とても綺麗な夕陽だ。
ヒースクリフの剣に貫かれ表舞台を去ったはずの俺は、オレンジ色に染まる空の中にいた。足元を見ると透明な床があるようだ。
自分の身体を見ると、死ぬ間際までに身につけていたコートなどの装備品に加え、愛剣も鞘に納まっていた。身体は薄く透き通り、亡霊にでもなったような気分だ。
「…………」
どこか遠くで音がする。振り返ると、下層からガラガラと崩れていく鋼鉄の城があった。崩れたものは片端からポリゴン片となって空へと散っていく。この2年間の思い出の塊が、データとして少しずつ消えていた。
「これは……」
「ソーマ…………?」
聞き覚えのある声がした方へ向くと、手を繋ぐ黒の剣士と閃光がいた。2人も俺と同じように身体が薄く透き通っていた。
「……よっす。」
顔を合わせたものの、互いに少しの間黙っていた。
自分勝手に死んでいった俺に何か言いたいことがあるようだが、いざ顔を合わせると上手く言葉がまとまらないようだ。
「……この2年間、ずっと不安だったんだ。」
もうこの際だ、吐き出してしまおう。
「俺はこの世界に作られた存在じゃないか。今まで見てきたものは全て俺の夢なんじゃないか。それだけがずっと、残ってた。好きなものや苦手なもの、クラインとの記憶を思い出してもずっと、心のどこかで思ってた。ストレアやユイちゃんのことがあってからは、特に。」
ずっと拭えなかった自身にとっての最悪は、いつもどこかで小さく燻っていた。
「でもキリトやアスナ、他のプレイヤーたちが必死に生きようとしている姿を見て、考えたんだ。俺にとっては夢でも、他のみんなは?って。そしたら答えはすぐにわかった。みんなにとっては現実でしかない。だから、みんなのためにできることをしようって決めた。」
キリトの今にも泣きそうな顔を見て、優しく微笑む。
「最初は自己満足で始めた中層プレイヤーの手伝いも、定期講座を開くくらいにまでなってな。おかげで『先生』なんて呼ばれる始末だよ。でも、それも楽しかった。記憶は結局全部思い出せなかったけど、俺は楽しかったよ。ありがとな。」
「そんなの…こっちのセリフだ……!」
ボロボロと泣き出したキリトの頭を撫でてやる。特にキリトとは一番長い付き合いだ。関わっていくうちに、いつの間にか俺の中で弟のように感じていた。
ここに3人のものでない成人男性の声が聞こえたのは、キリトが落ち着いてすぐの頃だった。
「中々に絶景だな。」
「茅場晶彦……!」
「この人が…」
白衣を纏い、崩れゆく浮遊城を眺める若い男が、SAOの開発者である茅場晶彦その人だという。先程まで死闘を繰り広げたであろうキリトは、とても驚いていた。
「現在、アーガス本社地下5階に設置されたSAOメインフレームの全記憶装置で、データの完全消去を行なっている。あと10分もすれば、この世界は跡形もなく消えてなくなるだろう。」
右手を振りウィンドウを開くと、装備やアイテム欄などはなく、『最終フェイズ実行中 現在60%完了』とだけ表示されていた。
「あそこにいた人たちは、どうなったの……?」
今もなお崩れゆく鋼鉄の城を見ながらアスナは問う。
「心配には及ばない。つい先程、生き残ったプレイヤー6147人のログアウトが完了した。君たち3人をここに呼んだのは、少し話をしたくてね。」
「……今までに死んだ4000人はどうなる?」
「残念ながら、彼らが戻ってくることはない。死者が消え去るのは、どこの世界でも一緒さ。」
少しの沈黙の後、キリトが茅場に疑問を投げかけた。「なぜこんなことをしたのか」と。
「なぜ、か。私も長い間、忘れていたよ。なぜだろうな…………」
茅場はどこか違う世界を見据えるような目で語った。
「フルダイブ環境システムの開発を知った時…………いや、その遥か以前から私はあの城を、現実の枠や法則を超えた世界を見ることだけを欲して生きてきた。そして私は、私の世界の法則をも超えるものを見ることができた。私はね、キリト君。まだ信じているのだよ。どこか別の世界に、本当にあの城が存在するのだと…………」
「……ああ、そうだといいな。」
すると何かを思い出したように、茅場は俺の方を見た。
「この姿で会うのは2回目かな、ソーマ君。」
「………あっ、あの時の。」
2年前、わけもわからずSAOに出現した俺の近くに、白衣の男がいた。よく思い返せば、その姿は目の前の男と一致する。
「当時は君が無事にダイブできたか確認するために接触した。脳にダメージがあるため記憶障害があるかもとは聞いていたが、想定よりも深刻だったようだね。その君がまさかここまでの存在になるとはな。」
「え……ダイブ?記憶障害って…」
「失礼ながら、先程の話を少し聞かせてもらった。ソーマ君、君はシステムによって作られたものではない。君は、君という現実世界の人間の意識を持って、ここで2年間を過ごしたのだよ。」
突然の情報に頭がついていかない。俺は、向こうでも生きていた……?
