記憶をたどる物語(小説)
あの日。
それまでに私がやってきたことの全てを失うことになった日。
私の第二の人生の扉が開き始めた最初の日。
途方に暮れながら、
「私がいるべき場所はここじゃない」
そう決心して、新しい道を模索し始めた時、はからずして同時に、私の人生の記憶をたどる旅が始まったのだと思う。
「私って、どんな人だと思いますか?」
そんな問いを発して、びっくりされたこともあった。
生きる指針も、私が何をすべきなのかも、なにもかもが分からなくなった。
ブログを書き始めてみたり、歌を習い始めてみたり、南の島に泳ぎに行ってみたり。
そんなことをしながら、自分で仕事を作り出すために、自分のコアを見つけるために、私の歴史を振り返る講座を受けることにした。
自分が生まれた直後のことは自分では分からないから、
講座を受けている周りの人たちは両親に話を聞きに行っていた。
でも、私にはそれはできない相談だった。
私は当時、両親と距離を取っていたから。
実家には極力帰らないようにしていたし、連絡もなるべく取らないようにしていた。そうしなければ、私の人生を前に進めることができないと思った。
周りから何を言われても、親戚からどんな非難をされても、距離を取ることを貫いていた。
どうしようか?
はたと思いついたことがあった。高校生の頃、私が母親のお腹にいる頃から、生まれてしばらくの間に、母がノートに書いていた私の記録のようなものをもらったことがあった。
あれをもう一度、読んでみたらいいのかもしれない。
でも、それは今、私の手元にはない。実家の私の机の引き出しの奥にしまったままだった。自分で取りに行くのはリスクがある。
どうしようか?
隣の家に住んでいる叔母に頼んでみようか。私の実家の鍵は持っているから、入れるはず。
「ちょっとお願いがあるんだけど」
「なに?」
「送ってもらいたいものがあってさ。あたしの家の二階の机の一番下の引き出しの奥に入ってるノートなんだけど。取ってきて送ってもらえないかなあと。黒と白のチェックのなんだけど。お母さんが私の生まれる前後に記録を取ってたの」
「へ〜、わかった。他には何か送ってほしいものある?」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
叔母は私の小さい頃から母親代わりのような役目をしてくれていた人で、
実家に帰らない理由も説明していたから、すんなり了承してくれた。
送られてきた白と黒のチェックの表紙のノート。端々が黄ばんでいる。
ページを繰り始める。母親が陣痛を痛がると「声をだしてはいけない。いくじがない」と祖母に叱られたと書いてあり、母と子の関係の連鎖に想いをはせる。
あるページで私の目と指が止まる。
「え?おかしい……」
高校時代に読んだ時には、私の知識がなくて気づかずスルーしていた
重大な記述に気づいたのだった。
母親が幼い私を観察して記していたこと。
「どうして外の家に行くとしゃべらなくなっちゃうのかしらね?」
親戚のおじさんが近づくと、母親の後ろに隠れて……
「声を出さずに泣きべそをかいていました」
「声をころすようにして泣いていました」
1歳くらいの子供が「声をころして泣く」?
こんな記述もある。
「どうして男ぎらいなの?」
「お父さんと写真を撮りたがらなくて困りました」
誰がどう考えてもおかしな行動だった。誰も何も気づかなかったのだろうか?
私の中でガラガラと音を立てて何かが崩れていく。天と地がひっくり返る。
それまで自分が見ていた世界が全て塗り替えられるような感覚。
私は私のことを何も分かっていなかった。
「私……男の人が……怖かった……の?」
受け入れるにはあまりにも重い気付きだった。
それまでに経験した出来事が走馬灯のように思い出されて,
頬を伝う涙をぬぐいながら、布団の中に入り込んだ。
何も考えられなかった。
一晩経って、ようやく布団にくるまれながら起き上がった私は、改めて考える。
一体、いつからそんな風になったのだろうか?
もう一度、最初から読み直す。
産まれてすぐの頃には、こんな風に書いてある。
「だれにでも『オーオー』と話しかけ、とっても愛嬌がいいのですよ」
いつから?
いつから、変わったの?
考えながら読み進めると、産まれて半年ほどで母親が仕事に復帰して、昼間に近所の家に預けられるようになってから、私の言動がおかしくなっている気がする。
その家で何かあったのだろうか?
思い出そうとすると、頭にモヤがかかったようになって何も思い出せない。
3年近くの長い間、昼間のほとんどを過ごしていたのに、何も記憶がないことに気づいた。その頃のことで、他のことなら覚えているものもあるのに。
その頃に住んでいた家の風景。
新聞を読みながら朝食を食べる父親を嫌がる母親。
父と母の間にはさまれながら寝ていたこと。
いろんなことを覚えているのに、
それ以上に長い時間を過ごした場所の記憶が何一つない。
必死に記憶にアクセスしようとしてみても、動機がして気分が悪くなるばかり。
ただ一つ、ぼんやりと、ほんのわずかに湧き上がってくるイメージだけがあった。
茶色い木の床。土間。囲炉裏。そこに寝そべる白髪のおじいさん。近づいていく私。おじいさんのほっぺにチュッとする私。
湧き上がるものすごく嫌な気持ち。
預けられていた家から帰る時には、おじいさんのほっぺにチュッとしてからでなければならない。
そんなルールがあった……ような気がする。
そのことがとても嫌だった……ような気がする。
イメージは霞がかかった夢のようで、
事実なのか夢なのかさえ分からないほどにぼんやりとしていた。
夢?真実?
