2022年11月20日 7:55
トールバーナ 宿屋
目が覚めた。周りが明るいということは、朝がきたのだ。
「ん〜っ‼︎今日は気持ちよく寝れたな。さて、顔洗って学校……って、あ。」
伸びをしてジャージに着替えようとして見慣れない部屋に疑問を抱くも、すぐに理解する。昨日までの出来事は、全て現実だと。心のどこかで夢オチを願っていたが、どうやら天にはその願いが届かなかったらしい。
「……やっぱり、全部本当に現実なのか。」
改めてよく考えてみるとこの世界の草、風、石、動物……といったものが全て現実にそれに酷似しているのだ。しっかりと肌で感じ、目で見て、耳で聞いて、人々と話し合い、手を動かし、足で移動する。全てが本物といっていいものだった。さっきまで寝ていたこのベッドも、布の感触とかすかな温もりがあった。
(この世界で………生き抜く!!!)
右手をギュッと握りしめて起き上がり、部屋を出る。朝食を作っているNPCに軽く挨拶をして、裏庭の邪魔にならないところで片手素振りを始める。左50本、右50本を交互に2セットを先週から日課にしている。慣れてきたら本数を増やしていこうかなと思案中だ。
(あれから1週間……キリトはどうしてんだろ……。)
2週間前に一緒に始まりの街を飛び出した俺とキリトはその日のうちにホルンカの村に到着し、SAOの元βテスターだというキリトの勧めであるクエストに挑戦した。リトルネペントという食人植物を倒してドロップする胚珠を持って帰ると、「アニールブレード」という剣をもらえるというものだ。この剣はキチンと使えば3層中盤まで使えるというもので物持ちが良いのだという。
結果的にレベリングもできて剣を入手することができたが、途中である事件があった。クエスト中、キリトと同じく元βテスターだという男からMPKされかけたのだ。キリトがネペントの特性を知ってたおかげでHPバーを半分以上減らされながらも生還することができたが、俺達を殺そうとした奴は……ネペントの大群に殺された。茂みの奥から断末魔とガラスが割れる音に似た破砕音が聞こえた時ばかりは流石に冷静さを欠きそうになった。直接見てはいないが、人が死んだのだ。ゲームが現実になってしまったと、痛感した。
『キリト、これからは一人で生きようと思うんだ。』
ともかく、苦い思いをしながらもキリトから戦闘をメインに色んなことを教えてもらった。しかしこれから先のことを考えると、一人で生きていかなければならないときが来ると思った俺は、自分が今置かれている状況をキリトに話したうえで1週間前にパーティを解散した。寂しそうではあったがキリトも納得してくれて、1層のボス攻略でまた会おうと約束を交わした。
それから自力でクエストを探したりモンスターを倒して戦闘センスを磨いたりして、今は迷宮区タワーの麓にあるトールバーナを拠点に生きている。
「49……50!!」
最後の一振りを終え、アイテムストレージからおにぎりのような食べ物を出して朝食にする。時計を見ると8:30にちょうどなったところだ。今日は午後からある人と会う予定があるため、午前中をどう過ごそうかと考える。
(そこら辺でクエスト受けるのもありだけど……流石に迷宮区の攻略を進めたほうがいいよな。よし、今日は迷宮区にするか。)
おにぎりの最後の一欠片を口に放り込み、武器の耐久値とポーションの手持ち数量の確認をする。問題ないと判断し、迷宮区タワーに向けてジョギングで身体を温めながら出発した。
◇◇◇
時刻は正午を過ぎ、この世界の太陽も真上に到達した。
待ち合わせ場所は裏通りにあるNPCが経営している喫茶店となっている。集合10分前には到着したが、呼び出した本人はまだ来ていないようだ。
(じゃ、ちょっと見てみるか。)
時間つぶしに右手を振ってメニュー画面を出し、スキルスロットの項目を選ぶ。今は『片手用直剣』と『索敵』の2つしか取得できないが、レベル的にもう少しでさらにもう1つスキルを取得できるそうだ。スキル自体は取得前でもどんなものがあるかを見れるので、次に取得するスキルを選別する。といってもある程度は絞っている。『隠蔽』、『体術』、『疾走』のどれかで迷っているのだ。午前中の迷宮区探索を参考に決まりそうな感じなんだが…………
「お、もう来ていたのカ。」
カタコトとまではいかないが特徴的な喋り方をする声が聞こえてメニューを消し、いつの間にか現れていた呼び出し人に向き直る。『索敵』スキルは常時発動させているはずだが、それを掻い潜る『隠蔽』とは流石。
「10分前行動は基本なんでね。」
「そうカ。」
ネズミのようなフェイスペイントをつけ、フードを深く被る女性はそう言うと喫茶店に入っていく。一応目視と『索敵』で他に人が見ていないかを確認する。別に怪しい何かをするわけではないが。一応な。
