高橋尚幸

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高橋尚幸
@naotaka007
公立小学校で21年間働いた後に退職をし、今は、地方にある小さいけれど素敵な私立小学校で働いています。Xでの発言は個人の見解であり、所属先を代表するものではありません。
note.com/naotaka703Joined July 2012

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日本中の先生にお願いです。冬休み明け、お願いですから「全ての子がお年玉をもらえた」「映画や買い物に連れて行ってもらえた」「家でテレビを見た」という前提で話をしないであげてくださいね。「そうじゃない子」もいるのですから。
プリントを忘れた子は“困らせる”方が良いって本当なのかな。 私は失くしたりした子には、すぐに予備のプリントをあげちゃう。だからといって「また貰えるから、平気で失くすようになった」という子には、21年間、出会ったことはないけどなあ。
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私は、冬休みの話はほとんどしません。ゴールデンウィーク明けも、夏休み明けも同様です。 「どんな3学期にしたい?」という話からスタートします。
かなり歳下の方にLINEで「怒ってますか?」と聞かれて、理由を聞いたら、「全部に句点がついているか」と言われたことがあります。「全く怒ってないですよ。おっさんなだけです」と答えました。
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石黒 圭
@ishigurokei
LINEの吹き出しで、文の最後に句点(。)を入れないのはなぜでしょう。これはマンガの吹き出しや、小説の会話の閉じカギ(」)に(。)を入れないのと同じ理屈で、入れなくてもわかるからです。 学校では句点を入れる(。」)を教わりますが、社会のルールは異なります。 diamond.jp/articles/-/329
「先生、今日の体育って何やるんですか?」 「先生、そろそろ席替えしませんか?」 そういう発言に込められた“危うさ”にどれだけの教員が気付けているだろうか。
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まだ伸びているので、御礼と返信代わりのツイートを。 「一人一人違う」「お年玉やプレゼントがないことは不幸じゃない」という指導は「全員が貰えている」という前提では不可能ですよね。自分の当たり前を疑うことで、多様な指導が可能になるのだと思っています。
「やっぱりな」と思っています。 私は数年前から「従来とは違う形の荒れ」が増えていると考えています。これは、学級のルールを「学習しない子」に合わせ過ぎた結果、「学習しない集団」になってしまう現象です。 これの解決法は「学習しない子を切り捨てること」ではありません、
先日、元同僚から学級経営に関する相談を受けた。 簡単に言えば「担任したクラスで、今までのやり方が通用しない。どうすればよいか」という話だ。 最初に断っておくが、非常に力がある人だ。その人の学級経営も授業料も私は一目おいている。
敬愛する鴻上尚史さんの素晴らしい文章。 でも、一つだけお願いが。「本を読むことって、面白いんだぜ!」っていう国語の授業をしている教員もいるってことはちょっとだけ頭に入れておいてください!!
Quote
鴻上尚史
@KOKAMIShoji
時事通信から、「成人の日によせて」という原稿の依頼が来て書いたのですが、書いた文章に20カ所以上の直しが入りました。「体言止めが美しい」というような理由で、納得できないと申し入れたら決裂しました。せっかく書いた文章なので、ここに載せます。多くの若者に届きますように😊
ラーメンを何度か食べたことがあれば、美味い不味いと、あれこれ評論することができるかもしれない。でも、自分でラーメンを作ることはできない。 教育や学校も同じだよね。 なまじ、自分が通った経験があるから、皆あれこれ評論できちゃう。 でも、実際に授業ができる人は、ほとんどいない。
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多くのコメントをいただいたことで、私自身も更に考える材料を得ることができました。特に「逆に言うと、教員はそんなことも分かっていないの!?」という趣旨のご発言がグサッときました。 私の発信なんぞ何の影響力もありませんが、やれることをコツコツとやっていきます。
勤務校では、小学校での教科担任制に取り組んでいます。当初、私は自分のクラスの授業は国語と総合のみでした。かなり苦労しました。学級経営を安定させる上で、行事や特別活動をフル活用する必要性も感じました。 いわば、学級担任制以上に「集団づくり」の能力が必要なのです。
教員の労働環境が「良い」とは申しません。改善して欲しいし、したいです。でも、「教員の労働環境がどこよりも何よりも過酷です」と言いたげに聞こえる主張を掲げても、うまくいかないだろうとも思っています。
