2024年11月7日 15:15
アルヴヘイム ケットシー領西海岸
盛大な飛び込みの衝撃で少しの間気を失ったが、すぐに覚醒し急いで岸に上がる。
「あ、あと少しで、溺れ死ぬとこだった……!」
あれだけ高いところから落ちれば、それなりに深い場所まで潜るのは当然である。気を失ってる時間がほんの少し遅ければ窒息で爆散していたかもしれないことに恐怖を感じながら、眼前に広がる景色に目を向ける。
見渡す限りの水平線、空に転々と浮かぶ島々、夜空に煌めく月。61層セルムブルグの海に勝るとも劣らない素晴らしい眺めだった。セルムブルグを港町とするなら、ここはプライベートビーチといったところか。耳を澄ましてみれば波の音が聞こえ…………るのだが、何か変な感じがする。
よく聞こえると言えば聞こえはいいが、SAOの時よりもいくらか拾う音の量が多い気がする。飛び込みのせいで耳がいかれたかと思い、一度手で塞いでみようと耳のある場所を抑えた。
「えっ」
耳が本来あるべき場所にない。そんなわけないと聞こえる音を頼りに手を動かすと、頭の上で止まった。
そこに映っていたのは、黄色い装備に身を包む白髪の青年だった。そしてその頭の上には、同じく白い毛に染まる大きな獣耳が。まさかと思い尻を触ると、尾てい骨のあたりに獣耳と同じような感触があった。見てみると、髪と同じく真っ白で大きな尻尾がついている。
ここに数十分前の『疾風』の姿はなく、代わりに獣耳の青年がいた。
「はぇ?」
一旦手頃な流木に座り、腕を組んでよく考える。
茅場曰くSAOをクリアし現実へと帰還したはずの俺が目覚めたのは、病室ではなくどこか別世界の空中。自分の姿を見てみればそれは人間ではなく獣人。そして落下中にふと視界に入った巨大すぎる一本の樹。あまりにも現実離れしている現状に、仮説を2つ立てる。『本当に転生した』か『別のゲームに入った』か。
ひとまずSAOと同じように右手の人差し指と中指を揃えて縦に振ってみる。しかし何も起こらない。もう2回試してもダメだったため、次は左手で同じようにやってみる。すると見慣れたUIのメニュー画面が出てきた。つまり後者である『別のゲームに入った』というのが正しいのだろう。
よくよく観察してみれば、身体の挙動や周辺のオブジェクトはSAOのものとほとんど差はないように感じた。この世界もVRMMOの中だというのか。
「ねぇねぇ」
「んひぇあっ」
現状把握をしていたところ、背後から声をかけられた。声からして女性だ。
「さっきこっちから大きな音がしなかった?」
「あー……多分それ俺かも。」
「え、大丈夫だった?何してたの?」
「…………空から海へのダイナミック飛び込み?」
「ホントに何してるの?!」
山吹色の髪に同色の装備に身を包む女性は三つ編みツインテールを揺らして驚愕する。どうやらさっきの派手な入水音を聞きつけたようだ。第一村人もとい獣人と会えた俺はこの世界、ALOことアルヴヘイム・オンラインを知るために、同行の了承を得て街へ行きがてら教えてもらうことにした。
「ALOはスキル制、プレイヤースキル重視のPK推奨ゲーム。プレイヤーは
ソードスキルなし魔法ありのSAOといった感じか、と俺なりに解釈すると、案内してくれている彼女…ヒカリは俺の全身をジロジロと舐め回すように見てきた。
「えと、何か変?」
「あ、ごめんね。変っていうより、珍しいかな。ケットシーは名前の通り猫の耳や尻尾がつくんだけど、ソーマの場合は猫には見えないんだよね。稀に猫以外の動物になるって風の噂で聞いたけど、そのレアアバターを見れるなんてねぇ。しかもオッドアイの。」
「そうなんだ。言われてみれば、確かにこれは猫というより……」
「「狼」」
