メニュー1 冷やし茶碗蒸し
柔らかい布団の感触と冷房が効いた知らない天井――それが目を覚ました私が見た最初の光景だった。
「ここ……は?」
熱さと寒さ、それが私が覚えていることだった。砂漠は昼間は熱く、夜は寒い。それこそ昼間は40度近く、夜は氷点下なんてザラだ。
水も無くなり、スマホのバッテリーもなく、コンパスもない、どう帰れば学校に帰れるのかも分らずそれでも闇雲に歩き、砂嵐に巻き込まれたのが私の最後の記憶だった。
「……ホシノちゃん?」
誰が助けてくれたのかと考え、咄嗟に口から零れたのは喧嘩別れになってしまった後輩の名前……だけどここは……。
「学校じゃない」
知らない天井に知らない家具――どう見てもアビドスではない。かといってアビドスに襲撃を仕掛けてきているヘルメット団とも関係があるとは思えなかった。
「うっ……っと」
軽い頭痛とめまいを覚えながら立ち上がる。砂嵐で全身に負った細かい怪我は無く、手当てもされている。
「髪の毛……ううーこれはしょうがないよね……」
崩れた建物の鉄骨に絡まってしまって砂嵐が迫っていたあの状況では切って逃げる以外の選択は無かった。とは言え大事に伸ばしていた髪が短くなっているのは少し寂しさもあったが、とりあえず今は現状把握だと考えを切り替える。
「鞄……それに盾も、銃もない」
着ていた制服も綺麗に整えられているが……。持っていた鞄も盾も銃も無く……。
「あ……な、無い!? 利用権の書類がないッ!」
鞄に入れていた「砂漠横断鉄道の関連施設利用権」も無くしてしまっていた。ネフティスと交渉して手に入れた砂漠横断鉄道の関連施設利用権の書類も無くし、完全に無力化されている事に気付き、冷や汗が浮かんだのは多分熱中症の所為だけではなく、アビドスを復興するための手札を1枚失ったのも大きいだろう。
(……どうしよう、人質……になっちゃった?)
ヘルメット団か、それともブラックマーケットに売られたとか、最悪の予想が脳裏に過ぎる。閉じ込められているのかと思い部屋のドアノブに手を掛ける。
「へ?」
何の抵抗も無く扉は開き、思わず間抜けな声が出た。閉じ込められていると思ったのに、鍵が掛かってないことに拍子抜けしつつも、警戒しながら寝かされている部屋を出て、目の前に広がる光景に目を見開いた……。
「ふえ?」
先ほど以上に間抜けな声が出た。部屋を出てすぐリビングで、そのリビングに置かれたソファーの上で男性が寝ていた。
「初めて見た……」
私達と同じ完全な人型の男性だ。ロボットや獣人の男性はいるが、完全な男性しかも……。
「「大人」の人だ」
見た感じだと私より少し年上という感じだが、間違いなく大人の男性だった。初めて見る大人の男性に殆ど無意識に手を伸ばし……。
「きゃっ!?」
寝ていた筈の男性に手首をつかまれ思わず小さく悲鳴をあげる。
「ん? と、悪いな。反射的だったんだ」
私の悲鳴で起きたのかソファーに寝ていた男性の瞼が上がり、自分が私の腕を掴んでいることに気付いて謝罪の言葉と共に私の手を掴んでいた右手を離した。
「い、いえ、寝ていたのにすみません。起こしてしまいましたか?」
「気にしなくて良い。それより歩けるくらいには回復したみたいだな、良かった」
そう笑った男性はソファーから立ち上がる。私も背は高いほうだけど、私より頭1つは背が高い。思わず顔を見上げる形になり、まためまいを感じ倒れかけるが、倒れるよりも先に目の前の男性に抱き止められる。
「っと、あぶねえな。大丈夫か?」
「ひゃ、ひゃいッ!」
上擦った声で返事をすると目の前の男性は小さく笑い、座ってろと言って私をソファーに座らせた。
「互いに聞きたい事もあるだろうが、まずは何か食べたほうが良い。ちょっと待ってろ今もって来る」
そう言ってキッチンに歩いていく男性の後姿を見て気付いた。キヴォトス人なら当たり前にある器官――ヘイローが男性にはなかった。
(外の世界の人? 嘘、そんな事あるの?)
