2025年 5月16日 12:40
西東京市 帰還者学校
4限を終えて教材であるタブレットを鞄に仕舞い、くぅ、と軽く伸びをする。
「お疲れ様ソーマ君。」
「おう、お疲れ明日奈。」
隣の席から声をかけられ顔を向けると、あの世界と同じ栗色の髪を揺らす結城明日奈がいた。キリトによって助けられた後、俺と同じようにリハビリを頑張って、俺よりも早く元の生活に戻ったのだ。
「あと、名前な。このクラスにはもうバレてるようなもんだけど、一応注意しろよ?」
「あっ、ごめん…誠君。つい癖で…」
「そら、今日は和人と食うんだろ?階段気を付けてな?」
「誠君もね。」
そう言うと明日奈はバスケットを持って廊下に出て行った。俺も食堂に行くため、鞄からコンビニ弁当とお茶のペットボトルを取り出して教室を出て行く。同校舎の3階にある食堂に行く間、退院してからこの2週間について思い出していた。
5月2日に退院した俺は、光晃おじさん運転のもと東京都練馬区東大泉にある我が家へと向かった。俺が入院している間、おじさんの所有する賃貸マンションの部屋-おじさん曰く『別荘』-を譲ってくれるということで、お言葉に甘えることにした。2LDKで風呂トイレ別、オール電化の家賃8万と一人では持て余しそうな部屋だが、部屋の1つは物置として使っておりおじさんの物がまだ残っているらしく、その全てが搬出されるのは来月になるそうだ。そしてもう1つの部屋には、以前俺が高校に通っていた時代の家具たちが運び込まれているという。俺が意識不明になったあと、こりゃ長くなると直感で感じたおじさんの手腕により当時住んでいたアパートの契約や家具の保存など何もかもをやってくれたというのだ。過保護を超えた何かにも思えるが、肉親のいない俺にとってその気遣いは正直とてもありがたかった。
そんなわけで住居には困らなかったが、肝心な問題が残っていた。
ストレアのコアプログラムを保存するための場所がない。
元々ただの一高校生だった俺はタブレットやノートパソコンなんて高価なものは持っていなかった。
GW明けの7日から、西東京にできた高等専修学校、通称『帰還者学校』に和人や明日奈に比べて1ヶ月遅れて編入。このあたりの手続きをしてくれた自称公務員には一応感謝しておく。配属されたクラスは当然というか3-A。知り合いだと明日奈は同じクラスで、別のクラスに琴音とリズベット/篠崎里香が、一つ下のクラスに和人が、さらにその下にシリカ/綾野珪子が在籍している。一応学生という身分ではあるが、実年齢は25歳と他の誰よりも年をとっているため、血涙を流す遼からは「そんなシチュ平成のラブコメでもねぇぞ!」と結構羨ましがれている。
「お、来たわね!」
「よっす。」
「やっほー。」
「お疲れ様ですソー、誠さん。」
「3人もお疲れ。待たせたな。」
「明日奈と同じであんたも病み上がりでしょ?無理すんじゃないわよ?」
「お気遣いどーも。はーよいしょっと。」
食堂にたどり着くと、窓側のテーブル席を陣取る3人組を発見し、声を掛けられる。空いている珪子の隣に座り、ふぅと一息つく。登下校を徒歩で通学することで日々リハビリがてら体力作りをしているが、現役運動部の頃に比べればまだまだだ。
「もう、おじさんくさいよー。」
「実際おっさんみたいなもんだよ。ほぼアラサーだしな。」
「たしかに……そう考えると、同じ制服着てるのも変な感じですね。あ、あたしお弁当温めてきますよ。」
「あぁ悪いな、ありがとう。」
本当は座る前に温めるつもりだったのだが普通に忘れていたため、珪子が気を利かせてくれた。温まったハンバーグ弁当を受け取り、各々手を合わせて昼食を取り始める。
「誠、1週間近く通ってみた感想は?」
「平成に取り残されてるなと思った。」
その単語を聞いた里香と琴音、そしてたまたま近くにいた教員数名が軽く吹いた。間違ってないだろ。
「板書じゃなくて全部タブレットやプロジェクター、教材も課題もデータ化となればそんな感想にもなるわ。地元が田舎だったから交通系ICカードもまだ慣れないし。」
「それは…大変だね。」
「これで空飛ぶ車とか猫型ロボットとかいたらもはや異世界だな。そんなことになってたら発狂する自信あるわ。……いないよな?」
「安心しなさい。それはないわ。」
「そうなったらもう漫画の世界の話ですね…」
