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人生でチャンスを逃すことは、自分で逃してはいけないと分かっていても逃してしまうことだってありますよね? タイミングが合わなかったりするのは仕方がないですね?
タイミングが悪いのは自分のせいではないでしょう。
生き方、人生相談 | 恋愛相談、人間関係の悩み・17閲覧
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タイミングが悪いのは自分のせいではないでしょう。
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タイミングが合わないというのは物理的に無理な場合と、気持ちの問題との2つがあります。 例えば、あるチャンスが到来したタイミングで親の危篤の知らせが入った。 この場合親の方を採ったらチャンスは逃します。 これは一見気持ちの問題のように感じますが、実は物理的な問題なのです。 つまり、「1つの身体を分身させることはできない」と言う意味で物理的な問題です。 親の危篤に駆け付けるという選択も、やってきたチャンスをつかみたいという選択も、どちらもその人が望んだことです。どちらにも「逃げ」がない。 親を選択したからと言ってチャンスから逃げたわけではない。逆も然りです。 そういう時は自分の選択に後悔がない。 逆に「逃げ」の要素があるとき、これは気持ちの問題になります。 つまり「身体を分身させる必要がない状況なのにチャンスを取りに行かなかった」ということで物理的な問題でなくなります。 今政界で話題になってる、ある党首が総理大臣になるチャンスを逃しそうな事案なんかこの例です。 その党首は別に2律背反に苦しんだわけではない。「総理になる」という明確な意思を表明していた。 単に総理になる自信がなかっただけであります。失敗が怖かった。 そこでせかっくのチャンスを目の前にして、逃しました。(まだ決定ではありませんが事実上逃しました) だから厳密に言えば、物理的な理由から成果を取れなかった時、それを「チャンスを逃した」とは言わない。「チャンスを選択しなかった」と言うべきであります。それは厳密に区別しなてはならない。 「逃した」と「選択しなかった」の違い。 「選択しなかった例」をもうひとつ 予想できなかったことを実現できなくても、それはチャンスを逃したことにはならない、ということ。 例えば、ある株を買うかどうか迷った末、買わないことに決めた。 その場合株価の上下などわかるはずもありません。そういう時、仮にその株が爆上がりしたとしてもそれはチャンスを逃したことにはならない。単にチャンスが「見えなかった」だけのことです。「逃す」と「見えない」も区別すべきです。その株がかなり有力な株だったとしてもです。自分の意思で「これは上がらない」と判断したのですから、それは逃したのではなく、上がることが「見えなかった」だけのことです。 いずれにしても「逃げ」の要素の有無が重要なポイントになります。
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