キヴォトスの外から人が来る事なんて殆どない。言いたくは無いがキヴォトスは銃撃戦が日常な少々物騒な場所だ。外の世界から来る人なんて今まで聞いたことも、見たこともない。しかもそれが「大人」で「男性」なんてまずありえない事だった。
「ほれ。まずこれでも食って落ち着けよ」
「あ、ありがとうございます。えっとプリンですか?」
目の前に置かれたのは器に入った黄色いプリンのような物と茶色いカラメルソースに見えてプリンかと尋ねる。
「あー若い子にはプリンの方が良かったか? 冷やし茶碗蒸しなんだが……今からプリン作るか?」
「あ。いえいえ! そういうことじゃないですよ!? い、いただきます」
催促したみたいになって違いますと両手を首を左右に振り、いただきますと言ってスプーンを手にして器の中身を掬って頬張る。
「お、美味しい……ッ」
物凄く濃厚な卵の味と出汁が利いた優しい醤油味に思わず声が零れるが……。私の言葉に目の前の男性は苦笑していた。
「べっこう餡を掛けて食うんだよ。それは、いや、そのままでも味はすると思うが」
「え、あ、そ、そうなんですか!?」
小皿の茶色い餡を掛けて食べると苦笑され、零さないように餡を掛ける。するとますますプリンに見えてきたなぁと思いながらスプーンを差して持ち上げると光沢のある餡が茶碗蒸しの上に零れ落ちる。
「ふわ……お、美味しい……」
鼻をくすぐる良い香りと濃い目の味付けの餡が滑らかな口当たりと出汁の利いた茶碗蒸しの味をグッと良くしていた。
「これ、美味しいです! 凄く元気になる味がします」
甘みと塩辛さ、そして冷たくさっぱりとしているのに濃厚で、滑らかな卵の味と出汁の風味が身体に染み渡っていくようだ。
「熱中症と脱水症状で倒れたからな。水分と塩分が取れるほうがいい、でもスープだと少し味気ないと思って茶碗蒸しにしたが気に入ってくれたようで何よりだ」
その言いぶりに気付いた、これってまさか……いや、もしかしてこの人が作った……?
「あのこれってまさか貴方が?」
嘘だよね? 男の人なのに私より料理が上手とかないよね? と思いながら尋ねるが、その希望はあっけなく崩れた。
「おう、俺はこんななりでも料理人だからな」
威圧感さえ感じる鋭い目に短く切り揃えられた黒髪。そして鍛えているのかがっしりとした体格は傭兵と言われても納得するが、目の前の男性は料理人らしい。
「そ、そうなんですねー……」
まさかの「外の世界の人」で「大人」で「男性」で「料理人」なんて思ってなかった。
(でも、これ本当に美味しい)
借金塗れで食べる物はもっぱら乾パンとかの保存食で、まともな食事なんて何時振りというのもあるけど、これは本当に美味しい。
(これ何の出汁だろう。鶏じゃないよね? 馴染みがないのに、なんか懐かしい感じ)
知らない出汁のはずなのに、どこか懐かしさを感じる。不思議な香りと味、それに濃厚すぎる卵の味は本当は食欲なんかなかったのにもっと食べたいと思ってしまう。
(あれ? この卵……光ってる?)
