傍に立つ君は完璧で究極のアイドル   作:カミキヒカラナイ

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40.認知して♡

 何度夢見たことだろう。

 

 もう一度あなたの声を聞かせてほしい。

 もう一度あなたに名前を呼んでほしい。

 

 

「アクア、ルビー」

 

 

 何度願ったことだろう。

 

 もう一度あなたに会いたい。

 もう一度あなたの笑顔を見せてほしい。

 

 

「たくさん待たせてごめんね」

 

 

 アクアは憶えている。手の平から零れ落ちる命の熱を。

 ルビーは憶えている。扉の向こうで薄れゆく命の光を。

 

 忌まわしき過去。恐怖そのものの記憶。

 もしたった一つだけ願いが叶うのならば、二人は迷わずそれを願うことだろう。

 

 たとえ何を犠牲にしたとしても。

 

 

 

 もう一度、(アイ)に会いたい。

 

 

 

「──ただいまっ!」

 

 

 だから、それは正しく奇跡だった。

 

 

 夜空を溶かしたような黒髪が流れる。

 桜色に上気した頬と歓喜に綻ぶ唇に死の気配はなく、その表情に満ちるのは溢れんばかりの喜びと生命の色。

 

「あ、ああ……!」

 

 そして、ああ。

 宵色の瞳の中心に輝く、星のきらめき。

 愛する母の眼差し。

 

 アクアとルビーは言葉もなく駆け出した。顔を真っ赤にして目を回すシオンの姿になど目もくれない。次の瞬間には夢か幻のように消えてしまうのではないかという恐怖に突き動かされるようにして、二人は広げられた母の腕の中に飛び込んだ。

 

「ああ、やっと抱きしめられた。ずっとこうしたかったけど、思ったより時間かかっちゃったね」

 

 二人を抱きしめるその腕は幻などではなかった。鼻腔を擽る懐かしい香り、触れ合う肌に感じる体温、その全てが現実のものだった。

 二度と訪れるはずもなかった母との再会。その奇跡をようやく現実に認識した二人の目から涙が溢れる。堪えようもない。何度この奇跡を夢に見たことか。

 

「アイ……ああ、アイ……!」

「ママぁ! ママああああ!」

「うん……ママはここにいるよ。ごめんね、ずっと辛い思いをさせて。大丈夫、もうどこにも行かないよ」

 

 アイの瞳からも一筋の涙が零れる。十二年ぶりに流す本物の涙は熱く彼女の頬を濡らした。

 

 今この瞬間にようやくアイを認識したアクアやルビーと異なり、アイにとってはこれが初めての再会というわけではない。一方的な認識でこそあれ、アイは入学式の日からずっと近くで二人を見守ってきたのだから。

 

 だが、やはり違った。互いが互いの存在を認めた上での再会は特別なものだった。

 

 向けられる涙に濡れる瞳が愛おしい。触れ合う肌と肌の間に交わされる体温が愛おしい。二人の全てがどうしようもなく愛おしい。

 アイは胸に込み上げる感情を抑えられなかった。突然現れて二人をビックリさせようなんて考えていた程であるからして、アイはこの再会を湿っぽいものにするつもりは全くなかった。少なくとも自分だけは、二人の記憶の中にあるままの母親として、底抜けに明るくお馬鹿な「アイ」として変わらぬ己を見せようと考えていたのだ。

 

 しかし駄目だった。アイの目からは止めどなく涙が零れ落ちる。泣かないと決めていたのに、もはや自分の感情を自分で制御できなかった。胸に溢れる愛が止まらない。

 

 アクアとルビーの瞳の中に自分がいる。この腕の中に二人がいる。ようやく子供達を抱きしめてあげられた。それが何よりも嬉しい。

 

「アクア……ルビー……っ、う……うわああああああん!!」

 

