避けろ。避けろ。避けろ。
受けるな。躱せ。
真っ赤に染まったフィールドで、迫り来る刃の隙間を縫うように一迅の風が吹き荒れていた。
しかし突如、永遠にさえ思えた地獄に差し込む光が見えた。
気圧の低い場所へ風が吹くように、その碧い風もまた光に向かって突き進む。
◇◇◇
2024年11月7日 10:00
第55層 グランザム 血盟騎士団本部 大会議室
扉を開けると、大半のプレイヤーの視線が突き刺さる。しかし今の俺にはそれを気にしていられる気力はない。最前列、ヒースクリフの隣が空いているためそこへ腰かける。
攻略組全員に召集がかかったこの緊急会議は、俺からヒースクリフにかけあって設けられたものだ。普段ならなんともないものでも、今回ばかりは周知しなければならないと判断した。
「全員、揃ったようだね。では、緊急攻略会議を始める。」
ヒースクリフが前に出たところで場は静まった。いつもなら副団長であるアスナが務めるのだが、休暇中だったということもあって今回は団長直々に司会進行をしてくれるようだ。
「すでに知っている者もいるだろうが、改めて報告しよう。昨日、我々血盟騎士団の団員が迷宮区でボスの部屋を発見した。過去の25層、50層のことを踏まえて、クォーターポイントである75層のボスも苦戦を強いられるだろうと判断した私たちは、5ギルド合同の偵察隊20人と有志参加のソーマ君を含んだ総勢21人を編成し送り込み、慎重を期して行われた。後衛の10名がボスの部屋の前で待機し、ソーマ君を含む前衛11名が部屋の中央に到達してボスが出現すると……入り口の扉が閉じてしまったそうだ。ここからは後衛10名の報告だが、扉はおよそ5分ほど何をしても開かなかったそうだ。そして再度扉が開いた時に……ソーマ君がボス部屋から飛び出してきた。その時のソーマ君と後衛10人の報告によれば、前衛の他10人は全滅したそうだ。」
攻略組の中でも選りすぐりの偵察隊だったものが半壊している現実に会場にいる全員がどよめく。
「ここからは、ソーマ君の口から説明してくれるそうだ。」
ヒースクリフの言葉にゆっくりと立ち上がり、入れ替わるようにヒースクリフは着席する。壇上に立ち全体を見回すと、リンドやシュミットがいる聖竜連合はもちろん、クライン率いる風林火山やエギル、ヒースクリフに召喚されたであろうキリトとアスナもいた。
「先程の報告の通り、偵察隊は半壊、先に部屋に入った前衛も俺以外死んだ。今から話すのは、ボス部屋の扉が閉まって、もう1回開くまでの約5分の出来事だ。」
扉が閉まったことに気づいた俺たちはひとまず陣形を崩さず、ボスの出現を待った。しかし20秒ほど待っても現れない。そこで『聴音』したところ、上にいた。壁に張り付いていたのは巨大な鎌を2つ持つ骸骨百足『The Scull Reaper』だった。
ボスを視認したと同時に散開を指示するも、ボスの姿に足が竦んだのか1人取り残される。次の瞬間ボスが降り立ち、落下の衝撃で浮いたそいつの身体をボスが鎌で攻撃した。吹っ飛ばされたあいつの身体は、地面に着く前に空中で散っていった。
「…は?」
そこから暗かったフィールドは真っ赤に染まり、逃げ場のない一方的な鬼ごっこが始まった。ボスの鎌や尻尾に一人、また一人と散っていった。パニックになって転移結晶を使おうとした奴もいた。しかし74層と同じく結晶無効化空間らしく、テレポートが起動しないままボスの餌食になった。ギリギリ耐えた奴もいたが、10人以下のメンバーではボスの猛攻の前にPOTローテもできず、結局散っていった。気が付けば生き残っているのは、俺だけだった。
「あとは後衛の報告通りだ。スキルにものを言わせて全力で逃げ回った挙句撤退。辛うじてボスの見た目や大まかな行動パターンは確認できたが、失ったものがデカすぎる。」
