第32話:致命的な過ち

 ボイドが巨獣きょじゅうたちを虚空界へ送り、リーザス村の安全が確保されると、大勢の村民が寄合所よりあいじょから出てきた。

 虚空の王による『無慈悲な拉致』を目にした彼らは、どこか不安気な表情を浮かべている。


(さて、みんなの好感度を稼がないとね!)


 やる気に満ち溢れたボイドが、一人そんなことを考えていると――初老の老人がやってきた。


「儂はこの村を治める、ヘルマンと申します。失礼ですが、あなた様は……?」


「私はボイド、うつろという組織を束ねる者だ」


「う、虚……!?」


 ヘルマンの瞳に恐怖の色が浮かぶ。


(この反応……やっぱり怖がられているな)


 今やうつろという組織は、『大魔教団』・『ハイゼンベルク家』・『秘密結社ウロボロス』と肩を並べる『裏社会の一大勢力』。

 そこの統治者トップに命を救われたとなれば、どれほどの見返りを求められるかわからない。

 ヘルマンの警戒は、至極当然のモノだ。


「ぼ、ボイド様、我がリーザス村を救っていただき、本当にありがとうございました。此度こたびの御恩に報いるべく、心ばかりの謝礼として、『100万ゴルド』を――」


「――100万ゴルド?」


 ボイドが小首を傾げると、ヘルマンの顔が真っ青に染まった。


「大変申し訳ございません……っ。偉大なるボイド様にとって、この程度の額が端金にもならぬこと、重々承知しております。しかし、うちの村は非常に貧しく、どうかお納めいただけますと幸いです……ッ」


「いえ、けっこう・・・・です」


「け、『けっこう』、とは……?」


 ヘルマンは恐る恐る問い掛ける。


「私は何も、謝礼を求めて戦ったわけじゃありません。巨獣きょじゅうに襲われるあなた方を見て、義憤ぎふんに駆られただけのこと。御礼でしたら、先ほどいただいた感謝の言葉で十分ですよ」


 ボイドが優しく微笑み、


「な、なんと……っ!?」


 ヘルマンが驚愕に目を見開くと――巨獣に襲われていた母子ぼしがやってくる。


「ボイド様、危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました」


「いえいえ、御無事で何よりです」


「お兄ちゃん、とっっっても強いんだね! もしかして、すごい人……!?」


「ふふっ、どうだろうね?」


 ボイドは柔らかく微笑み、少女の頭を優しく撫ぜた。

 その紳士的な振る舞いを見た村人たちは、小さな声で密談を交わす。


「虚の統治者ボイド。鬼や悪魔のような男と聞いていたが……なんだ、立派な御方じゃないか」


「そう言えば……虚は大魔教団を執拗しつように攻撃しているが、市民に手を出したという話はトンと聞かんのぅ」


「周りがどう言おうと関係ないわぃ。ボイド様は、縁もゆかりもない我等を助けてくださった。慈愛の心に満ちた御仁ごじんじゃて!」


 純朴じゅんぼくな村人たちは、いとも容易く心を奪われた。


(くくくっ、計画通り……!)


 ボイドはおぞましい魔法を使い、巨獣たちを葬り去ることで、自身の恐ろしさを知らしめた。

 リーザス村の人々は、命こそ救われたものの……この後どんな要求を受けるのか、不安でいっぱいだっただろう。

 わば、『強烈な鞭』を受けた状態だ。

 そこへ優しい言葉を、『甘い飴』を与えれば、簡単にコロッと落ちる。


(『ボイドは恐ろしい』――この先入観が強ければ強いほど、優しくされたときに響くんだよね!)


 彼は『落差ギャップ効果』を巧みに利用することで、人々の好感度をさらったのだ。


(よしよし、この調子でみんなの心を掴んで行くぞ!)


 確かな手応えを得たボイドは、次の標的へ――銀影ぎんえい騎士団へ目を向ける。


(村人たちには優しく、騎士たちには凛々りりしく、しっかり『仮面』を使い分けなきゃね!)


 ボイドが一歩前に踏み出すと、


「「「ひぃ……っ」」」


 銀影騎士団は一歩後ろへ下がった。 


(……あれ、なんか避けられてる……?)


 予想外の展開に対し、ボイドは戸惑いを覚えた。


 リーザス村の人々も、銀影騎士団の面々も、ボイドのことを恐れている。

 しかし両者の間には、明確な濃度グラデーションの違いがあった。


 前者はあくまで『村人』であり、戦いから遠く離れた者たちだ。

 巨獣を圧倒したという事実から、ボイドが強いことはわかる。

 しかし、彼がどれほど桁外れの存在なのか、イマイチ掴むことができない。


 一方後者は『騎士』であり、戦いを専門とする者たちだ。

 それ故、いやおうでもわかってしまう。

 ボイドが『人外じんがいの化物』だということを。


(巨獣の攻撃を涼しい顔でいなし、たった一つの魔法で殲滅するなんて……)


(これが虚の統治者ボイド、破滅の力<虚空>を継いだ男……っ)


