久しぶりに夢を見た。
病院の無菌室のような隔離された部屋に、頭部を覆うようにして何かの機械を被されている、ひどく痩せ細った青年がいた。
そこからガラス1枚越しに俺はその青年を見ていた。手を伸ばしてもガラスに遮られて、横たわる青年には届かない。
ふと隣を見ると、俺の隣に別の青年がいた。深緑のロングコートを羽織り、腰に碧剣を吊った彼の目元はよく見えない。少しの間横たわる青年を見たあと、碧剣を鞘とベルトごと、俺のほうを見ずに渡してきた。
半ば押し付けられるような形になりつつも碧剣を受け取ると、彼は何か一言言い、どこかへ歩いていってしまった。
おい、と呼び止めようとしたところで、意識が遠のいた。
◇◇◇
2024年11月8日 8:30
ローヴェ 宿屋
「なんだったんだ、アレ…………」
目を覚まし、窓の外を見る。ゲーム内の太陽は現実時間で約16時間経てば一周するが、洞窟の中にいるため今の太陽の正確な位置はどこかわからないことを思い出す。まぁ洞窟に入る前には太陽は天辺にあったから、今はまた沈んで月が顔を出しているのだろうけども。
よっこいせと起き上がると、そこは病院の無菌室……ではなく昨日宿泊した個室だった。
奇妙な感覚を感じながら宿屋に併設されている喫茶店で朝食を済ませる。注文したのはホットのブラックコーヒーとバタークロワッサン風のパンを3個。窓からは地底湖も覗くことができ、その景色から阿寒湖畔のホテルを思い出す。朝食を終えてロビーに戻ると、ちょうど時間になったのかシャルルが降りてきた。
「おはようシャルル。」
「はよっす。昨日は眠れたか?」
「バッチリ。」
会社に連絡したあと、シャルルも流石にリアルで朝食を食べたようで互いにいつでも出発できるようだったため、すぐにローヴェの街をあとにした。
「そうだシャルル、昨日聞き忘れたことがあって。」
「お、なんだ?」
シャルルとは特に馬が合ったのか、昨日の道中でALO内の話はもちろん、趣味や
そんな話で盛り上がった結果、一番大事なことを聞きそびれてしまっていた。
「その……SAOってどうなったんだ?」
「え、お前ニュースとか見てないのか?!」
「見ようとしたら携帯の充電が……テレビもないし。」
「今朝はどうしたんだよ。」
「充電器の根元刺さってなかった……」
「お前さぁ……しゃーねぇ、教えてやるよ。」
「超助かる……」
それらしいアホな理由を並べて、SAOが、俺以外のプレイヤーがどうなったかを聞くことができた。
SAOがクリアされたあの後、全国の病院でSAOプレイヤーが次々と目覚めたそうだ。平日の昼過ぎにも関わらず、ニュース速報で絶えず報道されているようだ。シャルルの会社内にも身内が囚われていた人がいたようで、速攻早退して会いに行ったとか。
「シャルルの知り合いにはいなかったのか?」
「3人はいたな。でも1年くらい前に、全員何の前触れもなく先に行っちまったよ。」
「あ…………それは、すまん……」
「いや、大丈夫だ。それでVRMMOが嫌になってたらALOなんてやってねぇよ。茅場ってのは極悪人だとは思うが、それでもこんないい世界を作る基盤を作ったんだろ?だから俺やヒカリが、あいつらの分まで色んな景色を見てやろうと思うんだ。そうすりゃ、向こうで会ったときに話題に困らないだろ?」
「…………」
正直驚いた。アインクラッドが崩れる前に茅場と言葉を交わした俺やキリト、アスナならともかく、大半のSAOプレイヤーは茅場のことを目の敵にしているというのに、友人の死に直面してなお強く生きようとしている。それも舞台こそ違うが同じVRMMOにも生きるプレイヤーとして。
「……お前にもいたんだな。」
「えっ……」
「ホントにわかりやすいなお前。顔見りゃわかるわ。俺たちには
「…………いや、そうだと思う。俺も、そうだといいなって思うよ。」
朝から暗い話をしてしまったが、洞窟を出た頃にはそんな空気もすっかりなくなった。洞窟を出た先はシャルルも初めてらしく、まだ見ぬ新天地に2人揃って目を輝かせた。
アルンまでの道中で特に気になったのは、ローヴェの洞窟を抜けてから飛んで5分程度の場所にある『蝶の谷』だ。豊かな自然から大小10以上の滝が流れていつも虹がかかっている。時間を気にしなくていいのならば、ここで小説でも読みながら小一時間昼寝でもしてみたいものだ。
