216話 vsダグリュール その5
これは無理だろう――
それが、魔王ルミナス・バレンタインの正直な感想である。
初撃に最強技を以ってダグリュールを始末する作戦だったのだが、通用しなかった。
生死反転技、死せる者の祝福により、ダグリュールは死に至るハズだった。
だが、結果としては即死効果は無効化され、ルミナスの奥義は破られたのである。
その時点で、半ばルミナスはこうなる事が予見出来ていたのだ。
アルベルトとグラソードの一騎討ちは続いている。
両者一歩も譲らず、一見互角の戦いに見える。しかし、究極能力『色欲之王』を通して二人の戦いを観察するならば、状況は違った様相を見せるのだ。
エネルギーの塊であるグラソードに対し、要所要所にてエネルギー化を行うアルベルト。
お互いが削れる生命力は微々たるものだが、その持つ総量の差が勝敗を暗示していた。
つまり、アルベルトがグラソードを削りきる前に、勝敗は決する事になる。
アルベルトの敗北、という形にて。
しかし、これはアルベルトを責めるべきではない。寧ろ、彼は素晴らしい技量にて、剣王を前に堂々と渡り合っているのだから。
エネルギーの差を考慮せず剣技だけを比するなら、アルベルトが上回っているとさえ言えるのだ。
ただし、それでも状況は覆らない。
このままでは、アルベルトの敗北は時間の問題であった。
一方、アダルマンとフェンの戦闘も激しさを増していた。
漆黒の司祭服を纏う黒髪の青年と、聖魔封じの鎖を振り回す痩せぎすの小柄な巨人。
アダルマンも、死霊竜ウェンティに憑依合身した事により、大幅に魔素量が上昇している。
だがそれでも、竜種に匹敵する程のフェンを前にして、その差は歴然としたものであった。
生命力を数値化して見ることが出来るルミナスには、その差は絶望的なまでに開いて見える。
闘神とも、拳王とも呼ばれるフェンに対し、一応勝負が成り立っている事こそが奇跡であった。
投げ・打つ・極めるの中で、打撃が主体となるのは当然だろう。
肉体破損が一瞬にして完治する精神生命体にとって、関節技は意味が無いからだ。
辛うじて、捌くと同時に相手を吹き飛ばす投げ技の変形技が通用する程度。しかし、それは飽く迄も防御目的のものであり、投げによるダメージを期待してのものではなかった。
要は、時間稼ぎである。
アダルマンは己の不利を理解した上で、勝利を目指すのではなく長期戦闘による敵の消耗を主目的として、戦闘を行っているのだ。
だがそれも、薄氷を踏むが如き精神集中の上に成り立っている。
ルミナスの視界には、全身の防御を捨て、一点に集中させたエネルギーを操り、フェンの攻撃を捌くアダルマンの姿が視えていた。
エネルギー密度の差を埋める為に、アダルマンは全身の力を一点に集中させて戦っているのである。
最早、神業と称しても良い程の技量であった。
ただし、それが長く続く訳もなく、此方も敗北までそう長くはかからぬだろうとルミナスは思う。
そして、シオン。
目の前で、何度も立ち上がり、ダグリュールに立ち向かう女性。
その姿は、嘗て自分を助けてくれた勇者クロエを彷彿とさせる。
頭から血が流れ、止まる気配は無い。全身の傷も、治る端から新しく怪我を負う。
シオンの攻撃はダグリュールに触れる事すら出来ず、ダグリュールの反撃でシオンは瀕死の重傷を負う為だ。
それでもシオンは立ち上がり、何度も何度も挑みかかっていたのである。
「あ、姐さん! もう止めて下さい!」
「シオン様! 親父には勝てませんよ――」
「や、ヤバイでやんす。このままじゃ、シオン様が……」
ダグリュールの息子達も、最初はうろたえるばかりだったのだ。
だが、途中からは吹っ切れたのか、
「うおおおおおおお! 親父ぃ!! 俺達が相手だ!」
「やるしかねえな。覚悟、決めたぜ!」
「やってやるでやんす! そして、褒めて貰うんでやんす!」
言葉通り覚悟を決め、ダグリュールに向かっていった。
そして今は、辛うじて生きている程度に大怪我を負い、立ち上がる事も出来ずに横たわっている。
この三人も、それなりの強さの魔人達なのだろう。だから生きている。
だが、それだけの事。ダグリュールの絶対的な強さの前には、まるで意味が無かったのだ。
(これは、無理だな。勝てる道理が無い。妾もここまで、か――)
半ば諦めの境地に達したルミナスの耳に、
「姫、撤退の用意が整いました――」
と、囁く声が聞こえた。
遊撃を命じていた"七曜の老師"達が、密やかに秘匿転移の準備を進めていたようだ。
この戦争に勝利は無いと判断し、自分達の安全確保を優先させたのだろう。
確かに――
そう、確かに、以前のルミナスならば、迷う事なく撤退していた。
勝機の無い戦など無意味。
国は再建可能だし、拘る事でもない。
永遠の寿命を持つルミナス達が、生死を賭けた戦いをする理由など存在しなかったから。
しかし――
(本当にいいのか? 此処で撤退するのが、妾にとって正解なのか?)
