時の魔術師~Der Zauberer von Zeit











 大きな音を立ててゆっくりと列車が駅に到着する。
 真っ黒なフードを被った背の高い男と、その男の腰より少し上ぐらいまでの背丈しかない少年がホームに降り立つ。
 人の流れに逆らわずに駅の改札を抜けると、途端に賑やかな場所に出た。
 駅前には沢山の店がならび、行きかう人々で混雑していた。
 珍しいものが並ぶ商店に少年は嬉しそうに目を輝かせる。
「お~、さすがはこの国で一番の大都市。すごい人の多さ」
「はいはい。分かったから、あんまキョロキョロするな。迷子になるぞ。ほら」
 久しぶりに見る人の多さにはしゃぐ少年に、男はその大きな手を差し出す。
 ゆっくりと振り返る少年の肩まである亜麻色の髪がふわりと揺れる。
 深緑の双眸が、その視界に男を捕らえる。
 周りに目を奪われていた少年がやっと自分を見た事に、男は柔らかな笑みを口元に浮かべる。
 少年は目の前に差し出された男の手と、笑みを湛えている男の顔を何度か交互に見た後、不機嫌そうな表情を見せた。
「………なんだ、この手は?」
「決まってんじゃん。迷子対策」
 明らかに不満そうなその声に、男は怯みもせずににこやかに告げた。
「……………」
「……………」
 一瞬の沈黙が二人の間に流れた後、少年はいきなり男の手を力一杯払う。
「子供扱いすんなよっ!」
「んな事云っても説得力ないよ、アンタ。すぐ迷子になるし。そのナリだし。 ほら、大人しく手繋げって」
 子供扱いされた事に怒り、真剣に睨んでくる少年を軽くかわし、その手を強引に掴む。
 握られた手から伝わる男の温もりに、少年は頬を真っ赤に染めた。
「う、う、うるさい!放せっ!お前がオレの後についてくれば良いことだろ! さっさと行くぞ!」
 その顔を見られたくないのか、強引に握られた手を振り解き、少年は言い捨てる。
 ついてこいと云わんばかりに顎をしゃくり、男に背を向けて歩き出した。
 その仕草に、男は愉しそうに笑う。
「あ~あ~、顔真っ赤にしちゃって……照れる事ないのに」
「五月蝿いぞ、そこ!」
 弱々しい見かけと違いって気の強い少年に、男は仕方がないといった風に小さく肩を竦めた。





 今日一晩泊まる為の宿を先にとり、少ないながらも持っていた荷物を部屋の脇に置く。
 その宿から見える町の景色に、少年は見た目そのままに子供のようにはしゃぎながら窓へと近づく。
 窓を開けて入ってくる気持ちの良い風に、ゆっくりと瞼を閉じた。
「で、やっぱ行くの?」
 寝台に腰かけながら、男は風を身体で感じている少年を見て柔らかく目を細める。
「ったりまえだろ。 その為に遠路はるばる此処に来たんだぞ? 100年に一度、数日だけ一般公開される古代の魔導書。 それを見ずして、他に何処行くって云うんだ」
「そりゃ、そうだけどさ。 つ~か、それマジで本物なのか?」
 世界にいくつか存在するという古代の魔導書。
 全ての魔術の源。
 遥か昔に失われた古代魔術から、今現在も受け継がれている魔術まで。
 その全てが書かれ、手にした者は無限の力を手にいれられる、魔術師であるものならば手にしたいと願う本。
 少年はそれを求めてこの地にやってきた。
 この亜麻色の髪の少年もまた、魔術師と呼ばれる者だった。
「知らん」
 男の問いかけに、少年はぶっきらぼうに答える。
「知らんってアンタね……」
「知らないものは知らないの。オレはそれが本物かどうかを今から確かめに行くんだから」
 呆れた声を出す男を無視して、少年はゆっくりと振り返り部屋の扉へと近づく。
