第11話:忠誠の誓い
リオ様に仕えるようになってから、一月が過ぎた。
俺、バルガスの日常は一変した。騎士団を追われた流れ者の身から、貴族の護衛という安定した職を得た。食事は美味くなり、寝床は暖かくなった。だが、俺の心を占めていたのは、そんな भौतिक的な満足感ではなかった。
日に日に増していく、我が主君、リオ・アシュフォード様に対する畏敬の念。それが、俺の胸中を渦巻いていた。
当初、俺はリオ様のことを「不思議な力と知識を持つ、早熟な少年」程度にしか考えていなかった。手合わせで見せた常識外れの体捌きも、神の啓示とやらで得た特殊な力なのだろうと、自分を納得させていた。
だが、護衛として彼の側に付き従ううち、その認識が根本から覆されていった。
リオ様の異常性は、奇跡的な力などではなかった。それは、彼の頭脳そのものにあったのだ。
ある日、俺はリオ様に付き従い、西の実験農地を視察していた。
そこでは農夫たちが、新しい鉄製の犂を使い、来春に向けて畑を耕している。リオ様は農夫たちの輪の中に入ると、まるで長年の仲間のように気さくに話しかけた。
「ゴードン殿、土の感触はどうだ。去年より柔らかくなっているだろう」
「おお、リオ様! まるで別物ですぜ。この調子なら、来年はもっとすごい収穫になりそうだ」
農夫たちの顔には、かつての絶望の色はない。皆、生き生きとした表情で汗を流している。
リオ様は、一人一人の農夫に声をかけ、土の状態や農具の使い心地を細かく聞き取っていた。そして、時折的確な助言を与えるのだ。
「そこの畑は少し水はけが悪いから、溝を少し深く掘っておいた方がいい」
「犂の刃の角度だが、もう少し寝かせた方が土の抵抗が減るはずだ。今度、鍛冶屋に修正を頼んでみよう」
その言葉は、まるで何十年も畑と共に生きてきた大地の専門家のようだった。十歳の子供の口から出てくるなど、到底信じられるものではない。
またある日には、領内の鍛冶場に足を運んだ。
目的は、水車の改良だ。収穫量が増えた小麦を効率よく製粉するため、新しい水車を作るのだという。
鍛冶場の親方は、リオ様が持参した設計図を見て、首を傾げていた。
「リオ様、この歯車の形は奇妙ですぜ。こんなに細かい歯を噛み合わせて、本当に力が伝わるもんですかい」
「伝わる。この小さな歯車が一つ回る力で、こちらの大きな歯車を動かすんだ。テコの原理と同じだよ。小さな力で、大きな物を動かすための仕組みだ」
リオ様は、地面に木の枝で歯車の仕組みを図解し、力の伝わり方を懇切丁寧に説明していく。てこの原理。歯車の減速比。俺には半分も理解できないような言葉が、彼の口からよどみなく紡がれていく。
親方も初めは半信半疑だったが、リオ様の説明を聞くうちに、その目が次第に職人としての好奇心と挑戦の光に変わっていくのが分かった。
農夫も、鍛冶屋も、誰もがリオ様を子供として扱わない。彼らは皆、その知識と指導力に、心からの敬意を払っていた。
俺は護衛として、ただ彼の背中を見ていることしかできなかった。
彼の行く先々で、常識が覆され、新しい技術が生まれ、人々が活気づいていく。その様は、まるで物語の英雄譚を目の当たりにしているかのようだった。
だが、俺が最も心を揺さぶられたのは、彼の持つ知識や指導力ではなかった。
彼の行動の根源にある、その目的だった。
新しい水車の設計が一段落した帰り道、俺はリオ様に尋ねた。
「リオ様。そのように次々と新しいものを生み出して、一体何を目指しておられるのですか。これほどの技術があれば、莫大な富を築くこともお出来になるでしょう」
それは、純粋な疑問だった。