 もう二度と離さないとばかりに二人を強く抱きしめ、感情の爆発による霊炎の後方噴射(バックブラスト)で後ろにいたツクヨミをぶっ飛ばしながら、アイは声を上げて泣いた。

 アクアとルビーも声の限りに泣いた。積もり積もった感情を爆発させるように、まるで子供のように二人は泣いた。

 

 月が静かに見下ろす夜の森に奇跡の再会を果たした親子の声が響き渡る。それはしばらくの間続くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「星野アイ、華麗にふっかーつ☆」

「わああああ! 十年ぶりのママのファンサ! 眼福すぎて死んじゃいそう!」

 

 きゃるん☆ という擬音が聞こえてきそうな仕草で横ピースを決めるアイ。しばらくしていつもの調子を取り戻したアイの、アイドル全盛期(おうねん)そのままのキレから繰り出されるアイドル仕草にルビーは大興奮だった。

 しかし無理もない。これは本来もう二度と見ることの叶わなかった光景。死んだ人間と生前と何も変わらない姿で再会するというあり得ざる奇跡の上に成り立つ光景なのだ。ルビーほど分かりやすく大騒ぎしてはいないが、アクアも興奮に頬を紅潮させ感じ入ったように目尻に涙を浮かべている。

 

 たとえこれが一夜限りの再会だったとしても望みすぎというレベルの奇跡である。しかしアイとツクヨミの会話を聞く限りでは──アクアの耳に聞こえたのはツクヨミの声だけだが──アイは相当強固にこの世に根付いているらしい。

 そして、それが全てシオンの力によるものであることもアクアは理解していた。最初にツクヨミから聞かされた話と、その後のアイとツクヨミの会話から聞き取れた内容からそれは間違いのない事実だろう。

 

 そうであるならば、シオンはアクアとルビーにとっての大恩人ということになる。彼がいたからこそアイは消滅することなくこの世に留まることができ、この夜の再会へと繋がったのだ。

 それだけでこの十年間の苦しみが全て雪がれたような思いだった。喪失の悲しみも、最初から破綻していた復讐の虚しさも、この奇跡の夜に全て報われた。アイとの再会以上に望むことなど何もないのだから。

 

 無論、思うところがないわけではない。アイとシオンが出会ったのが今から十二年前ということは、入学式の日の教室でシオンがアクアに声をかけてきたのは偶然ではなく、初めからアイを通してアクアのことを知った上での接触だったということだ。

 どうしてもっと早くアイのことを話してくれなかったのか……そう思わなかったと言えば嘘になるが、しかし仮に「死んだあなたの母親の霊がここにいますよ」と言われたところで容易に信じられたかと問われれば、当時かなり精神的に荒んでいた自覚のあるアクアにはその自信がなかった。

 

 アクア自身でさえそう思うのだからシオンにとってはなおのことだろう。実のところ生前の記憶を保持した上での転生という摩訶不思議を経験したアクアにはそういうオカルトを信じる下地はあるのだが、そんなこと第三者には知る由もない。こうして実体化するまで黙っておこうと判断するのもやむを得ないことと理解できた。

 

 故にアクアは何ら含むところはなく、素直な感謝の気持ちを告げるべくシオンに向き直った。

 

「本当にありがとう、シオン。お前のお陰でこうしてまたアイと会うことができた」

「ありがとうございます、シオンさん! この恩は一生忘れません!」

 

 元々(アイ)の面影を感じていたこともあってひどく懐いていたルビーだが、今や彼女がシオンに向ける目は尊敬を通り越して崇拝の域に達していた。それこそアイ本人に向けるものと遜色ない熱の篭った視線はどこまでも純粋にキラキラと輝いている。

 

 だが、二人から感謝を告げられたシオンはと言えば、心ここに在らずといった様子で呆然としていた。

 真っ赤だった顔色は時間が経ったことで多少落ち着いたようだが、それでもまだ熱を持ったように桜色に淡く色づいている。震える指先でそっと己の唇に触れる様は、恐らく無意識の仕草なのだろうが、その隔絶した美貌も相まって何とも言えぬ色香のようなものを感じさせる。思わずゴクリと唾を飲み込んだアクアとルビーは、そんなシオンの様子を見てアイ復活の衝撃で思考の外に追いやっていた直前の光景を思い出した。

