• 【秋得】2カ月無料で読み放題キャンペーン中!

特集

人、深く、つなぐ、映画 ひとシネマ

毎日新聞の独自取材と蓄積したコンテンツを活用し、奥行きのある映画情報を発信します。ファンを含む全ての映画関係者にエールを送ります。

特集一覧

映画の推し事

生活保護は「惨め」か 言葉にならぬ声を聞くために 「スノードロップ」

「スノードロップ」Ⓒクラッパー
「スノードロップ」Ⓒクラッパー

 見終わった後、ぼうぜんとしてしまった。心に強く訴えかけてくる作品である。生活保護の受給がほぼ確定したにもかかわらず、心中を図る家族を描いた物語は、実際の事件をもとにしている。

 吉田浩太監督自身も受給経験があり、事件に衝撃を受けて製作したという。痛ましいほど自分を閉ざした主人公の姿を通して、貧困や社会の在り方、人間の尊厳について考えさせられた。重いテーマだが、最後に希望が差す。

「スノードロップ」Ⓒクラッパー
「スノードロップ」Ⓒクラッパー

母の介護、父の持病 暗い影持つ家族

 直子は仕事を辞めて10年間、認知症の母を介護している。父は長い間蒸発していたが、戻ってきた。以来新聞配達をして、少ない収入で家族を支えている。

 序盤からずっと重苦しい空気が漂う。直子と父は会話が少なく、笑顔もない。昔、すぐ上の姉が、父の蒸発によって養子に出されていた。そのことが一家に暗い影を落としている。寡黙な父娘から押し殺した感情が伝わってくる。静かな中に緊張感があり、画面から目を離せない。

 父は持病が悪化して、仕事が続けられなくなる。直子は市役所に生活保護の相談に行く。ケースワーカーの宗村は真面目で誠実な直子に好感を持ち、親身になって話を聞く。母親の介護サービスも申請するよう助言する。

「スノードロップ」Ⓒクラッパー
「スノードロップ」Ⓒクラッパー

国のお世話になるなんて……

 直子は手続きをしっかりこなしていくが、受給に負い目を感じているようである。その姿を見て、受給者だった私の友人が「国のお世話になるなんて、申し訳ない」と言っていたのを思い出した。両親に虐待されて精神障害になった友人には当然受ける資格があるのに、と胸が痛んだ。

 不正受給が問題になって、生活保護に対する見方が厳しくなっている。背景には、もっと大きな理由があると思う。それは貧しい者を、経済的に自立できない落後者とみなす差別意識ではないだろうか?

「スノードロップ」Ⓒクラッパー
「スノードロップ」Ⓒクラッパー

稼げるから偉いわけではないのに

 訪問審査が終わって、受給は確定的になる。ところが翌日、一家は心中を図る。直子だけが助かって、拘置所に収容される。面会に来た宗村が心中の理由を問うと、直子は答えた。「惨めだった」と。

 直子はそれまで当たり前だと思っていた自分たちの生活が、申請する過程で貧しいと実感させられたのだ。貧困は惨めなことなのだろうか? 直子たち親子は豊かではないが、誰も傷つけることなくつつましく一生懸命に生きてきたのだ。

 以前テレビで起業家を目指す青年が、それなりの収入を得られないのは情けない、と言っていたのが忘れられない。当然だが、収入の多寡で人間の価値は決まらない。しかし、不況やコロナ禍によって稼げる人間が偉いと思われ、そうでない者は見下ろされる風潮は強まったように思う。

【ひとシネマ】「スノードロップ」Ⓒクラッパー
【ひとシネマ】「スノードロップ」Ⓒクラッパー

人を振り落とすスピード社会

 しかし、直子が惨めだと言うのには貧困以上の理由があった。宗村に、かつて事務員をしていたがうまく仕事ができず母親の介護に逃げた、介護は自分の存在意義だった、と告白する。介護サービスによって、自分のよりどころが奪われるのを恐れていたのだ。

 働いていた頃の直子が上司に叱責された後、辺りを見るシーンがある。直子は姉のように、母から捨てられるのではないかと恐怖を抱いてきた。そのせいで常に他人の視線を気にして、人間関係も築けなくなっていたのだ。

 心の傷から過敏になった直子を見て、私自身が上司にパワハラされた記憶がよみがえった。嫌みや当てこすりを言われ、皆の前で怒鳴られる。まさに「惨めだった」。以来自信がなくなり、ミスをすると周りから非難されている気がした。

 直子は実直で、気配りもできる。周囲があたたかく長い目で見てやれば、本来の良さを発揮するだろう。しかし、現代の社会はスピードや効率、コミュニケーション能力重視だ。即戦力にならず、不器用な者は切り捨てる。

 直子がもし母親ではなく外の世界に居場所を見いだせていたら、悲劇は起こらなかったのではないか。

「スノードロップ」Ⓒクラッパー
「スノードロップ」Ⓒクラッパー

思い入れが目を曇らせる

 宗村は直子のためを思ってしたことが、裏目に出てしまい後悔する。

 彼女を責められない。宗村もまた申請者の対応に追われる日々に、疲弊していたのだ。クレームをつける申請者もいる中で、従順な直子の存在は光だったのだろう。直子にとって母がよりどころだったように。

 ただ、そのために直子の真意を見誤る。気になるシーンがあった。宗村は介護サービスが始まれば楽になる、一緒に頑張ろう、と直子を励ます。直子がどこか沈んだ顔をしているのに気づかない。

 宗村の先輩は彼女に「(直子に対して)ずいぶん肩入れしているんだな」と言う。肩入れは「思い入れ」でもある。相手に自分の思いを投影しているため、相手が見えないのだ。

【ひとシネマ】「スノードロップ」Ⓒクラッパー
【ひとシネマ】「スノードロップ」Ⓒクラッパー

悲しみや苦しみに耳を澄ます

 状況は違えど、直子のようなつらさを抱えている人は多いと思う。琉球大学教授の上間陽子氏は「悲惨な経験をした者は自分を語る言葉を持たない」と言う。

 直子と父の沈黙が象徴している。直子は極端に不幸な目に遭ったわけではないが、絶望感にむしばまれて心も口も閉ざしていったのだろう。

 とりわけ言語化が求められる今、言葉にならないたくさんの声が取りこぼされていないだろうか。「声」を捉えるにはどうしたらよいのか? 耳を澄まして、ただ相手の悲しみや苦しみを、そのままに聞くことが大切だと思う。エンディングに流れる浜田真理子の「かなしみ」は、まさに無数の直子たちの声を代弁しているようで心にしみる。

 直子が刑期を終えて入所した更生保護施設の庭に、春を告げる「スノードロップ(待雪草)」が咲く。長い冬を耐え続けてきた彼女に、少しでもあたたかい季節がやってくることを、心から願わずにいられない。(早坂あゆみ)

【時系列で見る】

【秋得】2カ月無料で読み放題キャンペーン実施中!

関連記事

あわせて読みたい

アクセスランキング

現在
昨日
SNS

スポニチのアクセスランキング

現在
昨日
1カ月