第12話 クラリス、陥落
クラリス・フォン・ヴァレンシュタインによる宣戦布告から数日が過ぎた。
彼女は宣言通り、俺の「化けの皮を剥がす」ために事あるごとに俺に接触してきた。
例えば、魔法史の授業中。
教師が発した難解な問いに対し誰も答えられずにいると、クラリスはすっと立ち上がり俺を指名するのだ。
「先生。ここはぜひ、特待生であるユウキ・アスカワさんのご意見を伺いたいものですわ」
突然の指名に、俺はたまったものではない。
だが幸いなことに、俺の隣には世界最高の家庭教師がいる。
ルナリアが誰にも気づかれないように小さな声でそっと答えを囁いてくれるのだ。俺はそれを、さも自分で考えたかのように復唱するだけ。
結果、俺は見事に難問に答え、クラリスは悔しそうに唇を噛むことになる。
またある時は、廊下ですれ違い様にわざと聞こえるような声で嫌味を言ってくる。
「あら、ごきげんようルナリア様。…と、その隣の金魚のフンの方」
これには俺も少しカチンとくるが、言い返せば面倒なことになるだけだ。
俺が苦笑してやり過ごそうとすると、ルナリアが俺の腕をぎゅっと抱きしめ、クラリスに向かってにこりと微笑む。
「ごきげんよう、クラリスさん。ユウキ様は私の光ですの。フンだなんて、とんでもない。むしろ私がユウキ様という太陽の周りを回る、しがない惑星ですわ」
壮大なスケールの惚気に、クラリスはぐうの音も出ずに敗走していく。
そんな攻防が繰り返され、クラリスのいら立ちは日に日に募っているようだった。
俺としては早く諦めてくれればいいのだが、彼女のプライドはそれを許さないらしい。
そして、その鬱憤が最悪の形で爆発する事件が、再び魔法実技の授業で起きた。
◇
今日の訓練課題は「高位魔法の制御訓練」。
生徒たちは各自、自分の限界に近い威力の魔法をいかに精密にコントロールできるかを試されていた。
もちろん、俺は見学だ。もはや定位置となった訓練場の隅で、生徒たちの訓練をぼんやりと眺めていた。
その中で、ひときわ熱心に、そして鬼気迫る表情で訓練に打ち込んでいる生徒がいた。
クラリスだ。
彼女は学年首席の実力者。その魔力量も制御技術も、他の生徒とは一線を画している。
だが今日の彼女はどこか焦っているように見えた。
ちらちらと俺の方に挑戦的な視線を送りながら、明らかに自分の実力以上の魔法を構築しようとしていた。
「次! 【インフェルノ・フレア】に挑戦しますわ!」
彼女が宣言した魔法の名前に、担当のギルバート先生が眉をひそめた。
「ヴァレンシュタイン! それは上級魔法だぞ。まだお前には早い! 許可できん!」
「いいえ、できますわ! 私の実力を見くびらないでいただきたい!」
クラリスは教師の制止を振り切り、詠唱を開始してしまった。
まずい。
俺は直感的にそう思った。
彼女の周りに渦巻く魔力は確かに膨大だ。だが、その流れはどこか淀んでいて安定していない。
プライドと俺への対抗心。その焦りが、彼女の精密な魔法制御を狂わせているのだ。
「赤き炎の王よ! 我が声に応え、その憤怒をここに示せ!」
詠唱が進むにつれて、クラリスの前に巨大な火球が出現する。
それは以前ブラウンが使った火球とは比べ物にならない、家ほどもある灼熱の塊だった。
訓練場の空気が揺らめき、肌が焦げるような熱波が俺のいる場所まで届いてくる。
「くっ…!」
クラリスの顔に苦悶の色が浮かんだ。
膨大すぎる魔力の塊は、もはや彼女の細い腕で御しきれるものではなくなっていた。
火球は不安定に揺らめき、まるで生き物のように暴れ始める。
「制御を失うぞ! 伏せろ!」
ギルバート先生の絶叫が響き渡る。
生徒たちが悲鳴を上げて散り散りになる。
そして、ついにその瞬間が訪れた。
クラリスの手から完全に離れた灼熱の火球は、明後日の方向へと猛然と突き進み始めた。
その先には――恐怖で足がすくみ、動けなくなっているルナリアの姿があった。
「ルナリア様!」
クラリスの悲痛な叫びと、ルナリアの驚愕に見開かれた瞳がスローモーションのように俺の目に映った。
考えるより先に、体が動いていた。
俺は地面を蹴り、一直線にルナリアの元へと駆けた。
彼女を庇うように抱きしめ、その体を自分の影に隠す。
そして振り返ることなく、背後に迫る灼熱の塊を迎え撃った。
ドゴオオオオオン!