(か、勝てない……。生物としてのレベルが違う……ッ)


 銀影騎士団は、『厄災』ゼノの再来に――ボイドという絶対強者に恐れおののいた。


 無論、団長のダンケルとて例外ではない。


(虚空の性能はもちろん、基本スペックが桁外れに高い……っ。魔力・体術・膂力りょりょく、どれも一朝一夕いっちょういっせきで身に付くモノじゃないぞ。天賦てんぷの才に恵まれながら、地道な修業を続けた『努力の結晶』だ……ッ)


 彼は長く息を吐き、大きく前に踏み出す。


「お初にお目にかかります。自分は銀影ぎんえい騎士団団長ダンケル・ライディッヒです」


「虚の統治者ボイドだ」


 軽く自己紹介を交わしたところで、ダンケルが礼儀正しく頭を下げる。


「ボイド殿、帝国臣民しんみんを救っていただき、ありがとうございました」


「よい、ただ『羽虫』を払っただけのこと。この程度で恩に着せるほど厚かましくはない」


羽虫・・、ですか……(確かに、この御仁ごじんからすれば、巨獣などモノの数に入らんだろうな)」


 尊敬と警戒、二つの感情を抱いていると、ボイドが「む?」と声をあげた。


「なんだ、怪我をしているではないか」


「あっいえ、ただのかすり傷で――」


「――ふっ、無理をするな」


 次の瞬間、淡い光がダンケルを包み、あっという間に傷が治った。


「な、なんと……っ(あれほどの武力を持ちながら、回復魔法まで修めているのか!?)」


 彼は驚愕に目を見開きながら、『とある可能性』を夢想むそうする。


(ボイド殿に頼めば、もしかしたら……っ)


 ダンケルが背後に目を向ければ、


「う、うぅ……っ」


「はぁ、はぁ、はぁ……」


「死にたく、ねぇよ……ッ」


 巨獣との戦いで負傷した、大勢の騎士たちが倒れている。

 過酷な修業をこなし、同じ釜の飯を食った、家族同然の仲間たちだ。

 瀕死の重傷だが……今すぐ適切な治療を施せば、まだ持ち直せるだろう。


 しかし、リーザス村は帝国の辺境に位置しており、優秀な回復魔法士はおろか十分な医療設備もない。

 このままではみな、じきに命を落とす。


(先の村人とのやり取りを見ても、ボイド殿は慈愛の心を持つ理知的な御方だ。こちらが誠意を見せれば、こたえてくれるやもしれん……ッ)


 ダンケルは真剣な表情で、深々と頭を下げる。


「ボイド殿、恥を承知でお願いする。私の部下たちに、貴殿の慈悲をたまわれないだろうか……?」


「難しい相談だな。知っての通り、回復魔法を使うには、多くの魔力が必要となる。これだけの数を治すとなれば、かなり消耗してしまう」


 当然これは真っ赤な嘘。

 ボイドの魔力量は計測不可能な領域にあり、回復魔法を乱発したところで、一ミリの疲労も感じない。

 相手に恩を着せるため、わざと大袈裟に言っているのだ。

 この辺りの邪悪な交渉術は、さすが『極悪貴族』といったところか。


「もし、手間を取っていただけるのであれば、私の全財産をお譲りいたします……!」


「気持ちは嬉しいが、あまり魅力を感じないな」


「そ、そこをなんとか頼めないだろうか!? こいつらは、俺の大切・・家族・・なんだ……っ」


 ダンケルの絞り出した魂の叫びは、


「……『大切な家族』……っ」


 偶然にもボイドのクリティカルを適確に打ち抜いた。


「そうか……キミも同志コレクターだったのか」


「これ、くたー……? いえ、自分はただの重騎士で――」


「――もういい、みなまで言うな」


「は、はぁ……っ」


 ボイドは昔から、コレクター気質なところがある。


(頑張って集めた家族コレクションをキズモノにされる悲しみ……わかる、わかるよ、痛いほどよくわかる)


 彼はしみじみと頷き、


(本当はもうちょっとしぶって、恩を売る予定だったけど……)


 同じコレクターのよしみで、サービスしてあげることにした。


「本来このようなことは、天地がひっくり返っても、決して起こり得ないのだが……特別だ。今回だけは無償で、キミの家族を治してやろう」


「あ、ありがとうございます! では、すぐに治療をはじ――えっ?」


 ダンケルが振り返ると、既に・・終わ・・って・・いた・・


「あ、れ……?」


「う、うそ……っ」


「これは……夢、か!?」


 瀕死の重傷で倒れていた騎士たちが、まるで何事もなかったかのように起き上がる。


「ば、馬鹿な……っ」


 ダンケルは驚愕のあまり、呆然と立ち尽くす。


(ついさっきまで、確かに瀕死の重傷だった。俺がほんの少し目を離した隙に、100人以上の負傷兵を治したというのか!? こんな芸当、『伝説の六英雄』にもできない。ボイド殿の魔法技能は、もはや『神の領域』にある……ッ)


