白地に赤く
昔、テレビを観つつ酒飲んで眠り込み、目覚めると、日の丸がはためき君が代の旋律が流れる画面が目いっぱい飛び込んで、悪い夢にうなされているかかと狼狽したことがあった。歳をとって、夜更かしする習慣がなくなった。いま、テレビは24時間放送しているのか、それとも深夜でいったん途絶しているのか承知しない。
先般、大岡昇平の『証言その時々』(講談社学術文庫2014)を読んでいて「白地に赤く」というエッセイにぶつかった。感じ入ったことがあったので、そこを引用しようと思ったが、短い文章なので全文以下に引用する。
白地に赤く
「紀元節復活反対同盟」とかいうものに、署名していたことを、新聞で見て驚いた。文芸家協会の「水爆実験反対決議」の提案者の一人になっていたことも、議事録を見て、思い出した。
無関心だったからではない。あんまりあたりまえのことなので、忘れていたのである。
テレビなんかで、一日の番組の終りで、画面一杯に、日の丸の旗が動くのを見、君が代が伴奏されるのを聞くと、いやな気がする。「逆コース」に対する憤慨なんて、高尚な感情ではない。なんともいえないみじめな気持に誘われるのだ。
わが家の日の丸は無論、終戦後米袋に化けた。そのうち破れて、その用もなさなくなったから、すててしまった。以来うちには日の丸はない。
日本国は再び独立し、勝手な時に日の丸を出せることになったが、僕はひそかに誓いを立てている。外国の軍隊が日本の領土にあるかぎり、絶対に日の丸を上げないということである。
捕虜になってしまったくらいで弱い兵隊だったが、これでもこの旗の下で、戦った人間である。われわれを負かした兵隊が、そこらにちらちらしている間は、日の丸は上げない。これが元兵隊の心意気というものである。
自衛隊幹部なんかに成り上った元職業軍人が神聖な日の丸の下に、アメリカ風なお仕着せの兵隊の閲兵なんてやっている光景を見ると、胸くそが悪くなる。恥知らずにも程がある。
捕虜収容所では国旗をつくるのは禁じられていた。帰還の日が来て、船へ乗るためタクロバンの沖へ筏でひかれて行ったら、われわれが乗る復員船になり下った「信濃丸」で、船尾に日の丸が下っていた。
海風でよごれたしょぼたれた日の丸だった。われわれが山の中で持っていた日の丸より、もっときたない日の丸だった。
私が愛する日の丸は、こういうよごれた日の丸で、「建国記念日復活促進国民大会」なんかでふり回されるおもちゃの日の丸なんか、クソ食えなのだ。
国旗は国のしるしであるから、日本の船とか飛行機が領土外へ出る時、こいつをつけて行くのは、必要なことである。しかし日本国内では、間違いは起りっこない。日の丸を出すなんて、余計なことである。
日本国が名実ともに、日本人の手で運営するようになった日を、建国記念日にすればよい。その時はわが家でも、身分相応の大国旗を買って、盛大になびかすつもりである。
『明治天皇と日露大戦争』は、ちぎれた日の丸が沢山出て来そうな映画だ。人並に泣きそうだが、あとでいやな気持になるにきまっているから、見に行かない。
(『東京新聞』1957年6月18日)
ガムを噛みつつ起立する
記事を読んだのは今が初めてである。文芸家として、あるいは知識人として、私は大岡を尊敬する。記事の内容も概ね賛成だ。しかし、先に来た感想は「世代が違うんだな」である。
こんな思い出もある。単身赴任していた父を駅に迎えてバスで自宅に帰る途中、最後部のシートに並んで座った父が「やっぱり日本も軍隊をもたなきゃいかんな」と、なんの脈絡もなく語りかけたことがある。当時、父にそう思わせるような社会的事件はなかった。
私は中学生であり、60年安保のあとだったので、社会党の「非武装中立」を理想論として好ましく思っていた。急に再軍備論を言われて同調できるはずもない。私が話に乗ってこなかったので、父との会話はすぐに途切れた。
外地に行けば兵隊にとられることがないからと、国策会社に出向して中国の奥地に赴いた父は、30歳過ぎてから戦局の非によって現地召集され命からがら復員してきたのである。大岡昇平と教養や世代を同じくする。戦争なんかこりごりに決まっているのに、なんでそんなことを言うのか了解できなかった。大岡の文章をみて記憶がよみがえり得心した。
これは戦前の教育を受けた日本人の、骨がらみの情念といっていい。いかなる情念かはくだくだしく述べない。大学の学生寮に伝わっていた『男なら』という戯れ歌があった。その一節、――男なら一度の敗戦くよくよするな、広い世界の地図の上に、も一度打ち立てよ日章旗、男ならやってみろ――というもの。
時代錯誤そのものであるが、戦争を敗北として経験した(旧時代の)男たちは「同じ土俵で雪辱してこそ」と思いを秘めていたのだろう――まさに論理ではなく、骨がらみの情念として。
