第62話:経済制裁

聖女リリアーナの偽神託は、アルビオン王国の民の心を巧みに一つにした。

アヴァロンは神の敵。アッシュは魔族に魂を売った反逆者。

その単純で扇情的な物語は、日々の生活に不満を抱える民衆にとって格好の『捌け口』となった。自分たちの不幸は全て、北の地にいる邪悪な存在のせいなのだ、と。

王都の広場では連日アヴァロンを糾弾する集会が開かれ、人々は熱狂的に「聖戦」を叫んだ。

王太子アルフレッドは、その国民の熱狂を自らの支持基盤として完全に掌握した。彼は自らを神意を代行する英雄として演出し、その人気はかつてないほどに高まっていた。


だがアルフレッドはすぐには軍を動かさなかった。

彼もエルンストの報告の全てを嘘だとは、心のどこかで信じきれていなかったのだ。アヴァロンが未知の、そして強力な『力』を持っている可能性。それを完全に無視することはできなかった。

それに彼のプライドが許さなかった。

あの無能なアッシュごときに、我が王国が全力で軍を差し向けなければならないなど屈辱以外の何物でもない、と。

「……まずは奴らの力を削ぐことからだ」

アルフレッドは側近たちとの作戦会議でそう告げた。

「戦わずして勝つ。それこそが王者の戦い方というものだ。奴らを経済的に完全に孤立させ、干上がらせてやる」


アルフレッドが考え出した最初の攻撃。

それは武力ではなく『経済制裁』だった。

彼はアルビオン王国の名において、近隣の全ての諸国、そして自由都市に対し一斉に使者を送った。

その親書の内容は、極めて高圧的で一方的なものだった。

『北の地に存在する不浄の都アヴァロンは神の敵であり、我がアルビオン王国はその討伐を決定した。よって諸君らに対し、アヴァロンとの一切の交易を禁ずる』

『もしこの神聖なる勅令に背き、かの者らと関わる国があれば、それは我が王国への明確な敵対行為と見なす。その覚悟があるのなら、好きにするがいい』

それは外交交渉などではない。

大陸の覇者を自認するアルビオン王国による、露骨な『脅迫』だった。


この脅迫は絶大な効果を発揮した。

南方自由都市同盟のポルト・フィオーレ。アヴァロンが最初に交易の道を開いたあの活気ある港町も、例外ではなかった。

領主のドン・フェルナンドは、アルビオン王国からの親書を手に顔面蒼白になっていた。

「……なんという横暴な……!」

彼の執務室には商人ギルドのマスターをはじめとする、街の有力者たちが集まっていた。

「領主様! このような脅しに屈する必要はありますまい! アヴァロンとの交易は我々の街に莫大な利益をもたらしてくれています! それを今、手放すなど……!」

ギルドマスターが激昂して叫ぶ。

だがフェルナンドは力なく首を横に振った。

「……馬鹿を言うな。アルビオン王国を本気で怒らせてどうなる? 彼らがその気になれば、我が国の港などたった一日で火の海にできるのだぞ……。我々に彼らと戦う力はない……」

悔しさに誰もが唇を噛んだ。

アヴァロンの製品は素晴らしい。アヴァロンとの交易は魅力的だ。

だがそのために自国を滅亡の危機に晒すほどの覚悟はなかった。


結局ポルト・フィオーレをはじめとするほとんどの南方諸国は、アルビオン王国の圧力に屈した。

彼らは断腸の思いでアヴァロンとの交易を公式に停止することを決定した。

アヴァロン・ウィングはもはやどこの港にも着陸することができなくなった。

空の道は開かれてからわずか数ヶ月で、再び閉ざされてしまったのだ。


「……アヴァロンは完全に孤立した。これで奴らも終わりだ」

アルフレッドは諸国から次々と届く服従の報告に、満足げな笑みを浮かべた。

「食料も資源も外から入ってこなくなる。内部から崩壊するのを高みの見物と洒落込もうではないか」

彼の取り巻きたちも「さすがは殿下!」「見事な御手際です!」と手放しで彼を称賛した。

彼らは勝利を確信していた。

アヴァロンという気に食わない新興国家を、血を流すことなく完全に屈服させることができる、と。


だが彼らは根本的なことを見誤っていた。

いや彼らの凝り固まった常識では、理解することさえできなかったのだ。

アヴァロンという国家が、彼らが知るどの国とも全く違う異質な存在であるということを。


その頃、アヴァロンの評議会では。

王国による経済制裁のニュースは、ハーピィの『空の目』によって即座にもたらされていた。

「……卑劣な真似を……」

ガンツがテーブルを叩いて怒りを露わにする。

「これで南方からの珍しい香辛料が手に入らなくなるのか……。残念だ」

ガロウが本気で残念そうに呟いた。

評議会の空気は確かに重かった。だがそこに悲壮感や絶望の色はなかった。

バルカスが冷静に現状を分析する。

「……確かに外貨の獲得ルートが絶たれるのは痛手です。ですが致命傷にはほど遠い」

彼はアヴァロンの現在の生産状況を示した一枚の羊皮紙を広げた。

「我々は食料、エネルギー、そして主要な鉱物資源、その全てを自給自足できております。南方から輸入していたのは、いわば『贅沢品』。それがなくなったところで国家の運営そのものには何の影響もありません」


その通りだった。

アヴァロンは建国の当初から、外部からの供給に頼らない完全な自給自足体制を目指して設計されていた。

王国の愚かな妨害工作は皮肉にも、俺にその体制をより完璧なものへと進化させるきっかけを与えてくれたのだ。

俺は静かに口を開いた。

「……アルフレッドの狙いは我々を孤立させ、干上がらせること。だがその制裁は我々には全く効かない」

俺は窓の外に広がる豊かな我が国を見渡した。

「それどころか、この制acs制裁はやがて巨大なブーメランとなって彼ら自身に突き刺さることになるだろう」

俺の言葉に、評議会のメンバーたちはきょとんとした顔をした。

「……どういう意味ですかな? アッシュ殿」

バルカスが問いかける。

俺は不敵な笑みを浮かべた。

「経済とは一方通行ではない。常に双方向だ。彼らは我々を締め出すことで、同時に自分たち自身をも我々から締め出したのだからな」


その言葉の本当の意味を、彼らはまだ理解していなかった。

だがやがて世界は思い知ることになる。

アヴァロンという規格外の国家を経済の輪から弾き出すことが、どれほど愚かで、そして高くつく過ちであったのかを。

制裁は始まったばかり。

そしてそれは王国が自らの首を自らの手で締めていく、緩やかな、しかし確実な自殺行為の始まりでもあった。

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