 今よりさかのぼること一か月、無防備なニアとエリザに抱き着かれたボイドは、たけり狂う情欲に身を焼かれながら、ベッドの上で一夜を過ごすという『偉業』を成し遂げた。

 あの過酷な強化イベントを経て、彼の魔法技能は神を超越している。

 100人そこそこの治療など、またたきの間に終わってしまうのだ。


「ボイド殿、重ね重ね感謝する。本当に……本当にありがとう……ッ」


 ダンケルが深々と頭を下げると、


「命を救っていただき、ありがとうございました!」


「心よりお礼を申し上げます!」


「この御恩は一生忘れません!」


 銀影ぎんえい騎士団の面々から、感謝の言葉が殺到した。


「ふっ、どういたしまして(予定とは違う流れだけど……ダンケルたちの好感度は爆上がりしたっぽいし、まぁこれはこれでイイよね!)」


 鷹揚おうように頷いたボイドは、ダンケルに軽い世間話を投げる。


「しかしキミは、噂通りの男だな。先の戦いにおいても、民を守らんとして、よく気を吐いていた。『守護のダンケル』、その二つ名に偽りなしだ」


「自分のことをご存じで……?」


「もちろんだとも。亜人の軍勢を単騎で食い止め、多くの民を守り抜いたあの武勇ぶゆうは――『メンフィスがいの死闘』は語り草だ。無論、我々の耳にも届いている」


「お、お恥ずかしい限りです……っ」


 ダンケルは恐縮した様子で、気恥きはずかしそうに頬をく。


「キミのような優れた騎士は、そう中々お目に掛かれるものじゃない。家族……失礼、うつろに欲しい逸材だ」


「あ、ありがとうございます!(圧倒的な武力・慈悲深き心・知性に満ちた所作しょさ、そして何より――『鮮烈なカリスマ性』。ボイド殿は『危険』だ。この俺でさえ、下に・・つきたい・・・・思っ・・てし・・まっ・・……ッ)」


 ダンケルが自身の不忠ふちゅうに困惑する中、ボイドは本件の『自己採点』を始めた。


(①皇帝にボクの武力を見せ付け②帝国臣民の好感度ハートを掴み取り③主人公の経験値を強奪しつつ④ド派手な魔法で色欲の魔女にアピールする。よしよし、この『巨獣襲来イベント』の目的は、全て完璧に達成できたね!)


 もうこの場に用はない。

 そう判断した彼は、コホンと咳払いをする。


「さてダンケルよ、事後処理は任せていいかな? 皇帝ともが帰りを待っていてね」


「はっ、もちろんです」


「ありがとう。では、失礼する」


 ボイドは<虚空渡り>を使い、静かに控えるアクアを連れて、帝城ていじょうの特別来賓室へ飛んだ。


「――すまない友よ、少し遅くなってしまった」


「いや……どうか気にしないでくれ、友よ」


 皇帝はそう言って、小さく首を横へ振った。


「魔水晶で見ていたと思うが、巨獣たちは皆殺しにしてきた。キミの民も兵も、みんな無事だ」


「あ、あぁ、感謝する……っ」


 あのおぞましい大魔法<虚空ぬま>を思い出し、ルインの背筋に冷たいモノが走る。


「何やら顔色が優れないようだが……。私の留守中に何かあったのかな?」


「いや、大丈夫だ。心配を掛けてすまない(お・ま・え・だ! お前お前お前、お前が全ての元凶だッ!)」


 皇帝は引きった笑みを浮かべながら、心の中でありったけの呪詛じゅそを吐き散らす。


(ふふっ、この憔悴しょうすいし切った顔……いい具合にストレスが溜まっているね!)


 イベント『巨獣襲来』を利用することで、自身の武力をルインに見せ付けることができた。

 もう言葉で脅迫する必要もないだろう。


 そう判断したボイドは、右手をスッと前に伸ばし、<虚空渡り>を発動する。


「さて、私はこの辺りで失礼させてもらおう」


「か、帰るのか!(帰れ帰れ、さっさと帰れ! 貴様の仮面かおなど、二度と見たくない!)」


「あぁ、今日は非常に有意義な時間だった。世界平和の夢を掲げる同志どうし――いや、『親愛なる友』として、今後ともよろしく頼むよ?」


「こ、こちらこそよろしく頼む(この大嘘おおうそつきめ……っ。貴様の目的は、『世界征服』だろうがッ!)」


「では、また」


 虚空の王は黒い渦に消え、特別来賓室に平穏が戻る。


 それと同時、


「……はぁ……っ」


 緊張の糸が切れた皇帝は、崩れ落ちるようにソファへ座り込んだ。


「「「「へ、陛下!?」」」」


 皇護騎士ロイヤル・ガーディアンたちが心配する中、顔面蒼白の皇帝は震える両手で頭を抱えた。


「あんな悪魔と――ボイドと同盟を結んで、本当によかったのか? 俺は『致命的なあやまち』を犯したのではないか……!?」

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