予めかけていた試合2分前のアラームによって、閉じていた眼を開ける。ベンチから立ち上がり、グルグルと腕を回したり、軽く脚を伸ばして身体の緊張を解す。
さっきと同じ通路を歩きフィールドに出ると、過去2戦ほどではないにせよ、熱い歓声を受けた。視線を向けると、ぽつりぽつりと空になった座席がいくつか見受けられた。おそらくヒースクリフが目的だったのだろう。さらに現在進行形で帰ろうとしているプレイヤーもちらほらいた。
「俺らには興味なしってか。ちょっとムカつくな。」
「俺としては目立ちたくないからそれでいいんだけど。」
「『ヒースクリフに負けたワンコロ同士の試合なんざ見る価値もない』って言われてるようなもんだぞ?それでも同じこと言えるか?」
「…………確かにちょっとムカついた。」
「ま、幸いそう考えたのはごく少数らしい。この戦いを最後まで見届けようっていう観客の期待にも応えなきゃな。」
そう言うと、キリトからデュエルの申請が届き、これを承認。カウントダウンが始まり、お互いの剣を抜いて構える。
「その剣、リズが作ったやつなんだって?いい剣じゃないか。」
「お前のこそ、いいプレイヤーメイドだ。」
「だろ?最高の相棒だよ。」
先ほどと同じくカウントダウンが5を切ったところで世界が無音に切り替わる。集中状態に入った俺はジッとキリトの目を-正確には目線を-見ると、聞こえはしなかったがキリトの口が動いた。
遠慮なくいくぞ。
かかってこい。
俺もそれに応えたところで、カウントダウンが0になった。最後の試合の幕が上がった。
先手を取ったのはキリト。二刀を光らせ、突き出してくる。左手の方がほんの少しだけ遅れていることから、そういうソードスキルなのだろうと推察し、『刹那』を2回放つ。1回目は先に突き出された右手の黒剣の側面を叩いて軌道を逸らし、2回目は左手の蒼剣に正面からぶつけて相殺する。
黒剣が左脇を掠めるのを感じながら、キリトの顔面めがけて左手を槍のように突き出す。流石の反射神経で頬を掠らせることしかできず、互いに一度距離をとる。すかさずキリトは黒剣のみ光らせ、片手剣重単発突進技『ヴォーパル・ストライク』を放つ。それを見て俺は『天獄』で迎え撃つべく一度納刀する。
『黒の剣士』の代名詞とも呼べる豪速の突きが放たれ、俺の喉……いや左胸あたりに達する前に『天獄』の斬り上げ抜刀によりまた軌道を逸らす。左肩ギリギリを抜けていく黒剣を気にせず2撃目に合わせて剣を両手で持ち、力の限り振り下ろす。
キリトは咄嗟に身体を捻ってこれを掠りながらも回避し、突進技の勢いのまま俺の横を通過する。
こうして何度も攻めてくるキリトに対してカウンターを入れるが、互いに譲らないギリギリの打ち合いが続く。しかし相手の目線で攻撃を予測するシステム外スキルの『見切り』によって『刹那』も見切られ始めた。互いに息をつく間もないほどに攻防を繰り広げているため、残りHPを見る余裕もない。
(さっきのは見られてるだろうが……賭けだ!)
あくまでキリトの目を見ながら、『刹那』による突進で攻めると、蒼剣でこれをいなされ、システムアシストの名残りでキリトの左脇を駆け抜ける。すれ違いざまに黒剣が掠るが、一切気にしない。
いなした勢いのまま蒼剣で無防備な俺の背中を斬ろうとしたが……またしても、そこに俺の姿はなかった。ヒースクリフの時と同じかと思ったキリトは真上を見上げようとして、その途中で目を見開いた。
宙返りした先ほどと違い、身体を捻りながら垂直に飛んだのだ。読みが外れたキリトはコンマ何秒か
そこを逃すはずもなく、ガラ空きなキリトの正中線のど真ん中、鳩尾に狙いを定め、『刹那』を放つ!
