第2話 運命の衝突

翌日、俺は雲一つない青空の下で大きく伸びをした。

昨日の穏やかな夜が嘘のように、朝から街は活気に満ちている。こういう賑やかさは嫌いじゃない。

今日は予定通り、街の中心部にある商業地区へ向かうことにした。そろそろ新しいシャツの一枚でも買っておきたい。


「さて、と」


簡単な朝食を済ませ、アパートの扉を開ける。

石造りの街並みは歩いているだけで楽しい。馬車の蹄が立てる軽快な音、露店の店主たちの威勢のいい呼び声、そして行き交う人々の楽しげな笑い声。

その全てが、俺の異世界ライフを彩る心地よいBGMだった。


商業地区は、学園都市アウレリアの中でも特に華やかな場所だ。

流行の最先端を行くブティックや、しゃれたカフェテラスが軒を連ねる。道行く人々も、裕福そうな商人や、いかにも身分の高そうな貴族の子息令嬢が多い。

俺のような薄汚れた冒険者服は少し浮いているかもしれない。だからこそ、新しい服が必要なのだと自分に言い聞かせる。


ショーウィンドウに飾られた洒落たデザインのシャツを眺めながら、俺は自分の懐事情を計算していた。

うん、これなら買えそうだ。

店に入ろうと一歩踏み出した、その時だった。


「きゃっ!」


すぐそばで、可憐な悲鳴が上がった。

振り返るよりも早く、柔らかい何かが俺の胸にぶつかってきた。

咄嗟に受け止めようとしたが、勢いを殺しきれずに俺も体勢を崩す。二人して、その場に倒れ込んでしまった。幸い、俺が下になったおかげで、相手に大きな怪我はなさそうだ。


「い、てて…」

「申し訳ありません! 大丈夫ですか?」


頭上から聞こえてきたのは、鈴を転がすような、しかしひどく慌てた様子の少女の声だった。

俺は体を起こしながら、声の主を見る。

そして、息を呑んだ。


そこにいたのは、まるで物語のお姫様が抜け出してきたかのような少女だった。

陽の光を反射して輝く、美しい銀色の髪。仕立ての良い真っ白なワンピースは、彼女の純粋さを際立たせている。

年の頃は、俺より少し下だろうか。十六歳くらいに見える。

ただ、少し気になったのは、その表情だった。絶世の美少女と言っていい顔立ちなのに、どこか影があり、その瞳は焦点が合っていないように虚ろに見えた。


「いえ、こちらこそすみません。前を見ていなかったので」

俺は慌てて立ち上がり、尻もちをついたままの彼女に手を差し伸べた。

「立てますか?」

「は、はい…ありがとうございます」

少女はおずおずと俺の手を取った。その手は驚くほど細く、そして冷たかった。


彼女が立ち上がったのを確認して、ほっと一息つく。

周囲からは「何事だ」という視線が突き刺さるが、大きな騒ぎにはなっていない。

よかった、目立たずに済みそうだ。


「お怪我はありませんか?」

俺が尋ねると、少女はこくりと頷いた。だが、その拍子にふらりとよろめく。

慌ててその肩を支えた。

「大丈夫です。少し、驚いただけですから…」

そう言う彼女の顔色は、あまり良くない。どこか具合でも悪いのだろうか。


その時、俺の視界の端に、あるものが映った。

彼女が着ている純白のワンピース。その膝の部分に、ぽつりと赤い染みができていた。

転んだ時に、石畳で擦りむいてしまったのだろう。


「あ…膝、怪我してますよ」

「え?」

少女は自分の膝元に視線を落とそうとするが、やはりその目は何も捉えていないようだった。

白い肌から滲む血を見て、俺は少しだけ眉をひそめた。

前世の感覚なら、大したことのない擦り傷だ。だが、この世界では違う。傷口から菌が入り、破傷風にでもなれば命に関わる。特に、彼女のように見るからに病弱そうな少女なら、なおさらだ。


どうする。

ギルドで登録している通り、「ちょっとした治癒魔法」としてなら、ここで使っても不自然ではないだろうか。

いや、でも人目がある。面倒なことになるのは避けたい。

絆創膏代わりの清潔な布くらいは持っている。それで応急処置をして、あとは彼女の付き人にでも任せるのが最善か。


俺が逡巡していると、少女は不安そうな声で呟いた。

「あの…血が…?」

「はい。少しだけですが」

それを聞いた瞬間、彼女の顔がさっと青ざめた。

「どうしましょう…このドレス、お父様からいただいた、大切な…」

震える声でワンピースの裾を握りしめる姿は、ひどく痛々しかった。

大切なドレスを汚してしまったこと、そして怪我をしたことへの不安。その両方が、彼女の小さな心を苛んでいるのが伝わってくる。


その姿を見て、俺の中の迷いは消えた。

面倒? 目立ちたくない?

そんなもの、目の前で不安に震える少女を見捨てる理由にはならない。

前世で失った、人としての当たり前の感情が、俺の背中を押した。

それに、ほんの少しの擦り傷を治すだけだ。俺の【聖なる癒やしの手】の力を考えれば、赤子の手をひねるより簡単。魔力もほとんど使わない。誰にも気づかれずに、一瞬で終わるはずだ。


「大丈夫ですよ。すぐに綺麗になりますから」

俺はできるだけ優しい声でそう言うと、屈み込んで彼女の膝にそっと手を触れた。

「えっ、あの…!」

驚く少女を安心させるように、俺は微笑みかける。

「動かないで。すぐに終わります」


そして、意識を集中させ、治癒魔法を発動させた。

いつも通り、ごくごく微量の魔力を流し込む。

――【聖なる癒やしの手】


俺の手が、淡い緑色の光を放つ。

これは、俺が普段使っている見せかけの治癒魔法だ。この程度の光なら、他の治癒術師が使ってもおかしくはない。

傷が癒え、汚れたドレスも浄化の力で元通りになる。うん、完璧だ。

これでよし、と俺が手を離そうとした、その瞬間だった。


俺の意思とは関係なく、体内の膨大な魔力が勝手に流れ始めたのだ。

淡いはずだった緑色の光が、一瞬にして眩いばかりの黄金色の輝きへと変わる。

それはまるで、小さな太陽が地上に現れたかのような、圧倒的な光量だった。


「なっ…!?」


まずい。こんな力、隠しようがない。

慌てて魔力の供給を止めようとするが、一度流れ出した奔流は止まらない。

黄金の光は少女の体全体を優しく包み込み、周囲の喧騒が嘘のように静まり返った。道行く人々が、何事かとこちらに注目しているのが分かる。


これは、ただの擦り傷を治す光じゃない。

俺の持つ力の、ほんの一端。

だが、この世界の人々にとっては、奇跡としか呼びようのない神聖な輝き。


黄金の光の中で、少女の体が小さく震えるのが見えた。

やがて、その光はゆっくりと収束していき――。

俺の目の前で、信じられない光景が繰り広げられることになった。

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