神秘狩りの夜   作:猫又提督

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ブラドーにパリィしたことはありません。


第35話

 私は灯りの前で考えていた。駄目だ。人型である以上パリィができるはずなのに、全くタイミングが分からない。そこで、今まで彼を倒すときはどうやっていたのか思い返してみると、全て正面から戦っていた。避けながら攻撃するのであれば、彼の攻撃は大振りで避けやすい。パリィするのは寧ろ難易度が高かったかもしれない。次は正面から戦ってみよう。

 

 階段の前に着く。鐘の音が鳴り、地面が赤くなる。彼が現れた時、私は彼の背後に立っていた。正面から戦うと言ったが、真正面から戦うとは言っていない。私は狩人であって騎士ではないので、勝つためならどんな方法も取る。寧ろ無視せずに戦っているのだから、我ながらとても律儀だ。

 背中を突くと態勢を崩したのでモツを抜いた。鐘の音と共に現れたのだから幻覚の類だろうが感触は本物と遜色ない。追撃は避けられてしまったが、先制で十分はダメージは与えられただろう。定石通り、彼は武器を変形させ、鉛の秘薬を飲もうとする。しかしそれは許されない。すかさず近づいて瓶を持つ腕を叩いた。瓶は地面に叩きつけられ、鉛色をした液体が広がる。それを足で踏みつけ、彼をひたすら杖で殴る。三発か四発目で間合いから逃げられてしまったが、最初のモツ抜きと武器の変形を合わせれば十分なダメージを与えただろう。

「ははは! 簡単、簡単!」

 たった数十秒の出来事だが、先の二回の戦闘を加味すれば、無傷で相手に重傷を負わせたという事実は思わず笑みがこぼれる。なぜ最初からこの方法をとらなかったのか自分自身に呆れそうになる。興奮する私を何とか落ち着かせた。

 彼は懐から輸血液を取り出し、右脚の太ももに刺した。私の与えたダメージは殆ど回復されてしまったが、私と違い他の狩人は輸血液を一つしか持っていない。むしろこれ以降、回復されることは無いのだ。私は前回の戦闘と同じように前に出て、彼の攻撃を誘発した。彼は誘いに乗って槌を大きく振った。しかし、前回と同じ轍は踏まない。彼の攻撃にわざと当たりに行くようにステップを踏む。すり抜けるように交わし、彼の側面に立った。うまく背後に回れれば、背中を深く突き刺してもう一度モツを抜きたいところだった。

 杖をひたすら振って相手が逃げるまで殴り続ける。早々に回復された分のダメージを与えることができた。ただ、彼も馬鹿ではない。私がすぐに追いつけない距離まで逃げると、槌を高く振り上げ、力を溜めた。そして私が懐に入ったタイミングでそれを叩きつけた。私も慌てて後ろに下がったが、蠢く血の塊は微妙に伸びて、私の下半身を捉えた。

「グェ!」

 押し倒されて頭まで打った。すぐに立ちあがって後退するが、足にいくつか穴が開いて踏ん張れず、左手で支える。頭の打ちどころが悪かったのか視界も少しぼやけていた。流石に油断しすぎた。輸血液を刺すと、視界のぼやけも脚の痛みもすっきり無くなった。

 睨み合いから再開したが、今度は私の方から動いた。ステップで素早く彼の前に出てくると、彼は攻撃を繰り出してきたので、更にステップで背後にすり抜ける。振り向きざまに彼の背中を力いっぱい突き刺した。短い悲鳴と共に膝を折った彼に、傷口を抉るように右腕を挿しこむ。手に当たったモツを握りしめ、引き抜いた。真っ赤に染まった血と臓物が更に私の体を染め上げる。彼はそれでもまだ生きていた。しかし、限界は近いようで、少しでも小突けば簡単に倒れてしまいそうだ。私は彼に銃口を向けた。引き金を引くと轟音と強い衝撃と共に弾丸が彼の背中を貫き、胸から血の噴水を上げた。ここに来るまでに獣狩りの短銃とキヴォトスの短銃を持ち変えていた。狩人に対しても水銀弾以上の威力を発揮したようだ。彼は悲鳴も上げず、静かに崩れ落ちて赤い光と共に消え去った。

 気づくと息が上がっていた。心臓の鼓動が耳の中で感じられた。いつもの戦闘と運動量は変わらないはずだ。興奮して呼吸を疎かにしていたのかもしれない。耳鳴りがする。篝火の音が遠く聞こえたり、近くで鳴っているような気がした。落ち着くまでその場でじっとして、篝火の音が遠くなってから、ようやく階段を登った。