俺が見てきた地獄を伝えると、傍聴者のプレイヤーはみな絶句していた。まあ無理もないか。
「さて、これからその辛うじて取れたデータを共有する。情報量は少ないが、ボスに挑むかどうかはこれを見たうえで各自判断してくれ。」
昨日帰ってきた後作った資料をここにいるプレイヤー全員に配布し、ときには身体を使って表現し、伝えられるだけのことを全て伝えた。これで犠牲者が少しでも減ることを祈るばかりだ。質疑応答にもできるだけ答えて、不安要素をできるだけ取り除く。
「他に何かあるか?……なら俺から。」
メニューを操作して回廊結晶を取り出す。ボス離脱直後、たまたま手持ちにあったもので出口を設定したものだ。
「この回廊結晶は出口をボス部屋の前に設定してる。これはあとでヒースクリフに渡しておく。そして最後に一つ。ボスに挑むなら、今ここで死ぬ覚悟で挑め。以上。」
全て言い切った俺は目線をやると、察したヒースクリフは立ち上がった。
「ボス攻略は午後1時から行う。集合場所は75層の転移門広場だ。ではこれにて、緊急攻略会議を終了する。」
会議が終わり、大会議室から大量のプレイヤーが吐き出される。ヒースクリフに回廊結晶を渡した俺は、血盟騎士団の休憩室を借りて休ませてもらうことにした。
◇◇◇
ベッドで仰向けになりながら、目元を覆うように左手の甲で隠し、今にもおかしくなりそうな気持ちをなんとか落ち着ける。
(流石に聞いてくる無粋な奴はいなかったか…)
散っていったプレイヤーに対して「なんで助けようとしなかった」などの非難の言葉も出てくるかと思ったが、それを実際に言う輩はいなかった。クラインからもらった蘇生アイテムがあるとはいえ、それが1つしかないのと、おそらく1人しか蘇生できないであろうことを考えると、このアイテムはアイテムボックスの肥やしになりそうだ。
『疲れちゃった?』
「…流石にね。」
『じゃあ逃げちゃう?』
「逃げないよ。逃げたら絶対後悔する。」
おそらく幻聴だろう。2人の女性の声が重なって聞こえてくる。
『なんで戦うの?』
「もう、大切なものを失わないために。」
『そういう君は誰なの?』
俺はソーマこと蒼葉誠。それはまぎれもない事実だ。しかしそれを保証するものはどこにもない。...いや、クラインなら多少補強できるだろうが、SAOより前の俺の人物像を推し量るには足りない。そして、それを否定しかねない考えが俺にはずっと前からあった。
俺は、この世界に作られた
先日のユイちゃん、ストレアの件もあり、この気持ちが強くなっていた。クラインのことを思い出したあの時、素直に喜べなかったのはこれが理由だ。
では最悪の場合を想定してみよう。
SAOがクリアされたとき、今の俺を形作る魂はどうなるのか。キリトたちと同じくリアルにも身体がある場合はハッピーエンド。しかしSAO内でしか存在できないものだったとしたら?SAOのクリアと同時に、この魂も消えてしまうのだろうか。
死にたくないというのは、よほど精神に異常をきたさない限り全ての人間が持つ感情だ。感情模倣機能なのかはわからないが、俺だってそうだ。
でも滅びの運命が定まっているのなら、少しでも延命しようとするだろう。それこそ攻略組をこの手にかければ、俺はずっと生きていられるのかもしれない。
でも俺は、そうは思わない。
結局散るのであれば、このデスゲームに巻き込まれた
俺は何者か。それは吹いては消え、目に見えず、けれどどこにでもある大気の流れ。
「俺は……風だ。」
今まで誰が言ったか『疾風』だの『神風』だの呼ばれてきたが、案外的を得ている表現なのかもしれない。
