世界が廻る音
第一部
02
その日は隣近所揃って噂話三昧で、暢気な村を俄かに騒がしくさせた。
事の発端は、花農家のチューリン氏による。花の出荷の為に森を抜けて、大きな街まで遠出していたチューリン氏は、そこである物騒な話を耳にし、その内容に腰を抜かすほど慌てふためいて、商売もそこそこに急ぎ村に帰ってきたらしい。
『ゴーンヘルムが攻めて来るって聞いたんだよ』
チューリン氏は真っ青な顔をして、開口一番そう言った。ゴーンヘルムとは軍事国家で名高い大国だ。城には賢帝と謳われる王が君臨し、堅固な城塞都市には最強の軍勢が守りを固めている。更に軍事に長けた将というのがいるらしく、まるで都市伝説のように敵陣営から慄かれているそうだ。
戦争では負けなし。宣戦布告は当たり前。泣く子も黙るゴーンヘルム王国。武力でもって他を圧倒するかの国は、近隣諸国から常に恐れられる存在だった。
確かに、怖い国なんだろう。
不安を口々にしながら身震いしている老人達を道端に見かけて、サツキは嘆息してしまった。あのね、と脱力してしまう。
ここより遥かに豊かで大きな国が、この小さくて慎ましい村を侵略したがると思う? はるばる山脈を越えて、こんな辺境までわざわざ攻め入ってくると思う?
答えはもちろん、否だ。
明日にでも武器を持った兵隊が来る、みたいな形相をしているお隣さんと斜向かいさんに、内心に突っ込んでサツキは静かな場所を求めて、村外れに足を向けた。
どうせ街の奴らに担がれたんだろう。歩きながらサツキは眉根を寄せる。何度か行った事のある古都コーリンの大人たちの態度を思い出す。彼らには、このチロール村民のことを田舎モノと嘲っている観があった。人の好い村人たちは気付かない。それをまた面白がっているようなところが、あの連中にはあったのだ。
都会がそんなに偉いのか、とサツキは言ってやりたかった。けれど商売上の付き合いもあるだろうからと、村のみんなのことを慮ってぐっと我慢した。
人口154人の狭くて小さな社会で細々と暮らす村人たち。不便だし何も誇れるものもないけれど、それでもサツキはここがこの世界で一番だと思っている。拾われたのがコーリンじゃなくてチロールで絶対に良かったと言い切れる。あんなふうに外の奴らに威張られる筋合いは無い。
いや、まあ、おれだって外者に違いは無いけれど……と付け足してサツキは何となく気落ちする。それを払うように、敵愾心を湧かせた。
「いいさ。あんな感じ悪い奴ら、好きに言っとけばいいんだ」
あぶ~ぅ。
同調するように啼いた黄色い綿毛を見やると、肩の上でぶっと頬を膨らませてご機嫌斜めになっている。まるでサツキの感情につられてしまっているかのようだ。
「ん? お前もコーリンの奴らキライ?」
ぶ~ぅぶ~ぅ。
嫌いらしい、と勝手に決め付けてサツキはケラケラと笑った。直ぐに、ワタもケタケタ笑い出した。
さらさらと清流の流れる音が耳に心地よい川辺で、サツキは適当な岩を見つけると腰を下ろした。
旅の老人、ブルータにもらった本を開いて、日課と化した読書に耽る。日本にいたときは漫画以外の読書なんて滅多になかったのに、と意識の端で小さく笑いながら、視線は文字列を追っている。先月送られてきたこの本も残すところ半分というところだった。
最近になって、ブルータ老は読後は論文の提出を、と義務付けしてきた。しっかりと内容を把握しておかないとまた怒られてしまう。また、というのは前回、初めて論文を送った時こんな評価が返ってきたのだ。なんだ、この幼児並の読書感想文は……。
サツキを来たばかりの異世界人だとは知るよしもない老人には、そう思えても無理ない。いや、そもそも高校時代に秀才でもなく、論文の書き方さえ習っていなかったサツキに、上手い文章など書けるわけもなかったのだ。