照明の光で卵がうっすらと金色に光ってる気がしたけど、金色に光る卵なんてないので、気のせいと思う事にする。
「ご馳走様でした。すっごく美味しかったです!」
少し物足りないけど、あんまりがっつくのもあれなので、ご馳走様というと何かの本を見ていた男性が視線を上げて私を見てきた。
「まだあるけどもう1つ食べるか?」
「い、いえ、もう大……ぐぐうう……ひぃん……」
大丈夫という前にお腹が返事をしてしまい、私は情けない声を出す。
「クックック……遠慮する事はない。死に掛けてたんだし、まずは食事をして体力と英気を養うといい」
「ひぃん……お願いしますぅ」
お腹が鳴った事と笑われた事に小さくなりながらおかわりをお願いをする。これが私「梔子ユメ」と「カワサキ」さんの出会いだったけど、余りにも恥ずかしい出会いとなってしまうのだった……。
砂漠で死に掛けていた少女は3個の冷やし茶碗蒸しを食べてやっと落ち着いたようだった。まぁ腹の音で返事をしたので耳と顔が真っ赤だったが食欲があったようで何より。
「さてと、一息ついた所で自己紹介だ。俺はカワサキだ」
「えっとカワサキ何さんですか」
「訳あって名前はない。カワサキ……そう呼んでくれ」
名前がどうしても思い出せん、カワサキというのは覚えているが、カワサキなんだったのかは思い出せず、カワサキと呼んでくれと頼む。
「あ、はい。アビドス高等学校生徒会長の梔子ユメです。えっとカワサキさんが助けてくれたんですね、ありがとうございます」
互いに自己紹介をした所で助けてくれてありがとうと頭を下げるユメに俺は首を左右に振った。
「いや助けたというより、俺が助けて欲しい側なんだが?」
「はい?」
「なんか変な連中に実験されててな。なんとか逃げ出してきたんだが、ここがどこかも分からないんだ」
嘘は言ってない黒服とかに色々とデータ取りとか、実験とかはされていたので嘘はついてない。叩きのめして逃げてきたが、嘘はついてない。
「変な連中? ヘルメット団ですか?」
「んん? 違うぞ、なんか黒い奴と2つ頭のマネキンと顔のない額縁を持った奴だ。ここら辺じゃそういう連中が多いんじゃないのか?」
「いえ、そんな化物みたいな人は知りませんけど……?」
ユメがドン引きしているので、あいつらは見た目通り化物だったのかと納得する。
「ユメ。その頭の上の輪って何だ?」
「ヘイローですけど? 知りませんかヘイロー」
「知らん、なんだそれ」
「んーん? キヴォトス人にはあって当たり前の物ですから何だと言われても……なんて説明すればいいんでしょう?」
「待て待て、キヴォトス人……ってなんだ?」
なんか知らない単語をぶっこまれたんだが……。
「あ、そうか。カワサキさんは外から来たから分らないんですよね、ここキヴォトスは学園都市と呼ばれてて、数千の学校とその学校が治める自治区があるんです。私はアビドスの生徒会長なのでアビドスの自治権も持ってます」
なんかとんでもない話になってる気がする。学生なのに自治権を持ってると言われて、正直少し情報を整理するのに時間が掛かった。
「学生が自治区を運営しているのか? 大人は?」
「大人はいるにはいますけど、殆ど獣人とかオートマタですかね?」
「マジで?」
「はい。だからカワサキさんみたいな大人で男の人は初めて見ました」
「男も?」
「はい、キヴォトスには男の人はいますけどロボットとか獣人ですし、私達と同じ人型の男性は18年生きてますけど、あんまり覚えてないお父さんを除けば初めて見ました」
……嘘だろ? 18年生きて男を初めて見たとかどうなってるんだ? 話せば話すほどに混乱してくる。
「じゃああの銃は?」
「キヴォトスでは皆銃を持ってますよ? というか持ってないと銃撃戦に巻き込まれたときに応戦出来ないです」
「銃撃戦? 本気で言ってるのか? 怪我人じゃすまないだろう?」
子供、しかも女の子が銃撃戦に巻き込まれるとか、応戦するとか信じられない言葉に絶句する。
「あーキヴォトス人はヘイローがあるので、撃たれても痛いくらいなんですよ」
「マジか……」
じゃああのヘイローっていうのはバリアとかを生成する器官なのか? キヴォトス人の名が示す通り普通の人間じゃないって事か。
「となると参ったな、俺身分証明とかないんだが……不法入国とかになるのか?」
「あ。それでしたら学校に帰れたら私が発行しますね! 生徒会長なのでそれくらい出来ますよ」
ふんすっと大きな胸を張るユメに本当にここは学生が統治しているのかと驚かされる。