ルミナスは迷う。
辛うじてシオンが立ち上がれるのは、ルミナスの補助があるからだ。
能力上昇系のスキルを使用し、瀕死の重傷さえも即座に治癒を行って……
シオンの蘇生能力を極限まで高めているのも、ルミナスの能力によるものだった。
今ルミナスが撤退する事は、それは即座にシオンが死ぬ事を意味する。
(前衛を見捨てて、自分だけ逃げる? そんな、そんな無様な生き様など、断じて認めぬ!
妾は、誇り高き、"夜魔の女王"ぞ!!)
そして、ルミナスも覚悟を決めた。
「ならん。撤退はしない。妾が万一にも滅ぶ事があれば、7王より次代の主を選定せよ。
妾は、誇り高き八星魔王である。
無様に逃げ惑うなど、妾に相応しくなかろう。そう、思わぬか?」
そう言って、艶然とした笑みを浮かべた。
幼い少女の外見に似合わぬ、蠱惑的な笑みを。
それを聞いた"七曜の老師"達は、一瞬驚きに目を見開いた。
生に執着する自分達の主が、その誇りを優先させた事に驚愕したのだ。
だが――同時に、深く納得もしていた。
そう、夜の女王である魔王ルミナス・バレンタインに逃亡は似合わない。
常に優雅に、気高く君臨する、吸血姫なのだから。
「その命令には従えませぬ」
「左様」
「滅ぶ時は、我等も一緒で御座います」
"七曜の老師"達は、初めてルミナスの意に背いた。
それに驚くも、不愉快な気持ちでは無い事がルミナスを困惑させる。
それ所か、寧ろ愉快な気持ちになり、
「フッ、馬鹿共め。では、さっさと結界を強化せよ! 急げ、鈍間共!!」
ルミナスは、楽しげに命じた。
『御意! では、我等は都市防衛に――』
「うむ。聖魔反転の秘法により、結界の属性を変更せよ。
天使共を聖都に侵入させるな! 時間を稼ぎさえすれば、魔王リムルが増援を寄越すだろう!」
「――姫は、魔王リムルを信じておられるのでしょうか……?」
「フンッ! 信じてはいないさ。だが――
あの様に、主を信じて戦う者が居る。それは、信じるに値する行為だとは思わぬか?」
そう言われて、"七曜の老師"達も戦場に目を向けた。
時間稼ぎとしか思えぬ戦い方をする、魔王リムルの配下達。
この局面では、自分達の生死を賭けて時間を稼いだ所で、殆ど意味など無いというのに。
自国ならいざ知らず、同盟国とは言え、他国の領土を守る為にその命を捧げているのだ。
それは、彼等の主が、絶対に彼等を見捨てる事が無いと信じている事を、雄弁に証明している行為だった。
「左様ですな……。信じる――そのような言葉、久しく忘れておりました」
「それでは、我等は作戦行動に移ります」
「御武運を、姫!」
一斉に一礼し、"七曜の老師"達は去って行った。
果たして、これで良かったのか? そう、ルミナスは迷う。
だが、後悔はしなかった。
目の前で、再びシオンが立ち上がる。
傷ついても傷ついても、何度でも立ち上がる。
そう、自分は、自分に出来る事をするのみ! そして、ルミナスは再びシオンへの支援を行おうとした時――
「やれやれ、覚醒しそうな気配を感じたから相手をしてやっておったのだが、期待外れだな。
それとも……貴様を守る者が居るから、安心しきっておるのか?
