文系博士がエンジニアになるということ

ブログを徐々にアクティブにしていくために,とりあえず月一くらいで更新しようと思っていて,1月を逃してしまった。 とりあえず今回は,最近考えてること,以前からブログにしたいと思ってたことを羅列してみようと思う。 ちょうどはてブ今週のお題が「自分の好きなところ発表会」らしいので,好きっていうほどではないけど,文系博士がエンジニアになってみて得たものを整理する良いタイミングだ。

文系博士がエンジニアになるということ

私のキャリアはおそらく少々特殊だと思う。 ブログのタイトルにあるように,文系の大学院生として博士号を取得し,その後アカデミアに残らずにエンジニアとして民間企業に就職した。 今はエンジニア歴6年目くらい。 PCはもともと強かったけど(自己紹介の下の方参照),プログラミングとかデータベースとかを本格的に・体系的に学習し始めたのは民間企業に就職してから。 私は言語学も学部から始めたので,そこを物差しに使うことが多い。なので,大学入学から6年というと,今はやっと修士を終えたくらいだろうか。

最初の頃は結構たいへんだった。 今までの自分のキャリアが全くリセットされると当時は思っていたので,とにかく必死でキャッチアップをしようと無駄に頑張っていた。 博論自体がかなり産みの苦しみを味わうのに,いきなり転職してそこから休む間もなくバリバリ働いていた。 加えて自分に自信がまったくなかったので,30代からエンジニアになるなんて相当ビハインドだな,と勝手に思っていた。

さらにさらにロールモデルがあまり見つからない。 30歳で,しかも非情報系博士修了者でエンジニアなんて身近にはいなかったし,当時ググったりもしたけど全然ヒットしなかった。 今ではぐぐるとちらほらいなくもないという感じ。 なのでなんとかして自分で道を切り開かなきゃ,という強い想いがあったように思える。

ただ,今思うと博論のバーンアウトでベースがネガティブになっていた時期に,過剰に自己を追い詰めていたとも思う。

博論を書くってたいへん

まず博論を書いたってことがとてもたいへんだったということを自覚するのに数年かかった。 自分の博論なんて燃やしてしまえばいいと割と本気で思ってた時期もあった。 アカデミアで色々頑張ってできたのが結局100ページくらいの論文で,その価値が全然理解できていなかった。 そのころの闇はこのブログの古い方に残しているので見たい人はどうぞ。リンクは貼らないぞ。何回見直しても病んでる。

基本的に自分に自信がないタイプなので,自分がすごいことをしたとかがんばったとか基本言いたくない性格をしてて,なので博論の価値とか以前に「たいへんだった」ということを素直に自分で受け止めることができなかったような気がする。

最近はすっとそれができるようになってきた。あのときマジでたいへんだった。 人生初の2徹で頭をフル回転させるみたいなこともやった。たいへんだったなあ。

ちなみに,私が書きおわってほっぽりだしたテーマは,指導教官の先生が引き継いでプロジェクト化してくれた。 そもそも引き継いでもらえるとも思っていなかったし,さらに結構人数の多いプロジェクトで,自分の書いたものがあんなに多くの人に多くの影響を与えるなんて考えてもいなかった。

そういう意味では書いた意味っていうのはあるんだろうなあとポジティブに捉えることが最近できるようになってきた。 そしてその課程で得たものが仕事にもちゃんと活かされているという体感も多くなってきた。

意外と使えるアカデミアの経験

最近はアカデミアの経験がエンジニアライフを送るのにとても有益なんじゃないかと思ってきた。 アカデミアはいうなれば知的生産の専門家集団なので,知的生産をするうえでアカデミアでの経験は絶対プラスにはなるという想いはあった。 でもそれがなかなか具体的に言語化できずにずっと過ごしていて,結構モヤモヤしていた。 最近になってやっとちょっと腑に落ちるようになってきた。ぱっと思いつくものだけ書いていこうと思う。

アカデミックライティング

アカデミックライティングは院生時代よりも前,学部時代から基礎を叩き込まれていた。 院に入ってからも,相当鍛えられたと思う。これが結構いろいろなところに使えると思っていた。