「まぁそれなら頼む。それでアビドスだったか? 帰り道は分るのか?」
「ひぃん……私も遭難してるので分りません……」
俺とユメの間に嫌な沈黙が広がる。つまりなんだ……。
「俺もユメも遭難していると……?」
「ひぃん……ホシノちゃんが助けに来てくれれば帰れると思いますぅ……」
「そのホシノっていうのに連絡は?」
「ひぃん……スマホも生徒手帳も落としてますぅ……」
奇妙な鳴声? 鳴声を上げてるユメに俺は天を仰いだ。グリーンシークレットハウスこそあるが、俺もユメも遭難していた。
「あ、でもこの綺麗な家があるから学校に近いんじゃ?」
「いやこれ俺の能力的なものだからなあ、多分お前が遭難した所とそう離れてないぞ?」
「能力?」
「あーこういうことだ」
アイテムボックスを開いて、そこから剣を取り出し同じ様に戻す。ユメは暫く目を白黒させていたが、なんとか自分の中で整理した様子で口を開いた。
「外の世界の人はそんな能力が……」
「いや違うと思うぞ? 俺を実験してた変な連中のせいだろ」
というかゲームの物を現実に持ち出せたならどれだけ良かったか、救えた命はもっと沢山あっただろうし、空腹で泣く子供も見なくて済んだだろうに……。
「それはそのすいません」
「いや、まあ確かに変な実験のせいだが、これで助かるかもしれない。そう思えばそう悪いものでもない。とりあえず今日は休んで、明日学校を目指して移動しよう」
俺もユメも体力を消費しているので、まずは体力を回復させるために寝ることにした。
「魔法みたいですね」
「確かに俺もそう思う」
グリーンシークレットハウスをアイテムボックスに格納しているとユメが魔法みたいというが、確かに俺もそう思う。
「荷物は悪いが諦めてくれ、多分見つからない」
「はい……これはしょうがないですね。辛うじてこの盾が残ってたのは幸いでした」
砂嵐でユメの鞄はまた吹き飛んでしまっていて、残っていたのはアタッシュケース状に畳まれた盾だけだった。ユメの落胆具合から相当大事な物があったようだが、今は我慢して貰うしかない。
「遭難して4日目なんだろ。先にホシノに会って安心させてやれ、探しに来るのはまた後にしよう」
「……はい」
キヴォトス人はかなり頑丈らしく、ユメはかなり長い間砂漠を彷徨っていたらしい。4日目も連絡がつかないとなれば後輩のホシノとやらも心配しているだろうからまずは学校に帰ってそこからだ。
「これを首から下げてくれ」
ユメにアイテムボックスから取り出した白い羽のペンダントを差し出す。
「魔法のアイテムですか!?」
「まぁそんなもんだ。見てろ」
もう1つ取り出したペンダントを興奮しているユメの前で首から下げる。
「飛行(フライ)」
その言葉と共に身体が光に包まれて宙へ浮かぶ。それを見てユメはますます興奮した様子で同じ様に首からペンダントを下げる。その様子を見ながら1度地面に降りる。
「これで飛べるんですね!」
「飛べるが、最初は慎重にな? 結構スピードも出る。置いて行かれると俺も困るからな」
「分ってます。飛行(フライ) きゃっ!?」
「は?」
キーワードを口にしユメの身体が浮かび上がるが……小さな悲鳴と共に俺の目の前に広がったのは青と白のストライプの三角布だった。
「ひぃん……なんでぇッ!? か、カワサキさん見ないでくださいッ!?」」
上下逆さまになったユメが顔を真っ赤にし、見ないでと叫びながら両手で必死にスカートを押さえている姿を見て。自分が何を見たのかを理解し、咄嗟に後を向いた。
「すまん。悪気はなかった」
「ひぃん……見られたぁ……きゃっ!?」
再びの悲鳴に振り返るとユメが尻を突き出す形で砂の上に倒れ込み、スカートが捲りあがっていて再び下着が丸見えになっているユメから俺は背を向け、ひぃんっと鳴きながら見られたと嘆いているユメの声を聞きながらどうしてこうなったと思わず天を仰ぎ、下着を見ないようにしながら尻を突き上げている恰好のユメのスカートを下ろしてやるのだった……。
下拵え 空から先輩が/ようこそアビドス へ続く
というわけでちょっとラブコメ的な世界なカワサキさんでした。あと冷やし茶碗蒸しは最近食べて美味しかったので書いてみました。
なんか熱中症の時にも良いらしいので使ってみました。次回は切れたナイフ時代で、ユメパイセンが見つけられなくて半狂乱でユメパイセンを探しているホシノを出してみようと思います。それでは次回の更新もどうかよろしくお願いします。