を当て鼻息荒く締め括る、充足した顔だ。
「事実なら確かに他とは一線を画しているな」
「は?疑っているのです?」
目を見開き真顔で詰める少女、なんだこいつ。
「言っただろう、我はプロキシに詳しくないと、他意はない」
「それなら良いのです」
顔はそう言っていないようだが一旦納得した少女。
そこからはやれパエトーン様の素晴らしさを分かっていない有象無象ばかりだとか、やれ他のプロキシでは足元にも及ばないだとか延々と垂れ流し続ける。
「伝説のプロキシならなぜ実力を疑問視した反発が出る?」
素朴な疑問が彼女の動きを止め俯かせてしまう。
「それが、実はパエトーン様は誰にもその姿を掴ませないのです。つまらない陰謀論や下世話な憶測はパエトーン様の隠蔽の技量の高さを示すものでもあるのですが、目に入るとつい我慢出来きずあの御方の名誉を守護らないとと躍起になってしまうのです…」
難儀な性格だなと感心していると、上目を向ける少女と目が合う。
「…もうひとつ、2週間程前からパエトーン様はインターノット上から姿を消してしまったのです。このようなことは起きたことが無く、以前から僻むことしかしなかった愚物が面白おかしく噂しているのです…」
その功績の眩しすぎる伝説が、人知れず消えた。身を案じる程その伝説は落ちぶれていないが、不安を感じそうになる不安からは逃れられない。よって唆す存在に我慢など利きようがない。
「貴方はどう考えますか?今日パエトーン様を知った人の意見を聞きたいのです」
「お前が説明した通りの能力を持つのならばホロウ内で遅れを取ることはあるまい、であればホロウ外でどうなったかだろうが…」
少女が真剣な面持ちで聞く、自分の答えなど彼女に影響を与えないだろう、彼女はもう答えを自身で決めている。
「伝説は伝説無しでは死なない」
そうでなくてはならない、違うのならば過大評価というだけだ。
少女の開いた口がゆっくりと弧を描く。
「ええ、ええ!パエトーン様は至高の御方、その様なことは有り得ないのです!」
再びハイになり目が輝く少女、毎回初速が早くて驚く。
「まさかここで同好の士に会えるとはパエトーン様のお導きに感謝なのです!さあ、もっと知りたい貴方の為に私が知るあの御方の全てをお話致しましょう!」
「結構だ」
同類を見つけた少女は男の手を引いて珈琲店のテラスに乗り込む。少し前に店を出た男がまた来たことに怪訝な表情の緑髪の客など見えていないのか少女の高説が始まる。
「私はビビアン、貴方のお名前は?」
少しだけ迷う、ちょっと名乗るのが嫌だった。
「…ネルギガンテ」
「大層立派なお名前なのです。それではパエトーン様がインターノットにご降臨した際の話から致しましょう…」
新しくニトロフューエル狂いのパエトーンファンクラブ会員にされた異質なシリオン。空が暗くなっても解放はされず、ビビアンの中ではお互い語り合った同志として曲解が進む。結局店仕舞いまで続き、2軒目にハシゴしようとしていたビビアンの目を盗み跳んで逃げた。