第6話 特待生は断れない

「ええええええええええええええええ!」


俺の絶叫は、天井の高い応接室に虚しく吸い込まれていった。

何かの間違いだ。これはきっと、疲労が見せる悪夢に違いない。

そう思いたかったが、目の前で「我が息子よ!」と感涙にむせぶアルフォンス公爵の姿も、隣で頬を染めてはにかむルナリアの姿も、残酷なくらいに現実だった。


「お、お待ちください公爵様! 話が飛躍しすぎています!」

俺は慌てて立ち上がり、必死に誤解を解こうと試みた。

「俺はただ、ルナリアさんの怪我を治しただけで…その、婚約など、とんでもない!」

「はっはっは! 謙遜するでない、ユウキ殿!」


アルフォンス公爵は豪快に笑い飛ばし、俺の肩をバンと叩いた。力が強い。すごく強い。

「君ほどの男が、我がシルフィード家の婿となることを、何をためらう必要がある! 君は我が娘の命の恩人。それだけで、理由は十分すぎるほどだ!」

「理由になってません!」

話が全く通じない。この人の中では、すでに俺とルナリアの結婚式の日程まで決まっていそうだ。


どうすればこの暴走特急を止められるんだ。

俺が必死に打開策を探していると、くい、と服の袖を引かれた。

見れば、ルナリアが潤んだ空色の瞳で、不安そうに俺を見上げている。


「ユウキ様…」

その声は、今にも消えてしまいそうなくらいか細かった。

「私では…ご不満、でしょうか…?」


心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃が走った。

やめてくれ。そんな捨てられた子犬みたいな目で見ないでくれ。

彼女に何の罪もないことは分かっている。むしろ、彼女は純粋な善意と感謝で、俺に全てを捧げようとしてくれているだけだ。

ここで俺が「はい、不満です」なんて言えるはずがない。そんなことを言えば、俺は鬼か悪魔だ。


「い、いや! そんなことは…! ルナリアさんは、その、とても素敵な方だと…」

俺がしどろもどろにそう言うと、彼女の表情がぱあっと明るくなった。

「本当ですか!? よかった…!」

その笑顔に、俺は自分の墓穴をさらに深く掘ったことを悟った。


「だろう! 我が娘は世界一だ!」

アルフォンス公爵が、なぜか自分のことのように胸を張る。

「さあ、そうと決まれば話は早い! まずは国中の貴族を集めて盛大な婚約披露パーティーを…」

「待ってください! 本当に待ってください!」


このままでは、明日には国中の新聞の一面に「聖者、公爵令嬢と婚約!」なんて見出しが躍ってしまう。

そうなれば、俺が夢見たスローライフは宇宙の塵となって消えるだろう。

それだけは、絶対に阻止しなければならない。


俺は最後の理性を振り絞り、最もらしい理屈を並べたてた。

「こ、婚約はまだ早すぎます! 俺たちは今日会ったばかりで、お互いのことを何も知りません! まずは友人として、ゆっくり時間をかけて関係を築いていくべきではないでしょうか!」

現代日本の恋愛観ではごく当たり前の主張だ。この世界で通じるかは分からないが、賭けるしかない。


俺の必死の訴えに、アルフォンス公爵は「む…」と顎に手を当てて考え込んだ。

通じたか…!?


「…なるほど」

やがて、彼はポンと手を打った。

「確かに君の言う通りだ! 勢いだけで事を進めるのは、若人の純粋な気持ちを踏みにじる行為やもしれん! 素晴らしい! なんと誠実な考えだ、ユウキ殿!」

なぜか絶賛された。

俺はただ時間を稼ぎたいだけなのだが、この親バカ公爵には、俺が娘を大切に思う故の発言だと映ったらしい。


「うむ。まずは友人として、共に過ごす時間を持ち、お互いを深く理解したいと。実に健全だ!」

アルフォンス公爵は一人で納得し、うんうんと頷いている。

そして、何かを閃いたかのように、目を輝かせた。


「ならば、答えは一つしかないな!」

「え?」

「ルナリアと同じ、王立魔法学園に通うのだ!」


俺の思考が、再びフリーズした。

魔法学園? 俺が? なんで?


「ちょうど良い! ルナリアも、この通り全快したのだから、中断していた学園生活に復帰する予定だったのだ! 君が同じ学園にいれば、毎日顔を合わせられる! 共に学び、語り合い、友情を育むには最高の環境ではないか!」

アルフォンス公爵は、我ながら名案だと言わんばかりに得意げだ。

いや、全然良くない。

俺は冒険者として、細々と生きていきたいんだ。今更、学生になるなんて考えたこともない。


「しかし、俺はただの平民ですし、何より学園に通うようなお金は…」

俺は藁にもすがる思いで、現実的な問題を提示した。

王立魔法学園は、貴族の子弟が多く通うエリート校だ。その学費は、俺のようなFランク冒険者の稼ぎでは到底払える額ではない。


だが、そんな俺のささやかな抵抗は、公爵家の絶大な権力の前では無意味だった。

「何を言うか! 君の入学に関わる費用は、全て我がシルフィード家が負担するに決まっているだろう!」

アルフォンス公爵は、こともなげに言い放った。

「手続きはこちらで全て済ませておこう。我が家の推薦があれば、特待生として明日からでも編入できるはずだ。なに、心配はいらん!」


心配しかない。

外堀がものすごい勢いで埋められていく。

もはや、断るための手札が残っていなかった。


「いっそのこと、我が家の養子になるという手も…」

「学園に行きます!」


アルフォンス公爵がさらにとんでもないことを言い出す前に、俺は食い気味に叫んでいた。

養子になるくらいなら、学園生活の方がまだ百倍マシだ。


俺の返事を聞いて、アルフォンス公爵は満足そうに頷いた。

「うむ! 話が早くて助かる!」

そして、隣にいたルナリアは、今日一番の輝く笑顔を見せていた。

彼女は俺の腕に再びぎゅっとしがみつくと、嬉しそうに囁いた。


「ユウキ様! これで明日から、学園でもずっとご一緒できますのね!」

「あはは…そう、ですね…」


俺は乾いた笑いを返すことしかできなかった。

こうして、俺の意思とは全く関係ないところで、俺の魔法学園への編入が決定した。

婚約という最悪の事態は避けられたものの、代わりに手に入れたのは「公爵令嬢の学友」という、これまたとんでもなく目立ちそうな肩書きだった。


穏やかなスローライフは、はるか彼方へと飛び去っていった。

代わりに俺を待ち受けるのは、胃痛と心労が絶えないであろう、甘すぎる学園生活。


その始まりを告げるかのように、ルナリアは幸せそうに俺の肩にこてんと頭を預けた。

彼女からふわりと香る甘い匂いに、俺の頭はクラクラした。

もはや、どうにでもなれという気分だった。

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