学校で子供達の良くない行為がエスカレートしていくのは、「時々悪いことをするとめちゃくちゃ怒られるが、頻繁にやると許される」からです。 例えば、滅多に暴力を振るわない子が誰かを殴ったら大問題として扱われますが、毎日複数回殴る子は「あの子は仕方ない」と許されるようになるのです。
今までに私が出会った「攻撃的な子」は、 1.自分の心身の安全を守るため 2.自分の立場を守るため のどちらかでした。 共通して言えるのは、どちらのタイプも「周囲との関係改善によって、攻撃的な行動が激減した」ということです。
学級が落ち着かない、荒れている。 その対処法として、力のある先生が、落ち着かない子・荒れている子にどう指導するかを説く。 多くの先生がそれを真似るものの、更に事態が悪化する。 そして「教育に絶対の方法はない。自分なりの工夫が大切だ」という、正しいけれど役に立たない結論が出て終わる。
私の学級経営は、スクールカーストを意図的に壊す。だから、カーストの下位で苦しんでいた子がグンと伸びる。「勉強をさぼる」ことでカースト上位にいた子も伸びる。 苦しくなるのは「今まで必死に努力してカーストを上げてきた子」だ。申し訳ないけれど、それでも私はスクールカーストを壊す。
時々目にする「6年担任が偉いわけじゃない」「子供達にとって1/6に過ぎない」という話。それはその通りです。 が、私の経験上、1〜6年&教務主任を比較すると、圧倒的に6年担任は疲労感がでかい!単純に疲れます。 ということで、6年生担任の皆様、お疲れ様でした。
クラスづくりは「教員の毎日の言葉」で決まる。 けれど、毎日まっすぐな言葉を語り続けるのは、本当に難しい。 だから、誤魔化さず、真摯に語り続けるしかない。 「完璧な姿」は見せられないけれど、「ぶれながらも諦めない姿」なら見せられる。
クラスが騒がしい時に「うるさい!静かにしなさい!」と怒鳴ってはいけない理由。 1 子供たちは段々と怒鳴られることに慣れていく。 2 「一番うるさいのはあなたですよ」と心の中で見下される。 3 怒鳴られなければ、いつまでも騒ぐ。 4 無視して騒ぎ続ける子の「学級内ランキング」が上がる。
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はい。そうです。もう少し付け足すと「一部の子供」です。多分、こういうことを言われる方は「主導権を渡している」とは気付いていないでしょうけれど。
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むしろ、私は「そういう方法」が広がっていることが、ランキング争いが生じる原因の一つだとさえ考えている。 じゃあ、どうするのか。 学校を知的な場にする。 その上で、一人も見捨てない。 これが私の学校経営の戦略である。
「プールでの日焼け止めクリーム禁止」の学校も少なくないようです。でも『学校における水泳プールの保健衛生管理』平成28年度改訂.日本学校保健会.p31には「日焼けしやす児童生徒や光線過敏のある児童生徒には、日焼け止めクリームを使用させてください」とあります。
学級が落ち着かない、荒れている。 多くの人は、その原因は落ち着かない子、行動が荒々しい子にあると考えるようです。少し前なら発達障害の子、グレーゾーンの子。最近は愛着障害の子。そういう子がせいにされがち。 でも、私の考えは違います。原因は、子供たちの関係性の中にあるのです。
小2の息子に言われました。 「人の気持ちなんて分かるわけがないんだよ。分かろうとするけどさ、『こうかなあ』っていうだけで、それが当たってるかどうかは分からないじゃない」 はい、ごもっともです。
指導案に意味がないんじゃなくて、意味のある指導案が書けないんじゃないの!? って言ったら嫌がられるから言いません。
多分、3月に卒業したクラスが私にとって最後の担任になるでしょう。最後まで私は、若い頃に目指していたような「凄い教員」にはなれませんでした。けれど、若い頃には予想できなかったような「幸せな教員」になることができました。
若い教員の皆さんにお願いです。子供たちに「冬休みが終わって残念ですか?先生も残念です」なんて言うよりも、「先生は、早くみんなに会いたかったから、3学期が始まって嬉しいよ!」と言って欲しいと願います。そう言える教員だけが作れるクラスがあると思っています。
チョーク&トークの授業では、”私は”あの子を救えなかったし、今でも救えない。だから”私は”チョーク&トークの授業を捨て、全く別のやり方・考え方で授業を行っている。その結果、それが”私には”合っていた。そして、同じような思いを持っている方の参考になればと思って、発信を続けている。
児童にさくらんぼ計算の説明をするのに、「9+3」は良くないと思ってます。 3を「1と2」に分ける。 で、答えが「12」 これで混乱しちゃう子も結構居そうです。
学級が機能していない状態から勉強中心に移行するのは、一朝一夕にはできないでしょう。2学期後半に苦しかったクラスは、まずは「楽しいこと」を中心に据えて3学期を迎えてみてはどうでしょう。その時に頭に思い描くのは「ヤンチャな子」ではありません。目立たなくとも真面目に一生懸命やる子です。
