えっ?と思う人の方が圧倒的ではないでしょうか?そう思うわけは。この図はウィキペディア様から借りてきたものですが、ここに私が皆様に分かりやすいように赤い矢印を引きました。皆様が教科書で勉強するのは赤い①→の流れだけだと気が付いていらっしゃる方どれ位いらっしゃいますか?

この考え方を持つと(文化の二重構造)色々繋がってきますので、皆様も是非考え直してみませんか?

どういうことかというと実は地域によってまだまだ違う文化圏が働いていたという事なのですが、それを一切合切無視して、何もなかったように弥生しかなかったとする乱暴な日本書紀の説を利害があるからってとり続けているのが歴史の教科書って事でしょう。

 

~ウィキペディア解説より引用~

続縄文時代(ぞくじょうもんじだい)は、北海道を中心に紀元前3世紀頃から紀元後7世紀(弥生時代から古墳時代)にかけて、擦文文化が現れるまで続いた時代で、続縄文文化に対応する。縄文時代から引き続くものとして山内清男により名づけられ、実際に連続する要素は多い。 南部に恵山文化、中央部に江別文化、その終末期(5 - 6世紀、古墳時代中期から末期)の北大文化など、内部には地域と時代により異なる文化が含まれる。

~以上~

 

つまり蝦夷って大和朝廷が呼ぶ人達。国があったのに、な~んだか何もないかの如く扱いですよね。信用に足りない教科書が日本書紀です。

そして何故か、アイヌの用いていたアマテラスを思わせる鏡の首からかける装飾品はアメリカにあります。

 

これを見るとあ~って納得いきますよね。何故なら、ナガスクネて姫と一緒にどちらに追いやられましたっけ?そう東側ですよね?東側に王家が神武より前にあったという伝説にそのままフィットすると私は思いますけどね。皆様はどう思われますか?

 

 

 

 

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