人間関係はわずらわしさもある
しかし、その半面、心の技術的な問題としてのみ捉えることを助長する恐れもある。実際、関係性を資産ポートフォリオのような投資対象として再把握し、目的や計画などに沿って運用することを勧める言説が少なくない。「人間関係への投資」――損得勘定に基づき有用な付き合いにお金と時間をかける――を積極的に行い、幸福度の向上というリターンを得るというわけである。
当然ながら、人間関係はわたしたちに実り多き人生をもたらすとともに、精神衛生上の必須の栄養素でもあり、尊厳の最後の砦にもなり得るが、同時に人間関係は煩雑なものであり、さまざまなリスクに満ち、心労も多く、いいとこ取りはできない。
自尊心が瀕死状態になった人が飛びつく「排外主義」
「〈不要とされる〉という不安」における「不要とされる」人間の反対は、「必要とされる」「役に立つ」「有用な」人間である。
このような冷徹な生産性という尺度に翻弄されることによって、人々はますます市場的な価値基準に依存的になり、社会的な孤立はいよいよ深刻なものとなっていく。
繰り返しになるが、承認のカオスを脱するには家族や友人関係といった生産性という尺度から縁遠い何らかの関係性やネットワークが不可欠であり、それが最低限の尊厳を保証してくれるのである。だが、社会の全面的な市場化は、家族や友人関係といったものにまでコスパ意識を浸透させ、互いを利用価値のみで判断する心性が広がりつつある。
瀕死の状態にある自尊心は、どのような手を使ってでも巻き返しを図ろうとする。最も簡単なもののうちの一つは、排外主義的な言動による回復である。しかも、それは同じように瀕死の人々との新たな結び付きをもたらしてくれる。
クルド人問題で揺れる埼玉県川口市で活動が始まった自警団はその最新のバージョンといえるだろう。
その自警団の発起人は、「外国人に圧迫されている日本人が、わたくしが本当にずっと昔からですね、すごく嫌な気持ちをずっと抱いて生きておりまして、それに関して日本人の復権を願って活動しておるような感じ」「今のところ日本人を排除するような、ただ入れるだけで排除されるような状態になってきている」などと述べ、外国人との共生は不可能だと断言した。
そして、「日本は2000年以上続いている国家ですから、それはずっと日本人でやってきたところですから、外国人を入れる必要は本当はない」と付け加えた。