「主体的な学び」とは、「子供達を主体的にする」のではなく、「子供達が主体的であることを邪魔しない」ことがスタートだと考えています。
今、私が最も高い関心を持って取り組んでいるのが「学級崩壊の原因と対策」です。学級崩壊は、担任の立ち位置が下がることによって起こるタイプと、スクールカースト上位と担任の共犯関係によって起こるタイプがあるのではないか。そう考えています。
学級の中で「マイナスのイノベーション」を起こさせてはいけないのだ。授業中に騒ぐ、ふざける、席を立つ等の行為を見て、周囲が「ああ、こうすればウケるのか」「こういう態度なら先生は許すのか」と”発見”されて広まった時、学級は崩壊へと進んでいくのである。
毎年、クラスの中に何人かは「分からないので教えて」と言えない子がいます。教員には言えるけれど子供同士では言えない子。教員には言えないけれど子供同士では言える子。特定の友達には言える子。誰にも言えない子。そのタイプも様々。だからまずは子供達がゆるく多様に繋がれることを目指します。
校長として初めての入学式でした。 ウチのような小さな私立校では、校長といえどもワタワタと走り回る一日でした。でも、職員全員で良い式が作れたと思います。 何より、在校生も参加できたのが、やっぱり嬉しいなあ。
評価基準とか評価規準とかルーブリックとか、私は大嫌いです。こういうのを考えに考えていた時期もありますが。 今の評価は、私の“主観”です。その代わり、可能な限りの材料を集めて。基準やら表やらを考えるより、ひたすら子供達の取り組んだ成果、学ぶ姿を見る。そういう方法です。
私の経験からの主観にすぎないけれど。どの学年、どの分掌に適性があるかは、力量もあるのかもしれないが、それ以上に教員のキャラクターに左右されるんじゃなかろうか。私のキャラで低学年を持つのはなかなかキツかった。かなり工夫が必要だった。その分、得たものも多かった。
落ち着きのないクラスを落ち着かせる方法の一つは、子供達を愛することです。 と言うと嫌がられたり怒りをかったりするのですけれど、でも、私の経験では、そう言うしかないのです。もちろん、他の方法もあるでしょうけれど。
若い先生がどれだけ成長できるかは、どんな環境で働くかに大きく左右されると思っている。 良い先輩と出会えた人は幸せだ。 でもね、それは運だけじゃない。出会いを良いものにできるかどうかは、本人の努力次第。そして、どの言葉を受け入れて、どの言葉を受け流すのかは、センスを問われる。
もっとも大切なことは、「学力が伸びること」でも「学校が楽しくなること」でもありません。「子供たちが幸せな生涯を送れるようになること」です。私は、学力や楽しさが生涯の幸せにつながらないことを、震災で知りました。地域やつながりの重要性も知りました。だから、『学び合い』なのです。
クラスづくりは「教員の毎日の言葉」で決まる。 掲示された目標よりも、毎時間の教科学習でその目標が生きているか、だ。 子どもは語られた言葉ではなく、教員の「腹」を見ている。
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私は、元同僚の力量や得意な指導の傾向も分かっているので、ある程度具体的且つ効果を見込める助言をすることができたと思う。 さわりを書くと、「その子をどうにかしようとせず、力を発揮できずに埋もれている子が生き生きとできる授業をしてね。それによってランキングを崩してね」ということだ。
まだ、公立で働いていた頃の話です。 当時の私は、打ちのめされていました。 教員としての力量を上げれば上げるほど、自分が幸せになれる。 という考えが間違いだと改めて痛感したからです。 幸せなクラスを作ることはできたと自負しています。でも、それは自分のクラスだけの話でした。
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諸般の事情により、年度途中から自分のクラスの算数も担当することになり、持ち時数が増えたの辛いのですが、学級経営は楽になりました。 中学校でも学級崩壊はありますから、「多くの人で子供たちを見る」だけでは、学級は安定しないのでしょうね。 難しいなあ。
一人も見捨てない集団を作るコツ。 全員と繋がろうとしない。それは無理。 自分が繋がれない人と繋がっている人を大切にする。 攻撃してくる人とは距離を取る。反撃は基本的に損。 これがかなり難しいのです。なかなかできない。だから、自分のクラスの子供たちを心から尊敬します。
教育が、どんどん「揃える」方向に向かっているように感じてしまう。個別最適化とか言っているのに、主体的な学びとか言っているのに。 自由に!個性を大切に!と言いつつ、でも、同じゴールに辿り着くように誘導するようなイメージ。うーん。。。怖いなあ。
3学期の授業は「もう一度」をオススメします。1、2学期に指導した図の描き方、表のまとめ方、音読の工夫、作文の技法。その中で指導が不十分だったけれど、3学期の単元でもう一度やれそうなものはありませんか?もう一度やることで定着率も上がります。これができれば授業の中級者と言えるかも!?