 

 即ち、アイが物凄い音を立ててシオンの唇を貪っていたあの光景である。

 

 あまりにもあんまりな光景にアクアもルビーも脳が作り替えられるような衝撃を味わったわけだが、しかしキスの理由はツクヨミとの会話からハッキリしている。要するに実体化のためのエネルギーを効率良くシオンから引き出すための行動だったのだから、行為としては人工呼吸に近い。その光景が感情面に及ぼす衝撃に目を瞑れば十分に理解の及ぶ範囲だった。

 

 だが、その後。人工呼吸(ディープキス)の後にもう一度行われた、唇と唇を触れ合わせるだけの、だが妙に情感たっぷりのあのキスはどういうことだろうか。しかも見間違いでなければ、それはアイの方から行われていたように見えた。

 享年二十歳とはいえ、シオンに取り憑いた十二年前からずっと意識が連続していることを考えれば今のアイは年齢的には三十二歳である。一方のシオンはアクアとルビーと同い年、つまり十五歳だ。アイが二児の母としてはあり得ないほど若いため親子ほどとは言わないが、それでも文字通り大人と子供ほどの年齢差はある。

 

 そんな年齢差のある二人の間に交わされた、まるで恋人同士がするようなキス。アクアとルビーの知り得ぬ十二年間に二人がどのような時間を送ってきたのかは想像するよりないが、色々と想像を膨らませてしまうのも仕方のない衝撃的な光景だった。

 

『お二人はどういう関係なんですか?』

「うぇっ!?」

 

 思わず顔を見合わせたアクアとルビーは、どちらからともなく異口同音にそう問い掛けていた。何故か敬語で。

 

 問い掛けられたシオンは素っ頓狂な声を上げてハッと我に返る。

 しかしどういう関係なのかと改めて問われたところで、シオンはすぐに答えを返すことができなかった。客観的な事実を述べるならば二人の関係は憑いた者と憑かれた者となるわけだが、アクアとルビーが聞きたいのはそういう回答ではないのだろう。

 

 母親、というのとは少し違う。確かに二人の関係は「君の母親代わりになる」というアイの発言から始まったわけだが、やはりあくまで代わりであって母親そのものではない。それに母親代わりをしていたのも最初の内だけで、シオンが転生者であることを知ってからはその関係も形骸化していった。多少肉体に精神が引っ張られている部分はあるとはいえ、前世分も合わせた場合の年齢はシオンの方が上なのだから当然の話ではある。

 

 ならば年の近い友人、というのが適切だろうか。十二年間片時も離れることなく共にあったのだ。両者の仲が悪いはずもなく、もはや互いのことは趣味嗜好から何まで知り尽くしていると言っても過言ではない。主観的にも客観的にも、二人の関係は「親友」と称するのが最も適切なのではないだろうか。

 

 うん、そうだ。そうに違いない。その確信を新たにしたシオンは口を開こうとし──その前に割り込んできたアイが発言を遮って代わりに答えた。

 

「アクア、ルビー。改めて紹介するね! シオンは死んじゃった私をこの世に繋ぎ止めてくれた恩人で──」

 

 

「あなた達のパパよ」

「なんて?」

 

 

 シオンは親友だと思っていた相手の正気を疑った。ほら見なよアクアもルビーも思考停止して固まっちゃってるよ。無理もない。

 しかしシオンの腕に己の腕を絡ませてそんなことを(のたま)った親友(仮)の顔は大真面目だった。表情は笑みの形をしているが目が笑っていない。そこはかとなくドロッとした光を滲ませる彼女の瞳には、驚くべきことに嘘の色がなかった。長い付き合いであるためかシオンはアイが嘘を言っていれば何となく分かるのだが、今の彼女にはそれがない。

 

「シオン、紹介するね。この子達はアクアとルビー、私の可愛い可愛い子供達。そして──」

 

 

「シオン、あなたの子よ」

「なんて?」

 

 

 今明かされる衝撃の真実!

