幸せを求めると退屈になる。
東京在住の女性M様から「一緒に観たい映画がある」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。日本映画を観たのだが、つまらなかった。つまらない人生を送っている人には、響く映画なのだろうなと思った。日本映画は「世界は変えられない。変えられるのは自分の心だけだ」みたいな話が多い。情緒は豊かだが、元気にならない。私が好きな映画は「世界は変えられる。変えられないのは自分の心だけだ」みたいな話が多い。人間の業を、最悪な部分も含めて丸ごと肯定する。
映画を観た後に食事をした。最高だったと言って涙を流すM様に、素直な感想を伝えるべきか迷った。だが、嘘はつけない。正直に「こんな映画に励まされたらダメだと思う」と言った。嫌な顔をされるかと思ったが「そういうことを聞きたかったんです」とM様は言った。多くの場合、みんなは他人に同調する。本当はつまらないと思っているのに「よかった」と言って話を合わせる。坂爪さんはそういうことをしないと思ったから、こうしてお誘いをさせていただいたのですと言った。
何がつまらなかったのか聞かれたので「登場人物が全員自分に酔っているように見えた。かっこいいと思う人が一人もいなかった。お前らはまだそのレベルなのかと思った。愛と執着を勘違いしているだけに見えた」と言った。話題はM様の恋愛に移った。M様には、遠距離恋愛をしている彼氏がいる。四年八ヶ月の付き合いだが、関係は微妙だ。だが、他の男を探すのも面倒臭いし、四年八ヶ月もかけたのだから元を取りたい気持ちもあると言った。私は「それは愛じゃなくて執着だと思う」と言った。M様はパートナーシップを専門とするカウンセラーをしていた。だからなのか「今は静観する」と言った。静観して何かいいことがあるのかなと思った。ただの延命措置に見えた。
M様は「愛とは自立や成長を促すこと。結婚やパートナーシップとは与えること・与え合うこと」と言った。極めて正論だが、退屈な正論だなと思った。そんなことを言っている自分を、M様自身がつまらなく感じているのだろうなと思った。だから俺に連絡をしたのだろうなと思った。誰かに幸せにしてもらおうと思う人ほど、悩んでいるように見える。私にパートナーはいない。パートナーシップの悩みも人生全般における悩みもない。誰にでも悩みがあるのが普通みたいに思われているが、悩みがない人間もいる。悩むことが前提の人生ってなんなのと思う。我慢や努力や自己犠牲が前提とされているから、体を壊してまで働くことが美徳みたいなことになるのだろうなと思う。
教科書的な愛の定義を掲げる人は、死ぬほどつまらない人生を送っているのだろうなと思った。自分の人生がつまらないから、誰かが決めた「これが愛です」「これが幸せです」に従って、自分の退屈を誤魔化しているのだろうなと思った。だから、借金取りみたいに愛を回収したがるのだろうなと思った。器用だし、立派だ。私にはそれができなかった。教科書的ないい男とかいい女を演じることに命を賭けている人よりも、勝手にやり合っている人たちの方が愛し合っているように見えた。だから、私は教科書を燃やした。生き方に正解を求める人や、言葉に惑わされている人は本当に多いのだなと思った。言葉に意味はない。言葉に込められているエネルギーが全部だと思った。
おおまかな予定
10月31日(金)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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