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ブロムスト・サガ ─ 竜ヲ征スル者 ─

7 / 9

7分

ACT6 最後の晩餐にする気はない

「難しいですね」  イングリッド・フォウ・レダ・フェスタースは、チェスを打っていた。  一軍の将も嗜むそれは、指揮官としての知略を働かせる頭の体操であるという者もいる。  事実城伯である城主の父、オードネ・フォウ・ワムフェムス・レダ・フェスタースは日常的に頭の体操を欠かさない。  それは娘の──男児のいないフェスタース家の長女であるイングリッドにとっても必須科目である、とオードネは考えているようだった。  彼女はガラス窓から差し込む陽光に蜂蜜色の髪を照らし出し、陶器のカップからビスケット・(クイェクス・)コーヒー(カッフェ)を飲んだ。  カップの三分の一ほど注いだ、濃く抽出したカッフェにミルクをたっぷり注いで、砕いたビスケットを浮かべたものである。  ロジェール人にとっては家庭の味であり、家々によってビスケットの味や隠し味が変わるから、家庭の数だけ種類があると言える。  イスカルド・カッフェボンネル──氷の如く冷たいコーヒー豆と呼ばれる、北方地域原産のコーヒー豆を使うのが、慣わしだ。  フェスタース家はロジェールの地において由緒ある狼神人間(ヴァールヴ)の一族であり、オードネの血を引くイングリッドもまたそうだ。  十三歳のイングリッドにはもう許嫁がいる。それというのが今、対の席で一局打っているドルフである。 「例の盗賊ですが」  ドルフは言いながら駒を進める。 「魔本オプターギルセを盗むつもりだったそうです」  イングリッドは手痛いところに一手打たれたことに、「手心は無いのですか?」と微笑んだ。  ドルフは「強い騎士はお嫌いで?」と微笑む。 「いいえ。好きですわ。武力、才略、兵法……好きな言葉です、とても。……しかしオプターギルセですか」  イングリッドは次はどこに打つか悩んだ。「あれは本来、危険な魔女を索敵し、災害のごとき大魔法から逃れるための防災魔本。そんなものを何に使うのでしょう?」  打った一手は、ドルフの想像通りのものだったらしい。彼はさして考えるでもなく、またしても厳しい一手を返してくる。 「クイーンが最強であるべきです。こう、一直線に敵と一騎打ちをすれば良いのですよ」と言いつつ、駒を進める。 「フェーデですか?」 「そうです。クイーンにも必要な制度ですよ」 「それは我ら騎士の役目です、イングリッド様。あなた様の、城主様の名誉にかけて、我らがいかなる邪悪を切り伏せましょう」  少し考え、ドルフは駒を進める。  クイェクス・カッフェを一口。静かに口で転がすように味わって、甘みで冴えた一手を返すイングリッド。  ドルフは唸った。 「……所詮は泥棒です。売って、金品に変える気だったのでしょう」 「そういうものですか。どうにも、腑に落ちませんが」  ドルフはやはり、優しく微笑んで駒を進めた。 「──チェック」 「あらま……待った、は?」一手、堂々と進めた。負けるならば、いっそ潔く。淑女たるもの、散り際も美しく。 「いえ、今日こそ勝たせていていただきます。チェックメイト」  ドルフはどこか嗜虐的に微笑んだ。  詰み、であった。フィノーラの今の状況は、どう考えてもそうと表現するより他ないほど、のっぴきならないものだった。  拷問にかけられたフィノーラだったが、ライヴェンとのつながりは一切明かさなかった。  手心を加えられたのか、それとも単純に痛ぶるつもりなのか、フィノーラへの鞭打ちは神経が傷つかないように束ねた革のベルトで行われた。  城内への侵入経路、手引きした者の有無、そしてなぜオプターギルセを盗んだのかなど。  ──城内への侵入は三週間かけて地下道を掘った。掘り出した土は水堀に捨てた。  ──水堀は縄を渡してその上を走った。  ──手引きした者は皆無。  ──オプターギルセを盗んだ理由は人探しのため。 「正直に答えてこれか」  身体中が痛む。手当くらいはできるな、と言って老騎士──ゴルドールと呼ばれていた──に投げ渡されたのは糸と針、薬草と、乳鉢と乳棒だった。  彼が気を揉んでくれたのはわかるし、好きでこのような仕打ちを許しているわけでもないことは、彼が弟子のように扱っていた黒髪のエスクワイアを諌めていることからも明らかだった。  ──「馬鹿者、痛めつけることと吐かせることは違うぞドルフ!」  ──「お言葉ですが師匠、この者は魔本を奪ったのです。もう一つ言えば、暗殺者ではないという確証もありません。恐れ多くも具申させていただくならば、広場で縛り首が妥当でしょう」  薬草を手で千切って何度か噛んで、それから揉んで汁を出して傷口に染みさせ、傷口を糸と針で縫う。残った薬草のカスをすりつぶして、飲料水に溶かして飲んだ。  エルヴァスティアには飲める水源が多く、また下水システムも構築されている。  