 シオンはいつの間にかアイと結婚していて、既に二人も子供をこさえた二児の父だったのだ!

 

 その時、突如シオンの脳内に溢れ出した──

 ()()()()()記憶。

 

 無事に産まれてきてくれた双子をアイと共に抱きしめた、宮崎での思い出──

 子役デビューするアクアをハラハラしながら二人で見守った、ロケ地での思い出──

 お遊戯会で見事なダンスを披露するルビーに二人で声援を送った、幼稚園での思い出──

 

 次から次へと溢れ出る、掛け替えのない記憶。それはアイと共に過ごした十二年の輝かしき思い出、その追憶──

 

「いや二人と僕は同い年でしょ。そもそもアイと最初に出会ったのは君が死んだ後だし。騙されんぞ」

「チッ」

「今舌打ちした?」

 

 みょんみょんと怪電波を送ることで記憶の改竄を図ったアイだったが、残念ながらシオンの精神汚染耐性を貫通することはかなわなかった。とはいえ一瞬でも幻覚を見せられたのは健闘した方だろう。

 

「そ、そうだったのか……! シオンさんが、私達の本当の父親……!」

「もしもしルビーさん?」

 

 だが怪電波の流れ弾にでも当たったのか、完全に真に受けたような顔でルビーがそんなことを言い出した。少し考えれば年齢が合わないことなど分かりそうなものだが、これもアイの洗脳(ぢから)によるものだろうか。

 

「落ち着けルビー、シオンは俺達と同年代だぞ」

「やだなぁ、流石の私もそのぐらいは分かってるよ。でもよく考えてみてお兄ちゃん。どこの馬の骨とも知れない、ママが死んだのに葬式にすら来ないようなあんちくしょうよりシオンさんが父親の方が100億万倍良くない?」

「そんなこと──」

 

 言われてアクアも思いを馳せる。

 片やコンプレックス拗らせて才能ある女優を引っ掛けまくっていたロクデナシにして、最後には妻と心中自殺した人間のクズである上原(うえはら)清十郎(せいじゅうろう)。片やアイをこの世に繋ぎ止めてくれた恩人にして、ジャパンアイドルフェス(JIF)や舞台「東京ブレイド」で陰に日向に自分達兄妹を支えてくれた親友たる桐生(きりゅう)シオン。

 この二人を並べてどちらを父親とするか……アクアが逡巡していた時間は三秒もなかった。

 

「これからよろしく頼む、シオン……いや、父さん

「もしもしアクアさん!?」

 

 最後の良心たるアクアが陥落したことにより、アイ主導による星野家シオン包囲網が完成したのだった。おおブッダよ! 寝ておられるのですか!

 

釈〇(ブッダ)ならどこかの誰かさんが滅茶苦茶すぎて隠居したよ。確か立川で神の子(イ〇ス)とルームシェアしてたはず」

「ほんとうに寝てるやつがあるか」

 

 ツクヨミから告げられたまさかの事実に思わず虚無顔になるシオン。

 ちなみにツクヨミはアイの霊力爆発で吹っ飛ばされた衝撃で頭から茂みに突っ込んだままダウンしていたが、特に誰も助けようとはしなかった。ツクヨミはさめざめと泣いた。

 

「アナタ♡ 認知して♡」

「パパ♡ 認知して♡」

「流石に冗談だよね……? ルビーさんも悪ノリしてるだけだよね……? アクア君からも何か言ってやってよ」

「アイの何が不満なんだ。世界一のアイドルだぞ」

「あれぇ?」

 

 ジリジリと距離を詰めてくるアイとルビーを牽制しつつアクアに助けを求めるシオンだったが、結果はご覧の通りだった。期待した反応はなく、むしろアイの援護を始める様にシオンは焦りを募らせる。