「君の本来の身体は、現実世界のどこかの病院で保護されているはずだ。そのあたりは、私より凛子君のほうが詳しいだろうな。」
知らない人の名前が出てきたが、それどころではない。
俺は、キリトたちと
「…………そう、か。そうなのか。……そしたら、あんたは俺の恩人とも言えるな。礼を言う。ありがとう。」
「……一つ、言い忘れていた。ゲームクリアおめでとう。キリト君、アスナ君、ソーマ君。」
茅場はそう言うと、こちらに背を向けて歩き出す。心なしか、茅場が少し笑っているように見えた気がした。
「では、そろそろ私は行くよ。」
俺たちは風と共に消えゆく世界の創造主を、ただ見つめていた。
「…………」
「そういや、あの後見てたんだけどさ。」
「え?」
「どういうこと?」
「なんかさ、幽体離脱したみたいになって浮いてたんだよな。そんでキリト、最後の最後で焦ったな?」
「んぐっ…」
ヒースクリフの剣に貫かれて爆散したあと、なぜか半透明の身体で宙に浮いていた。音までは聞こえなかったが、キリトがまさに鬼の形相でヒースクリフと殺し合いをしていたタイミングだった。
拮抗していたものの、勝負を急いだのかキリトは二刀流ソードスキルを発動。しかしそれはソードスキルの開発者でもあるヒースクリフ/茅場には悪手だった。『夢幻』のように「誰にも見せていない」「例外中の例外」でない限り、簡単に軌道が見切られてしまうのだ。
システムによって定められたモーションに逆らうことなく叩き込まれる剣撃に、もはや見事というくらい完璧に捌くヒースクリフ。そして最後となる27撃目で、左手に握る蒼剣が折れてしまう。ボス戦でかなり消耗していたのだろう。
ソードスキルの技後硬直によって無防備になったキリト目掛けて、ヒースクリフは白剣の刀身を紅く光らせ、振り下ろす。
そのとき、麻痺で動けなかったはずのアスナが2人の間に割って入り、身代わりになるという信じがたい光景が広がった。
あまりの出来事に殺し合いは一時中断。アスナはキリトの腕に抱かれて散っていった。キリトはその現実を受け入れられないと宙に舞う破片を掴もうとするが、伸ばした手は空を切る。
最愛の人を目の前で亡くした勇者は、それでも立ち上がる。左手には折れた蒼剣の代わりに彼女が遺した細剣『ランベントライト』が握られていた。しかしその太刀筋に先程までの覇気は全く感じられなかった。力なく振るわれる剣をヒースクリフは容赦なく弾き、俺と同じように白剣で少年の身体を貫く。
その瞬間、キリトの左手が閃き、ヒースクリフの身体を貫いた。キリトの性格上、油断させて相打ちに持っていくようなことはしないはずだが、結果的にそうなった。
HPが全損し、先にキリト、そしてヒースクリフのアバターが消えたところで俺の意識はまた沈んでいったため、覚えているのはここまでだ。
「相手はソードスキルの生みの親だぞ?お前もそれはわかってたと思うんだけどなぁ。」
「耳が痛いな...」
「ま、終わりよければってやつだ。もはや何も言うまいよ。」
再度ウィンドウを開くと、『最終フェイズ実行中 現在94%完了』と表示されていた。アインクラッドを見れば、最上層の紅玉宮が崩れるところだった。もうすぐここも消えるのだろう。
「じゃ、俺も先に失礼するかな。」
「ソーマ君…………」
「もし違う世界でまた会うことがあったら、その時は……」
「……ああ、また一緒に、な。」
互いに拳をぶつけ、2人に背を向けて歩き出す。本当ならまだまだ言いたいことがたくさんあるのだが、どうやら神様は待ってくれないようだ。
「そんじゃ、ソーマこと『蒼葉誠』はここで退場だ。またな。」
「……またね、ソーマ君。」
「またな。…………ありがとう。」
「さよなら」とは言わない。それを言ってしまうと、本当に会えなくなってしまいそうだから。
微笑み、目を閉じると、心地いい風が頬を撫でた。
身体の内側から溶けていくように、俺の意識はそこで途切れた。
◇◇◇
浮遊感を感じる。いや、浮遊というより落下か?
「おお……?」
目を開けると、広大な大地が俺を迎え入れた。月明かりに照らされながら落下方向を見ると、周りを海に囲まれた陸地の中で灯りがついている街が見えた。
「えぇ...?」
死んだと思ったら、なんか知らない世界に吐き出されてる?これなんて言うんだっけ...転生とか?わけがわからないよ。
そう考えてる間にも、重力加速度を受けて俺の身体はぐんぐん加速していく。SAOに落下ダメージはあったが、ここではどうだろう。いや、普通はあって当然なのだが。
落下地点を注視してみると、街から少し西にーどこが北かわからないがー離れた海に落ちそうだった。ひとまず固い地面ではないことに安心するも、自分が落ちてる高さを考えて顔を青くする。
(入水ミスったら死ぬ!)
具体的にはわからないが、少なくとも東京タワー並みの高さから落ちているのはわかる。その高さから落ちたときの水面は、固いコンクリートと何も変わらない。したがって、水泳競技の飛び込みのように入水時の身体と水が触れる面積を限りなく減らすべく、両手両脚を身体の上下にまっすぐ伸ばし、1本の槍になる。あとはなるべく水面に対して垂直に入水する!
「!!!」
ドパァァァァァン...........
2024年11月7日、15時10分頃。
アルヴヘイム・オンライン内ケットシー領西海岸にて、一つの大きな水しぶきが人知れず上がった。