排水をしていい水路と、してはいけない水路──下水と上水が明確に分けられており、これは、古の「大疫病時代」の教訓から、「汚染された水に、病の瘴気が蔓延る」と考えられているからだ。  とはいえ、もっぱら栄養価の高いエール──セルヴォワーズなどの、微量のアルコールを含んだ甘い発酵飲料が飲まれるのだが。そちらの方が上手いし、栄養になる。  とはいえ罪人にセルヴォワーズなどでるはずもない。  黒パンと水が出されたくらいだ。 「ずいぶん高い……三十二アームはある」 ※一アーム=七〇センチメートル 三十二アーム=二十二・四メートル  脱出しようにもここは監獄塔の上階。縄でもあれば懸垂下降できるが、そんなものはない。  牢を出て塔を下へ降りていく段階でどうしたって詰めている城兵に見つかるから、脱出も容易ではない。  そもそも、全面石造りで抜け穴などなく、常に見張りが立っている鉄扉をこじ開けることもできないのだ。  わざわざ七面倒くさい、入り組んだ迷宮やら鍵など用意せずとも、物理的に逃げ場のない場所に幽閉し、頑丈な扉を置いておけば、それだけで十二分な監獄なのだ。  城塞都市の監獄とは往々にしてそのようなものだと知っているが、捕まるヘマをするとは思わなかった。  ライヴェンが喋ったとも思えず、単に悪運に魅入られただけであろう。或いは、魔女の呪いか。 「ライヴェン殿。ここへ何をしに?」 「囚人に飯を届けろと言われたんだ。師匠……サー・ノルベルトからな。開けてもらえるか」 「おいおい、囚人に肉だって? 最後の晩餐ってやつか」 「さあな。そこまでは聞いてない。二、三、聞きたいことがある。脱走をされても困る、閉めておいてくれ」 「お楽しみ、ってやつかい?」下俾な笑いを漏らす看守。  ライヴェン──と呼ばれた、あの少年エスクワイアはそれをどう受け止めたのか、やや怒気を孕んだ声で、「まさか」と返していた。  外からそのようなやりとりが聞こえて少しすると、がきり、と重たい音がして錠が開く。  そこにいたのはやはりライヴェンである。  彼は手に鉄のトレイを持ち、ドアが閉まるのを待ってからそれをベッドに置いた。  そうして素早く手で四角形を描くと、人差し指と中指を揃え、ぴっ、と指でそれを弾いた。 「お前、魔法が使えるのか」 「ああ。俺の師匠はエルフだぜ。簡単な魔法は教えられた。本式の魔法使いには及ばないけど……」 「……最後の晩餐って?」 「年越祭……五日後、お前は処刑される。その日の騎士叙任の後祝いにな」  フィノーラは思わず鼻で笑った。 「人を呪わば穴二つ……ってね。好きでこんな生き方をしていたわけじゃあないが」  ちょいちょい、とライヴェンが指を曲げて顔を近づけさせる。  この防音結界を破って、誰かが耳をそば立てられている──そう思ったのかもしれない。 「出してやる。その代わり、誰がお前を拷問したのかを教えろ。城の連中は何も言わねえ」 「ドルフ、っていう黒髪の男だ。お前と歳は変わらんぞ」 「ドルフ……? あいつ、なんで……」  ライヴェンは動揺しているようだったが、すぐに彼は頭を二、三回叩いて気を取り直すと、トレイを指差した。 「看守の差し入れと嘘言って持ってきた。ポークは好きか?」 「肉なら大抵は好きだが、魚の方が好きかな」 「ふっ、それだけ元気があれば十分」  ライヴェンは笑った。 「やっぱ、変わり者だよ。ライヴェン。……どうして?」 「井の中の蛙で終わるのが嫌になったのさ。……言っとくが、本当にそいつを最後の晩餐にするつもりなら、食わないでくれ」  フィノーラは笑って、ナイフを掴むと、それでポークのステーキをブッ刺してほとんど丸呑みにするようにかっくらった。 「最後の晩餐なら、最高のノルドサーモンを腹一杯喰らいたいね」

初回投稿日時:2025年10月28日 18:42

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  • アヌビス

    Lance

    ♡500pt 2025年10月29日 20時59分

     チェスでの会話、女性ということもあって優雅そうに見えますね。なかなか難しい場面なのに、自然と書かれていて凄いと思いました。そしてライヴェンと女盗賊の方も動きがありそうですね。老騎士の吐かせることと痛めつけることは違う。という部分にオリジナリティーを感じました。

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    Lance

    2025年10月29日 20時59分

    アヌビス
  • ひよこ剣士

    夢河蕾舟

    2025年10月29日 23時18分

    静かな闘争みたいな空気感ですよね。このシーンは書いていて難しかったのですが、褒めていただけると頑張った甲斐があったなあと強く感じます。 女盗賊の方も色々起きそうな予感です。老騎士ゴルドールは清廉であって欲しかったのでしょうね……

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