 

「冷静になって考えてよ! クラスメイトが父親って色々おかしくない!? 嫌でしょそんなの!」

「まあ普通に考えておかしいよな。常識的にも倫理的にも」

「でしょー!?」

「でもアイが望んでることだし」

「うーんこのファンの鑑」

 

 シオンは知らなかったことだが、アクアのアイへの入れ込み具合はルビーのそれを上回る。

 

 不知火(しらぬい)フリルに熱を上げていたことから分かるように、ルビーはアイの他にも──アイが不動の一位であることに変わりはないが──推しを作り推し活を楽しんでいたが、アクアにはそれがない。アクアにとって推しとはアイただ一人のみを指し、それ以外が己の中に存在することを許さない。

 

 天童寺(てんどうじ)さりなとの思い出、そして彼自身の中で雨宮吾郎(ぜんせ)から星野アクア(いま)に至るまでの約二十年近い歳月の中に醸成されたファン心理。加えて、前世の自分と今の自分をそれぞれ別個の人格と認識しているのも大きいだろう。雨宮吾郎がファンとして推しに向ける愛、そして星野アクアが子として母に向ける愛……それらが複雑に混じり合った結果、もはや彼がアイに向ける想い(あい)は複雑骨折レベルで偏執しており、故に一般的なファンのそれとは一線を画す。

 

 だがそれでも、その愛がどれだけ偏執的であろうと、アクアがアイに向ける想いはどこまでも相手本位なものだった。自分の楽のために推しているのではなく、一途であることに酔っているわけでもない。医者でもあった彼の価値観の根幹には徹頭徹尾「誰かのため」という考えが根付いており、相手の立場に立つこと、相手の考えに寄り添うことを常とするその在り方は彼の推しへの姿勢にも表れている。

 

 即ち──

 

推し(アイ)が幸せならOKです」

「うーんこのファンの鑑……」

 

 実の母親にして推しのアイドルが同級生と(ねんご)ろであるとかいう「それなんてエロゲ?」みたいな展開に脳を破壊されつつも、それでも相手の意思を尊重できるアクアは実に出来た人間だった。悟りを開いた高僧のような微笑(アルカイック・スマイル)を浮かべるアクアにシオンは白目を剥いた。

 

「ほらほらほらほら! アクアもこう言ってるし! 家族公認なんだからこれはもうパパでしょ!」

「知ってる? 法律上の親族の範囲は民法でちゃんと定められてて、血縁と婚姻を基礎とした共同生活を営む集団でないと家族とは認められないんだよ。僕とアイは婚姻関係にはないんだから残念だけど二人の父親にはなれないんだ」

「血の繋がりがなくても愛さえあれば関係ないよねっ☆」

「愛の法解釈やめろ」

 

 アクアとルビーを篭絡し外堀を埋め、二人の父親扱いすることでなし崩し的にシオンを手篭めにしようという魂胆であるが、シオンは頑なだった。アイとそういう関係になるのが嫌というわけではないが、嫌でなければ良いというわけでもない。何しろシオン自身アイに対して抱く自分の想いというものを計りかねているのだ。喜び云々以前に困惑が勝る。

 

 しかし、すかさずアイのフォローに入ったルビーが困惑するシオンの前に立ちはだかった。

 彼女はアイから受け継ぎシオンの生命力譲渡によって磨き上げられた美貌を存分に活用する。瞳を潤ませ「きゅるん☆」という擬音が聞こえてきそうな上目遣いでシオンを見上げた。

 

「シオンさんは、私のパパになるのは嫌ですか……?」

「うっ……」

 

 その様子を見ていたアクアの脳裏に“パパ活”という単語が過ぎったが、それはそれとしてアイ似の美貌から繰り出される懇願ポーズは破壊力抜群だった。うるうると瞳を潤ませ悲しげな表情を作るルビーに上目遣いで見上げられたシオンは、否応なく罪悪感を刺激され苦しげに呻いた。