そんな微かなイメージでも、私にとってはとても大切なことのような気がした。
確かめなければ。
知っているのは両親しかいない。
事実なら、迎えに来た時に見ているはずだから。
両親に会わなければならないのはもちろん気が重かった。
でも、その事実を確かめない限り、私の人生の扉はいつまでも開かないままになるのだろうと思った。
東京に両親が来る予定があると連絡があり、いつもなら理由をつけて断るところを会いに行くことにした。
黒と白のチェックの黄ばんだノートを鞄に入れて出かける。
一体、どんな話になるのだろうか?
両親はそんな話になるとは予想もしていないだろうから、驚かれるだろうか?
ちゃんと話せるだろうか?
不安を感じながらも、開かずの扉を開ける鍵を探す探検家のような気分でもある。こういう時には、どんなシナリオを用意したところで、その通りには進まない。まっすぐに、聞いてみるしかない。
食事をするお店に着いて、何品か注文する。
今日あったことの話などが一通り終わったところで、母親に切り出してみる。
「ちょっと聞きたいことがあって」
「なに?」
「お母さんが私が産まれる時につけてた記録みたいなのあるでしょ。
あれをもう一回読んでみたんだけど……
それでちょっと思い出したことがあって……
預けられてた家におじいさんみたいな人いた?」
「うん、いたね」
「で、その家からから帰る時、私、そのおじいさんのほっぺたに
チュってしてから帰るっていうルール……あった?」
「うん、あったね……それぐらいの歳のことでも覚えてるんだね」
「……」
そういうルールはあった。事実だった。
私の記憶は間違っていなかった。
とするなら、やっぱり、何も覚えていないのはおかしい。
ちゃんと覚えておけるだけの力があるのに、
それを全て消し去ってしまったということだ。
母親はそんな幼い時のことなど覚えていないだろうと思って、他人に口づけしなければならないルールなど気にしなかったのだろうか。
「ちょっといろいろ聞きたいんだけど」
私は話を詳しく聞こうと、ノートを取り出す。
「っていうか、よくそのノート持ってたね。ちょっと見せて」
と母親は言って、私の手からノートを取って、開いて読みはじめる。
「その預けられてた家って、どういう家だったの?」
「まあ、そのおじいさんがすごく怖い人だったね。
それでお婿さんがいつのまにかいなくなってたくらいだからね」
「お兄ちゃんみたいな人も」
「ああ、よく面倒見てくれてた男の子。10歳くらい上の。すごく優しい子だったけど、お父さんがいない母子家庭だったから、母子密着がすごかったね」
婿養子の人が出て行ってしまうほどに怖かったおじいさん。
そんな人がいる家になんで預けてたの?
と口から出そうになる言葉は飲み込んだ。
「私がさ、男の人が近づくと逃げるとか隠れるとかみたいなのが書いてあるんだけど……そういうのもあった?」
「ああ、あったかもね。まあ、そんな小さい時のこと、あんまり気にしないほうがいいよ」
「……」
父親は隣で聞きながら何も言わず、どういうわけか、体を少しビクッとさせた。
私は生まれて半年から3歳くらいまで、恐怖で婿養子さんが家から出ていってしまうほど恐いおじいさんがいる家に昼間は預けられ、毎日毎日、その恐すぎるおじいさんの頬に口づけしてから帰らなければならないというルールを守って過ごしていたのだった。
とりあえず、1つの事実は分かった。
それ以外にもいろいろあるに違いないけれど、その家で起きていたことを両親が知るはずもない。他愛もない話をして解散した。
家に帰りながら、考える。
そんな毎日は一体どれほどの恐怖だっただろうか?
