彼の周辺にいた人物の代表に青山二郎がいる。彼は親の遺産で暮らしている高等遊民のような人だが、審美眼の持ち主で骨董の目利きとして名をはせた。一種の奇人ともいえよう。
昭和の一桁の頃、青山と小林がタッグを組み、二人の元に大勢の人間が集まった。河上徹太郎、中原中也、大岡昇平、永井龍男、今日出海、三好達治、中村光夫など多勢おり、酒盛りを通して文学を論じた。いつとはなく「青山学院」と呼ばれた。
(左下の写真に映っている2人の人物の右が青山二郎で左が川上徹太郎)
戦前からの知り合いの宇野千代が本を書いている。それだけ彼女は青山に人間的魅力を感じたのだろう。なお、二人の間に恋愛関係はない。そういう次元を超え、友情を抱いたのだ。
白洲正子はもっと青山にひかれた。戦後彼女は骨董を学ぶため青山に弟子入りしている。奥さんとも親しくなった。この本を読むと彼女が青山を敬愛していたことが分かる。青山の魅力が浮き彫りされている。
余談になるが、白洲正子(白洲次郎夫人)の息子と小林の一人娘が結婚したので、両家は親戚になった。
小林秀雄の仲間を語る場合、青山二郎は絶対に外せないので触れたのだが、彼は本当に魅力のある男である。私が実際に会ったなら、私も弟子入りしただろう。
小林を中心にやがて「文学界」という同人誌を発行したが、それを引き受けた古本屋「文圃堂(ぶんぽどう)」の店主野々上慶一が小林とその仲間たちの交遊を『さまざまな追想 文士というさむらいたち』で描いている。
当時の文士たちの様子が伝わって来て、実に面白い。
私は仕事柄、鎌倉に行く機会に恵まれた。鶴岡八幡宮に行くと、その裏に住んでいたという小林秀雄のことがいつも頭に浮かんだ。だから1983年に小林が亡くなった時はショックだった。その年、鎌倉を訪れた際には家のある方に向かって思わず手を合わせた。
『新潮』と『文学界』がすぐに追悼特集を組んだ。ゆかりある人が追悼文を載せている。これは古本でもなかなか手に入らない。私のようなファンにとっては貴重な本である。40年近く経ったのでかなり傷んで来た。
『新潮』にはこれまで未発表だった講演記録『信ずることと知ること』が掲載されている。柳田国男とベルグソンの神秘体験を取り上げ、信ずること知ることについて彼独自の考えを披露している。ここでも科学で人間を極めようとする学問に警鐘を鳴らしているが、論理的な結論を導くという構造ではない。
実妹の高見澤潤子の回想録も面白い。表紙の装丁に小林が好きなルオーの絵が使われている。小林の知られざる一面が垣間見られる。
文学アルバムも購入した。ご家族やかつての恋人の長谷川泰子の写真が載っている。私も彼の熱心なファンの一人になってしまった。
小林の肉声が聞こえる講演のカセットも買った。その声をどう表現したらいいのだろう。やや甲高いような老人の声である。いずれの内容にも含蓄がある。
今回記事にするにあたり改めて小林秀雄のことを考えてみた。小林秀雄とは何者なのだろう。
彼は文芸批評家として位置づけられているが、一般的な批評家に収まらない。その域を脱し、思想家に近い存在だ。しかし、思想家に必要な独創性はない。哲学者ではもちろんない。哲学者に不可欠な論理的体系を打ち出していない。また文芸から出発したが、その対象がやがて音楽や絵画にまで広がり、最終的には学問に達した。ただ彼は実証を重んじる学者ではない。そもそも社会科学や人文科学という言葉が好きでない。鴎外や漱石のような文学者でもない。肩書でくくれない人物である。ただ、作家の立場を崩さなかったのだから、文士であることは間違いないだろう。
そうであるからこそ、文章表現に力を注いだ。その結果、深い思索が詩人的感性の文体で彫りこまれ、類いまれな名文になっている。これが彼の最大の魅力である。
彼は作品を鑑賞する場合、作品そのものが持つ魅力を、偏見を捨て去って、無私の立場で見ようとする。とりわけ政治的イデオロギーという色眼鏡で見ない。鑑賞者にもそれを要求している。作家を論じる場合でも、科学で作家の内面を測量する手法に反対する。心理学で文学を論じることを嫌悪している。作品が内面の表現である以上、自分の歴史(生活体験と思索経験)に依拠した想像力でとらえるよう述べている。この姿勢は大切だと思う。私は小林からこの点を最も学んだ。
彼が嫌う考え方は、合理主義、科学万能という考え方、唯物論、進歩主義、科学的見方、政治的人間、インテリである。要するに人間を科学的に分析する方法を否定している。
逆に好んで使う言葉は、内面、心、生命力、宗教性、歴史、伝統、常識、直観、直覚、心眼、美、真如などである。
人間は年をとるにつれて、自分のアイデンティティーを考えるようになる。彼の思想的遍歴から察すると、彼が本居宣長を論じるようになったのは当然の帰結かもしれない。彼なりに「日本及び日本人」に立ち向かい、「信じる」という内面の動きや「宗教性」について考察しようとしたのだろう。偏狭なナショナリズムに陥らなかったことは特筆に値する。
ただ、この掘り下げが、彼の「ベルグソン論」同様、中途半端な形で終わってしまったことは返す返す残念である。
――― 終り ―――