第14話 公爵パパの視察

その頃、シルフィード公爵邸では一人の男が落ち着きなく執務室を歩き回っていた。

シルフィード公爵家当主、アルフォンス・フォン・シルフィードその人である。

普段の威厳に満ちた姿はそこにはなく、ただひたすらに愛娘の身を案じる一人の父親の姿があった。


「ううむ…ルナリアは、学園でうまくやっているだろうか…」


アルフォンスは唸りながら、窓の外に広がる庭園に視線を向けた。

あの日、奇跡の回復を遂げたルナリアが再び学園に通い始めてから一週間が経つ。

毎日、楽しそうに学園での出来事を報告してくれる娘の姿を見るのは、彼にとって何よりの喜びだった。

特に、その報告の九割以上が「ユウキ様が、今日も素敵でしたわ!」という惚気話であることに、彼は父親として複雑な思いを抱きつつも安堵していた。


(ユウキ殿なら安心だ。あのような誠実で心優しい青年に、我が娘が惹かれるのも当然のこと…)


彼はユウキのことを未来の息子として、そして娘を救った大恩人として絶大な信頼を寄せていた。

だが、信頼しているからこそ心配になるのが親心というものだ。


(しかし、だ。学園には良からぬ輩も多いと聞く。我が娘の美貌に目がくらみ、あるいはシルフィード家の権勢に目がくらみ、不埒な考えを持つ虫けらが寄り付いていないだろうか…!)


考えれば考えるほど、アルフォンスの不安は膨れ上がっていく。

ユウキがいるとはいえ、四六時中一緒にいられるわけではないだろう。彼が目を離した隙に、心無い言葉でルナリアが傷つけられたりしたら…? あるいは、しつこく言い寄られたりしたら…?

そこまで考えると、彼はもう居ても立ってもいられなくなった。


「セバスチャン!」


アルフォンスが叫ぶと、影のように控えていた老執事がすっと現れた。

「お呼びでしょうか、旦那様」

「うむ。…今から、学園の様子を少しばかり見に行く」

「なんと。視察でございますか?」

「視察などという大袈裟なものではない! あくまでお忍びだ! 娘の学園生活を、父親としてそっと見守りたいだけなのだ!」


力説するアルフォンスに、セバスチャンは表情一つ変えずに深々と一礼した。

「かしこまりました。すぐにご準備を」

(どう見ても、ただの心配性でございますな…)

とは、口が裂けても言えないセバスチャンであった。



王立魔法学園の敷地内にある小さな森の中。

アルフォンスは木の陰から息を潜めて、訓練場の方をじっと窺っていた。

目立たないようにと選んだ平民の服装は、彼が纏う威厳と全く釣り合っておらず、逆に異様な雰囲気を醸し出している。

彼の隣には、同じく変装したセバスチャンと数名の護衛が控えていた。


「どうだ、セバスチャン。ルナリアの姿は見えるか?」

アルフォンスが、手にした高性能の魔導望遠鏡を覗きながら尋ねる。

「はい、旦那様。あちらで、ユウキ様とご歓談なさっておいでです」


セバスチャンが指さす先には、ちょうど魔法実技の休憩時間なのだろう、木陰で仲睦まじく話をするユウキとルナリアの姿があった。

ルナリアはユウキの額に浮かんだ汗を、自分のハンカチで優しく拭ってやっている。

ユウキは少し照れくさそうにしながらも、彼女のされるがままになっている。


その光景は、誰がどう見ても甘い雰囲気に満ちた恋人同士そのものだった。

周囲の生徒たちも、もはや彼らの世界に踏み込むことすら諦めたのか、遠巻きに微笑ましいものを見るような視線を送っているだけだ。


アルフォンスは魔導望遠鏡を覗きながら、その光景に目を見開いた。

そして、次の瞬間。


「おお…おおおお…!」


彼の目から、ぶわっと涙が噴き出した。

嗚咽が漏れないように、必死に口元を手で押さえている。

その体は、感動のあまりぷるぷると小刻みに震えていた。


(なんということだ…! 我が娘が…あんなに幸せそうな顔をして…!)


彼が知るルナリアは、いつも屋敷の薄暗い部屋で寂しそうに窓の外の音に耳を澄ませている少女だった。

笑うことさえ、滅多になかった。

その娘が今、太陽の下で心からの笑顔を浮かべている。

その隣には、信頼できる誠実な青年がいる。

その事実だけで、アルフォンスの胸は張り裂けそうなほどの幸福感で満たされた。


「よかった…本当によかった…!」

彼はもはや涙を隠そうともせず、ただただ号泣していた。

不埒な虫けらがどうとか、そんな心配は二人の幸せそうな姿を前にしてどこかへ吹き飛んでしまった。


「旦那様…」

セバスチャンがそっとハンカチを差し出す。

アルフォンスはそれを受け取ると、何度も涙を拭った。


「ユウキ殿…君は、やはり最高の男だ…! 君になら、安心して娘を任せられる…!」


彼は改めて、ユウキに対する信頼と感謝を深めた。

そして、一つの決意を固める。


(こうしてはいられん! 一刻も早く二人を正式に婚約させねば! いや、いっそのこと、すぐにでも結婚式を…!)


親心という名の暴走特急が、再び加速を始める。

その行き着く先が当人たちの多大なる迷惑になることなど、今の彼には知る由もなかった。


「セバスチャン! 帰るぞ!」

「よろしいので?」

「うむ! 見るべきものは見た! そして、やるべきことができた!」


アルフォンスは力強くそう宣言すると、燃えるような決意を瞳に宿して踵を返した。

その背中は、愛娘の幸せな未来を確信し、そのために全力を尽くそうと誓う一人の父親のものだった。


ただひたすらに娘が心配で、お忍びで学園を視察しに来たはずの公爵パパ。

彼は二人の仲睦まじい様子を見て大いに満足し、そして盛大に勘違いを加速させて誰にも気づかれることなく学園を後にした。


その頃、当のユウキは。

「なんだか、背筋がゾクッとしたな…」

「まあ、ユウキ様。風邪でも引かれましたか? 大丈夫ですか?」

ルナリアに心配されながら、なぜか感じた悪寒の正体も知らずに首を傾げるばかりだった。

彼の胃痛が再発する未来は、そう遠くない。

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