税務署で未納分の税金に関する面談を取り付けたが、体調不良でいけなかった。
そうしたら税務署から「未納分の税金を一括で払え」って電話が来た。
ない袖は振れないとはいえ払わないという選択肢はない。仕方ないので身の回りの物(スマホPCテレビ美術書など…)を全部ヤフオクで出品+商売道具を同業者に捨て値で譲渡することで金の工面をした。
来週中には払えるが、そうすると今度は商売もできず生活道具すらないので比喩抜きで死ぬしかない。
生活保護は絶対にうけたくないというか、行政に統制された状態で偸生するのは主体としての死ではないか?一挙手一投足を行政の監視下に置かれ、常時行政による物言いがつくというのは主体の死に他ならない。
なぜか左翼連中はそこに対してあまりに鈍感というか、『生物学的な「死」』に対してはファナティックな拒絶反応を見せる一方で、コロナ禍のロックダウンなど主体性のはく奪による「主体としての『死』」に対しては死ぬほど鈍感である。
加えて『生物学的な「死」』は一人でも実行できるが、「主体としての『死』」には複数の人間がかかわることとなる。「死」を執行する人間に心理的負荷が大きいということは、例えば拘置所で死刑執行にたちあう人の例をひくまでもなく明らかであろう。
生活保護費のような福祉予算の膨張と財政規律への悪影響という問題もある。そういう他者へのインパクトを考慮した場合、生物学的な『生物学的な「死」』のほうが望ましいと考える。
自分は他者に統制された状態の偸生は『主体としての「死」』であると考える。死ぬのは嫌だがもはやどちらかの死は不可避である。
自分の場合他者に与えるインパクトを考え『生物学的な「死」』を選ぶこととする。お粗末。
一挙手一投足を行政の監視下に置かれるというのは間違った前提です。