魔法でズルできる、なんて魔法をよく知る前の頃は安易に考えていた。だが、術師の力を大きく超える要求を、魔法が叶えてくれることは無いと今は知っていた。
例を挙げて言うと、サツキが今操っているこの異界語は、以前サツキが使用していた日本語レベルだし、読み書きも然りだ。素養が大事だと手紙の中でブルータも言っていた。戦術に長けている者ほど火力の強い高出力魔法が使えるし、医学の知識なしに治癒魔法は使えない。
他にも想像力や体力、元から術師個人の体内にあるポテンシャル、時には感情などによって魔法はその威力も効力も変えるという。
言ってみれば魔法とは、人力と奇跡のコラボレーションだ。ただのアスリートより、魔法が使えるアスリートの方が速く走れるし泳げる、と言った具合に、プラスアルファの力ないし増幅装置に他ならない。要するに神の御技の如く万能な奇跡では無いというコトだ。
だから、秀才でなかったサツキの頭が急に冴える訳もない。何度もダメだしを食らって、どうにかゴーサインの貰える論文を書けるようになったのも、つい先々月のことだった。
会話能力にしても、素養のあった魔法を憶えて言葉を操る方が、乏しかった語学力を使うよりも遥かに楽で早い、というだけだ。
だから、〝もしかして〟と期待していたことが、不可能である可能性の方が高いであろうことにも勘付いていた。それでも、と諦めきれないのは愚かだろうか。大人気ないだろうか。だって、こうして人知を超えた奇跡が手の中にあるのだ。無理だなんて易々と決め付けたり出来ない。
夢を見続けることを止めるなんて、出来ない。
はあ、と深く息を落としてサツキはふと、さっきまで足元でコロコロ転がっていたワタが視界の中から消えているコトに気付く。あれ? と周囲を見回してみたが見える範囲内のどこにもいない。
まさか風に飛ばされたとか?
タンポポの綿帽子のように軽いワタには有り得る話だ。実際あの子はふわふわと浮くことが出来たし、屋根まで飛んでそのまま上空で漂っている、なんてこともあった。
しかし強制的に飛ばされたのは見た事がなかったので、油断した。強風に煽られて迷子になってしまったかもしれないワタを想って、サツキは慌てて立ち上がると付近を捜索し始めた。
足の長い草木や深い茂みを探し回りながら「ワター」と呼びかける。自分の声が木霊するばかりで、あの赤ん坊バリの甲高い声は返ってこない。天空を見上げてみたが、黄色い小さな雲は見当たらない。木の枝や根本も丹念に検めたが、ほわほわボディーはなかった。
うろうろと川岸を彷徨いながらサツキはいよいよ焦り出す。どうしよう、と弱り果てていると、瞳に上流の方で座っている人影が映し出された。
こういうとき誰にも見えないワタは不便だよなあ、と考えながらもサツキは人影の方に足を向ける。目撃証言は得られなくても、言付けを頼めると思った。もしかしたら暗くなるまでワタが見つからないかもしれない。だからミルル夫妻に遅くなる旨を伝えてもらおう、と考えたのだ。
ところが近づくにつれて、それは無理だというコトを知る。その人は村の住人ではなかった。
若い男らしい。広い肩幅の大きな体躯に涼しげな面相を乗っけている。長いマントを羽織り、黒革の丈夫なブーツを履いたその様に、難なく旅人だと予想がついた。ただマントの布にしろブーツの革にしろ、随分と上質な素材で、旅装束とは言えかなり身なりが良い。その上、街の上流階級者くらいしか身に付けられない様な服の色やデザインを見てとって、彼がとても裕福なヒトだということが分かった。
何をするでもなくただ岩の上に腰を下ろして、膝の上に頬杖を付いている男。関わらない方がいいのかな、と引き返しかけたとき、当の男の口が開いた。
「可愛らしいお嬢さん、何か探しものかい?」