そんな蝶の谷を遠くから軽く眺めて、すぐに再出発する。内陸地にまで来てしまえば、世界樹までビュンと飛んで行けるため、逸る気持ちを抑えつつもギアを1つあげて目的地へと向かった。
◇◇◇
央都アルンはギリシャ風の白い建物が特徴的な、世界樹の根元にある大規模都市である。世界樹に近づくにつれて徐々に勾配も増えるため、とにかく階段が多い。羽のクールタイム中だと行き来にとても苦労しそうだ。
「これは……」
「すごいな……」
そして街一番の目玉といえば、やはり世界樹である。各種族の首都がある外周部からでも見えたあの樹はアルンにまで来るともはや壁で、上まで見上げようものなら確実に首を痛めるだろう。東京スカイツリーを極端に大きくした東京の街並みがイメージとしては近いのだろうか。
「流石に腹減ったから、小一時間休憩するか。」
「だな。近くの適当な宿屋に入ろう。」
時計を見ると13時を過ぎたあたりだった。昨日の夜から休憩を挟みつつ来たことを考えると、大体片道9〜10時間くらいかかったらしい。確かにこれだけかかるのなら、飛行制限なしに自由に空を飛びたくなるのもわかる。
じゃ、とシャルルがログアウトしていったのを確認すると、俺も昼食を食べるべく近辺を散策することにした。早々に美味そうなサンドイッチ屋を見かけ、たまご風サンドとツナポテト風サンドを2個ずつ購入。手頃なベンチで世界樹と道行く人々を眺めながらもきゅもきゅとサンドイッチをいただく。見た目通り中身までぎっしり詰まった具がとても美味しい。
最後の一口を食べたところでマップを開き、碧剣がある広場を探す。流石央都というか、街にしては階層が4、5つほどあり都会の複雑さを感じる。アルゲードがもう2つくらい増えたような感覚だ。
「お、ここか?」
マップを辿っていくと、それらしい場所があった。近くにあった「!」を押してみると、『グランド・クエスト』の文字が浮かび上がり、ここが全プレイヤーの最終目的地なのだと理解する。50分になったアラームを止めて、迷わないようマップにピンを刺していた宿屋に戻る。
「お、時間ぴったし。」
「そう言うお前はいつも早いな。」
「10分前行動を心がけているもんで。」
「ちなみに何食った?」
「サンドイッチかな。お前はシャルル?」
「昨日のカレーが残ってたんでな。」
「自炊偉っ」
シャルルも合流したし、いよいよメインディッシュといこうか。
予め確認しておいた高台へ飛んで行くとわかりやすくプレイヤーが集まっており、地に刺さる剣から一定の距離を保つようにドーナツ状に穴が開いていた。
「コミケのコスプレイヤーみてぇ。」
「ある意味簡単に触らせてくれないな。」
プレイヤーが密集しているその後方には巨大な白い両扉があった。両端には大剣を携えた騎士風のゴーレムがおり、扉の前で大剣を交差させていた。間違いなくあれがグランドクエストの発生地点だろう。しかし残念ながら今回来た目的ではないのでスルー。いつかまたここに足を運ぶ日が来るのだろうか。
「お、プレイヤーが1人出てきた。」
シャルルの言葉に視線を戻すと、浅黒い肌をもつ筋骨隆々な大男が剣に向かってのしのしと歩いていた。一瞬エギルかと思ったが、カレーパンのような楕円頭だったため他人の空似であった。
「ありゃノームだな。サラマンダーと同じで筋力寄りの種族だから、強引に抜きゃワンチャンあるかもな。」
あの剣がアインクラッドで振っていたものと同じであれば、要求筋力値はかなり高かったはずだ。シャルルの言うように筋力自慢のプレイヤーならもしかしたら、何かあるのかもしれない。
せっかくここまで来たのに目の前であっさり抜かれてしまったら流石に萎えてしまうので、あのノームのプレイヤーには申し訳ないが耐えてくれよと剣に念を送る。
ノームの大男は剣の柄を両手で握り懸命に抜こうとするが、それでも剣は抜けない。何度か体勢を変えて挑むこと数分。最終手段なのか羽を広げてブーストをかけて抜こうとした。「もっとだー」「そんなもんかー?」などの野次馬の声も一際大きくなり、いよいよかと傍観しているプレイヤー達の期待も高まってきた。
「ぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁ…………」
頼む、と強く念じると、それが通じたのか変化が起きた。ノームの大男が踏ん張った瞬間、今まで溜めていた力が一気に放出されて突風を生みながら上空へと気合いと共に垂直に飛んでいった。下に視線を戻すと、碧剣は何事もなかったかのように佇んでいた。
