若いうちはエゴン・シーレみたいなわかりやすい早熟の天才に憧れていたが、30代になると、35歳で証券マンを辞めて、家族も捨てて、すべてを捨てて絵に打ち込んだゴーギャンがマジでヤバい人だと実感するようになり、マジで尊敬している。
野澤光
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@NOZAWAHikaru
博士(学際情報学) / 生態心理学, 認知科学, 発達心理学/ 芸術制作, 熟達技能, 母子の抱っこ, 顔認識を研究。ここでは一人の私として話します。
Joined May 2010
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アーティストが成熟して、石や化石の美しさに気付いてしまい「美術はもういいや」ってなるパターンは、すごく多い。どのくらい多いかというと、電子音楽やDJにハマって博士課程をドロップアウトする学生と同じくらいありがちなパターンと言える。
日大で分析哲学をやっているバーテンダーの男の子に、美術を教えていると言ったら「絵って、画面が無限だったらどうやって描くんですか???
」と突っ込まれたのが忘れられない。
若者の孤独も、コミュ障や非モテのような語り方は廃れて、本格的に社会的孤立として語られるようになりましたね。
news.yahoo.co.jp/articles/4b1cb
けっきょく、BLや百合的な関係性を読みとって楽しむ人々がいるからこそ、アイドルも「こういうものが好きなんですよね?」とそれに適応してくる。はたして、自分たちの読み込みは、消費ではなかったか? という問いかえしが、最低限必要だろう。
平田オリザが「地方に若い女性を呼ぶにはお洒落なレストランが必要だ」という趣旨のことを言ったのが、馬鹿にされていたのも、じつは気になっている。当たり前だが、手取り15万円でも13万円でも、お洒落なご飯や、音楽や、小説や、詩は、なくてはならないもので、誰かがとどけなければならない。
いつまでも文章が上達しない人は、自分の文章を読んでいない。修正点を指摘しても、読み直さずに修正するから、書く力にはプラスにならない。これは絵画も同じ。自分の絵を見ずに描いている人には、まず絵を見ることを教えければならない。が、それは簡単じゃない。最初にして最大の関門だ。
25歳の頃コマーシャル・ギャラリーでバイトして、どうみても発泡スチロールに割り箸がブッ刺さったゴミにしか見えない泉⚪︎郎の作品を、松⚪︎みどりが顔を真っ赤にして感動して買って行ったのを見たとき、たしかに私の人生はちょっと変わった。
「美しくなる」とはティピカルな存在になることで、そこには規範やコードが必ず存在するだが、それを指摘すること自体が難しくなってもいる。「欲望とは他者の欲望である」という当たり前の話ができなくなってしまっている。で、そこからも資本は利益を吸い上げていく。
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いまゴーギャンが会社辞めてSNSでクラウドファンディングしても、即炎上だよね。SNSでは、インフルエンサーや詐欺師は称賛されても、ゴーギャンのような不器用なエゴイストは存在する余地がない。
文學界の村上春樹のインタビューちょっと立ち読みしたけど、本当に怖いくらい音楽に詳しい。これだけ真剣に音楽を聴いたらふつう人生それで終わりだから、リスナーと小説家で二回ぶん人生を生きている人だ。
ゲルハルト・リヒターが制作用のアトリエとは別に「なんかいろいろ計画する部屋」をたしか持っていて、私は空想したり計画するのが好きだ、実現しないものもたくさんある、って楽しそうに言ってたのが忘れられない。
大江健三郎の「元気の出る罪と罰」。マルメラードフの妻と『静かな生活』のエピソードが朗読された後、大江の自宅が『静かな生活』にモンタージュされて、手持ちカメラで映し出される。
番組として異様すぎる。『静かな生活』も恐ろしい話なのに。よく放送されたな……
youtube.com/watch?v=Gdquwf
柄谷行人が繰りかえし言っていたのは、資本=ネーション=国家の中で我々がいくら贈与をしようとしても、それは商品交換や、贈与と返礼に引き込まれてしまうということでしたね。
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「イタ飯より先に雇用が必要だ」と批判するのは、簡単だ。しかし、個人に創出できる雇用の数は、もちろん限られている。その上で、文化にかかわる者が、マティスのいった「肘掛け椅子のような」場所や機会を、どう維持することができるのか。レストラン経営は、充分に素晴らしい貢献じゃないか。
そう。愛されようと執着するほど、人はキモくなってしまう。努力したり、欠点を直せば愛してもらえるという、ご都合主義にハマってしまう。近所のネコさん、ツバメさん、ハクビシン先生を愛するように、見返りを求めず、たんに愛せばいい――その基本を見失ってしまう。
めちゃめちゃ面白い。大江健三郎が何度も書いた多元的宇宙論が、いま常識になりつつある。
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ゴミにしか見えないけど、タネも仕掛けもない、綺麗事や嘘は言っていない。それで人を感動させるなら悪くない世界だと思った。美術史的にはいろいろなことを勉強してたけど、初めて何か実感をつかんだというか。そんな瞬間だった。
「世界各国でのロシア大使館への抗議行動や嫌がらせ」をまとめたスレッドを見たけど、これからロシア人へのレイシズムが本格的に始まるので、そういうものをパフォーマンスやアートとして理解するのはやめた方がいいと思う。
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まず、平田オリザが駒場でアゴラ劇場を主宰していた事実に対する、リスペクトが必要だ。そのうえで、私の周囲には、レストランで料理を提供したり、小さなギャラリーを経営している美術家が何人もいる。彼らは非力な自分がコミュニティにどう貢献できるか考えた末に、本気で料理をつくっている。
どう見ても性格の優しい、優秀な若い男性にかぎって、「俺は成功のためなら何もかも犠牲にするサイコパス」みたいな、謎のロールプレイにハマってしまうの、一体何なんだろう?