聴覚を震わせた美声に、一瞬だけ聞き惚れてしまってからサツキは「悪いけどお嬢さんじゃないよ」と突っ返す。あれ? という顔をして男はゆっくりとサツキを振り返った。
「そうか。どおりでパフュームの臭いがないワケだ」
「パフューム?」
「女の使う香水だ」
さらりと返された男の言葉には、都会人独特のものを知らない田舎モノへの嘲りが微塵も無い。堂々とした出で立ちだが威張っている、という感じもない。
どうやら悪い人間ではないらしい、と胸の内で安堵していると、
「しかし、お前ほど美しい少年というのも、そうそうお目にはかかれないな」
……前言撤回。
「少年でもない」
ムッとして強く言い返すと、男は切れ長の瞳を瞬かせて「まさか……成人してるのか? そのなりのその顔で? 冗談だろ?」と立て続けに問う。
「失礼します」
不名誉に腹が立って、サツキは冴え冴えとした無表情と共に踵を返した。今は不愉快な男よりもワタだ。早く連れて帰らないと日が暮れてしまう。
しかし歩みは強制的に制止させられる。サツキの細い二の腕を、男の大きな片手ががっちりと捕らえていた。
「痛いっ」
「まあ待てよ。成人してるなら本当に都合がいい……」
サツキの抵抗を易々と封じながら好き勝手に言うと、男は木陰の方に歩みを進める。何する、放せっ。腕を捻りながら拘束を逃れようとするサツキに、肩越しに振り返った男はちらりと笑んでのたまった。
「オレは幼児趣味じゃないしさ、いくら好みのタイプでも子供に手出しはマズイと思ったんだ。だが、何の障害もないと分かって安心したぜ」
「何の話だよ」
なにって、と笑いを含ませた声で言うと、男はにやりと口の端を引き上げた。
「性行為の話だろ」
なに……と絶句したサツキに悟ったのか、男は嬉しそうに笑ってのたまう。
「なんだ、経験なしか。ますますいいね。大丈夫だ、全部オレに任せておけ。めちゃくちゃ気持ち良くして、女みたいにあんあん啼かせてやる」
立て続けに言い重ねられても、サツキの思考はほとんど追いついていなかった。だが理解不能なりに危機感だけは正常に働いていた。この男は異常だ、変人だ、痴漢だ。だから自分はこの危機を排除し、脱しなくてはいけない。脳からの警告にしたがって、体は速やかに危機管理を実行することにした。
捕らわれていない逆の掌に意識を込める。パチパチ、と小さなプラズマが帯びていく。何かを察したらしい男が振り返った。しかし完全に向かれる前に男の手の甲目掛けて、作り出した電流をお見舞いしてやった。
バチン、と大きな音と共に、男の手が弾かれた。同時にサツキの腕が解放される。第二波を食らわせてやりたかったが、その前に身の危険を察知して男は反射的に飛び退った。見た目は何ともないが、しびれて感覚が無いのだろう。男は不思議そうに自分の手を見詰めた後、見開かれた目でサツキを注視した。
「お前、魔法を……」
「だったら何?」
睨み付けたサツキに、すっと瞼を眇めると男は「変わった術だ」と零す。
「落雷の魔法に似ているが、規模が小さすぎる。……なんだ?」
電気って言ったって、通じないだろ。
内心で返してサツキは「さあね」とはぐらかす。この世界の人間にはおよそ想像も付かないハズだ。今の魔法はスタンガンをヒントに考案した、サツキのオリジナルだ。魔法には想像力が必須。だから電気機器を知らない異世界人には絶対に使えない術なのだ。
心中得意になっているサツキに対して、特別怯むでもなく男は、そうか、と低く言い漏らす。
「こんな辺鄙な村に魔法師がいたとは驚きだ。だが……」
言葉を切ると男は首に巻いていた絹のスカーフをするりと外す。なに、と首を捻っている間に、それは意思を持った生き物のようにぐにゃりと動き始めた。
「え?」
こいつも魔法を使うのか、なんて、暢気な感想に浸っている場合じゃなかった。