極端な例だが、戦国時代の武士が現代にタイムリープしたようなものだ。しかも日々技術が進歩する現代において9年というブランクはかなり大きく、カルチャーショックなのかジェネレーションギャップなのか、もうわからん。
「あと東京五輪観れなかったの地味に辛い。」
「あー、当時盛り上がってたもんね……」
「リアタイできたみんなが羨ましいわ……」
4人で雑談を交えつつ弁当を食べ終えると、立ち上がって窓の前にある落下防止用の手すりによしかかる。外には西東京の街並みが広がっており、高層ビルなど目立つ建物が少なく広い青空が確認できた。視線を下に落とせば中庭が一望できるが、そこに置かれているベンチでイチャイチャしているバカップルを見つけると、微笑ましくなる。俺に倣ったのか同じくその様を見た里香は空になった紙パックをズゴゴゴと吸い続けていた。
「あの二人…くっつきすぎじゃないの?けしからん…」
「だめですよ里香さん。1ヶ月は2人でラブラブさせてあげようって休戦協定結んだじゃないですか。」
「君らそんなことしてたんか。あいつも罪な男だねぇ。」
(人のこと言えないでしょ…)
あの光景をこれ以上見ると胃もたれを起こしそうになるため窓から離れる。
「里香、一緒になげるか?」
空になった弁当と里香の紙パックも一緒にゴミ箱に捨てようと声をかけようとしたのだが、うまく伝わっていないのか、「いいわ」と一言言うとそれを握りつぶした里香は数m離れたゴミ箱に投げ入れた。
「ねぇねぇ、みんなは今日のオフ会、行くの?」
琴音の発言に今日の一大イベントを思い出した俺たちは顔を見合わせて、楽しみなのが伝わる元気な声で答えるのだった。
「もちろん!」「もちろんですよ!」
「もちろんだ。」
◇◇◇
同日 17:00
台東区御徒町 ダイシー・カフェ
ショートホームルームを終えて3人の乙女と合流した俺は1時間かけてエギルの店へと向かった。和人と明日奈は埼玉県大宮の高校に通う直葉と合流する関係で別行動だ。
『本日貸切』と書き殴られた木札が掛けられた黒いドアを開けると、バーカウンターに立つ禿頭の大男が出迎えた。
「よ、エギル。」
「お、来やがったな?」
「来たわよ!」
「どうもエギルさん!」
「今日はお店貸してくれてありがとうございます!」
「準備はもう終わってるぜ。楽しんでいけよ。」
今日はこのエギルの店で『アインクラッド攻略記念パーティ』という名のオフ会が行われる。主導はキリト、リズ、エギルの3人のはずなのだが、キリトには「主役だから少し遅めの時間を伝えてる」という。カウンター席に案内されて腰を落ち着けると、烏龍茶のグラスが4人分出てきた。俺たちが一番乗りだったのか、店内にはエギル以外まだ誰もいなかった。幹事であるリズとシリカが厨房から料理を運んでいたため手伝おうと思ったのだが、店主に「病み上がりなんだから今日くらい大人しくしてろ」と釘を刺されてしまった。お言葉に甘えて座りなおした俺は烏龍茶を一口飲む。隣に座るフィリアはそんな俺の監視役らしい。
「……あぁこの曲か。懐かしいな。」
「音源探すの苦労したんだぜ?」
店内BGMにどこか耳馴染みのある懐かしさを感じたが、その正体はSAOのNPC楽団が演奏する50層アルゲードのものと同じだった。少し奥まった路地にある、よく贔屓にしていたよろずやに思いを馳せる。
それから15分後、少しずつ参加者が来店してきた。『軍』の最高責任者だったシンカーさんとその側近ユリエールさん。はじまりの街の修道院で子どもたちの面倒を見ていたサーシャさん、元『黄金林檎』のカインズとヨルコさん-シュミットは仕事の都合上来れなかったらしい-、そしてクラインと共に『風林火山』のカルー、トーラス、オブトラ、ジャンウー、アクトと、声をかけたのが幹事の誰なのか知らないが、意外と見知った顔ばかりだったのは驚いた。中でも付き合いが長い風林火山のメンバーにはもみくちゃにされた。
そして18時を回る10分前に、主役が到着した。偽の集合時間をまんまと信じたらしいキリトは、リズに手を引かれて上座のお立ち台に上がり、マイクを持ったリズの音頭で『パーティー』が本格的に始まった。
「「「キリト、SAOクリアおめでとう!!!」」」