風は、目に見えない空気の流れだ。漫画などの描写や現実では落ち葉などによってようやく視覚化される、存外曖昧なもの。時には優しく頬を撫で、時には厳しく木々をなぎ倒す、不安定なもの。無と有の狭間にあるもの。
『では風の子よ、君は何を為す?』
「友のために、この剣を取る。」
『……わかった。じゃあいってらっしゃい。頑張ってね。』
「……あぁ、行ってきます。」
目を覚ますと、ベッドの上だった。そういえば、血盟騎士団の休憩室を借りていたのだった。時計を見ると正午を過ぎたくらいで、1時間半くらい寝ていたようだった。
通りがかった団員に休憩室を貸してくれたことへの感謝を伝えて、クリームパンを食べるべく一度24層へ向かうことにする。
ふと左手を見ると、薬指の指輪にはまる紫の結晶が俺を応援するように光ったような気がした。フッと微笑み、シャツの中に隠れているペンダントを取り出す。遠吠えをする狼を模した銀のペンダントは、俺の背中を押してくれているように見えた。
「さて、クリームパン何個買うかな。」
ペンダントを少し握ってから服の中にしまい、今朝食べ損ねたパンのことを考えながら転移門広場へと歩き出した。
◇◇◇
同日 12:45
第75層 コリニア 転移門広場
転移門広場には、すでにボス戦に参加するプレイヤーのほとんどが集合していた。あれほど忠告したというのに、それでもなおボスに挑もうとこれだけの人数が集まったのか。
各所から視線を感じる中、前方に知り合いの4人を見つけ声をかける。
「おっす。」
「おぉ、おっす。」
「…ソーマ君、大丈夫?」
「おめぇ、会議の時見たことない顔してたぞ?」
「無茶だけはすんなよ。」
キリトとアスナ、クライン、エギルはどうやら会議の時の俺の様子に違和感を持ち、心配してくれてたらしい。
「……あぁ、もう大丈夫だ。心配してくれてありがとう。」
「ならいいんだけどよぉ…」
「そういえば、クラインはともかくエギルも参加するとはな。」
「当たり前だ。今回の戦利品で儲けるつもりだからな。」
キリトとアスナを見ると、大丈夫と言ったのにそれでも心配そうにしてる。
「大丈夫だって。それより、お前達は休暇中だったんだろ?」
「うん……。でも今は、戦うしかないから。」
「……そうだな。俺達は、戦うしかない。」
各々の覚悟を聞いたところでヒースクリフと血盟騎士団の一団が到着し、俺の方に来た。
「ソーマ君。ボスの情報を集めてくれて、何より君が生還してくれて本当によかった。感謝する。」
ヒースクリフは俺が返事をする前に行ってしまった。去り際の眼に違和感を感じたが、おそらく気のせいだろう。
人がいない広い所でヒースクリフは俺が渡した回廊結晶を取り出し宣言すると、回廊結晶が弾けた代わりに青く歪んだ空間が出現した。そこをくぐれば、すぐにボス部屋の前に到着する。
「さぁ、行こうか!」
ヒースクリフを先頭に、攻略組計33人はその空間に入っていった。
ボス部屋特有の重厚な扉の前で、プレイヤーは各々の装備やアイテムを確認している。俺も装備メニューから『ブラックフレーム・グラス』を選択して装備する。名前の通りの黒縁メガネだが、度は入っていない所謂伊達メガネだ。耳と鼻にかかる若干の重みを感じていると、後ろからキリトに話しかけられた。
「どした?」
「いや、今まで特に気にしてなかったけどさ。ボス戦の時は決まってそのメガネかけてるよな。何か特別なバフでもあるのか?」
「たしか、去年の夏くらいから攻略中はかけてるよね?」
「よく覚えてるなアスナ。特に特殊効果はない店売り品だよ。これは…………形見なんだ。自分達の分まで、これからの世界を見てって言われたからな。」
「……そうか。」
「さ、湿っぽいのはやめだ。行くぞ。」
キリトの肩を叩いてその場を離れる。
(ソーマ…………過去にお前も、大切な何かを失ったのか?)
