中学生の頃ヤンチャだったので実家から100km以上離れた高校に入学させられました。
兄の家に住み毎日お弁当をつくってくれたことには感謝しています。
中3の時に親父が
「中学を卒業したらどうするんだ」
と珍しく自分への興味を示したので真剣な顔で聞いていたら
「親をそんな目で見るんじゃありません」
と怒り出しました。
「この人には何も期待せずに生きよう」
そう思った瞬間です。
確かに目付きは悪かったでしょうが子供の気持ちが伝わらないというのもどうなんでしょう。
まだ公僕とい考えがあった頃で公務員だった父親はよく働く人でした、帰宅すると暗くなるまで薪割りをしてそれから飲む人でした。
明治生まれの爺さんもよく働く人で
「あの人の息子だからそうなのか」
という感じを受けながら
「自分はこの人たちのようにはなれない」
そう思いながら育ちました。
しかし高校で柔道をはじめると道でツバを吐く部員に
「柔道をしてる奴がそんなことをしていいのか」
というようになりました。
高校でグレなかったのは柔道のお陰です。
部活で肩を痛め初めて整骨院というところに行った際、社会人野球のピッチャーの選手が
「また投げられるようになりますか」
と聞いたら
「半年毎日来れば投げられるようになるよ」
というのを聞いて驚きました。
そして柔整師という仕事に興味を持ち調べたら柔道をしている人しか取れない資格であることを知りました。
当時国家試験に柔道もありましたからね。
高校を卒業してからも柔道を続けたかったので思惑が一致したのです。
そして武藤敬司先輩とかヒクソン・グレイシーが来日した時に最初の対戦相手として選ばれた西良典先輩のいた東北柔道専門学校柔道指導員養成科に入学したのです。
厳しい学校でしたがしばらくはあの学校を耐え抜いたのだからという気持ちで暮らせました。
明日は盛岡に行きます。
盛岡市立高校の柔道部の同期会があるからです、今の自分の原点をつくった街なので楽しみで仕方ありません。
今でも柔道部は我々の頃の成績を超えていないと思います。
盛岡市立高校は部活の強い学校だったんですよね。
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