元侍従長・入江相政が呈した苦言

先帝陛下に正しく「太上天皇」号を奉らなかったことや、皇太后号が「未亡人のイメージがある」として忌避されたことなどを顧みる時、昭和天皇の側近を長く務めた元侍従長・入江相政氏の言葉を思い出さずにはいられない。

入江氏によれば、敗戦後に宮中の機構縮小や人員整理が進められた折に、官職名の再検討も行われ、国民主権の新時代にはそぐわないので「侍従」を改称してはどうか、という意見まで出たという。古称を捨て去ろうとするこのような動きについて、彼は次のように苦言を呈していた。

「法制局あたりで、『侍従』とは『はべりしたがう』ということで、いかにも卑屈で、封建的だから、変えたらどうかという議が出たそうだ。宮内庁側は、別に変える必要もなかろうと主張して、結局そのまま、ということになったのだが、これなどは、日本人のあさはかさを丸出しにしたような話である」

入江相政『天皇さまの還暦』(朝日新聞社、1962年)229頁。

皇室の伝統が足元から揺らいでしまっている

永田町では近年「安定的な皇位継承」をめぐる議論が交わされてきたが、男系継承を必ずしも絶対視しない政党も含めて、多くの党は「歴史と伝統を尊重」する姿勢を示している。

しかしながら現実には、ほとんどの人々が気付かないうちに、皇室の伝統は足元から揺らいでしまっているのではないだろうか。大宝律令以来の古い官職名はもはや、宮内庁にはごくわずかに侍従や侍医、内舎人などが残っているのみであり、また有職故実は蔑ろにされすぎている。

日本国憲法上、象徴天皇は「国政に関する権能を有しない」のだから、政を摂るというのは不適切ではないのか――。こんなふうにいずれ「摂政」あたりにも物言いが付きかねないと筆者は思っているのだが、かつて侍従の名を守った時のような気概を、はたして今の宮内庁は示せるのだろうか。

これ以上の悪化を危惧するからこそ、入江氏による随筆の続きを次に示して、この記事の締めくくりとしたい。

「名前だけ変えておけば、中身が名前にふさわしいように自然に変化する、なんて、どうしてそういうつまらないことを考えるのだろう。イギリス人は、さすがに日本人よりはこういう点はえらいので、古色蒼然たる官名をそのままにして、内容を時代にふさわしいように変えているというのだから」――前掲『天皇さまの還暦』230頁。
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