「へ? 今から行くの?」
「もちろん! その為に、このオレが眠いのを我慢して、早起きしてまで朝一の列車に飛び乗ったんだぞ。 というわけで、今日はこれから一日自由行動な。 お前も好きなところに行って良いからさ」
「好きなところって云われてもなぁ……」
 今すぐにでも飛び出して行きそうな少年に、男は苦笑しながら頭をかく。
 男は特に興味なさそうにちらりと窓の外を見た後、深めに被ったフードから覗く紅い瞳が少年の後姿を捉える。
「酒場でも色町でも……何処でも好きなところ行ってきたら?最近ロクな場所に行かなかったし。 と云う訳で、オレはこれからちょっと行ってくる。 夕方には戻るから心配すんなよ!」
「お、おい!」
「あ、そうだ。 無駄遣いと弱いもの苛めだけは、するなよ! じゃ!」
 部屋から一歩出た後で、思い出したように一度部屋に戻って男に念を押す。
 男が止めるまもなく、少年は踵を返し部屋を出て行った。





「さてさて、目的の魔導書はどこかなぁ~」
 軽やかなステップで、少年は町中を歩いていた。
 一般公開される魔導書は魔法院と呼ばれる場所で保管されていた。
 魔法院は魔術師になる者のための学校のようなもので、大魔術師と呼ばれる者たちが講師を務めていた。
 そしてそれはこの国だけではなく、世界各国に存在していた。
 少年は町の案内板で魔法院の場所を確かめた後、迷わずそこへとやって来ていた。
「……人が多すぎて見えないじゃないか……くそっ、こう云う時は子供ってのは不便だ」
 一般公開というだけあって、そこにはもの凄い数の人がいた。
 背丈の小さな少年は、その人込みに紛れて前が見えないほどだった。
「くそー。 こんなんじゃいつまで経っても見えないじゃないか!」
 どうしようかと行きかう人にその身体を押されながら、腕を組んで考え込んでいた。
 しばらく考えた後で、少年は何かを閃いたように小さく指をならした。
 そして人込みをかき分けて、魔法院の正面とは別の場所へと足をむけた。


 正面の人だかりが嘘のように、少年がやってきた場所はとても静かで、人の気配が殆どしなかった。
 そこは魔法院の関係者専用の出入り口で、その扉にはいくつかの防御結界が張られていたが、少年はいとも容易くそれを解き、中へと潜りこんでいた。
「おい、そこで何をしている!」
 急にかけられた声に、少年の身体が大きく震える。
 入ったは良いが、何処へ向えばいいのか分からずにうろうろしていた為に、この魔法院の中を巡回していた警備兵に見つかっていた。
 しまった、という表情を浮かべる少年に、警備兵の視線も厳しくなる。
「子供がこんなところで何をしている? 一体どこから入ったんだ!?」
「えっと、その……」
 何と誤魔化したらいいのか分からずに、少年は曖昧な笑みを浮かべる。
 不審な態度をとる少年に、警備兵は取りあえず捕まえて身元を調べようと、少年に向って腕を伸ばした。
 やばいと思った少年は咄嗟に前に手を翳すと、辺りが一瞬眩しい閃光に包まれた。
 警備兵がその光を直接見てしまったために目が眩んだ。
 数十秒後、やっと目がなれた警備兵があたりを見回した時、その少年の姿はどこにもなかった。





「ふぅ……危ない、危ない」
 額の汗を拭うような動作で、実際には汗一つかいていない額を手で触れる。
 危うく難を逃れた少年は、魔法院の中を歩いていた。
 咄嗟に光の魔法を放った後、近くの扉から建物の中に入っていた。
「さて、入ったは良いけど、どうやって魔導書があるトコまで行こうかな……」
 やけに長い真っ直ぐな廊下。
