「忍たま」原作者が語る脳卒中の朝 不摂生な生活「やっちまった…」

神宮司実玲

 「やっちまったな……」

 2019年1月12日。朝5時ごろ、トイレに行きたくて目が覚めたのに、右腕と右足の力が抜けて全く動かない。立ち上がろうとしても、その場でばたっと倒れてしまう。

 テレビアニメ「忍たま乱太郎」の原作者で漫画家の尼子騒兵衛さんは、枕元に置いてあった携帯電話で近所に住む姉に電話した。「脳梗塞(こうそく)だと思う」。似た症状を以前にも経験していた。すぐに救急車を呼んでもらった。

 携帯を操作する指はだんだん動かなくなった。しゃべることはできたが、ろれつが回らなくなっていった。

 05年に血管のバイパス手術を受けた関西労災病院(兵庫県尼崎市)に救急搬送された。MRIを撮ると、予想通り脳梗塞を起こしていた。

 病室で血液を固まりにくくする薬の点滴を受けていると、脳神経外科の瀧琢有(たくゆう)医師(現・医誠会国際総合病院)が現れた。過去の手術やその後の診察を担当している医師だった。「そやから言うたやろ!!」

 当時も、左手や左足に急に力が入らなくなった。調べると、脳梗塞はなかったものの、右脳の血流が落ちていた。頭皮の動脈を脳の血管につなぐバイパス手術をした。

 元々、高血圧と脂質異常症の薬をのんでいた。瀧医師からは当時、おそらく脳の血管が動脈硬化を起こして細くなっていると説明を受けた。運動して水分をとり、食事のバランスを整えて規則正しい生活をするように、口酸っぱく言われていたのに……。

 自分の生活ぶりを振り返り、「合わせる顔がない」と思った。目をおおいたくなるような、ひどい状況だった。

 仕事中心の生活が30年以上続いていた。

仕事中心、運動不足、眠くなったら床で寝て…

 「忍たま乱太郎」の原作漫画「落第忍者乱太郎」の連載は、1986年に朝日小学生新聞で始まった。戦国時代を舞台に乱太郎、きり丸、しんべヱの3人組を中心に描く忍術学園のギャグ漫画は、テレビアニメ、ミュージカルへと広がり、多くの人に愛されている。

 1年のうち4~6月、10~12月は週6回のペースで連載をしていた。

 仕事柄、家で座っている時間が長く極度の運動不足だった。便秘気味で、便秘薬をたくさんのんでは下痢を繰り返していた。夜遅くまで座敷机で仕事をして、眠くなったら床暖房がきいた床にそのまま転がり、タオルケットをかけて仮眠をとる。起きたらまた仕事をする。

 水分が不足して、脱水気味だったようにも思う。高血圧で、脂っこいお肉が好きで、コレステロールの値も高かった。

 仕事の忙しさに加え、長年続く、同居する母の介護の負担も増して、限界に近い生活が続いていた。

 19年に入り、急に右の手足の力ががくっと抜けることがあった。「脳に何かあるな」とは思ったが、すぐに治ったこともあり、時間ができてから病院に行くことにしてしまった。

 搬送される前日の夜、ふらふらして血圧を測ると上の数値は196mmHgだった。「寝たら良くなるだろう。とりあえず様子を見よう」。血圧を下げる薬をのんで、普段は敷かない布団で寝た。なんとなく、枕元にはいつもは置かない携帯を置いた――。

「漫画連載できない。人生、終わったな」

 救急搬送されてMRIを撮ると、脳の太い血管から枝分かれした左側の細い血管(穿通枝(せんつうし))がつまっていた。

 高血圧が主な原因となる穿通枝梗塞。言語機能はほとんど保たれていたが、利き手の右手と右足は動かなかった。

 「漫画連載できない。人生、終わったな」。4月から始まる予定だった連載は、延期が決まった。

 栄養失調の状態で、しばらく点滴による入院生活が続いた。おかゆから始まってだんだん食べられるようになり、3月1日、より実践的なリハビリをするために西宮回生病院(同県西宮市)に転院した。右半身は自由が利かず、車いすだった。

 医師や理学療法士、作業療法士、管理栄養士、言語聴覚士らがチームとなってリハビリを進めた。

 理学療法士の一瀬誠さんはまず、尼子さんにどのくらい動けるようになりたいか目標を尋ねた。尼子さんは「一人でトイレに行きたいです」と答えた。ナースコールを押して誰かを呼ぶことをせずに、自分の好きなタイミングでトイレに行きたいと思った。

 車いすに乗って、自分の足でこいで移動する練習から始めた。右手に様々なものを握ったり離したりするリハビリを続けることで、トイレに行く際の動作ができるようになった。車いすで一人で、トイレや病院内の売店にアイスを買いに行けるようになったときは、うれしかった。

 歩行訓練も始まった。うまく足に力が入らず、右足が内側に傾くのがなかなか治らなかった。すぐにこけそうになって、こわかった。足首を90度に固定する装具をつけたり、歩行アシストロボットを使ったりした。

 右手に水が入った紙コップを持ち、花壇まで歩いていって水をあげるリハビリもあった。右足はがくがく、右手はぶるぶる。花壇に着いたころには、水はこぼれて空っぽだった。「水だから良いけど、検尿カップなら大変ね」と、スタッフと一緒になってげらげら笑った。