シリカ、オブトラ、ジャンウーがクラッカーを鳴らし、キリトの後ろには『Congratulations!』と簡素なクリアメッセージが書かれた方眼紙が出現した。キリト本人は何が何だかわからないといった表情をしていたが、そんなのお構いなしに各々手に持ったグラスをぶつけ合った。それぞれ軽く自己紹介をしてキリトによるスピーチのあと、英雄様は男性陣-主に風林火山-から手荒い、女性陣-主に学生ガールズ-からのやや親密な祝福を受けて、見るからにげっそりしていた。カウンター席に座りながらその様を面白がっていると、その矛先が俺に移ったのか一斉に視線が向けられた。俺は壁や天井になってこの光景をゆっくり眺めているだけで充分なのだが、フィリアやシリカに「『先生』ー!」と『疾風』や『神風』以外の二つ名で呼ばれてしまってはもう後には退けない。
「もう講義はやらないぞー。」
「ちゃんと出席したのに単位が足りませーん!」
「そりゃそうだ。単位あげる前に閉校したからな。」
「え、単位あったの?!」
「ない。適当言った。」
「意地悪!」
あの城を学校と言っていいのか疑問だが、あくまで比喩表現として茶化すと笑いが生まれた。
それからようやく解放されたキリトはヘロヘロになってカウンターにつき、クラインとシンカーさんと何か話しているようだった。
「エギル、日本酒……って言いたいけど烏龍茶おかわりで。」
「なんだ、飲まねぇのか?せっかく良いやつ仕込んだのによ。」
「制服と学生証がなかったらな。一応学生なもんで。また今度にするよ。」
「かぁーっ、コスプレすんのはコミケかハロウィンだけにしとけっての。」
「自分で
クラインと小突きあいながらカウンター席に座ると、キリトがエギルに『種』の様子を聞いた。その言葉に俺たちは小突きあいをやめ、キリトの肩越しにカウンターの端にあるノートPCを覗いた。画面には東アジアの国々と色んなパラメータや数字が絶えず動きまくっている様子が映っていた。
これは一体何かというと、キリトがアスナを、ひいてはSAO未帰還者組を救ったあの日、デジタルゴーストとなった茅場に託された、俺たちが『種』と呼んでいる『ザ・シード』というVRMMOの基礎パッケージだ。これを授かったキリトはどうするべきか検討した結果、何が芽吹くのかを確かめようとした。エギルの協力もあって無償配布されたザ・シードは瞬く間に全世界に広がり、衰退しつつあったVRMMOというジャンルが一命を取り留めたのだ。企業から個人に至るまでその手に渡り、人の数だけ夢があるように仮想世界もその数を爆発的に増やしていった。クラインに言わせれば「VRMMO版ツクール」とのことだ。個人的にはその説明がわかりやすかった。
ただ、一昔前のツクールと違う点は、ザ・シードを使ったVRMMOの世界間を繋ぐことも可能な
キリトが二次会の集合場所をエギルと確認しているとき、店の隅でポツンとジュースを飲んでいる人を発見した俺は、その場を離れてその人の近くに座る。
「みんな優しいとはいえ、ちょっと居にくいよな。」
「…誠さん。」
「ちょっと元気なさそうだったからさ。」
「……ありがとうございます。」
壁際に置かれた樽の上に座っていた直葉は、SAO
「直葉は『自分には何もない』って思ってるかもだけど、俺はこう思うぞ。『何もないなら作ればいいじゃない』ってな。」
「…………」
「んじゃ、おっさんのお節介はこの辺にしとくわ。二次会も来てくれよ?直葉には是非見てもらいたいもんがあるからな。」
「……はい。」
今ので元気づけられたかわからないが、これ以上踏み込むと二次会のネタバレをしそうになるため、何やら盛り上がっているリズのところに向かう。
「楽しそうだなリズ。」
「お、来たわねソーマ。キリト―!あんたもこっち来なさいよ!」
「えっ酔っ払い?こっわ。」
なんか出来上がってそうなリズがカウンター席に座るキリトを呼ぶ。呼ばれた当人は怪訝そうな顔を浮かべていた。
「何か変なモン飲んだんじゃないだろうな。」
「1%以下らしいから、少しなら大丈夫じゃないかな?」
「シリカは飲んでないよな?」
「は、はいぃ~」
そんなわけで楽しい楽しいオフ会は20時を目途にお開きとなった。その後の二次会には、さらに楽しいものが待っている。
◇◇◇
同日 22:30
ALO内部 イグドラシル・シティ
世界樹の上に都市があり、そこにいる妖精王オベイロンに謁見した種族は高位種族『アルフ』に転生できる。旧ALOにあったグランドクエストになぞらえたこの情報が、ザ・シードを組み込んだ新生ALOによって現実となった。