 

 大樹に一番近い建物の家屋に獣が座っていた。今まで見た獣の中で最も獣と遠く、獣に近い獣だ。猫のように座り、しかし煙のように揺らめく体は精確な体格を隠している。かろうじて猫と思えたのは頭部の耳と目の形だ。あるいは狐かもしれない。私を一瞥すると襲うわけでもなく、空に向かって遠吠えの様に吠えた。口はまるで触手のようで、おおそよ陸上生物のそれではない。瞳は五つ。真ん中に多く一つとその周りに三つが非対称についている。赤と黒の二つの尾が時折揺れていた。よく見れば耳も左右非対称だ。

「手前様は一体何者ですか?」

 突然後ろから声をかけられた。階段の前、私の後ろに風変わりな格好をした背の低い少女が立っていた。彼女は私を睨みつけているが、その風貌のせいか子供が駄々をこねているようでどこか可愛らしい。

「シュロか。久しく会う気がするな」

「久しくなんかありませんよ。数時間前に手前様は黄昏に呑まれたはずでしょう!? 神秘も失っているはずなのになぜ生きているんです? なぜ手前の百物語が手前様に乗っ取られているんです?」

「手前手前とややこしいな。乗っ取るもなにも別に私は何もしていないが」

「何もしていないのにこんなことになるはずがありませんよ! なぜ百物語が全て手前様の記憶で塗りつぶされるんですか! これは手前の百物語(怪談)手前様の百物語(狩人の悪夢)ではないんですよ!?」

「そんなことを言われてもな。私は何もしていないし、記憶を読んだのは貴公だろう。ちゃんと隅々まで読んだのか? 獣の種類が少ないぞ。だが犬を差し向けるのは貴公、趣味が悪いぞ」

「なんで手前様がケチをつけるんです!? 百物語の噂は手前が選んで出すものです。だから怪談の一部になるはずであって、全ての怪談が手前様の記憶で形成されるはずがないんですよ!? それに噂程度で終わらせるつもりなのに勝手に暴走して町を闊歩するとかありえないんですが!」

「だから私は記憶を読まれただけで、その怪談とかいうものを操っているのは貴公だろう」

「操っているはずなのに暴走したから手前様は何者かって聞いてるんですよ、馬鹿なんですか!? 会話ができないんですかぁ!?」

「私はただの狩人だ。獣を狩り続ける狩人」

「は、それだけ?」

「それだけだが」

 シュロは面を食らったようで、口をパクパクさせて言葉が出てこなかった。そしてようやく言葉を紡いだかと思えば「も、もっとこう、ないんですか?」と不満を言う。

「無いものをねだられても困る」

 するとシュロは諦めた顔をして、ついでにため息をついて吐き捨てるように言う。

「はー、もういいです。もう一度、手前の百物語に組み込めばいいだけですから。神秘を失った手前様なんて怖くも何もありませんから……手前様は猫、お好きですかぁ?」

 不貞腐れた顔が一点、への字の口が反転したようにシュロの口角が上がった。彼女の言葉を合図にしたように背後で獣が吠える。それに反応して振り返ると、獣が大きく飛び上がっていた。その姿を目で追っていたが、軌道を見るに私とシュロの間に落ちてくるらしい。後ろへ下がると、丁度私がいたところに下りてきた。

「手前様に乗っ取られたのは癪ですが、いいことも一つありました。こいつで手前様をぼっこぼこにしてやりますから。さあ、行け。クロカゲ――」

 その瞬間、シュロはクロカゲの前足に押しつぶされた。顔が笑顔のまま固まり、やがて疑問の表情に変わる。なぜ、とでも言いたげな顔だ。クロカゲは地面を掘るように彼女を投げ捨てた。

「な、なんでクロカゲが手前を攻撃するんですか? 攻撃するのはあっち」

 シュロが私に指をさす。しかし、クロカゲは彼女を見ているように思えた。ゆっくりと頭を下し、彼女の前で口を開けた。

「え、は、待って。何をするつもりなんですか。待って、待って!」

 クロカゲはその触手のような口でシュロを拾い上げ、飲み込んでしまった。

「お前は彼女が呼んだのではないのか」そう問いかけてみたが、獣にそんなことを答えられるはずもなかった。「まあいい。獣ならば何であろうと狩るだけだ」

 クロカゲは黒獣パールや再誕者、もしくはそれ以上の大きさをしていた。

 クロカゲが吠える。耳をつんざくほど大きな咆哮だ。すると奴を中心に濃い煙のようなものが現れ、それはあっという間に空も含めて周辺を覆いつくし、私は空間に閉じ込められた。空間にはクロカゲと同じ目がいくつも開き、瞳はあらゆる方向を向いている。