 悲観したり落ち込んだりする性格ではなかった。でもぼんやりと「もう一回、絵や漫画を描いて仕事をすることは難しいのではないか」と思っていた。

「絵を描きましょう」のせられて描くと……

 歩行訓練と並行して、握ったり書いたり手を使う日常生活の動作のリハビリもあった。作業療法士の小原真弓さん(現・淀川平成病院)や藤原優子さんらが担当した。

 右手で鉛筆を握ることから始めたけれど、手に力が入らず、紙をなでるだけで線1本すら書けなかった。ショックだった。左手を添えながら丸や文字を書いたが、大きさはばらつき、ぎざぎざになった。

 ある日、小原さんは尼子さんに声をかけた。「絵を描いてみましょう」

 「いや、描けません。手が全然だめなのに」「いや、描けるはずです。へろへろの絵でも良いから描きましょう」

 そんなむちゃな!と思いながらも、のせられて描いてみた。ハチの姿をしたしんべヱの絵を描くのに、1日かかった。

 しばらくすると、大きな白い模造紙を持って尼子さんに声をかけた。「貼り絵をするので、カレンダーの絵を描いてみましょう」「そんなん無理ですよ」「描いてみましょう」「えーっ」「4月から1年分です」。冗談だろうと思った。

 病院では、紙をちぎる、貼るといった細かい運動のために、職員が描いたカレンダーの下絵イラストに貼り絵をするリハビリがある。病院のリハビリチームは、カレンダーの下絵を尼子さんに描いてもらおうと考えた。

 仕事でも描いたことのない大きさだったが、家から持ってきた定規を使って桜並木やサンタクロースなど季節ごとの絵を描いた。線はへろへろだったが、だんだん面白くなった。絵を描くことが好きなんだと再認識した。

 完成したイラストに、他の入院患者と一緒に貼り絵をした。他の患者や医療スタッフの笑顔を見て、「自分の絵でまた人を笑顔にできるんだ!」とうれしかった。

 リハビリは、薄紙をはがすように少しずつ進歩しているのが分かった。特に全身を使うお風呂では、「右手でわきの下を洗えた」「いつの間にか、指を曲げて力をこめて頭を洗えているやん」と昨日より今日できることが増えていくのが実感できた。

「描けるはずです」背中押され、また漫画を

 7月7日の七夕では、短冊になかば冗談で「現役復帰」と書いた。

 7月16日、退院して自宅に戻った。母は自宅での介護が難しいため施設に入ったので、一人暮らしが始まった。はじめてベッドを買って、ベッドで寝る生活。一つ一つの動作は、脳梗塞になる前と比べて時間がかかるようになった。80歳になったときの一人暮らしってこんな感じかな?と思った。

 脳梗塞になる前に描き上げていた分を収録した65巻で、漫画連載を終了することは、自分で決めていた。70巻まで続けたいと思っていたが、この体では難しいと思った。

 退院後、定規を使いながら漫画「落第忍者乱太郎」最終巻の表紙イラストを描き下ろした。着色はアシスタントが担当した。桜吹雪のなか、肩をくみ手をつなぐ乱太郎、きり丸、しんべヱのイラストには、忍術学園の物語の連載終了の終幕と新たな幕開きの意味を込めた。1枚ものの絵なら時間をかければ描けるかもしれない、絵本のようなものを作ってみたいと思った。

 20年4月には朝日小学生新聞で、絵と文で『今昔物語』などの古典作品を紹介する月1回の新しい連載が始まり、3年続けた。歴史が大好きで、忍術学園の舞台となる戦国時代とは違う時代にも触れることができて、楽しかった。

 ある日、付き合いの長い編集者から、「尼子さんが経験したことを生かして、脳卒中の本を描きましょう」と言われた。「無理ですよ」「描けるはずです、描きましょう」

 また、むちゃぶりに背中を押された。24年10月、自身の体験や専門家の出前授業をもとに、脳梗塞になってから初めての漫画「患者と家族のための マンガで学ぶ脳卒中」(創元社)を出版した。また漫画が描けるとは思っていなかったので、うれしかった。

 新聞連載がなくなった分、書き下ろしの仕事が増えた。仕事が忙しくなるとつい以前の生活に戻りそうになるが、こまめに水分をとることや野菜をたくさん入れたみそ汁をのむこと、自宅内を歩いたり、血圧を測ったりすることを続けている。生活に気をつけながら、連載が忙しいときにはできなかったような新しい仕事にも挑戦していきたいと思っている。

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この記事を書いた人
神宮司実玲
くらし科学医療部|医療担当
専門・関心分野
医療、健康
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    成川彩
    (韓国在住 文化系ライター)
    2025年10月27日13時44分 投稿
    【視点】

    仕事中心の生活30年の結果、不摂生が続いて脳卒中。記者の皆さんをはじめ、締め切りに追われる生活を送っている人たちは身につまされる話だと思います。それでも、手足が動かなくなった時にまず思うのは「漫画連載ができない」という、仕事のこと。仕事に強迫観念があるのかと思ったら、カレンダーの絵を描くというリハビリに生きがいを感じる様子に、根っから絵が好き、そして絵で人を喜ばすことが好きなんだと分かり、読んでる私までうれしくなりました。 ただ、カレンダーの絵が模造紙に描かれた大きな絵だというのが記事を読まないと写真だけでは分からず、絵の大きさが分かる写真だったらなお良かったと思います。

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    杉田菜穂
    (俳人・大阪公立大学教授=社会政策)
    2025年10月27日13時24分 投稿
    【視点】

    病気や怪我などで治療を受けていても“患者”という属性だけで生きているわけではなく、適切な治療を続けながら、病気と付き合いながら人生の目標を達成できることができる。病気によってこれまでと違う人生とその可能性が広がったりもする。 自分を自分で縛っている<模範的な生活>や<規範的な人生>がもたらす自己否定によって治療や生きることへの意欲を失うのはもったいないということだ。

    …続きを読む