時間経過でとっくに乾いていた髪と尻尾はふさふさモフモフしており、非常に触り心地が良い。その耳と尻尾は猫というにはあまりに大きい。ALOでのアバターは完全ランダムで決められるようなので、オッドアイ白狼というレア中のレアを引いたようだ。尤もログインした記憶はないのだが。
「そうだ、ついでに飛び方も教えてくれるか?コントローラーなしのやつで。」
「ホントに何も調べないで来たんだね……まぁいいよ。背中見せて。」
ヒカリの中で俺は『碌に調べないで勢いでログインしたプレイヤー』ということになっている。素直に「SAOの中にいたんだけど、気がついたら上空にほっぽり出されて海に盛大に飛び込んだ」と言っても信じてもらえないだろうと思ったからだ。
ALOの飛行にはコントローラーでの操作か、コントローラーなしの随意飛行という技術の2種類あるようで、今は後者の随意飛行を教えていただく。
「肩甲骨のここら辺、触ってるのわかる?」
「うん。」
「随意飛行とは言うけど、イメージだけじゃ難しいんだよね。この辺から仮想の骨と筋肉が伸びてるって想定して、肩や肩甲骨を使って動かすの。」
「骨と筋肉か……」
指でトントンと当てられた、両側の肩甲骨の上あたりを言われた通りに意識すると、プルプルと羽が動いているのが感じられる。
「お、飲み込み早いね。もっと思い切り動かしてみよっか。」
言われるがままに動かす。段々わかってきたぞ。
「そうそう!これで感覚は掴んだっぽいね。じゃあそのまま思い切り地面を蹴ってみよ!」
「よし!」
肩甲骨を意識したまま屈み、全身を使って思いきり空へ羽ばたく。すると耳をつんざくような轟音とともに、ロケットのように上空へ射出される。ある程度上昇したところで羽をピタッと止めると上昇も止まり、滞空に成功する。
「うわぁ……!」
目の前には落下中に見た景色が広がっていたが、余裕のなかったさっきに比べてゆっくり堪能できた。ケットシー領の首都フリーリア周辺は海の上に作られたようで、小島同士を繋ぐように浜や桟橋が多くかかっていた。振り返ると、『世界樹』と呼ぶに相応しい、白く捻れた巨大樹が見えた。それを囲むように山脈が連なり、何かを守っているようにも見える。
「感動するでしょ?」
「おお……って、クールタイムは終わった感じ?」
「そ。あのおっきいのが世界樹。ここから直線距離でも50kmはあるんだって。」
「アルフでノンストップで飛んでも1時間近くはかかるのか……フィールド広いな。」
「車並みのスピードで飛ぼうとしてる?」
アインクラッド第1層の直径が大体10kmだったはずだから、その5倍以上はフィールドが広がっていると考えられる。それを自分の羽で飛び回れるのだから、人気も出るだろう。
「せっかくだし、このままフリーリアまで行こっか!」
「オーケー!」
ヒカリから飛行のスピード調整を学びながら、水上都市へと向かった。ほんの5分くらいで着いたフリーリアは、モン・サン・ミシェルのように陸地から離れた場所にあり、潮の満ち引きで道幅が変わるようだった。クールタイムで飛べない時はどうするんだと思ったが、満潮でも陸路は完全になくならないようになっているらしい。
「じゃあウチは一旦休憩するために落ちるね。」
「道案内とその他諸々ありがとな。」
「どういたしまして。よいALOライフを!」
そう言ってヒカリはログアウトしていった。一通りこの世界について理解を深めたところで、装備の新調をするために街を散策することにした。ヒカリに声をかけられた時に反射ですぐメニューを消してしまったが、その時に辛うじて所持金のみチラ見できた。しかしその金額が文字通り桁違いだったため、改めて確認しようとメニューを開き、金額を数える。
(10万、100万……うわぁ、ビギナーが持ってていい額じゃなぁい。)
何か変だと感じ、一度人気のない路地裏へと入っていく。索敵スキルで周囲にプレイヤーがいないことを確認して、次はステータスを……
