第10話 お昼休みの攻防戦
魔法実技の授業は、あの一件で中断となった。
重傷だった三人は、俺の治療によってピンピンしているどころか、以前よりも健康になったと大騒ぎしている。
ギルバート先生は、俺のところへやって来ると、何かを言おうとして口を開き、しかし結局言葉を見つけられないまま、ただ「午後の授業まで、ゆっくり休んでおけ」とだけ告げて去っていった。その目は、畏怖と混乱で揺れていた。
他の生徒たちの反応も同様だった。
誰もが俺を遠巻きに見ている。昨日までの好奇や嫉妬の視線とは違う。まるで、神話に出てくる聖人か何かを見るような、畏れ多いものに対する眼差しだ。
話しかけようとする者は、誰一人としていなかった。
ある意味、俺が望んだ状況に近いのかもしれない。
誰にも干渉されない。静かな時間。
だが、その静けさは、俺が求めていた穏やかなものとは程遠い、針の筵のような居心地の悪さを伴っていた。
唯一の例外は、やはりルナリアだった。
彼女だけは、いつもと変わらない…いや、いつも以上にキラキラとした尊敬の眼差しで俺の隣に寄り添っている。
「ユウキ様、素晴らしかったですわ。まるで、物語に詠われる伝説の聖者のようでした」
うっとりとした彼女の賞賛の言葉が、今の俺にはひどく胸に痛かった。
◇
午前の授業が終わり、昼休みを告げる鐘が鳴り響く。
教室に戻っても、俺を取り巻く異様な雰囲気は変わらなかった。生徒たちは俺の席を避けるようにして通り過ぎ、ひそひそと噂話をしている。
まあ、いい。下手に質問攻めに合うよりは、ずっとマシだ。
俺がぼんやりと窓の外を眺めていると、隣の席でごそごそと音がした。
見れば、ルナリアが机の上に純白のテーブルクロスを広げている。
そして、どこから取り出したのか、まるで高級旅館の会席料理でも入っていそうな、見事な漆塗りの三段重を恭しく机に置いた。
「え、ルナリアさん…? それは…」
「はい。お弁当ですわ」
にこりと微笑む彼女の言葉に、俺は自分の目を疑った。
弁当?
これが?
俺の知っている弁当とは、あまりにもかけ離れている。もはや、芸術品の域だ。
ルナリアは手際よく重箱の蓋を開けていく。
一段目には、色とりどりの野菜を使った炊き合わせや、艶やかに輝く卵焼き。
二段目には、香ばしい匂いを漂わせる照り焼きチキンや、一口サイズの可愛らしいミートボール。
そして三段目には、小さな俵型に握られた白米が、行儀よく並んでいた。
そのどれもが、完璧な彩りと配置で盛り付けられており、公爵家お抱えの料理人の腕前が一目で分かる。
「すごいな…」
思わず、感嘆の声が漏れた。
前世でもこれほどの弁当は見たことがない。デパ地下の高級弁当など、足元にも及ばないだろう。
「ふふ。ユウキ様のために、今朝、料理長に頼んで特別に作っていただいたのです」
ルナリアは誇らしげに胸を張った。
「ユウキ様は、少し濃いめの味付けがお好みだと伺いましたので、照り焼きは特製のタレで仕上げておりますの」
「え、なんで俺の好みを…」
「執事のセバスチャンに聞きました。ユウキ様の情報は、全て把握しております」
さらりと言われた言葉に、背筋が少し寒くなった。
シルフィード公爵家の情報網、恐るべし。
「さあ、ユウキ様。冷めないうちに召し上がってください」
ルナリアはそう言うと、銀の箸を取り、重箱の中から照り焼きチキンを一つ、つまみ上げた。
そして、その箸を、あろうことか俺の口元へと差し出してきたのだ。
「はい、ユウキ様。あーん」
時が、止まった。
教室中の視線が、再び俺たちに突き刺さるのを感じる。