イグドラシル・シティはその名の通り、
変更されたものといえば、飛翔時間だ。元々は10分程度しか飛べなかった翅が、妖精王云々が消えたことにより飛翔制限は撤廃、高度上限も世界樹の天辺近くにまで広がり、どこまでも自由に飛べるようになった。それもあってか、ALO事件により危惧されたユーザーの減少はさほど見られなかったらしい。
そしてユーミルがレクトから買ったALOのデータ群の中に、なんとSAOのプレイヤーデータもあったというのだ。これに伴い、これからALOを始めるSAO帰還者はアバター作成時に、SAOのプレイヤーデータを引き継ぐかどうかを選べるという。その要領でストレアもプレイヤーデータを作成できたのだ。なぜか俺にだけその案内がなかったが、どうやらケットシー領の海にダイナミックダイビングしたあの日から既にコンバートされていたようで、選択権はなかった。なんだかんだあのアバターに愛着もあったし、どの道引き継ぐつもりではいたため問題なかったが、キリトでさえ選択権があったというのに俺だけ…と拗ねたら野郎共に大爆笑された。
そんなわけでアスナはウンディーネ、リズはレプラコーン、シリカはケットシー、フィリアはスプリガン、クラインはサラマンダー、エギルはノームと思い思いの種族を選んだみんなと合流した。種族柄が出たのか、アスナは水色、フィリアは黒と髪色も変わっており、SAOのときとはまた違った印象を受けた。他にも一緒にウンディーネを選んだシンカーさん、ユリエールさんの新婚組に、シルフを選んだサーシャさん、そしてピクシー姿のユイちゃんとシリカの使い魔である幼竜ピナの姿もあった。
「あれ、キリトは?」
ややスキンシップが激しいストレアが、ブラッキーの姿が見えないことに気づいた。
「あいつはリーファを探しに先に行ったよ。多分間に合うさ。」
キリトは、SAOのデータを引き継がなかったそうだ。理由はあえて聞かなかったが、ヒースクリフを倒し、アスナを救い出した『黒の剣士』の役目はおそらく終わったのだろう。俺もその辺に思うところはあったが、何せ考えさせてくれなかったからな。慣れたこの身体でまた楽しむとしよう。
いよいよ10分前になり、みんな翅を広げてイグシティを飛び立つ。向かうのはここから西、ケットシー領方面。
空は夜の帳が降りて紺色に染まっていた。夜だからといって完全に真っ暗にならないのは流石ゲーム世界だからか。ケットシーの黄色い翅を広げて雲海の上を滑るように飛ぶと、ゴーンゴーンと重い鐘の音が空に響き一旦飛行をやめて空を仰ぐ。
雲より上にいるため、夜空には白い満月が浮かんでいるだけだった。しかしそれを右上部分から覆うように、黒い影が侵食していく。あの形を実際に見るのはみんな初めてだが、その姿は幾度となく目にしたことのあるものだった。
円錐状の物体はその内部が何層にもなっており、その中に森や街がかすかに見える。やがて所定の高度に到達したのか、下降が終わるとその全身がライトアップされた。
「アインクラッド……!」
SAOのプレイヤーデータと一緒にあの浮遊城のデータもあったらしく、ソードスキルとともに新生ALOに実装されたのだ。
『まだ信じているのだよ。どこか別の世界に、本当にあの城が存在するのだと…………』
「あぁ……ここにあったぞ。」
「へっ!俺が一番乗りだぁー!」
あの夕空で語ったあの男の言葉を思い出すと、一番乗りだと言わんばかりにクラインがまた飛び出していった。それに続いて飛んでいくと、その途中にホバリングしている人影を発見。キリトとリーファだ。
「モタモタしてると置いてくぞ!」
すれ違いざまにそう言って周りを見ると、サクヤさんやルーさん、ユージーン将軍にリーファの友人レコン、さらにシャルルやヒカリ、ハルカにガイズなど、いつの間にか数多くのALOプレイヤーが浮遊城へ向かって飛んでいた。
チラリと後ろを見ると、アスナの手を取ったリーファと、ユイちゃんを肩に乗せたキリトも飛び出したところだった。
再び前を向くと、いつの間にかストレアとフィリアが近くに来ていた。
「一緒に行こ!」
「ソーマこそ置いてっちゃうよ~?」
「焦んなさんなお嬢さん方。でも、そうだな。行くぞ!」
「「うん!」」
いくつもの光が城に向かって広い空を駆けていく。
わからないこともまだまだあるけど、今だけはこの景色を目一杯楽しもう。
そうして俺は、また新しい世界で剣を振るうのだ。