 私が動くよりも先に向こうが動いた。口元に炎のようなものを集めたかと思えば、いくつに分かれながら私へ放った。分割されたとはいえ、ちょっと位置をずらしただけでは避けきれないほどの大きさがある。避けなければ、と思った時には既にすぐそこまで迫っていたから、初見で避けられたのは運がいい。

 攻撃をした隙に近づこうとしたのだが、クロカゲはさらに炎を呼び出して私に投げつける。数は多いが、最初の攻撃に比べれば避けるのは簡単だった。足元に来ると、流石にクロカゲもいつまでも火を飛ばしはしない。前足で私を蹴飛ばそうとしてくる。クロカゲは赤よりもどす黒い血を出した。この空間のせいかもしれない。

 クロカゲが前足で薙ぎ払ったので、私は一歩引いた。するとクロカゲが一つの大きな炎に変わってしまった。かと思えば、その炎はさらに五つに分かれた。飛んでくるのか爆発でもするのか、私は少し引いたところで様子を見ていた。しかし何か起こる様子はない。首をかしげていると、不意に足元が光った気がした。それは気のせいではない。私の足元が赤く光っている。

「まず――」

 何か湧きだしそうなそれに片足を上げたが、光の方が早かった。炎が噴き出し、私は高くかち上げられた。受け身をとり、膝立ちで着地する。すぐにまた足元が光りだしたので今度はすぐに避けた。

 攻撃が止むまで避け続けるつもりだったが、一向に止む気配がない。きっとあの五つの炎を何とかしなければ一生避け続ける羽目になるだろう。湧き立つ炎から逃げながら、立ち揺らめく炎に一太刀入れる。僅かながら何かを斬ったという感触を得た。物質としてはあまりにも軽いが、炎にしてはあまりにも重い感触だった。

 何度か行ったり来たりしながら最後の炎を切り裂くと、空間からクロカゲが再び姿を現した。着地ざまに切り付け、足払いを避けてもう一度切り付けた。やはり体躯が大きいと範囲は大きいが見切りやすい。

「思ったより楽じゃないか。まだ犬を数匹連れてこられた方が苦戦するぞ」

 するとクロカゲはそれに答えるように五匹に分裂した。私の顔は余裕の笑みから苦笑いに変わった。

「余計なことを言ったかもしれないなぁ」

分裂したクロカゲはちょこまかと駆け回り、犬の様に姑息な攻撃をしてくる。一匹に気をとらせて、残りの四匹が視界の外から飛んでくるのだ。攻撃しようとすると邪魔されるからたまったものではない。それに変わらず遠距離攻撃もしてくる。威力もサイズも小さくなっているが速度は変わらない。反応が遅れると簡単に被弾する。

 分裂されてからまともに攻撃ができない。私の攻撃が当たらないのに、向こうばかり当たることに焦りが見え始めた。攻撃するべきか回避するべきなのか迷う。そして結局動けずに噛みつかれる。すでに輸血液が半分を切った。スタミナが切れるほどステップで後退し、視界に全てのクロカゲを収めた。おかげで少し冷静になれた。

 分裂されたままじゃ何もできない。すぐに一匹でも数を減らすべきだ。方針を決め、駆け寄る。クロカゲたちは迎え撃つように炎を放つ。攻撃が当たらないように願いながらローリングで回避しつつ、一番手前にいたクロカゲに攻撃した。クロカゲは怯むが倒れない。左右から別のクロカゲの攻撃が飛んでくるためにやむなく下がった。しかし、またすぐに近づいて攻撃する。ヒットアンドウェイを繰り返せばいつかは倒れるはずだ。

 何度かヒットアンドウェイを繰り返していたが、なぜだろう。回数を重ねるごとにだんだん体が緊張してきた。そして不意に何を思ったかクロカゲに近づきすぎた。確立したパターンから抜け出してしまったことに軽いパニックを起こした。一度逃げてゆっくり確実にパターンをやり直すか、多少強引にパターンを修正するか、私が下した決断は後者だった。しかし、狂ったパターンで行動を修正したのは私だけではない。一匹のクロカゲが私に飛び掛かった。怯んだ隙に散々炎を吐かれ、残りの輸血液を使う暇も無くあっという間に燃やし尽くされた。服が焦げ、肌が燃え、肉が焼ける。薄れゆく視界の中で死体蹴りをするかのようにクロカゲが飛んでくるのが見えた。

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