大岡の記事が掲載されたころ、私は小学生であったが新聞程度は読んでいた。家ではブロック紙の西日本新聞を購読していた。その3ページあたりに九州に縁のある文筆家のコラムがあって愛読していた。梅崎春生、福田蘭堂、荒木精之、原田種夫とか、そういった人たちである。コラムの記事の中で、おぼろながら今でも覚えていることがある。むろん、誰の文章であったかは記憶がない。
内容は日米の愛国心をろんじたものであった。筆者はアメリカ旅行の思い出話を記す。まだ観光目的の渡航は許されていない頃である。
かの国ではスポーツ試合の前に国歌を吹奏するが、曲が流れると観客はダラダラと面倒くさそうに立ち上がって、メインポールに掲揚されている国旗を眺めている。
<しゃきっと起立して姿勢を正し、不動の姿勢で国旗に注目し斉唱する>ようなことはない。口にはくちゃくちゃけガムを噛みつつ「しょうがねぇなぁ」の顔である。「なんという連中か」と筆者は呆れる。「情けない、こんな連中に我々は負けたのか」と思う。その後すぐに「そうか、だから負けたのか」と気づく。
日本は<一糸乱れぬ統一行動>を国民に強制した。外見は立派で勇ましいが、それは自発的とは言いがたい。観兵式ではない、遊びのスポーツ観戦である。そんな場所でおもちゃの兵隊のようにキリキリ舞いするほうがおかしい。お上や世間から強制される愛国心は、他人の目がないところではシャキシャキせずにサボるだろう。個人の内面に自然に湧き出てくる愛国心なら、どんなところでもそれなりの行為をする。どちらが強靭であるか、言うまでもない。
ざっとそんな内容であった。「これでなきゃいけない」と小学生の私は思った。それからずっとそう思っている。すくなくとも、他人に対して「あぁしろ、こぉしろ」と注意指導したことはない。他人に礼儀を強要する社会は惰弱である。礼儀は風儀でなければならない。自らに確たるものがある個人は強くしぶとい。確たる個人の文化が集合して文明となるのだろう。日本に発する文明のなきが所以である。
(*)日の丸の関しては、かつてブログに書いたことがある。参考までに以下に全文引用する。
昭和21年の日の丸(2011/09/27)
朝のNHK連続ドラマ『おひさま』が今週で終了する。場面設定が松本と安曇野のある松本平を離れずに終始する。ヒロイン陽子の女の一生を縦軸にして、成長とともに両親・兄たち・友人たちや職場の人々・夫との家族・世間の人々との関係が交叉していく物語は、連続TV小説の構成力における模範的作品となった。――ドラマツルギーとしてツボにはまっているといっていい。
(*)JOAK(NHK東京)制作ドラマは、2009年の郊外埼玉県川越の『つばさ』で失敗してもめげず、2010年三多摩調布の『ゲゲゲの女房』で回復を果たしたように、東京区部から離れた場面設定にこだわっているようである。渋谷や六本木などの、ありそうでありえない風俗模様を描くよりは好ましい。
いっぽう、JOBK(NHK大阪)は、2009年『ウエルかめ』にしても2010年『てっぱん』であっても、毎夜毎晩常連さんが居酒屋で総括集会を行なって議事進行していく、30年か40年前の陳腐な手法から抜け出ていない。今度の『カーネーション』だって期待したいのはやまやまながら、どれだけの期待ができるかというのだろう?
さて、3ヶ月ほど前のことになるが、『おひさま』についてちょっとした疑問があったので、考えるヒントとして報告する。事実経過は以下に記した通りだが、「なぜ今ごろになって書くのか」への疑問に答えておきたい。
ことは『おひさま』のストーリーがおかしいというのではない。それはいいのである。問題はNHKの窓口の対応なのだ。「鉄は熱いうちに打て」というが、ホットな湯気が立っているうちは論議がヘンな方向に拡散するのはよくある。ほとぼりが冷めてからじっくり考えるほうがいいことは多い。
7月7日朝の放送はこうだった。場面は昭和21年元旦の松本の町。新婚一夜だけで出征した夫の丸山和成(高良健吾)は生きて戻ってきた。町の家々の軒先には日の丸が掲げられ、貧しいながらもお正月気分である。陽子(井上真央)は、命を案じなくてもいい夫と2人の水入らずの幸福に、感謝の気持ちでお日さまを仰ぐのだった……。
違和感のある画面
私に違和感があったのは、門毎に掲げられた日の丸である。戦争が終わって平和が回復したといっても敗戦の結果である。応召して戦に赴いた多くの将兵は未だ還らず、在留邦人の引揚げもまだ緒についていなかった。幼なじみの宮本タケオ(柄本時生)や兄の須藤茂樹(永山絢斗)は復員したが、まだ生きていることが信じられずに茫然としている。長兄の春樹(田中圭)は乗艦が撃沈されて戦死し、恩師で同僚の高橋夏子(伊藤歩)の恋人は広島で原爆死した。親友の秦野真知子(マイコ)の婚約者も非業に死んだ。国はついこの間までの敵国に占領されて主権は奪われている。亡国の民となったのである。お正月なのに日の丸ひとつない白々とした光景が胸に迫る。