ならば、貴様の回復手段を先に始末してやろう。そうすれば、貴様も少しはマシになるかも知れぬしな」
ダグリュールの呟く声が聞こえた。
一瞬にしてその意味を悟る。
「や、止めろ!」
シオンが慌てて叫ぶが、ダグリュールの一撃を受けて沈黙する。
死んではいないようだが、動く事は出来そうもない。
それを一瞥すると、ダグリュールはルミナスに向き直り歩き始めた。
ルミナスは覚悟を決める。
「良かろう、ダグリュールよ。次は妾が相手をしてやろうぞ!」
ルミナスは、ダグリュールに向けて身構えた。
自分で言った言葉に、内心で滑稽な気持ちになる。
相手をしてやるも何も、ダグリュールからすればルミナスなど塵芥に等しい存在だろうに、と思って。
「ふむ。流石は、ルミナス。魔王の矜持は伊達では無い、か」
ダグリュールの言葉に、薄く笑う。
矜持など、毛頭考えていない。ただルミナスは、シオンを裏切りたくないと思っただけ。
(不思議だ。クロエと違って、付き合いが長い訳でもないのに。
ダグリュールと戦って、勝てる訳も無いのに。
妾は何故、逃げぬのだろう?
――もしかすると、妾も信じているのだろうか? 誰かが助けてくれる事を。
そんな事、そんな都合の良い事など、起きようハズもないのにな)
そんな判りきった事を考える。
ふと、自由気侭な黒い竜の姿が、脳裏を過ぎった気がした。
自然に口元に笑みが浮かんでくる。
その様子にダグリュールは不思議そうな表情になったが、何も言う事なく歩み寄り――
「では、行くぞ!」
叫ぶと同時に、ルミナスに拳を突き出した。
魂を凍りつかせる程の恐怖。しかし、ルミナスは逃げない。
回避は不可能。
それを認識し、ルミナスは自嘲する。
(――らしくない、な。最後まで足掻くなど。私らしくないものよ……)
だが、不満はなく、寧ろ、誇らしげに胸を張る。
魔王としての矜持を持ち、せめて最後くらい、逃げずに強者に挑んだ事を誇りとする為に。
最後にせめて、あの憎たらしい不遜なる邪竜をこの手で――
ルミナスの思考は、そこで一旦停止する。
ダグリュールの拳が、ルミナスに届く直前、それが起きたのだ。
ヴェルザードによる、時間停止。
今、まさに。
ダグリュールの拳がルミナスに到達しようとした時の出来事だった。
――目の前に強大な拳。
そして、それを受け止める褐色の手の平。
ルミナスの前に突如現れた男により、絶望的なまでの力を秘めていたダグリュールの攻撃は阻止されていた。
そして、
「クアハハハハ! 我、参上!」
高らかに笑いながら、声高に叫ぶ男。
だが、時は今停止状態になっており、その声は誰にも届かなかった。
ダグリュール以外には。
いや、本当はルミナスにも届いていた。
(来てくれたのか!!)
ただし、ルミナスは意識はあるものの、身体を動かす事が出来ない状態である。
そんな混乱状態のルミナスに、ヴェルドラの声が届いたのだが――
(なんだと、声が出ない!? 時間が停止しているというのか……しかし、一体誰が?)
思わず叫んだつもりになって赤面しそうになり、声が出ていない事に気付くルミナス。
そして状況把握に努め、ようやく今、世界の動きが停止しているのだと悟ったのであった。
(能天気なヤツめ! 停止世界でも、当たり前のように動けるのか――)
ルミナスが続けて思ったのは、そんな驚くべき事であった。
同時に、非常に馬鹿馬鹿しくなってくる。死を前にして張り詰めていた緊張が解けて、何故だか安心感が込み上げて来るのを感じていた。
(馬鹿な。ヴェルドラが来てくれただけで、妾が安堵するなど――在り得ぬ!)