言葉にかかわる者が、世界は言葉でできているなんて、言っちゃいけないんですよ。言葉を超えた世界で仕事している人なんていくらでもいる。天ぷら職人も、お医者さんも、保育士さんも。
たとえば整形を、どこまでケアから切り離すことができるか。しかし、現実には難しい気がする。児童が、自己決定にもとづいて、自己受容のために整形します、と言ったとき、それを批判するロジックがいまの左派の思想に見つからないのではないか。
新宿ベルクの井野さんが撮った、1998年の新宿西口ダンボール村。
いまとぜんぜん雰囲気が違う。美術家がダンボールに絵を書いたり、ゲリラ展示している。こんなに自由だったんだ。
youtu.be/8ZHRwelKkOE より
田原総一郎司会で、中上健次、鈴木邦男、立松和平らが1980年代に全共闘を語った『君は今、燃えているか!? カゲキ世代が激突討論』がニコニコにあった。
nicovideo.jp/watch/sm385817
あとはやっぱり「バッドセンス」じゃないだろうか? その人の育ててきた美的判断の中に埋め込まれた「なんなの?」と言いたくなるような異質なもの。たとえば「モダンタイポグラフィに熟練しているのに暴走族の特攻服が好き」とか。
上野千鶴子が慰安婦問題の現状について語りあう対談で「訂正する力」(東浩紀)に言及している。興味深いな。(発言は 1:16:25)
河野先生らが編集している「知の生態学の冒険 J・J・ギブソンの継承」,全9巻の目次が公開されていますね.現象学,身体性認知,サイボーグ論,当事者研究,ギブソンの流れを汲む研究者が取り組んでいることが,包括的に出揃っています.
たとえばステイトメントを書く若い美術家にとってまず必要なのは、ここまでなら公共的な意味として了解できる、ここからは独自が概念の使い方、もしくは造語になる、とボーダーを指し示してくれる存在で、オリジナリティとか自己流を賞賛してくれる人ではまったくない。
なんか、安倍夫妻と写真に写ったChim↑Pomは、権力者に舐められていて失望、みたいな話になっているが、それは単純すぎないか? 仮に、安倍夫妻を会場から追い出したら「さすが前衛!」みたいに沸き立つのだろうか? そんな単純でいいの?
さて、明日はムサビの入学式ですが、新入生の皆さんは、ワールドおさがりセンターに行ってみましょう。ここはアーティストの酒井くんが実践している原初的な互酬性の場で、ようするに生活用品が手に入ります。僕は一時期全身ここのおさがりでした。マナーを守って使いましょうね。
良い記事だった。感動した。
「成人式には不適切な衣装」をなぜ作り続けたのか…「北九州の恥」と呼ばれたド派手衣装を生んだ店主のプロ意識
approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=h
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欲望や資本を分析する道具はいぜんとして必要なわけで、いまほどラカンが必要な時代はないとも思うが、ポストモダニズムは鼻で笑われるようになってしまった。そして、誰が得をするかというと、やっぱり資本なんだ。
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平均的に美的なものは一瞬で生成できるようになったが、どれも画竜点睛を欠いている。竜に瞳を描き加えるには、良く物を識っていて、なおかつ特異であることを恐れない目と手が必要。
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なので、いま贈与がブーム♡なのは、互酬制のトライブが復活したり、ただの資本主義が純粋贈与にの化けの皮をかぶったりする現象が、盛んになっているということですね。理論的に考えて。
レストランで仲良くなった店員の男の子が、日大で分析哲学を勉強している大学生だった。「いまは書の研究をしています」と僕が言うと、彼はキラキラした笑顔で「僕も芸術には興味あります!書道って紙面が無限だったらどうやって書くんですか?」とブチ込んできた。
軽出版が話題になっているが、オープンソースの組版ソフトがいまに至るまで出現しなかったのは大きな痛手だと思っている。いまのAdobeのサブスクは初期投資といえるような額ではないので。
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ツイッターの人々は、メタ認知や、認知のゆがみの話が大好きだが、それは原因や責任を特定したような気分にさせてくれるだけだ。人の行為や習慣を形成したり、軌道修正するには、もっと別の技芸が必要だ。だから、徹底行動主義の方がずっとマシだと最近は考えるようになった。
ジョセフ・アルバースの授業
色と素材の実験室
アルバースの作品を、彼の授業をとらえた写真・映像や、学生による作品とともに紹介。制作者/教師という両側面からアルバースに迫る、日本初の回顧展です。
なぜ「批評家になるな」とか「作品で語れ」などという、分断工作にひっかかってしまうのか。デザイナーや表現者が言葉を持っていなくて得するのは、けっきょくお役所であり、政治家なんだ。