「機会損失」という呪いを完全に解体する。
どうも、Junです。
いきなりなんですけど、「機会損失」という言葉。
僕、超嫌いなんですよね(ホントにいきなりだけど・笑)
特にここ数年、「投資」の話題があふれかえってますよね。
SNSを開けば、NISA、米国株、インデックス投資……
「今すぐやらないと将来後悔します!」みたいな空気があちこちで漂っている。
そう、“機会損失”という言葉と共に。
「機会損失」とは何なのか。
そもそも機会損失というのは、
“将来得られる可能性のある利益が、得られない事”
であって、決して損失ではなく、
単に利益の可能性を放棄するだけのことなので、本質的な意味での「損失」ではないわけですね。
じゃあなんで「損失」なんて言葉が使われるかというと、
“人を都合よく動かすため”
でしかないと思うんですよ。
これって少しでも言葉を扱っていたり、あるいは行動経済学を少しでもかじったことがあれば基本的な事なんですが、
人は「利益を得る」事よりも、「損失を被る」事の方に強く反応するような性質があるからです。
つまり、1000円の利益を得る喜びよりも、1000円の損失を被るストレスの方が大きいわけです。
だから、
「これだけの利益が得られないですよ!」
という言葉を使うより、
「これだけの機会“損失”なんですよ!」
と言った方が、人は強く反応するわけですね。
つまり、この言葉自体が、人々をコントロールするための都合の良い使われ方をしているという側面があるわけです。
将来の利益なんてのは、当たり前だけど“可能性”の話でしかなくて、確定ではないのに。
百歩譲って、確定した現在から過去を見たときに「機会損失だったね」という振り返りは可能だったとしても、
今この時点から未来に対して「今やらないと機会損失ですよ」というのは、あくまで可能性の状態が確定しているわけではないのだから、
原理的に「損失」とは断言できない。
一つの可能性を選択するかしないかだけの問題でしかないわけだ。
そんな言葉に惑わされて右往左往する方が、よっぽど人生の「損失」なのではないだろうか、
というのが僕の密かな意見なのです。
投資をしないことは機会損失か?
実際、僕も投資に関してはある時期に興味を持って、余剰金の一部で株を購入していますし、
積立投資なるものも少しだけ行ってはいます。
2年ほど投資して、含み益はざっくり15%ほど。
金額にして、数十万円のプラス。
確かに、これだけみるとただ株を購入しただけで数十万円もプラスになっているのだから、利益を得ているように思うかもしれません。
だけど思うのは、
「…で?」
という感想。
確かに、「お金を増やす」という視点では投資は一つの手段。
でもその過程で、思考力、集中力、落ち着き、時間……
目には見えない“コスト”はじわじわと確実に費やされているわけです。
得たものは金額という形で見えやすいものの、失ったかもしれないものは見えにくいから意識しないだけで、確実に失っているものはあるわけだ。
僕自身、投資をした直後は株価の上下に心を揺さぶられる時間が増えました。
「どの株を購入するのか?」
「このまま保有でいいのか?」
「いま売るべきか?」
「いや、上がるかも…?」
「やっぱ、インデックス投資だけに全部投下が正義か?」
「でもこの前買ったこの会社の株、爆上がりしてるんだが!」
「あぁ、この前売った株も爆上がりしてんじゃん…」
「しかも乗り換えた方の株価全然上がらんし…」
と、これはあくまで一例ですけれども、
そんなふうに気を揉む時間は、確実に増えるのです。
それで得た10数%の利益って、本当に“得”だったのか。
自分の時間、そして脳内メモリを消費して、
ようやく得たその“プラス”って、どこまで価値があったのか。
そうして二年間で得た利益は、現実に僕が毎月仕事で稼ぐ金額よりも少ないという現実を考えたときに、果たして「正解」と言えるのだろうか?と。
率直にそう思ったんですね。
機会損失って、そんなに怖い?