俺がかつて仕えた貴族は、まさにそういう男だった。彼は領民から搾取することしか考えず、得た富は全て自分の贅沢のために使い果たしていた。俺はその不正を諫めたがために、罠にはめられ、騎士団を除隊される羽目になったのだ。
貴族とは、そういう生き物だ。俺はそう信じて疑わなかった。
しかし、リオ様の答えは、俺の想像を遥かに超えていた。
「富か。それも必要だろうな。だが、それは目的じゃない。手段の一つだ」
リオ様は少し遠い目をして、領地の粗末な家々を見渡した。
「俺がやりたいのは、この領地に住む皆が、腹いっぱい飯を食って、病の心配をせずに、毎日笑って暮らせるようにすることだ。ただ、それだけだよ」
その声には、何の裏も計算もなかった。あまりにも純粋で、真っ直ぐな願い。
「豊かさというのは、領主の懐が潤うことじゃない。領民一人一人の食卓が豊かになることだ。そうだろう、バルガス」
俺は、言葉を失った。
雷に打たれたような衝撃が、全身を貫いた。
この方は、違う。俺が知る、私利私欲にまみれた貴族たちとは、全く違う。
この幼き主君は、本気で領民の幸せを願っている。そのために、己の持つ全ての力を注ぎ込んでいるのだ。
その夜、俺は一人、月明かりの下で剣の素振りを繰り返していた。
胸の中に、熱い何かが込み上げてくるのを止められなかった。
騎士団を追われ、全てを失い、俺はただ日銭を稼ぐためだけに剣を振るう、流れ者の傭兵に成り下がったと思っていた。誇りも、忠誠を捧げる相手も、もう二度と得ることはないだろうと。
だが、違った。
神は、俺を見捨ててはいなかった。この俺に、生涯をかけて仕えるに値する、本物の主君との出会いを与えてくださったのだ。
ふと気配を感じて振り返ると、リオ様が湯気の立つカップを二つ持って、そこに立っていた。
「夜遅くまでご苦労だな。少し休んだらどうだ。ヤギの乳に、少し蜜を入れたものだ」
「もったいないお言葉。ですが、このようなことまで……」
「いいんだよ。俺の護衛は、あんたしかいないんだからな。体を壊されたら、俺が困る」
そう言って悪戯っぽく笑うリオ様の横顔に、俺はもはや迷いのかけらも感じなかった。
この方こそ、俺が剣を捧げるべき唯一の主君だ。
この方の見る未来を、俺の剣で切り拓く。この方の身に降りかかる全ての災厄から、俺の命を盾にして守り抜く。
俺は受け取った温かいカップを地面に置き、その場で深く膝をついた。そして、腰の長剣を抜き、月光に煌めくその切っ先を、自らの胸に当てる。
「リオ様」
俺の静かだが、決意に満ちた声に、リオ様は少し驚いたように目を見開いた。
「俺は、不当な罪で騎士団を追われ、誇りを失い、ただ生きるためだけに剣を振るってきました。ですが、あなた様に出会い、俺は再び、剣士としての誇りと、魂を捧げるべき場所を見つけました」
俺は顔を上げ、リオ様の目をまっすぐに見つめた。
「この剣と、この命、今日この時より、あなた様ただ一人のために捧げます。いかなる時も、あなた様の盾となり、矛となりましょう。我が主、リオ・アシュフォード様」
それは、雇用契約を超えた、魂の誓いだった。
リオ様は一瞬戸惑ったような顔をしたが、やがて俺の覚悟を悟り、静かに、だが力強く頷いた。
「……その忠誠、確かに受け取った。頼りにしているぞ、バルガス」
その言葉だけで、十分だった。
俺、バルガスの剣は、この日、本当の意味で主を得たのだ。
この小さく、しかし誰よりも偉大な主君の行く道を照らす、一振りの剣となるために。俺の新たな人生が、今、始まった。
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