無意味な努力。有害な努力。
今月十一回目の罠に嵌った。女性から呼ばれて渋谷のパブに行ったら、やばい感じの男性からいちゃもんをつけられ、嵐が起きた。美人局である。連絡が来た段階で「罠だな」と思った。罠だと分かって罠に嵌った。緊急事態時におけるとっさの身のこなしを磨いている。ある種の武術である。迫害を受けるとキリストの気持ちがよくわかる。リチャード・バックのイリュージョンのように、自分から罠に嵌りに行く私は、相手の気持ちを逆撫でることで神様ごっこをしているのだと思う。
東京在住の女性H様から「泊まりに来ていただけますか?」とご連絡をいただいた。一人暮らしの女性の家に泊まるだなんて、美人局の香りがぷんぷんする。だが、こういう場合は意外と大丈夫。渋谷で決闘を終えたばかりだったので、H様の女性性に癒された。私は晩飯を済ませていたので、H様は「何か食べますね」と言って、辛ラーメンを鍋にぶち込み、砂糖と卵を入れて、鍋ごと食べた。菜箸で食べた。H様は「余裕がある時はお皿に入れます。最近は余裕がないのでお風呂も四日五日入っていません」と言った。二十七歳女子のリアルに触れた。野生動物みたいで、癒された。
H様は「毎日仕事で疲れて家に帰ってもスマホを見るかテレビを見るかで終わり、休みの日は何かしなくちゃと思って全然休めない」と言った。私は「運命はあると思うか」と聞いた。H様は「あると思う。私はこのままつまらない人生を終えるのだと思う」と言った。運命論に陥ると虚しくなる。一人一人に運命はあるが、同時に、完璧に自由である。これが、私の現時点での考えである。私たちは、物質でもあり、同時に波動でもある。演劇で言えば、演じている役割と俳優自身の価値は、まったく別のものである。私は◯◯であると言うのが物質なら、私はあるが波動だと思う。物質は役割を固定する運命。波動は俯瞰する自由。
武術の真髄は呼吸にある。相手に同調せず、こちらの呼吸をキープすると、相手はこちらの呼吸に同調する。こちらの調子が良ければ、相手もこちらに同調して、落ち着きを取り戻す。病気が消える。身体や感覚の奥深さや面白さは果てしなく、固定観念を打ち破る最高のツールになる。肩凝りや首凝りが酷い人は、掌を一度上に向けて、そのままダラリと下に降ろす。そのあと、肘から先だけをくるっと下向きにすれば、肩は落ちたまま。力を抜く道が正解。呼吸が楽になる道が正解。無意味な努力や、有害な努力は、呼吸を阻害する。力に頼るのではなく、身体に響かせるイメージ。身体を響かせるイメージ。宇宙に響かせるイメージ。宇宙を響かせるイメージ。あらゆる道は呼吸に通じる。身体と言う宇宙の響かせ方に通じる。
基本が大事と言う言葉は嘘だと思う。基本は否定するためにある。基本が深化した時、次のフェーズに向かう。努力は有害。反復は有害。継続は有害。身体を響かせる試行錯誤と、身体に響かせる試行錯誤が「道」だと思う。私は、私の考えが良いとか正しいとかは思わない。ただ「以前よりはマシになった」と言う感覚があるだけで、自分を乗り越え、否定して、有効なやり方を発見して、技を深めたいと思っている。だから、明日には真逆のことを言っている可能性がある。どれだけ頭で考えても辿り着けなかった安心感に、肌と肌との触れ合いだけで瞬時に辿り着けることがある。固定された役割から解放されて、行き場を無くした魂が地に足をつける。無意味な努力や、有害な努力から自由になり、自分の運命に納得をする。
おおまかな予定
10月29日(水)東京都渋谷区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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