 

 ルビーは本気だった。何せこのままシオンが父親だったことにしてしまえれば、ルビーが信じて止まないあの仮説──アイ処女受胎説が確固たるものになるからである。

 

 往々にしてアイドルのファンは推しの処女性を重視するものだが、ルビーもその例に漏れずアイの純潔を信じていた。他ならぬ自身の存在こそがそれを否定しているわけだが、推しのアイドルがどこの馬の骨とも知れぬ男とにゃんにゃんしたことを認めたくない彼女は某聖典の故事に倣い、アイは誰と交わることもなく自分達兄妹を身篭ったのだと信じたのである。

 

 それは脳破壊を避けるための自己防衛本能が導き出した現実逃避の空論だった。無論、そのようなことがあり得ないことぐらい頭では承知していたが、理解できることと納得できることはまた別である。ルビーは己の心を守るために頑なにアイ処女受胎説を信じようとしていた。

 

 故に、突如として飛び込んできたシオン父親説──アイの洗脳波が見せた幻覚だが──はルビーにとって歓迎すべきものだった。

 

 シオンが実の父親でないことは自明の理である。何せ年代が合わない。同い年なのだから血の繋がりなどあろうはずもなく、ぶっちゃけアイの妄言であることは誰の目にも明らかだった。

 

 だがそれはこの上なくルビーにとって都合の良い妄言だった。何せルビーにとってはシオンもまた推しの一人である。敬愛する母に良く似た輝く瞳を持つ美貌の男の子。顔が良くて優しくて歌が上手くてダンスが上手で顔が良いというアイの写し身のようなシオンのことを、ルビーはフリルと同等かそれ以上の熱を入れて推していたのである。

 それに加えて判明した、アイの命(?)の恩人であるという事実。もはやルビーのシオンに対する好感度は天元突破している。そんな彼が家族になるかもしれないのだ、こんなに嬉しいことはない。しかもルビー達兄妹と血の繋がりがないことが明白なシオンが父親になったとしてもアイ処女受胎説は揺らぐことはない。まさに父親として理想的な存在と言えよう。

 

 推し(アイ)推し(シオン)推し(アクア/センセー)に囲まれた生活……ルビーの未来は薔薇色だった。

 

「アナタ♡」

「パパ♡」

「何なのだ、これは……! どうすればいいのだ……!?」

「(普通に断れば良いのに)」

 

 ASMRよろしく左右からの甘々囁き声で認知を迫るアイとルビー。それを何とも言えぬ表情で眺めるアクア。茂みに頭を突っ込みながらシクシクと啜り泣くツクヨミ。状況は混沌を極めていた。

 二人の間に挟まれたシオンは混乱するよりない。そもそもシオンにとっては今この場でアイが実体化したことすら想定の範囲外なのだ。そこにこれを好機と見たアイと便乗したルビーの追い込み攻勢が加わり、もはや正しい状況判断ができなくなっていた。

 

「……っ、じ、じゃあ後は家族水入らずでごゆっくり! 僕は明日も仕事だから先に東京に戻ってるね!」

「あ、逃げた」

「逃げたね」

「逃げたな」

「うるさいやい!」

 

 ぐるぐると目を回したシオンが選択したのは問題の先送りだった。

 明日は明日の風が吹く。明日のことは明日の自分が何とかしてくれることだろう。今日の負債を未来の己にぶん投げたシオンは、流れるような力場操作で重力場を反転。時速200kmの重力加速度で空に向かって自由落下した。

 

 これは撤退ではない、明日への飛翔である。そう言わんばかりの凄まじい超加速でシオンは天へと舞い上がり、瞬く間に星になった。

 

「ヴェアアアアア゙ア゙ア゙ア゙ア゙────ッッッ!?!?!?」

「えぇ!? ママぁ!?」

「あ、アイーーーーッ!?」

 