昭和21年元日、はたして日の丸は家々に掲げられてあったのだろうか? 亡国の悲しさは、生徒たちに教科書を墨塗りさせた前年の秋に身に染みたであろう。その場面はTVでもあった。日本を支配したGHQ(連合国軍総司令部)は、占領目的を貫徹するため矢継ぎ早に様々の指令を発していた。1945年の「日の丸掲揚の禁止」もそのひとつであって、49(昭和24)年1月1日に自由掲揚となるまで厳しく制約されていた。この年、戦災を免れた京都市で開催された第1回国民体育大会はの会場には、日の丸のひとつだになかったのである。
となると、昭和21年(1946)の正月の朝風に日の丸が翻っているシチュエーションは奇異である。愛する夫が帰ってきた喜びに新妻の胸は躍りつつも、愛する人を失った悲しみは胸をうつ。世の中は計り知れない犠牲を出し、かつ敗者の悲しみに打ちひしがれ、痛苦に哭することも忘れて沈みこんでいる。形容できない深い感情を表現する舞台として、日の丸のない正月があるのではないか。
「今日の『おひさま』を見て、松本の町に日の丸が掲げてあったことに奇異な感じを受けた。当時はGHQの指令で禁止されていたはず。夫の生還した喜びと世の中の悲嘆、その複雑な感情を表現できればもっと深みが出たと思うので、ありきたりの正月風景にされたことを残念に思う」といったことを、放送当日にメールした。返信は翌日に来た。
From:nhk_call_base_tokyo@nccmail.nhk.or.jp
日付:2011年7月8日10:18
件名:[問い合わせ番号 1194977_1194983]Re:今日の「おひさま」について
井手 敏博 様
いつもNHKの番組やニュースをご視聴いただき、ありがとうございます。
お問い合わせの件についてご連絡いたします。
確かにGHQは終戦後に、公式の場で国旗掲揚を禁止していました。そのため学校や役場などでは、国旗掲揚は一切行いませんでした。
しかし、個人宅で行う分には罰則は設けられていませんでした。個人宅では掲揚する事例も多くありましたので、番組では国旗掲揚の映像を制作しました。
以上、参考になれば幸いです。
今後とも、NHKをご支援いただきますようお願いいたします。
お便りありがとうございました。連続テレビ小説/おひさま 担当
知の衰弱
これはどうしたことだろう? 木で鼻を括ったというか、慇懃無礼というか。質問の趣旨をわざと逸らして、GHQが禁止したのはあくまで“public”であって“private”ではない、だから個人では掲揚された例も多くあったという。「あなたは事実を知らないで質問したのか?」と嘲笑するのである。
それは知らなかった。私はちょっと詳しい年表くらいを参照したに過ぎない。GHQ指令の原本を知らない。知らないけれども、昭和21年の元日の『新日本建設ニ関スル詔書』は知っている。天皇の「人間宣言」ともいわれた詔書は、来るべき極東軍事裁判所における戦争責任の追及や、数百万人が餓死するといわれた冬の到来を前に、明るい希望よりも暗澹たる現実を国民に突きつけていた。
日の丸を揚げて正月を祝う話ではない。オールマイティであり、なにをやるかわからない占領軍の鼻息に怯えて、日本人は戦戦兢兢していた。天皇様の御身を思えばひたすら慎むしかなかったはずである。なぜなら日本人の忠誠心はまだ本物であったからだ。
(**)それだけではない、松本市にしろ安曇野にしろ、郷土部隊は歩兵50連隊か歩兵150連隊である。丸山和成も宮本タケオもこれらの部隊に応召したとなると、ほとんどの戦友は戦死している。150連隊第2大隊は、昭和19年2月にトラック島上陸を目前にして輸送船が撃沈されて全滅し、歩兵50連隊は昭和19年8月2日テニアン島で緒方連隊長以下全員玉砕して果てた。松本の町は悲しみの淵に沈む、どこに「日の丸掲揚の例も多く」と言えることであろう。
下士官勤務で再召集された思われる丸山和成が昭和20年内に復員したのは解せないとか、甲種予科飛行練習生須藤茂樹の帽章が下士官なのに士官の桜に錨の抱茗荷だったとか、そんな区々たることを言ってはいない。そもそも、岡田恵和の脚本のト書きに”家々に掲揚された日の丸の正月光景”の記載があるわけがない。私は現場の瑕疵と思ったからメールしたのだ。
そこまで考えて私の思考は停止した。「昭和21年の正月、世の中に日の丸は揚がってなかった」と、私は言えないのである。生まれてなかったからだ。そして今、すでに父も母も亡くなった。いくら状況証拠を積み重ねても、経験してなかったことを「こうだ」と言えるほど、私は傲慢ではない。
NHKの担当者はよほどの慧眼者なのであろう。「公式の場」ということより、「証拠のないことをつべこべ言うな。歴史の事実よりもNHKの放送したことが事実になるのだ」と、無知な国民に教えてくれたのだから。
日本の知は確実に衰弱している。