小学校時代の記憶#1:飢えと塾
我が家が最も貧しかったのは生活保護を受給し始める直前、小学校高学年の頃だったのではないかと思います。
実際、その頃には食べ物にも困るような状況でした。
晩御飯は蕎麦粉をこねた団子に調味料を付けて食べるというのが続いていたように記憶しています。
最近でも、夏休みの給食がない期間に痩せてしまう子どもの存在が問題になっていますが、私もそういった状況だったのでしょう。
ちょうど修学旅行の時期でしたが、特に欲しいものがなかった私は、お小遣いを余らせて帰ってきました。
数千円程度のものだったと思いますが、母親はとても喜び、「今月はこれで助かる」と言っていました。
子どもながらに、家計はかなり限界に近いことを悟っていたように思います。
そんな状況になってしまう少し前、母親に塾に通いたいかと聞かれた記憶があります。
習い事は特にさせられませんでしたし、そんな余裕もなかったと思いますが、母親は常に私の教育に気を配っていたのです。
しかし、大して勉強に興味がなかった私は「別に行きたくない」と答えた気がします。
その後、将棋にハマっていた時期もありました。
と言っても大して強くなることはなく、一度だけ地元の大会に出たのですが、将棋教室に通っているのであろう対戦相手に数分で負かされてしまう有様でした。
それにも関わらず、私はプロ棋士になりたいと考えていました。
(大抵のことに関して、強い自信はなくても、強くなれる自信を持っていました。)
そしてそのためには奨励会なるものに入らなければならないということを知りました。
(実際には、プロ棋士への道はそんなに単純なものではないということは知りませんでした。)
意を決して親に奨励会に入りたいと言ったことがあります。
当然の如く一蹴されたわけですが、確かに私の地元から奨励会に所属するのは他の家の子どもにとってもハードルが高いことでしょうから、これに関してはある程度仕方がなかったのかも知れません。
さらに少し後、すでに家計が著しく困窮していた頃に、今度は塾に通いたいと言いました。
それは単に学校の同級生が塾に通い始めていたからという理由でした。
「もう少し早く言ってくれれば」というのが母親の返答でした。
早く言っていたところで途中で通えなくなってしまっていただけでしょうが、みんなの言っている偏差値や鶴亀算なるものと少しでも関わってみたかったと思いました。
このようにして、自分が勉強を得意としていることに気がつくのは、もう何年か後のことになってしまうのでした。


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