コードを書くという作業は,論文を書く作業ととても似ている。 論文は構造を持った文章。コードも構造を持った文章。あれ,一緒だ。

ちなみにこれはプレゼンでも応用できる。文章の構造をそのままプレゼン向けに縮小版で作ればよい。

現象を観察する

科学は観察から始まる,観察の道具の発展が科学の発展を促す,ってマクドで隣の女子高生が言ってた。 なので物事の観察する際の解像度は高くしたいなあと思っていたし,実際院のトレーニングを経て,解像度はかなり高くなったような気がする。

PDCAとかOODAみたいなサイクルを回す

観察から課題発見をして仮説を設定してアプローチして,というサイクルを回すのが科学の営みだと思っている。 実際にアカデミアではそういうサイクルを回してきたし,それぞれのステップに関して鋭いツッコミがいっぱい飛んできたりして,どんどんレベルアップしないといけない環境にいた。 なので,それなりの観察眼はあるのかなあとなんとなく思い始めた。今まで無意識にやってたのであんまりよくわかっていなかったんだが,こういうのが「強み」っていうのかしらね。

論文の校閲をする

院生してると先生の論文の構成をアルバイトでもらうことがある。 卒論をTeXで書いたのもあるけどもともと校閲とか組版とかにもちょっと興味を持っていたのもあるので,めっちゃがんばって校閲した。 校閲って結構細かくて奥が深い。最近だと毎日新聞校閲センターさんが旧Twitter校閲の世界を詳しく説明してくれている。 流石にプロには勝てないけど,禁則処理とかそういうのを考えつつ,日本語として読みやすいか,誤字脱字はないか等細かくチェックして赤を入れまくっていた。 特に文章にしたときにストーリーとして一本の筋が引けるか,後戻りをすることなくすっと読める日本語になっているかという点に関しては結構意識していた。 この経験が結構全体の流れに配慮しつつ細かいところに目を配るという力を育ててくれたような気がする。 ぽけーっとしててもスッって入ってくる文章が一番いい文章だよ(文学除く)。そういう文章を私は書きたい。

非常勤で授業を持っていた

院生は博士課程くらいになると非常勤講師の話が回ってきたりする。 私も授業をいくつかもっていたが,その時に学生とコミュニケーションをするときになんとなくやっていたことが結構リーダーになったりしたときに役に立ったなあと思いはじめた。 特にいかに学生とコミュニケーションをとるか,壁を作らないか,ってところを結構意識していた。

具体的には,学生の出席をコメントシート方式にして,授業の質問でもそれ以外の雑談でも何でもOKなので,一言書いて出席とカウントすることにした。 そして次回の授業の45分くらい(1コマ90分)のタイミングで休憩としてコメント返しをしていた。 これはマイアイデアというわけではなくて,ICUで結構そういうスタイルの授業をしている先生方がいたので,とりあえず真似してみた。

これが結構面白くて,何でも書いていいよって言うと本当になんでも書いてくれる学生とかもいて,結構プライベートなことも聞かれたりするので,素直に答えていた。 結構自己開示はするタイプなのだが,これが大事なことなんだなーというのは後に仕事したりとかしながらわかってきた。

あと,未だに覚えているコメントで,「先生が楽しそうに授業していたので,私も英語に興味を持つようになりました」ってコメントがあって,めっちゃ嬉しかった記憶がある。 英語は一般教養で興味がなくても取らなきゃいけないという学生が多い。 なので,最低目標としていかに英語に興味を持ってもらえる学生を増やすかという点を意識していたので,実際にそれが形として現れたときはガッツポーズ取った。 多分帰りの高速バスの中だった気がする。 これ書いてくれた学生元気にやってるかな。

なので基本は楽しく生きようとしている。 楽しく生きようとするために苦しくなることはある。

ざっと書いたらこんな感じ。本当はもっとあるような気がする。 折を見てまた言語化していきたいと思う。

よくある質問で「なんでアカデミアに残らず就職にしたの?」とも聞かれるので,そのへんも記事にできたらいいなー。