数人の仲間内でウケる為に、犯罪的な行為をアップしてしまう若者。その姿が、学校で暴れ回る子供と重なって見える。数人の仲間内でウケる為に、授業を妨害し、迷惑行為を繰り返すのだ。 ウケたいのは、少しでも自分の立ち位置を上げる為。私はそう分析している。
4月。苦しいスタートを切ったクラスも多いだろう。 話を静かに聞いて欲しいなら、聞いていない子だけではなく聞けている子にも心を配らなければいけない。 給食の準備を早くして欲しいなら、やらない子だけではなくよく働く子にも心を配らなければならない。 苦しい時こそ、味方を得る必要があるのだ。
教育に正解はない。 と思っているはずなのに、アクティブラーニングとか、主体的・対話的で深い学びとか、インクルーシブとか、個別最適化とか言われると「ちゃんとやってます!!」と言いたくなってしまう。あたかもそれらが“正解”であるかのように。いかんなあ。
『学び合い』を口実に放任する人もいるし、GIGAを口実に放任する人もいるし、子供達から出た問いだからと放任する人もいるし。 特定の理論や指導法の問題じゃないのよ。教育は「人」なのよ。
校長になる前は、学校に余裕と時間が生まれれば教職員の力量が上がると思っていた。でも、なってみたら全く違った。必要なのは、より良い学校にしたいという夢と、力量が上がることで幸せになれそうだという希望と、上げられそうだという見通しなんだと思う。 まだまだ、私自身が力不足だけどね。
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席替えは1ヶ月に一度。そう明示して1年間継続できれば危うくはないと思います。そういう発言もあり得るとも思います。でも、 「そうだな、ちょっと早いけど席替えするか」 となってしまわないように、要注意なのです。 ちなみに、私はそうなってしまいがちです。
授業である活動を設定する時に「苦手な子がいること」は考慮する必要はあるけど、でも、「だから、やらない」んじゃなくて「そういう子も参加できるように」する方がいいよね。一方で「そういう子が“楽しめるように”」って考え過ぎると、おかしなことになる場合もあるから気を付けなきゃいけない。
校長になって間も無く一年です。校長になる前にやりたいと考えていたことは、なってみたら、八割方やっても意味がないなと分かりました。何事も、経験しないと分からないですわね。
久しぶりに『学び合い』のことを語りたくなっている。子供達がお喋りばかりして学び合わない原因は何か。「教えて」と言えないのは何故か。集団のやる気を高める方法は。そういう基本的なことを語る人が、すっかりいなくなっちゃったなあ。
なぜ、子供たちが学び合うのか。それは、人には「知りたい、知らせたい」という衝動があるからです。 なぜ、子供たちが学び合わないのか。それは、その衝動を抑えてしまう何かがあるからです。それを削ぎ落とせた時、子供たちは自然と学び合います。
私立学校で働くという選択 公立小学校で学校づくりに懸命に取り組んでいるけれど、でも、数年で転勤。その度に一からやり直し…。 それが苦しくて、私は私立小学校ではたらき始めました。 歴史ある会津の地で、一緒にじっくりと学校づくりに取り組んでくれる方はいないかなあ。
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必要なことは「学習しない子が、学習できるようにすること」です。しかも、「もともと学習している子は、更に伸びるようにすること」も同時に進めなければいけません。 これはとても難しい。 でも、それを可能にする理論があります。不遜ながら、私はそれを知っています。
「個別最適化」の言葉が嫌いなのは、教育に最適なんてないと思うから。躓くことなく、失敗することなく進むのが良い教育だとされてしまうことを危惧している。試行錯誤や紆余曲折こそが、教育の本質だと私は考えている。