「キリト君?」
「いや……ソーマは未だに記憶の大半が思い出せてないのに、誰かの為にずっと頑張ってるんだなって。」
「……そうだね。当たり前になってたけど、ソーマ君はSAOが始まってからずっと記憶喪失なんだよね。ホントは不安なはずなのに……」
「すごいよ、あいつは……」
回廊結晶をくぐってから約5分後。ヒースクリフの号令により最後のミーティングが行われた。
「準備はいいかな。基本的には血盟騎士団が前衛で攻撃を食い止めるので、可能な限り行動パターンを読んで欲しい。特に危険な2本の鎌は、片方は私、もう片方はキリト君とアスナ君で相手をする。尻尾の薙ぎ払いにも十分注意して側面から攻撃してくれ。また、部屋に入ってボスが見当たらなかったら上にいる可能性が高い。その場合は固まらずにすぐに距離をとってほしい。厳しい戦いになるだろうが、諸君らの力なら斬り抜けられると信じている。解放の日の為に!」
「「「うおぉぉぉぉぉぉ!!!」」」
ヒースクリフの激励により戦意を絞り出したプレイヤー達。ヒースクリフの手が扉に手を触れた時にはすでに各々の武器を手に取り、臨戦態勢に入る。
「戦闘開始!」
扉が完全に開ききった時に戦いの火蓋が切って落とされた。部屋の中央に走り、武器を構えたまま静止する。
「…………………………」
扉が閉まり、静寂が訪れる。部屋は暗いまま、部屋の中央にボスは出現しない。しかし『聴音』によりかすかなカサカサとした音を聞き分ける。
「…………やっぱそうか。」
ゆっくりと上を見上げると、天井に張り付くように奴がいた。
「上にいるぞ!」
他のプレイヤーもボスを視認すると、咆哮と共に5本のHPバーをもつ骸骨百足が降りてきた。
「固まるな!距離をとれ!」
ヒースクリフの指示のもと一斉にプレイヤーがフィールドの外側に退避するが、2人のプレイヤーがボスの姿を見て固まってしまっていた。
「何やってる!早く来い!」
キリトの呼びかけでようやく2人は我に返るも、降りて来たボスの鎌の横薙ぎによりこちら側に吹き飛ばされる。
降ってくるプレイヤーを受け止めようとアスナが手を伸ばすが、その手に触れる前に2人は爆散した。それと同時にフィールドが紅く染まり、ボス戦の開始を知らされる。
事前にある程度聞いていたとはいえ、実際に見るのとではわけが違う。ボスのあまりの脅威にほとんどのプレイヤーは怯え、一部は迫るボスから逃げようとする。
また別のプレイヤーにボスの右鎌が振り上げた時、俺の身体は既にボスの顔面左側に『刹那』を発動して接近していた。
即座に『天獄』に切り替え愛剣を振り抜き、ボスを一瞬だがノックバックさせて攻撃の発動を数瞬遅らせる。そのわずかな隙に振り下ろされた右鎌を受け止めるヒースクリフ。すぐにその場から退き、俺と入れ替わるようにキリトとアスナが迫る左鎌を3本の剣で受け止める。
「鎌は3人に任せて、スイッチしながら側面を叩き続けろ!尻尾側にタンクを寄せて薙ぎ払い警戒も怠るな!」
鎌を3人が防いでいる間に残りのプレイヤーが各々のソードスキルでボスを攻撃し始めた。しかしボスの第2の武器である尖った尻尾の餌食になり爆散するプレイヤーも見受けられた。
鎌を引き付けているアスナに代わって適宜指示出しを行い、ボスとの激しい攻防を繰り返した。
ボス戦開始から1時間弱経過後、遂にボスを撃破した。