『ビーーッ!』
…………ところだったのだが、決着を知らせるアラームが鳴り、『刹那』は中断される。何事かと思い互いのHPを確認すると、減り方こそほぼ同じだったが、先に俺のHPが黄色くなっていた。つまり、デュエルの勝者はキリトである。
「えっ……………あっ」
一瞬何が起きたかわからなかったが、すぐに理解できた。なんとも味気ないが、『刹那』で横切った時に掠ったダメージが決め手になったらしい。
SAOのHPの減少はダメージ分一気にガクッと減るのではなく、ジリジリとゆっくり減っていくのだ。そのため、HPが黄色一歩手前の緑色の状態でダメージを受けても、実際に黄色になるまでほんの数秒のタイムラグがある。その間はまだデュエルは続いているのだ。
ともかく、勝敗は決した。前2試合に負けないくらいの歓声と拍手を浴びながら剣を納めて、キリトに近づく。
「やっぱ二刀流ズルいだろ。」
「そういうお前は速すぎるだろ。」
「『刹那』すら見切っといて何を言うのかね。」
握手を交わしながら試合の感想愚痴を言い合い、今度は同じ通路に向かって歩いていく。アスナも合流して、キリトの入団手続きをするために2人とはすぐに解散した。
キリトにはあとでお気に入りの穴場の店をメッセージで送る旨を伝えて、2試合もして昂った身体を発散させるべく、ひとりフィールド攻略に向かうのであった。
◇◇◇
2024年10月21日 18:30
第50層 アルゲード 路地裏
キリトが勝った報酬として、俺は野郎3人衆でたまに来る隠れた居酒屋を紹介した。ホームである街にそんな所があったのか、と驚いていたが、入り組んでいる街の様子を思い出して納得したようだ。
「それで、なんでこんなことになった?」
「なんか、色々伝染したらしく……」
「なぁに言ってんだキリの字よう。ちょっとくらい労わせろぉ。」
「そうだぜキリト。たまには気の知れた男衆で飲もうぜ?」
「いい大人が2人して……」
「うるせぇ!こんなに花のある飲み会なんざそうそうねぇぞ!俺ぁお前に感謝してるぜ、ソーマよぉ!」
キリトとサシで行っても良かったのだが、せっかくならとクラインとエギルは俺から声をかけた。本来ならエギルの言う通り、互いに気の知れた男衆4人で飲むつもりだったのだが…………。
「アスナ、遂にくっついたのね?」
「リズ?!まだそんなんじゃないってば!」
「まだってことは、これからくっつくのかな?いいなぁ〜。」
「でもSAOの中で恋バナができるとは思わなかったな。こんなに女性プレイヤーが集まることもそうそうないからね。」
「声かけてくれた誰かさんに感謝ね。」
「呼んでくれてありがとうございます!」
カウンター席に座る男4人に対して、テーブル席に座る女性5人は会話が弾む。なぜこんな大所帯なのかというと、キリトにアスナがついてきて、それを聞いたリズがフィリアを引きずり、どこからか聞きつけたのかストレアがシリカを引っ張ってきてこうなった。ちなみにレインはというと、「試合のあとすぐに用事があるから簡単でゴメン!」と慰労のメッセージが送られてきた。
フィリアの言う通り、そもそもSAOの中でこんなに女性プレイヤーが集まることもない。しかも全員年頃の若い娘ともなれば、色々と話しやすいだろう。まあなんだ、結果オーライだ。
日本酒を飲みながら後ろの女性陣にヒラヒラと手を振ると、気になったことをキリトに訊ねる。
「ところでキリト、横断幕のキャッチコピーはお前が考えたのか?」
「嫌味か?」
「ごめんて。」
少しからかい過ぎたか。
闘技場の外周部に垂らされた横断幕には3人のキャッチコピーがヒースクリフは『生ける伝説』、キリトは『二刀流の悪魔』、俺が『神風の天使』とそれぞれ書かれていたのだが、特にキリトのが少し悪意があるようにも見えるものだった。あと俺のについても色々言いたいことがある。
「明らかに俺と比較させようとしてるよな。2年も経つんだからいい加減ビーターとか言わんでもいいだろうに。」
「だよなぁ。意外と頭の固ぇ連中もいるもんだ。」
「ありがとな。でも別にもう気にしてないよ。」
「俺はソーマの『天使』ってのを見たときは腹抱えて笑ったな!ありゃ傑作だ!」
「あれはあたしも大爆笑したわ!輪っかと羽が付いてるの想像できないもの!」
「あははっ!!想像しちゃった!」
「イメージと全然合いませんね!」
「みんなして好き放題言いやがってぇ……」
清廉潔白だとか、純真無垢だとかでイメージされる天使と俺がミスマッチなのは自分でも分かりきっている。天使のイメージカラーが白や黄色に対して俺は緑系統なのもあり、イメージの乖離に拍車をかけているのだろう。
「きゅるる?」
「お前だけが癒しだよ、ピナ……」
慰めるかのようにツンツンと俺の頬をつつくピナを撫でてあげると、気持ち良さそうに目を細め、猫のようにゴロゴロと喉を鳴らした。こんな俺でも懐いてくれているのが嬉しい。
「にしても、キリトがギルドにねぇ……」
「だな……」