「……手ェ滑らせたな。」
「……だな。」
まだ剣が抜けなかった事実にひとまずホッとすると、さっきのノームがゆっくり降りてきた。
「いやぁ、もうちょいだと思ったんだけどなぁ。」
「ナイスファイトだったぞ。」
「お、ありがとなケットシーの。お前さん達もアレ目当てか?」
「俺は観光ついでの付き添いだ。狙ってんのはこいつ。」
「ども。」
「ほう……ケットシーにしては珍しいアバターだな。」
「ホントに珍しいんだな俺って。」
「だから言ったろ。」
ノームの大男……ガイズと軽く話しながら下降して、少し離れたところで着陸する。剣のあったほうを見ると人混みですっかり埋まってしまい、簡単に通れなそうだった。さっきガイズはここをよく通ったなと思う。
「じゃ、俺もやってみるわ。」
「了解。」
「おう!お前さんも頑張れよ!」
しかしこうしている間にも剣を抜かれる可能性は大いにあるため、プレイヤーとプレイヤーの僅かな隙間を見つけながら進んで人混みと2分ぐらい格闘した後、ドーナツの穴……中心部へと到達した。
「次は俺がやろうと思うけど、他に挑戦する人はいるか?」
どこかで順番待ちの列が組まれていたら申し訳ないため少し声を張って確認を取る。幸いそんなものはなかったようで、俺の言葉を聞いていた何人かは首を横に振った。反応してくれたプレイヤーに感謝を伝えて剣に歩み寄る。周囲がざわつき始めたのは、きっと俺の珍しいアバターのせいだろう。
ゆっくり深呼吸をしてスイッチを入れる。周囲の喧騒は環境音、そして無音へと変換して集中状態に入り、柄を両手を使って逆手で目一杯引っ張る。しかし剣はびくともしない。
(…………ふむ)
少し考えて今度は順手にして片手で持ってみる。4ヶ月以上振ってきたせいなのか、違う世界だというのによく手に馴染む。そうそうこれこれ……と感傷に浸っていると、何かがカチリとハマったような音がした気がする。
「いける!」という根拠のない確信と直感のもと、腰を使いながら思いきり振り抜く。右手の感触は寸分違わずそのままに、剣は抵抗なくするりと抜け、ガイズの時とは別の突風が周囲を包み込む。風が収まると、高く掲げられた碧剣の全身が太陽光を反射して眩しく輝いていた。
「ふぅ………………ぉ?」
集中状態が切れたはずなのだが、周囲は未だ静かなままだった。何事かと思ったが、いつまにか来ていたシャルルに声をかけられ、周りが黙ってしまっているだけだと理解した。
「お前……お前!マジでやるのかよ!やったじゃねぇか!」
その声と同時に各所から拍手の音が聞こえてきた。思いの外民度は良いようだ。
「おめでとさん!で、その剣、なんかのクエストのキーアイテムかどうか確認できねぇか?」
「あ、そうか。確かに。」
ガイズに諭されてオブジェクトの詳細画面を開く。出てきた文字と数字の羅列は間違いなくあの『ウィンディア・スウィフト』そのものであった。流石に強化段階はリセットされてしまっているが、それでも
「ただの
「なんか……拍子抜けだな。抜いて終わりかよ。」
「というかなんでお前さんに抜けて俺は抜けなかったんだ?俺以外にも何十人って試したらしいぞ?」
「確かにそうだ。昨日受けたクエストの報酬……の割には大袈裟だし面倒くさい。それとも俺の知らない間に何かやったのか?」
「えー、あー…………」
ここまで詰められるとは思ってなかった。でも本当に心当たりが……ないわけではないのだが、「なんじゃそら」となるのが目に見えてる。どうしろというのかね。
「まさかとは思うが、チーt」
「それはない。絶対にない。というかこんな視線ある中でチート使う奴はただのアホだぞ。」
「そ、それもそうか。すまん……」
チートと疑われても仕方ないが、ここは断固否定しておかないと後々面倒くさくなる。周りは納得しないだろうが、答えるしかないか。
「その、な。見たんだ。」
「見たって、何を?」
「どっかの情報サイトか?」
「いや、その………………夢で見た。」
やはりというか、鳩の群れが機関銃を撃たれたように周囲のプレイヤーは目を丸くした。その中に頭脳タイプに見える眼鏡をかけた何人かのプレイヤーがいたが、その言葉を聞くと眼鏡にビキっと音が聞こえるくらいのヒビが入っていた。
そうだよな、腑に落ちないよな、と本当に申し訳なく思いながらいっそのこと開き直ることにした。
嘘は言ってないからな!!