「○○しないと機会損失だよ」
繰り返しますが、この言葉、あまりに便利に使われすぎてないか?と思うんです。
だって、そんなこと言い出したら──
「あなたいま勉強してないの?」
「いま勉強したら、それがスキルになって将来の稼ぎに繋がる可能性があるのに、いまそれやってない。」
「はい、機会損失だね。」
ってそんな奴いたらめっちゃウザいじゃないですか(笑)
「うるせぇよ、俺の勝手だろ。」
と思うんだけれども、この機会損失という言葉は他者の現在の行動を否定してくるのです。
だから僕はこの言葉が凄く嫌い。
言葉を使う仕事をする人間としては、人に行動を促すために扱いやすい言葉ではあるものの、その根本にはやっぱり、過剰に相手を動かそうとする意図を感じるから。
もっと言えば、相手の人生の否定とも言えるかもしれない。
相手自身、そして相手の選択へのリスペクトの欠片も感じないから。
お金は「増やすこと」より、「使い方」ではないか。
もちろん僕は、投資を否定したいわけではありません。
でも、それ以上に考えたいのが、「どう生きるか」なんですよね。
例えば僕には子どもがいます。
小さかった頃は「遊ぼうよー」と言ってきたのに、上の子はもうあっという間に小学校高学年で、最近はYouTubeとゲームのほうが忙しそう。
気づいたら、親子で本気で遊べる時間って、ほんの一瞬なんだなと思いました。
もし僕が、そんな一瞬しかない子どもと過ごす時間を犠牲にして、お金を稼ぐことばかりを優先する選択をして、
気付いたら満足に我が子と接することもできず、余裕ができた頃には子どもが親離れしていたとしたら…
そう思うと、ちょっと切なくなるんですよね。
株価をチェックする時間があるなら、もっと子どもと一緒に公園でサッカーでもすればよかった。
あんなに仕事を詰め込んでお金に必至にならなくても、少しのお金は我慢して家族と過ごす時間に向き合えばよかった。
そんな後悔っていうのも、僕から見れば明かな「損失」だと思うのです。
数字にはならないから見えにくいかもしれないけれども、僕には明かな人生の「損失」だと思う。
僕はそんな後悔をしたくなかったから、子どもが小さい頃から可能な限り子どもと本気で遊んで、いっぱい出かけたり、旅行したり、
そういう家族としての時間を優先するという「選択」を、若い頃から行ってきたわけですけど、
もしそれが何らかの理由で出来ていなかったら、やっぱり後悔という損失は大きくなってるだろうなと率直に思うんですよね。
大事なのは、「選択」。
機会損失とか、投資とか、あるいは仕事とか、お金に関するいろんな思惑は確かにあるし、現代社会ではお金は生きていくために必ず必要なものだけれども、
僕らにとって本当に大事なのは、
“何を自分は選択するか”
だと思うんですね。
選択の積み重ねが人生をかたちづくっていくわけだから。
そして、何かを選択するということは同時にそれは、
“他の可能性を捨てる”
という事でもある。
だからこそ僕らは、選択が怖いんです。
行動経済学でも明らかなように、
人は、選択によって得られるものより、選択によって失うものの方が大きく見えてしまう性質を持っているから。
だから時に、本当に大事なものを選べない。
周りの意見に流される。
今までと同じ選択から逃れられない。
でも、落ち着いて冷静に考えてみてください。
1000円を得ることと、1000円を失うことは、
“完全に同じ量の変化でしかない”
わけです。
感覚的には確かに、同じ金額でも損失のほうが痛手を負っているように見えるかもしれない。
でもそれは、ただのバイアス(思い込み)です。
落ち着いて考えれば、「同じ量の変化」ということは明らかじゃないですか。
だから、これが自分にとって本当に大事で、本当に意味のある選択なのだとしたら、
・周囲の空気
・今まで選択してきたこと
そんなものに惑わされず、そして、
・失うものの存在
は、感覚ではなく、「あるがままに評価」することを恐れるべきじゃない。
そういう一つ一つの選択の積み重ねが、人生を豊かにしていくと僕は本気で信じているから。
だから僕は今日も選択し続けるし、僕の記事を読んでくれているあなたにも問い続けたいのです。
「今日、あなたは何を“選択”するか?」
Jun
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