黒猫団のことを知るクラインと俺は、経緯はどうあれ、キリトがギルドにまた入る現実に対して感傷に浸った。アスナがいる血盟騎士団なら、よほどのことがない限り同じことは起こらないだろう。
「そういやソーマ、おめぇはどうすんだ?」
「どうって?」
「ギルドだよギルド!お前は変わらずソロだとか言うんじゃねぇだろうな?」
その言葉に、ガールズトークに花を咲かせていた女性陣も会話をやめ、こちらの返事を待っているようだった。
「俺は最後までソロを貫くぞ。」
「ソーマお前……!」
「落ち着けキリト。別に今までと変わらないよ。自分で決めた日に攻略して、休んで、たまに中層プレイヤーの面倒見て。その繰り返し。」
「最近のモンスターの思考ルーチンはかなり複雑になってる。俺が言うのもなんだけど、ソロで潜るのはそろそろ限界が近いぞ。」
「わかってるって。」
キリトの言う通り、70層を越えたあたりからまた一層モンスターの動きが複雑になったように感じる。俺は神速・抜刀術の-主に『刹那』の-おかげもあって今までなんとかなっていたが、キリトが言うんだから間違いないだろう。
しかし、今までの攻略が全部ソロだったかと言うと、そうではない。
クラインら風林火山や神出鬼没なストレアとは幾度となくパーティを組むこともあったし、パーティは組まないにしても、ばったり会った血盟騎士団や聖竜連合の攻略パーティと途中まで共にすることもそれなりにあった。結局のところは、以前と何も変わらないのだ。
「今後としては、風林火山やストレアと一緒に攻略する頻度を増やすとかにするよ。」
「おうよ!いつでも言えよ!」
「ソーマと一緒にいられる日が増えるの?やったぁ!」
「おわっ?!」
「ちょ、ズルいよストレア!」
「あ〜ん……」
一体どう解釈したのか、嬉しがるストレアに急に後ろから抱きつかれた。背中に感じる女性特有の柔らかい感触にどぎまぎしていると、フィリアが剥がしてくれた。何がズルいのかは置いておいて。
「ストレアさん、大胆です……!」
「ストレアがそんなに強いプレイヤーだったとはね。でも攻略組じゃないんでしょ?」
「そうね。私も高い実力を持ったプレイヤーの話はたまに聞くけど、ストレアさんの名前は聞いたことなかったわ。」
「6000人もいればそういった表に出ない所謂隠れキャラ的なプレイヤーはいるだろうな。」
「ポテンシャルを秘めてる中層プレイヤーはゴロゴロいるぞ。」
その中にはリズやシリカ、フィリアも入ってる。俺の所感だが、レベルを上げるのと前線での経験を積めば攻略組にも入れるだろう。本人たちにその気があるかどうか、人数の関係でボス攻略のレイドに参加できるかはわからないが。
その点ストレアは異彩を放っている。初めて会ったのは今年の3月、最前線は55層あたりだった時だ。あれから半年経った今でもその強さは健在で、両手剣の重い攻撃でモンスターを薙ぎ倒している。しかし攻略組で彼女の名を知るプレイヤーは俺とキリト-いつの間にかコンタクトを取っていたようだ-の2人だけで、噂にもなっていなかった。今でこそ「強い両手剣使いの爆乳美人がいる」程度の噂にはなっているが、高い隠蔽スキルの賜物なのか枕詞に「謎の」が追加されて半ば都市伝説じみたものになっている。
「不思議な人だよな……」
ポツリと呟いて日本酒の残りを口に含む。やいのやいのと盛り上がる女子たちの話を肴に酒が飲めるとは、なんという贅沢なんだろうか。
「そういえば昨日ソーマの家に泊まった時ね、」
「「「「え?」」」」
「「「は?」」」
「ゴボッ、ゴホッ!?」
日本酒で溺れかけた。さっきまで暖かかった場が一気に冷めていくのを肌で感じ、直感で嫌な予感がすると冷や汗が噴き出る。
「最初は抵抗してたんだけど、最終的に優しくしてくれて嬉しかったんだぁ!」
「2人きりでお泊まり……!?」
「最初は抵抗……!?」
「でも最後は優しく……!?」
「ソーマお前、俺より先に……」
「お前もちゃんと『男』だったか……」
「何もやましいことは一切していないのでまずは話を聞いてくれませんかねぇ!?」
それぞれ変な方向に考えたのか、フィリア、シリカ、リズ、クライン、エギルは何かを察する(察せてない)。ストレアの言葉が足りないのもあるが、みんなそれなりに酒が回ってるな!?
興奮している5人に水を飲ませてなんとか鎮静化させると、俺とストレアの身に起こっている
そこから1時間以上、飲み会がお開きになる直前まで、記憶を取り戻すためという名目の質問攻めに遭った。最初は好き嫌いなどの無難なものばかりだったのだが、いつの間にかストレアも質問側になってタイプの女性や胸派か尻派か-質問したクラインはリズから1発殴られていた-など趣味趣向によるものまで聞かれていた。女性陣の真剣な眼差しに怯んだのと、俺もそれなりに酒が回っていたのか、動揺しつつもどれもバカ正直に答えてしまった。
この飲み会のせいで今後「むっつり」としばらく弄られるのだが、この時の俺は知る由もない。