 右も左も同じような景色に、どちらへいこうか迷う。
 う~ん……と小さく唸った後、少年は右へ向って歩き出した。
「ま、その内辿りつくだろ。 まずは行ってみるか」
 あてもなく歩いていると、やけに人が多い処にでた。
 急にやって来た見慣れない少年に、中にいる魔術師たちが不思議な視線を投げかける。
 だが少年はそんな事を気にしなかった。
 そんな少年に、一人の老齢な魔術師が近寄る。
 やってきたその魔術師に、その場にいた若い魔術師たちはすれ違う度に小さく頭をさげた。
「おい!」
「え?」
 いきなりグイっと肩を掴まれ、無理矢理振り向かされる。
 だが、その少年の顔を見た途端、その魔術師の顔に驚きの色が浮かぶ。
 瞳は大きく見開かれ、信じられないものをみたような顔をしていた。
「ばかな……ツァイト・デア=ツァオベラー……なのか?」
「えっ! あんた、まさか…ヴィント?」
 ツァイトと呼ばれた少年もまた、その老齢の魔術師の顔をみて驚く。
 老齢の魔術師にとっては思い出の中の少年の顔が、今も変わらずにそこにあった。
 だが、思い出の中の姿と一つも変わらない少年と比べて、この魔術師は最後にこの少年と逢った時よりも、過ぎ去った時を示すかのようにかなり歳をとっていた。
 この老齢の魔術師は、この魔法院の中でも一・ニを争うほどの実力の持ち主であった。
 得意とするのは風の魔法で、その強力な魔力は若い魔術師たちに慕われるほどであった。
「お前……あの噂は本当だったのか……?」
 誰にいうとでもなく呟かれたその言葉を聞き返そうとしたが、その老齢な魔術師がいきなり腕を掴んだと思ったら、そのまま何処かへ向って歩き出した。
「お、おい! ヴィント!」
「……お前に話がある。 いいから、ついて来い。 ワシの部屋へ行こう」
 大勢の魔術師が見ている中を、少年は腕を捕まれたまま、半ば強引に魔法院の中にある彼の部屋へと連れて行かれた。





 部屋へ連れて行かれてすぐに老齢の魔術師は少年の腕を解放した。
 少しだけいたくなった腕を擦りながら、少年は魔術師を見やる。
「で、何のよう? ヴィント」
「お前……本当にツァイト・デア=ツァオベラーなのか? ワシと50年前、同じ魔法院で数年の時を過ごした、あのツァイト・デア=ツァオベラーなのか?」
「……………」
 真剣な眼差しを向けてくるその老齢な魔術師に、少年はしっかりと頷く。
「莫迦な……」
 50年という月日が流れてもなお、少年の姿はあの頃のまま。
 歳を取るどころか、何もあの頃と変わっていない。
 少年の周りだけ時間が止まったかのように、記憶の中の彼の姿と同じだった。
「噂で聞いた事がある……。 『時の魔術師』と呼ばれる者がいると云う事を。 己の周りの時間をとめ、時間の中から切り離し、永遠の時を生きる魔術師がいると…… それが、お前か? ツァイト・デア=ツァオベラー」
「……………」
 少年は肯定も否定もしなかった。
 だが、黙っている少年に、老齢な魔術師はそれを肯定とうけとった。
 50年という歳月が経過しても、まったく変わらない少年の姿。
 時の魔術師と呼ばれる者の噂に違わぬその変わらない姿に、少年本人に否定されても、肯定としか考えられなかった。
 永遠の時―――……
 誰もが夢見る不老不死をこの少年は手にしている。
 何人ものの魔術師が研究に研究を重ねても、時を操る魔術を得ることが出来なかった。
「くっくっく……あははははは!」
「ヴィント……?」
 何がおかしいのか、老齢な魔術師はいきなり声を上げて笑い出した。
