ガンダムで描いた独裁、現実の今 富野由悠季監督が語る、戦争とフィクション

 富野由悠季監督(83)によるアニメ「機動戦士ガンダム」が放送されてから46年。70以上のシリーズ作品が生み出され、その原典として今なお愛され続けています。戦争体験から遠ざかった戦後80年、アニメなどフィクションを通して描かれる戦争はどう変わったのか。見る側の意識は。“最初のガンダム”に込めた思いをともに語りました。

 ■人は分かり合える?「ニュータイプ」になる方法考え続ける

 ――かつては「ジオンにもジオンの正義がある」という捉え方が少なくなかったですが、ジオン公国の独裁や大量殺戮(さつりく)に批判的な見方が増えていると感じます。

 僕としては、良かったなと思っています。アニメファンが成長していった中での理解だと思います。

 僕が今、困ったなと思っているのは、実際問題として想像した時にギレン・ザビ(ジオン総帥)のような独裁者をどうすれば止められるのか。ザビ家内の権力闘争で妹に殺され、独裁は崩壊したが、現実はそう簡単にはいっていないでしょう? その難しさを考えさせられているのが、ガンダムの真骨頂なのです。

 ――ジオンにはドイツなど第2次世界大戦の枢軸国のイメージが重なります。設定の意図は?

 敵は分かりやすく作らなければいけないから、よく知られた独裁体制を利用しただけです。増えすぎた人口を移した宇宙のコロニーで独裁国家を作る。自分たちは「棄民」であるという境遇になれば、やはり「反地球」の行動を起こすだろうという設定が見事にできたと思っています。

 フィクションとして描いたつもりが、次の独裁者たちの誕生が現実のものになってしまった。米ロなどの現状を見ても、今の国際政治はアニメ以下だよね。

 ――富野さんは80年前の終戦時3歳。父親は軍事技術者だったそうですね。

 化学の技師でした。戦闘機の与圧服の開発や、風船爆弾の気球を作る仕事もやらされていたようです。

 父が戦後、何度か僕に言った言葉があります。国に裏切られた、と。あの戦争にもどこかで光明があると思っていたらしい。働いていた神奈川県小田原市の工場の近くにも焼夷(しょうい)弾が落ちたのに、なぜ日本が勝てると思ったのか。不思議だけど、その時代の日本のポピュリズムを考えると、父が特別に軽率だったとは思えない。

 ――戦争への忌避感は持ちつつも、兵器やアニメの戦闘描写をかっこいいと感じるという人は少なくないと思います。私自身、矛盾を感じてきました。

 矛盾とも、おかしいとも思いません。民衆の支持で軍は成立している。軍装の兵士が起立する姿は「死に装束」なのにかっこいい。戦死という悲劇すら美しく見せるためには、戦死者に対しては礼を尽くさなければならないからです。そしていざという時、民衆が戦力になっていく。

 ――「はだしのゲン」など、実際の戦争体験を題材にした作品が「残酷だ」と敬遠されることが増えています。ガンダムなどのフィクション作品でも人が死ぬ描写が重いと感じる人も多いようです。

 今のバトル漫画などを見ると、リアリズムがない。死ぬ寸前までいっても絶対死なないようなものを見慣れている世代にとっては、リアルな戦争を描いた作品を見る気にはならないのでしょうね。

 ――戦争を知る世代がいなくなった時、戦争の描き方は変わるでしょうか。

 架空の戦争としての物語はあるでしょう。でも、リアリズムで作るというきめの細かさを持った作品は出てこないでしょう。戦っている「らしく」しているだけで、それは戦争ではありません。

 ――ガンダムの中で、人は分かり合えるかもしれないという希望を示した「ニュータイプ」という概念。それは何か、今でもファンの間で議論になります。

 僕自身、考え続けています。ガンダムではニュータイプになるための方法を、子どもたちにきちんと示すことができなかった。その意味では敗北感がある。

 新しいガンダムを作る気がまだあるかといえば、あります。世界中の人間が一気にニュータイプになるかもしれないという作品が作れたらいいけど、それはアニメの中で考えるしかないことです。(聞き手・武田啓亮)

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