喫茶店の中は質素だが綺麗で、席数もそれなりにあった。NPCのウェイトレスに「2人。」と言って一番奥のテーブル席へと行く彼女についていき、対面になるように座る。ウェイトレスが注文を取りに来たのでコーヒーを2人分、ホットで注文する。
「突然呼び出してすまなかったナ。オレっちはアルゴ。元βテスターで、まぁ所謂『情報屋』ってのいうのをやってル。」
「ソーマだ。それでわざわざ話を聞きたいとのことだったけど、何が聞きたい?攻略情報なら君の方が持ってると思うけど。」
「オレっちが知りたいのは、ソーちゃんのことサ。なにやらキー坊が意味深なことを言ってたからナ。」
「あいつ……」
アルゴの言うキー坊とは、キリトのことらしい。β時代からの知り合いでキリトもちょいちょい世話になったそうだ。「なるべく他言無用で頼む」と言ったはずだけど、あいつのことだからおそらくうっかりポロッと口から出てしまったのだろう。
「まぁいいや、『鼠』は信用できるからできる範囲で話すよ。」
「それは良かっタ。その信用を裏切らないようにするヨ。」
「じゃあ早速デカいのからいこうか。実は俺、記憶喪失なんだ。」
「ほうほう………エ?」
「まぁそうなるよな。キリトもそうだった。」
「流石にその規模の情報が来るとは思わないだロ。とりあえず続けてくレ。」
ここでコーヒーが到着。アルゴはテーブルに置いてある角砂糖のようなものを1つ取ってコーヒーに入れ、マドラーでゆっくり混ぜている。俺はブラック派なので香りを楽しんだ後に猫舌にビビりながら一口飲み、話を続ける。
「辛うじて覚えていたのは本名と生年月日、それから記憶喪失になる直前であろう日付だけ。この1週間でも多少のことは思い出せたけど、大きい部分はその3つだけ。」
「どうやってSAOに入ったかモ?」
「さっぱりだ。気がついたらデスゲームに巻き込まれて今に至るって感じ。」
砂糖が溶けきったコーヒーを飲んで「そうカ……」とアルゴ。少しの沈黙の後に、メニューを開いて一つの手帳を取り出し渡してきた。頭の中で情報を整理できたのだろう。
「これは?」
「これはオレっちが作った『エリア別攻略本』。βテストでの情報をできる限り記した物ダ。さっきの情報代とコーヒー代ってことでソーちゃんにあげるヨ。」
「ほー、助かる。早速見ても?」
「どーゾ。」
表紙に鼠印が付いた手帳を開くと、エリアごとのモンスターやクエストなどが細かく記されていた。その中には、キリトと死にかけたアニールブレード入手クエストも載っていた。
「これは……本当に助かるな。ありがたくいただくよ。」
「毎度。くれぐれも……ナ?ソーちゃん。」
「重々承知よ。そこは絶対守る。」
元βテスターだということをバラすなよ、と目で制される。言われなくともバラすことはしない。最近になってきてビギナーと元βテスターの溝が顕著になってきた。元βテスターはデスゲーム開始後に姿を消してしまったと風の噂で聞いた。俺はたまたまキリトに会えたが、ほとんどのプレイヤーは頼りたい元βテスターに頼れずにいるのだ。その溝を少しでも埋めようとしているのがこの攻略本だろう。いい方向に向かうことを祈る。
「ところでさ、そのソーちゃんって呼び方変えられない?」
「じゃあなんて呼ばれたイ?教えてくれヨ。」
「えー………」
ちゃん付けで呼ばれるのは小っ恥ずかしいため、別のあだ名を考える。と言っても過去にあだ名で呼ばれた記憶はないし……あ、記憶喪失だからそもそもか。本当は何かあったかもしれない。
……………………………………ー君。
うーんと考えていると、ふとどこからか聞こえてきた声にハッとする。アルゴの声ではなかった。店内には俺たちとNPC以外に人もいない。そうするとさっきのは………失った記憶のほんの一部?妙な懐かしさを感じつつ聞こえたあだ名を反芻する。うん、これだな。
「じゃあ、マー君とでも呼んでくれ。」
「悪くないじゃないカ。オレっちのあだ名ルールの特例として、これからそう呼ばせてもらうヨ。マー君。」
「そうか。改めてよろしくな。」
握手を交わし、会計を済ませてアルゴと別れた。あだ名ルールが正直気になるが追求すると「50コルダ。」と言われる気がしたので黙っておくことにしよう。
それにしても、さっきのは………。
「ま、今はまだいいか。………さて、また迷宮区に行ってマッピングとかしないとな。」
ゆっくり思い出していけばいい。例えそれが辛い記憶だったとしても。それら全部をひっくるめて『俺』なのだから。
この夢のような世界で、今日も生きていく。
そして、俺がこの世界に来て約1カ月が経った時の全生存者数は、7,800人程であった。つまり、このデスゲームが始まって1カ月で2,000人余りが死亡した。