 それに引っ張られるようにして、アイはまるで首を絞められた鶏のような悲鳴を上げながら同じく空の彼方へと吹っ飛んでいった。ドップラー効果を伴って瞬く間に星になったアイを、アクアとルビーは呆然と見送るよりなかった。

 

 

 口から吐瀉物(エクトプラズム)を垂れ流しながら白目を剥くアイに肩を貸したシオンが気まずい顔で戻ってきたのは、それから数分後のことだった。

 

 


 

桐生(きりゅう)紫音(シオン)

 前話でファーストキスを奪われた……否、貪られた完璧で究極のゲッター。パワーは銀河級でも恋愛力はクソザコナメクジだったため、何が何だか分からず混乱している隙を好機と見たアイに付け込まれ後一歩のところまで追い込まれた……が、結局は力尽くでフライアウェイすることでその場は有耶無耶になる。実体化したから普通に離れられるかと思えば特にそんなことはなかった近距離パワー型のスタンドを更なる暴と力で粉砕したのだった。自由落下って、自由ですか?

 

 

星野(ほしの)アイ】

 実体化したから普通に離れられるかと思ったが特にそんなことはなかった完璧で究極のアイドル。衝動に任せて無理矢理唇を奪ったのでちょっと怒られるかなー、とか思ってたら案外満更でもなさそうな表情で赤面していたため、これを好機と捉えたアイはアクアとルビーとの協力プレイで追い込みを図った。しかし恋愛に初心(ウブ)な少年相手に色々と段階をすっ飛ばしていきなり籍入れと連れ子の認知を迫るとは、流石の恋愛音痴という他ない。ニノも無言で首を振るレベルである。

 だが完璧に思えた星野家シオン包囲網には穴があった。全てを灰燼に帰す圧倒的な暴力の前には無力であるという単純にして明白な陥穽である。もはや星の引力ですらその身を縛ることのできない魔人を前に包囲網は呆気なく崩壊。アイは無事ノルマ達成しながら夜空の星になるのだった。

 

 

星野(ほしの)アクア】

 推しのアイドルと同級生(クラスメイト)との(割と一方的な)熱愛発覚に脳破壊されつつも、推しの意思を尊重し祝福することのできるよく出来た兄。推しが幸せならOKです。

 それはそれとして普通の倫理観を失ったわけではないので、十七歳も年上の死者の霊と籍入れさせられそうになっている親友を不憫に思う気持ちはあった。まあ思うだけで積極的に味方になるわけではないが。アクアの中の優先度は「アイ=さりなちゃん(ルビー)>シオン」なので、残念ながらシオンの意思は二の次なのだ。

 

 アクアはアイの望みを無視することはできない。気の毒だが……しかしシオン、無駄死にではないぞ。お前がいてくれたお陰で、アイは蘇ったのだ!

 

 

星野(ほしの)ルビー】

 死んだセンセーは血を分けた兄として転生していて、死んだはずの母は幽霊として復活し、密かに憧れていた兄の親友は血の繋がらない父だった(幻覚)! これからは皆ずっと一緒だ! こんな幸せなことがあって良いんですか!? ああ……しっかり幸せになれ。おかわりもいいぞ!

 実際ルビーもといさりなちゃんの境遇と末路は作中のどの登場人物と比べても群を抜いて救いがないので、彼女こそが誰よりも何よりも幸福になるべきなのは確定的に明らかである。だから当小説においてルビーが曇ることは決してない! と思っていただこうッ! 遠慮するな今までの分幸せになれ……

 

 

【ツクヨミ】

「ふん、私をほっぽって内輪で盛り上がりやがって……まあ無理もないか……死んだ母親との奇跡の再会だ、そりゃ嬉しかろうさ」

 

「二人が幸せなら言うことはないさ……今回は出直すとしよう。ツクヨミはクールに去るぜ……」

 

 

「うわーーーーーん!!!」(霊炎爆発)

「ポピーーーッ!!」

 

 

 今日のポピー:アイスランドポピー

 花言葉:慰め

 




次回、修羅場(予定)
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