鼓膜を破るような轟音と、全てを薙ぎ払うかのような爆風が訓練場を吹き荒れる。
背中に、凄まじい熱と衝撃が走った。
だが、俺はその場に仁王立ちしたまま一歩も動かなかった。
やがて爆風が止み、舞い上がっていた土煙がゆっくりと晴れていく。
訓練場は静まり返っていた。誰もが目の前で起こった出来事を信じられないという顔で固まっている。
俺の腕の中では、ルナリアが小さく震えていた。
「ユウキ様…!」
「大丈夫。怪我はないかい?」
俺は彼女を安心させるように、優しく微笑みかけた。
彼女はこくこくと頷くが、その瞳は俺の背中を見て大きく見開かれていた。
俺の背中の制服は爆炎によって焼け焦げ、無残に破れていた。
その下からは、真っ赤に焼け爛れた痛々しい火傷の跡が覗いている。
普通の人間なら、即死していてもおかしくない重傷だ。
「な…なんてことを…」
呆然と呟いたのは、クラリスだった。
彼女は自分の引き起こした惨状と俺の姿を見て、顔面蒼白になっている。
「私のせいで…私が…!」
罪悪感に打ちひしがれる彼女の前で、俺はゆっくりと深呼吸をした。
そして体内の魔力を背中に集中させる。
淡い黄金色の光が、俺の背中から溢れ出した。
その光は焼け爛れた皮膚を優しく包み込み、見るみるうちに傷を癒やしていく。
焼け焦げた制服の繊維さえも、まるで時間を巻き戻すかのように元の状態へと修復されていく。
数秒後。
俺の背中には傷一つ残っていなかった。制服も、まるで新品のように綺麗になっている。
俺は軽く肩を回し、何事もなかったかのようにクラリスに向き直った。
「気にするな。訓練中の事故はよくあることだ」
その言葉に、クラリスの翠色の瞳から大粒の涙がぽろりと零れ落ちた。
彼女の心の中で高くそびえ立っていたプライドという名の壁が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちるのが見えた。
自分が侮蔑し敵視していた男。
その男が、自分の未熟さが招いた過ちから命を懸けて大切な人を守ってくれた。
そして見せつけられた、圧倒的なまでの実力。
優しさ、強さ、そして器の大きさ。
その全てが、彼女の心を激しく揺さぶった。
クラリスは震える足で俺の前に進み出ると、その場で崩れ落ちるように膝をついた。
そして、これまで見たこともないほど深く、そして美しく頭を下げた。
「申し訳…ありませんでしたっ!」
その声は、涙で震えていた。
「私は、貴方様のことを何も理解しようとせず、ただ嫉妬と驕りから無礼な態度を…! この罪、どうお詫びすれば…!」
「だから、気にしてないって」
俺がそう言って手を差し伸べると、彼女は顔を上げた。
涙で濡れたその顔は、真っ赤に染まっていた。
そして、その翠色の瞳にはもはや敵意など微塵も残っていなかった。
代わりに宿っていたのは、熱病に浮かされたかのような熱烈な尊敬と――心酔の光。
「そして…ありがとうございます! ユウキ様!」
彼女は俺の手を取って立ち上がると、今度はきりりとした表情でビシッと胸を張った。
「このクラリス・フォン・ヴァレンシュタイン! 浅はかだった自分を恥じ、今日この日より、貴方様とルナリア様の仲を全力で応援させていただくことを、ここに固く誓いますわ!」
高らかに響き渡る、応援団長就任宣言。
「は?」
俺の口から、間の抜けた声が漏れた。
「まあ、クラリスさん! 嬉しいですわ!」
ルナリだけが、嬉しそうに手を叩いている。
周囲の生徒たちと教師陣は、またしても規格外の出来事を目の当たりにし、ただただ呆然と立ち尽くすばかりだった。
昨日までの敵が、今日から最強の味方に。
いや、味方というよりは熱狂的なファン第一号といった方が正しいかもしれない。
こうして、俺の学園生活はまた一つ新たな面倒…いや、新たな局面を迎えることになった。
キリリと痛む胃を押さえながら、俺は天を仰いだ。
俺の平穏は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。
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