男子生徒たちからは「ぐぬぬ…」という怨嗟の声が、女子生徒たちからは「きゃあ…!」という小さな悲鳴が聞こえてくるようだ。
俺の顔は、カッと音を立てて熱くなった。
「な、ななな、何をしてるんだルナリアさん!」
「何って…お食事ですけれど?」
彼女はきょとんとした顔で、小首を傾げた。その仕草には、悪意のかけらも無い。純粋な善意と愛情しかない。
だからこそ、タチが悪い。
「いや、自分で食べられるから! 箸を貸してくれれば…」
「まあ、いけませんわ」
俺の言葉を、ルナリアはきっぱりと否定した。
「ユウキ様は、先ほどの魔法実技で大変な魔力をお使いになったはずです。今はきっと、指一本動かすのもお辛いことでしょう。ここは私にお任せください」
そんなわけがあるか。
俺の【聖なる癒やしの手】は、神様から直接与えられたチート能力だ。魔力消費など、ほとんどないに等しい。
だが、そんなことを彼女に説明できるはずもなかった。
「だ、大丈夫だから! 本当に!」
「ご遠慮なさらないでくださいませ。さあ、口を開けて」
ルナリアは一歩も引かない。
それどころか、キラキラと期待に満ちた瞳で、じっと俺を見つめてくる。
その瞳は、「私の愛情、受け取ってくれますよね?」と雄弁に語りかけていた。
ああ、もう。
これは、断れないやつだ。
ここで断れば、彼女はきっと、この世の終わりのような悲しい顔をするだろう。
それを見るくらいなら、羞恥心で死んだ方がマシだ。
俺は観念した。
周囲の視線から逃れるように目を固く閉じ、覚悟を決めて、小さく口を開けた。
その瞬間、柔らかい鶏肉が俺の口の中へと優しく運ばれる。
じゅわっと広がる、甘辛いタレの味。
驚くほど柔らかく、ジューシーな肉の食感。
めちゃくちゃ、うまい。
悔しいくらいに、うまい。
俺がもぐもぐと咀嚼していると、ルナリアが嬉しそうに微笑んだ。
「よかった。お口に合ったようですわね」
「…うん。すごく、美味しい」
俺が素直な感想を述べると、彼女はさらに嬉しそうに顔をほころばせた。
「次は卵焼きはいかがですか? それとも、お野菜もバランスよく召し上がらないと」
そう言って、彼女は次々と俺の口におかずを運んでくる。
俺はもう、抵抗するのをやめた。
周りで何が起ころうと、誰が何と言おうと、今は知らない。
ただ、目の前の美少女が差し出す、絶品の料理を味わうことに集中した。
途中から、羞恥心はどこかへ消え失せ、代わりに妙な心地よささえ感じ始めていた。
その光景を、クラスメイトたちは固唾を飲んで見守っていた。
最初は嫉妬と驚愕の表情を浮かべていた彼らも、あまりにも自然に、そして幸せそうに食事をする俺たちの姿を見て、徐々にその表情を変えていった。
「なんだ、あれ…」
「見せつけやがって…でも、なんか…」
「尊い…」
誰かが、ポツリとそう呟いた。
その言葉は、まるで伝染するかのように、教室の中に広がっていった。
いつしか、嫉妬の視線は、微笑ましいものを見る生暖かい視線へと変わっていた。
俺とルナリアの、甘すぎるお昼休み。
それは、俺の胃に新たな痛みをもたらすと同時に、クラスメイトたちとの間にあった分厚い氷を、ほんの少しだけ溶かすきっかけになったのかもしれない。
まあ、俺自身がその変化に気づくのは、まだ少し先の話なのだが。
今はただ、ルナリアが差し出す卵焼きの優しい甘さに、俺は心を奪われていた。
もう、どうにでもなれ。
この甘すぎる日常に、俺は少しずつ、慣らされていくのかもしれない。
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