「……待て、俺今何した?」
周囲広範囲に索敵スキルを使った。ついSAOの感覚でやってしまったが、ALOビギナーとしてこれは明らかにおかしい。急いでステータスを確認すると、見覚えのあるスキルと数字が並んでいた。
「これ……SAOのまま、か?」
スキルスロットには12個のスキルがはまっており、『片手用直剣』1000、『疾走』1000、『戦闘時回復』956と、文字化けをしている1つを除いて非常に見慣れたものばかりだった。文字化けしているのはおそらく『神速・抜刀術』だろう。『世界に1人だけ』のユニークスキルまでは互換性がなかったようだ。バグ検出されると色々と面倒になると判断し、文字化けしたそれをスキルスロットから外すと、スキル一覧から永久に消えてしまった。
大変世話になったスキルに礼を言いながら続いてアイテム欄を見るが、これは見事に全滅。全て文字化けしており、使い物にならなくなっていた。
ここでハッとするも、最終的な保存先を思い出して肩を下ろす。しかし俺がこんなことになっているため、万が一を想定して文字化けしたアイテムをよく見て1つずつ破棄していく。SAOのデータがあるのなら、彼女も………。
『MHCP002』というアイテムは見つからなかった。しかし、彼女のデータの最終的な保存先はキリトのナーヴギアだったはずだ。彼女が無事なことを祈り、メニュー画面を閉じる。他は特に異常は見られなかったが、どうしてSAOのデータが残っているのか謎が残った。
「ま、考えてもしゃーなしか。せっかく金があるんなら使っちまおう。」
街の散策を再開し、武器に防具、消耗品アイテムを買い歩いた。防具は初期装備からSAO時代を思わせる黒いインナーシャツに深緑のズボンとロングコートへ。靴も紺のシューズにして走りやすいものを選んだ。
しかし武器だけは納得のいくものが中々見つからない。これも愛剣に馴染みすぎた弊害なのだろうか。街中くまなく探して、一番妥協できるプレイヤーメイドの片手剣を購入した頃には時計は19時を回っていた。
(しかし、ホントに俺のアバターって珍しいんだな……)
流石に腹が減り、近くのイタリアン風レストランでボロネーゼっぽいものをいただきながらそんなことを考える。街にいるケットシーはプレイヤー、NPCを問わず基本的に猫モチーフの耳と尻尾だった。買い物中にも絶えず視線は感じてたし、なんなら声までかけられた。やはりこの白く大きな耳と尻尾が目を引くのだろう。
「ごちそうさまでした。」
おしぼりで口元を拭き、両手を合わせてご挨拶。食器を下げるところは……ないようなので、そのままにして退店する。もちろん提供してくれたNPCにもきちんと礼を言う。
「さてさて、これからどうしようかね。」
「あ、いたいた!ソーマ!」
呼ばれて振り向けば、数時間前に別れたヒカリと、ヒカリより小柄な女性が歩いてきていた。とうもろこし色のウェーブがかかった髪の両脇から覗く三角形の大きな耳、褐色肌に白のレオタードを着た女性は、興味深いものを見るようにジロジロと俺を見ていた。
「わぁ、装備一新したんだ!印象変わるね!」
「そうかな?ところでヒカリ、こちらの方は?」
「ケットシーの領主のアリシャさんだよ。」
「アリシャ・ルーだヨ!好きに呼んでねソーマ君。」
「よろしくお願いします、ルーさん。」
アルゴのように独特な喋り方をするルーさんと握手を交わす。
「ビギナーって聞いてたけど、キミ、結構強い?」
「まぁ……それなりには動けると思います。少なくとも地上では。」
「別のVRMMOでもやってたの?」
「そんなとこ。」
「ふ〜ん。」
「じゃあ、ちょっと実力を見せてヨ。」
というわけで、領主様直々の命により訓練所へと行くことになりました。この世界での初戦闘はモンスターではなくプレイヤーになりそうです。