男の人が怖くなるのは当然だし、記憶をなくしてしまうのも当然かも知れない。
私はずっと記憶喪失状態で生きてきて、今も生きているということになる。
この状態をどう捉えるべきなのだろう。
私はカウンセリング機関で、グループカウンセリングの記録係を何年かしていたことがあった。
グループカウンセリングで人の話を聞いていると、ふと忘れていた同じような自分の経験を思い出す人がいる話を何度も聞いた。
家の外に夜中に放り出された人の話を聞いて、自分にもそんなことがあったと思い出す。小さい頃に棒で殴られた人の話を聞いて、同じような自分の経験がよみがえる。
そんな風にして思い出していく。
私の場合はエピソードの記憶を失っているというより、ある時期の記憶がすっぽり全てなくなっているわけだけれど、そういう記憶がよみがえる時は「思い出しても大丈夫になった時」なのだそうだ。
自分や周囲の状況が安心できる状態になった時、思い出す。
そうなる前に思い出してしまえば、その人自身が壊れてしまうことになるからだ。
言ってみれば、記憶をなくすことで、自分を守っているということでもある。
私はいつか思い出すのだろうか。
でも、思い出したとして、それで私が幸せになることは絶対にない記憶であることは確かである。記憶を全てなくすほどに嫌な記憶。そんなものを思い出す必要はないだろう。
私は何かが欠けたまま、ずっと生きていくことになるのかもしれない。
でも、想像することはできる。
というより、私の今までの経験と、預けられていた家の話をつなぎ合わせて考えれば、私の人生のいろんな辻褄があってくる。
例えば、こんなことがあった。
ある日、Facebook を開くと友達申請がきていた。全く知らない名前の男性だった。メッセージには幼稚園に入る前くらいにお会いして、などと書いてあり、その時には写真が非公開になっていたので顔は見えなかった。
預けられていた家にそんなお兄さんがいた話は聞いていたから、なんだか嫌な予感がしたけれど、恐る恐る友達申請を承認してみた。
すると、その人の写真が公開になって、顔が見えた途端、私の心臓から血が一気に流れ出すかのように、動悸が止まらなくなったのだった。
その時には、自分がどうしてそんな風になったのか全く分からなかった。
私の人生では、自分で自分の行動が、自分の反応が、自分の気持ちが分からない。
そんな瞬間がたくさんあったわけだけれど、こんなこともあった。
整体院にマッサージに通っていた頃、素敵な人だと思っていた男性の整体師さんがいた。
ある日、マッサージを受ける前に、施術台に仰向けになって寝て待っていたら、その整体師さんが寄ってきて、私に体の上にかかっているタオルを直してくれようと、私に覆いかぶさるように手を伸ばしてきた。
その瞬間、私の体はビクッと大きく反応し、目の前でピカッとフラッシュライトが光り、一瞬にして「こわいっ!」と大きな恐怖が襲ってきた。
自分の意志に反して動く体と、素敵な人だと思っていた男性に抱く恐怖と、全てが矛盾だらけの世界。
何が何だか訳がわからなかった。
一体どうして自分がそんな反応をしたのか、皆目、見当がつかなかった。
そうした一連の出来事を一本の糸に手繰り寄せる、一つの経験がある。
私は大学院で研究をしていた時期があった。
最後に分析した小説は明治時代に書かれたもので、徳冨蘆花という男性作家のものだった。
その小説は「家庭小説」と呼ばれるジャンルのもので、当時の「家庭」の規範を示すようなシナリオでできている。言ってみれば、今のテレビドラマにつながるようなストーリー構成で、今の私たちが読んでもすらっと追えてしまえるような、よくあると言えばよくある物語。
だから、私がその小説を選んだのには、特に論理的な理由があるわけではなかった。
明治期の国民的ベストセラーの1つだった事実はあるけれど、ベストセラーだから分析するべきというわけもない。
選んだ理由を付けようとすれば、いくらでも付けられるけれど、端的に言えば、膨大な数ある小説の中から、直観的に「この小説には何かがある!」と思った。
ただ、それだけだった。
なんだか、ピンときた。
そんな理由で研究するものかと思われるかもしれないけれど、
そういう直観が働かなければ研究などできない。
研究というのは、一体どうなるか分からない茨の道を延々と歩いていって、
新しい何かを見つけていく作業なのだ。結果、何も見つからなかった、なんてことも日常茶飯事。
論理的なことだけに頼っていたら、新しい何かは永遠に見つからない。
そんな風にして選んだ徳冨蘆花の小説は「研究的に」良いと思って選んだのだと、私は思っていた。
でも、私が男の人を恐いと思っていた事実に気づいた後で振り返ってみれば、私は「個人的に」も、その小説が良いと思って選んでいたのだった。
私は無意識のうちに、私自身を理解するために、その小説を研究することを選んでいた。
ただ学問的研究をするためだけではなく、私自身を研究するためにも、選んだ小説だった。だから、あんなにも強烈な直観に導かれたのだ。
そのことに気づいた時、私の人生が、私の想像の世界の中で、1本の糸で結ばれた。
私が大学院で研究していた時に、最後に分析した小説。
徳冨蘆花という男性作家が書いた「家庭小説」。
そのストーリーはありふれたラブストーリーだけれど、重要なのは、小説のストーリーだけではなく、作家自身の人生、実生活も合わせて分析すること。
小説は当たり前だけれど、作家が書くものだから、その物語には作家自身の人生が、作家自身の声が深く入り込んでいる。
小説のストーリーだけを切り取って、分析するだけでは十分とは言えない。
作家の徳冨蘆花は熊本県に生まれた。5歳上の兄、蘇峰と共に同志社に入学。キャラクター的に言えば、蘇峰はビジネスの才もある秀才。
一方、蘆花は天才肌。
蘆花は兄の蘇峰に劣等感を抱き続け、どんなに小説がベストセラーになろうとも、意識の上では兄の影として生き続けた人生だった。
概略として書けばこんな風なるけれど、ウィキペディアなどには決して書かれていない事実がある。
それは……
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