心に過ぎった想いを切って捨て、ルミナスは現状に意識を向けた。
光も無く、何も把握出来ぬ停止世界。
だが、ルミナスの超感覚は、おぼろげながら状況を捉え始めている。
平然と動くのは、ヴェルドラとダグリュールのみ。
そんな二人の会話に耳を傾けると、
「何……だと……!? せっかく格好良く登場したというのに……世界が止まった、だと!?」
「ヴェルドラ、か。絶妙なタイミングだったようだが、ご愁傷様だな。
言っておくが、犯人はワシでは無いぞ?」
「うぬう、判っておる。この様な真似を仕出かすのは、我が姉上であろう。
長くても一、二秒停止するだけで十分であろうに、あの人は無駄に長く止める癖があるのだ」
「まあ、長く止める意味は無いわな。停止世界で動ける者同士なら、それこそ止める意味すら無い」
「その通りよ。我も何度か忠告したのだが、聞き入れぬのだ。まあ、どうでも良いと言えばどうでも良いのだがな。お仕置きの度に時を止めて時間が経過せぬとかふざけた……まあ、それは良い。
そんな事より相談なのだが――」
「む、何だ?」
「うむ。時間が動き出すタイミングを合せて、我の登場をやり直したいのだ。
こう、格好良く決めて、ルミナスを感動させる必要があるのだよ」
「……理由を聞いても?」
「クアハハハハ! 何、簡単な事よ。我は今までに、色々と仕出かしておる。
故に、ルミナスにはかなり恨まれておるのだ。
ここで格好良い所を見せつつ恩を売る事で、全てを無かった事にしようという寸法よ。
クックック。その為に、ずっと隠れて見ておったのだぞ。
貴様がいつ暴走し出すかも知れぬと、気が気ではなかったのだ。
それなのに……
せっかく上手く登場したというのに、姉上のせいで台無しである。
という訳よ。頼まれてくれるであろうな?」
はぁーーーー、というダグリュールの疲れたような溜息が聞こえるようだった。
そして、その気持ちはルミナスも同様である。
(この腐れトカゲ、後でシメル!)
顔を真っ赤にして激怒するルミナス。
今動けたら、間違いなく蹴りを叩き込んでいる所であった。
ひょっとすると、怒りで動けるようになるのでは? そう思える程に、ヴェルドラの態度は舐め切っていた。
停止世界でルミナスに聞かれていないだろうと思い、油断しきっていると思われる。
後で必ず痛い目にあわせてやる! ルミナスは心に誓った。
ヴェルドラの申し出にダグリュールが答えようとしたその時、揺れるような動きで立ち上がろうとする者が居た。
シオンだ。
目は血走り、全身の傷は回復もしておらず開いている。
だが、不思議と血は流れ出ていない。
異様な雰囲気を纏いながら、シオンは完全に立ち上がった。
む? と、ダグリュールがそちらを注視し、
「シオン、か。お前、停止世界でも動けたのか……?
む、『嫉妬』が消えておるな。これは、そうか――」
ヴェルドラが何かに気付いて言葉を止めた。
それに被せるように、
「――ヴェ、ヴェルドラ様……そ、その者は、私の獲物です。ゆ、譲っては貰えぬでしょう、か?」
剣を杖代わりにして、肩で息をしつつ、シオンがヴェルドラに頼みこんだ。
それを目を細めるように見て、
「ふむん、良かろう。我が少しだけ、力を貸してやる。思う存分、戦うが良い!」
そう応じた。
「あ、有難う御座います――」
倒れそうになるシオンを、ヴェルドラが支えた。
そして、触れているヴェルドラからシオンへと、エネルギーが流れ込む。
「ック! 貸すとは言ったが、遠慮の欠片も無いヤツめ(後でリムルから回収するか……)」
そう愚痴るヴェルドラがやつれて見えるのに対し、シオンの血色はどんどんと良くなっていく。
全身の傷は塞がり、服までもいつの間にか新品同様になっている。
ダグリュールは片眉を上げてそれを黙認し、静かに佇みながらシオンの準備が整うのを待つ。
そして――
《個体名:シオンが能力進化を行い、究極能力『暴虐之王』を獲得しました》
停止した世界でも変わらずに、"世界の言葉"が響く。
シオンが究極の力に目覚めた瞬間であった。
「待たせてしまいました。ですが、ご期待通り、少しは楽しませて差し上げましょう」
「ふむ。では、その言葉に甘えさせて貰うとするか」
二人は気安く頷きあい、再び対峙する。
相手の存在を認識するのも困難な停止世界にて、シオンとダグリュールの戦いが始まろうとしていた。
そんな中――
(ひょっとして、我の出番は……)
ヴェルドラがそんな心配をしていた事など、誰も気付く事はなかったのだ。