「まさか、お前があの『時の魔術師』だったとはな。 50年、研究に研究を重ねても時の魔術は完成しなかったのに……お前のような子供が……否、実際はワシと同じ歳か? それともワシより年上か? まぁ、そんなことはどうでも良い。 ツァイト・デア=ツァオベラーよ。 ワシに時の魔術を教えろ。 否、教えずとも良い。 ワシの時を戻し、若返らせた上で不老不死しろ。 お前なら出来るだろう?」
 時の魔術。
 その名のとおり、時を操る魔術。
 時間を戻したり、時を早めたり、時間の流れを止める。
 年老いた魔術師には死にゆく未来しかない。
 だが、時の魔術を使えば、いまの老いた肉体を蘇らせ、そのまま時を止めることも可能。
 しかし、その問いかけに少年はゆっくりと首を横にふった。
「無理だ……。 オレには出来ない……」
 何度も首を横に振る少年に、魔術師は怒りを露にする。
「何だと? 出来ないなどと戯言をいうな! 貴様のその姿が時を操った証拠ではないか!」
「違う! 戯言ではない。 オレには出来ない。 オレは……オレは、時の魔術を手に入れられなかった。 この姿は……時の魔術を使おうとして、失敗した結果だ」
 悔しそうに眉を寄せ、手を握り締める。
 魔術を使うものは、その魔術を使うために魔力を消費する。
 けれど、その魔力のレベルに見合った以上のものを求めた時、時として成功する者もいれば、逆に失敗する者もいる。
 失敗すればその反動で、魔力を消費するだけではなく、その魔術が自分に向けて跳ね返ってくる事がある。
 大抵の場合は、失敗した時の為に予め防御用の結界を張ったりもする。
 けれど、少年が遥か昔、まだ両親が生きていて、少年が少年として過ごしていた時代に、偶然手にした一冊の魔導書を見ながら興味本位に試した魔術は、そのまま少年の元へと跳ね返り、その時から少年の身体は老いる事がなくなった。
 どんなに大怪我を負ってもたちどころに治り、何年経っても髪の毛はその時のまま、伸びる事さえなかった。
 最初の頃はあまり大きな変化はなく、少年は気にしなかった。
 けれど、周りは成長していくのに、己は一向に変化しない事に気づき、少年は愕然とした。
 何年、何十年と経っても、姿の変わらない少年。
 弟だったはずの者は、いつの間にか兄と思える程になり、そしてその内、彼の子供といっても違和感のないぐらいに時が過ぎた。
 少年は愚かな自分を後悔した。
 だが、傷を負ってもすぐに治るために、自ら命を絶つ事も出来なかった。
 少年は考えに考え抜いて、そして自らの家を後にした。
 魔術の失敗の反動でそうなったのだから、きっと何処かにそれを解く手がかりがあるだろうと。
 そう考えた少年は、その手がかりを求めて旅をつづけた。
 その手がかりになるだろうモノが、世界にいくつか存在すると言われる、全ての魔術の源の「古代の魔導書」。
「オレは……この国にあるあの魔導書が見たいんだ! この身体を時の中に戻すために!」
「フン……お前がワシの望みを叶えるというのなら、特別に見せてやろう。 だが、ワシを不老不死にするのが先だ!」
「だから! オレには出来ないっていってるだろ!」
 何度出来ないと云っても、老齢の魔術師は聞きいれようとしなかった。
 頑なに拒む少年に、その強力な魔力に相応しく、呪文を唱える事もなしにいきなり少年に向って魔術をつかった。
 目に見えない大気が少年の身体を拘束する。
「くっ……」
「ワシに時の魔術を使うと約束しろ。 そうすれば解いてやる」
「……できな……い」
 否定の言葉を口にすると、途端に首が締め付けられる感覚に襲われる。
 引き剥がそうと試みるが、全身を何かで拘束され、指一本も動かせなかった。
 酸素を取り込もうと口を開けて息を吸い込もうとするが、首を締め付けられそれもままならない。
 少しずつ目の前が暗くなっていく。
「……は……ぁ……」
「苦しいか? ツァイト・デア=ツァオベラーよ。 さっさと一言いえばよい。 「する」とな」
「……でき……い」
 朦朧としてきた意識の中で、やけにその魔術師の声だけが鮮明だった。
 喉が締め付けられ、息が出来ずに苦しいはずなのに、少年は弱々しく何度も首を横に振る。
 だが、力尽きたように首がガクリと項垂れた。
 ゆっくりと大気の拘束を解くと、支えを失った少年の身体が床の上に崩れ落ちる。
「……ええい……。 気を失ったか……。 まぁ、良い。 出来ぬと云うのであれば、お前を研究材料にするまでだ。 必ず、不老不死を手に入れてみせる……」
 青白い顔で力なく横たわる少年に近づいてその小さな身体に触れようと屈みこむ。
「それ以上、ソイツに触れるなよ、じーさん」
 少年と、この部屋の主である魔術師以外居なかったはずの部屋に、別の声が響いた。
「な、何ヤツ!?」
 驚いた魔術師が部屋を見渡すが、そこには誰の姿も見えなかった。
「コイツは俺のもんだ。 気安く汚い手で触んじゃねーよ」
 近くで声が聞こえたと思ったら、いきなり衝撃波を喰らい、魔術師の身体が吹っ飛ぶ。
「ぐはっ……」
 壁にぶつかった衝撃に魔術師が苦しそうに顔をゆがめる。
 身体に感じる痛みに襲われながらも、倒れている少年の方へと視線を向けると、少年の影が大きく揺らめいたと思ったら、そこから男が姿を現した。
「莫迦な……貴様……何者……」
「俺? コイツの保護者ってところかな。 つ~か、ホントはもっと早く助けようかと思ったんだけど、コイツの苦しむ顔ってのも案外そそるもんなんだよな。 見ててゾクゾクしたぜ」
 男が少年の傍らに膝をつけて屈むと、そっと少年の身体を抱き起こす。
 腕の中の少年の乱れた髪をそっと指で掻き上げる。
 微かに感じる吐息に、彼が気を失っているだけだと知ってホッと安堵する。
「な……その姿は……まさか……魔族……?」
 闇を思わせる漆黒の髪に、血の様に紅い瞳。
 そして褐色の肌に、特徴のある人間よりは少しだけ長い尖った耳。
 妖艶な笑みを老齢の魔術師向けるその口元には長い牙が見えていた。
「何故……魔族が……」
「お前に答える義理はねぇよ。 だが、コイツをこんな目に合わせた落とし前はつけないとな」
 片腕で少年を抱いたまま、男は反対側の指をパチンと鳴らした。
「ぐっ!!」
 先ほど老齢の魔術師が少年にしたように、魔術師の周りの大気が身体を締め上げる。
 それを面白そうに男は見ていた。
「心配すんな。 一応、コイツの知り合いみたいだし、コイツが泣くと厄介だから、殺しはしねぇよ。 でも、少しぐらい苦しめ。 じわじわ締め付けてやるからよ」
 魔術師が微かに動く指先に魔力を込めて、魔法陣のようなものを描き始める。
 けれど、それも首を締め付ける圧力に中断される。
「つ~か、お前如きじゃ破れねぇよ。 やるだけ無駄」
「……ぅ……」
「っと、目ぇ覚ましたら、また弱いもの苛めしてとか五月蝿い事いうんだろうな。 んとに分かってんのかね、コイツは。 まぁいいや。 そろそろ終わりにしてやるから、オネンネしな」
 腕の中の少年が微かに声を洩らしたのに気づいた男は、指先に魔力を込めると手を握りしめた。
 それに呼応するかのように、魔術師を締め付けていた大気が、一層強力になる。
 声も出ないくらいに一気に締め上げられ、気を失った魔術師の身体が崩れ落ちる。
 それをつまらなそうに見た後、少年を両腕で抱え上げ、ゆっくりと姿を消した。





 微かに感じる揺れに、少年が目を覚ます。
 すぐ傍に感じる暖かさに、それに縋り付くように腕に力を込めた。
 フッ……と微かに誰かが笑う声が少年の耳に届く。
「寝てる時は素直で可愛いっつーのに……」
 やけに近くに聞こえる良く知る声に、少年が身体を起こす。
 急に起き上がったために、バランスを崩し、後ろへと倒れそうになる。
「おっと! 危ねぇ!」
 少年の細い身体を男の腕が支える。
 魔法院を出た後、男は少年を抱きかかえたまま、人気の少ない道を宿に向って歩いていた。
「な、な、な……なんで!?」
「ああ? なんでって、そりゃぁ、アンタのピンチを助けに行ったに決まってんだろ? ホント、一人で無茶しやがる」
 呆れたようにいう男に少年は顔を真っ赤にしながら、俯く。
「ご、ごめん……」
「違うだろ。 こういう時はなんて云うんだっけ?」
「…………あ、ありがと……」
「よろしい。 良く出来ました」
 魔法院の中の、老齢な魔術師に見せたものとは違い、優しげな眼差しで満足そうな笑みを少年に向ける。
 腕の中にいる少年を、気づかれないように愛しげに抱き寄せる。
「なぁ、悪い事は云わないからさぁ……いい加減、俺に落ちろって」
 少年の耳元で甘く囁いてやると、少年はいきなり男の胸を押しのけた。
「イヤだ」
「んな意地張らずに、一緒に俺の世界へ行こうぜ」
「ぜってーイヤだ! つーか、さっさと降ろせ! オレは歩ける!」
 暴れる少年を、しぶしぶその場に下ろす。
 本当ならばまだ抱き上げていたかったのだが、少年の云う事には逆らわなかった。
「ったく……普通の人間なら不老不死に憧れるっつーのに、なんでアンタはその逆なんだかなぁ……」
「うるさい。 オレは……大人になりたいんだ。 こんな姿はイヤなんだ」
 ため息混じりにそう呟くと、少年はキッと睨みながらそう答えた。
「…………別にその姿でも十分可愛いのに、勿体無い」
「っ!!」
 無意識の仕草で頭を撫でると、少年は顔を真っ赤にしながら、より一層キツイ眼差しで男を睨みかえした。
「おっと、ワリィ……アンタの前で「可愛い」は禁句だったな」
「お前なんかもう知らん! あっちへ行け!」
「あ~、怒るなって。 俺が悪かったからさ……あやまるよ、このとーり」
 腰上までしかない少年に視線を合わせるかのように、男は腰を屈める。
 困ったように微笑みながら、少年の表情を窺うように上目で見る。
「……キゲンなおった?」
 自分を見つめてくるその紅い瞳に、少年は勢いよく背を向けて歩き出す。
「うるさい! うるさい! お前なんかキライだ!!」
「悪かったって! なぁ、キゲンなおせよ。 あ、ホラ、あそこの表通りに洋菓子の店があるぜ? アンタの好きな苺のケーキ、いくらでも買ってやるからさ。 キゲンなおしてよ」
「……………」
「桃のタルトもつけよっか?」
 その言葉に前を歩いていた少年の足が止まる。
 予想通りのその行動に、笑いを噛み殺していた。
「………チョコのヤツも」
「了解。 アンタの好きなだけオーダーしてよ。 にしても、ホント、甘いものが好きだね、アンタ」
 甘いもので一気にキゲンが直った様子に苦笑する。
 さっきまで不機嫌だったのが嘘の様に、少年は嬉しそうな笑みを浮かべて男を見上げた。

―――っていうか、アンタ。 魔導書の事、すっかり忘れてるだろ?

 目の前であれこれと選んでいる少年の後姿を見つめながら、男は「まぁ、いいか……」と少年には聞こえないくらい小さな声で呟いていた。








 2004.11.18