粉もんの魅力は恐ろしい
「うぅ、ありがとぉ~、ほんとにありがとぉ~。もう取り調べ室はイヤだったんだ……」
「い、いえ。私は身分を明かしただけなので……」
言葉遣いも態度も丁寧なのに、有無を言わせぬ気迫で浩介を包囲したお巡りさん達。
単純な実力では比べものにならないし、逃げる手段なんていくらでもあるのに、どうしてこうも抗い難い迫力があるのか。
というか、どうして普段は死んでる自分の存在感が、お巡りさん達にだけは通じないことがあるのか。
どれだけ修羅場を潜り抜けても小市民感がなくならない浩介の小心が原因か。それとも職務を遂行せんとする彼等の意志の力故か。
なんにせよ、半ば現実逃避気味になっていた浩介だったが、絶対に逃がす気のない任意同行が実現する前に助け船はきた。
実は今回の任務にはもう一人、同行者がいたのだ。
朱があまりに落ち込んでいる(?)、世を儚む(?)、暴れる……(?)、とにかく、情緒不安定だったので、何か美味しい飲み物だけでもとコンビニダッシュしていた者が。
ちょうどお巡りさんが応援を呼ぼうと無線機に手をかける寸前に戻ってきて、代わりに自分達の身分を明かし、ちょっとした能力も使って意識誘導を行い、どうにか浩介の二度目の取調室行きを回避したのである。
「すまない……面倒をかけたな、柳」
「いえ、姉様。面倒とは思いませんけれど……」
そう、朱を〝姉様〟と呼び慕う、元〝影法師〟の〝言霊使い〟――柳だ。
ボブカットの黒髪とくりくりした目が中々に愛らしい少女である。小柄なこともあってスーツ姿があまり似合っていない。
実際、彼女の実年齢は十六歳。朱の一回りほど下だ。
それでも影法師で朱の副官的な立場だったのは、〝言霊〟以外にも語学に優れた才能を持ち、事務能力・作戦立案能力も高いという頗る付きの才女だったからだ。
浩介達のように〝言語理解〟なんてチート能力がなくても、この歳で既に六カ国語をネイティブに話し、米英の英語の違いや、中国国内での地方ごとの言語、ちょっとした日常会話程度を含めると、十二もの言語を扱えるというのだから凄まじい。
本来なら先程のお巡りさん達も、柳の見た目からすればいろいろ疑うところなのだろうが、奇妙なほど心地よい声音を聞いた瞬間、するりと暗示にかかって引き上げていったのである。
「と言いますか、深淵殿も姉様も身分証をお持ちなのに、なぜ提示しなかったのですか?」
浩介も朱も対応課の身分証を持っている。大元の所属的にはお巡りさん達と同じであり、浩介は外部協力者みたいなものだが、朱に関しては出向員といえど正式な所属なので、むしろ立場的には上だ。
なので、普通に身分証を見せて適当な事情を話すだけで諸々の疑いは晴れたはずなのだが……
「いやぁ、陰陽寮ができてから貰ったものだし、身分証を提示するっていう習慣がさぁ」
「この男に受けた辱めに耐えるので頭がいっぱいだった」
そういうことらしい。浩介もこれにはジットリな目に。
未だにお姫様だっこ状態の朱さんはキッと睨み返した。なんだやんのかこの野郎、みたいな表情だ。なまじ美人なだけに迫力がある。浩介はスッと視線を逸らした。よわい…
勝った! みたいな不敵な笑みを浮かべる朱だったが、一転。柳の視線に気が付くや否や気まずそうに俯いてしまった。
「こんな私を見ないでくれ、柳……」
「姉様……そんな全てを奪われて絶望している人、みたいなお顔をなさらなくても……といいますか、流石に深淵殿に失礼ではありませんか?」
妹分から苦笑気味に諫めるような言葉を言われて、うっと言葉に詰まる朱。
「だ、だがっ、放っておいてくれれば良かったんだ! 時間はかかるが自力で解呪できるのだからな!」
「三、四時間はかかるってのに動けない味方を放置なんてできるわけないだろ……」
ほんと意地っ張りだなぁと呆れ顔になる浩介。自覚はあるのか。ぷいっとそっぽを向く朱に溜息を一つ零し、それはそれとして柳にも言いたいことがあるのでジト目で向き合う。
「あのさ、深淵殿はやめてほしんだけど。何度も言ってるのに頑なに呼び方変えてくれないのなんで? ねぇ、なんで?」
「? 貴方自身がそう名乗ったのではありませんか」
「う、うん、そうなんだけどね? でも、あれはちょっと普通の状態じゃなかったというか、ね?」
「奇妙な動き、奇怪な言動、ふざけているとしか思えない能力の数々。なのに、わけも分からないまま壊滅状態に追い込まれたことは未だに軽いトラウマで……」
「なんかごめんね!」
「未だに深淵から溢れ出てくる黒い影を夢に見るほどで……」
「ほんとにごめんね!」
「ですが、味方となれば頼もしい。故に、私なりに敬意を込めて呼ばせていただいているのですが」
「う、う~ん……」
なんとなく、言いくるめられている気がしないでもない。
言霊使いにして語学の天才故か、話術自体も優れている柳である。今までの共同任務でも、単なる話術だけで意識誘導や尋問をこなしており、その手腕は浩介をして舌を巻くほど。彼女のおかげで村人化を免れた者が何人いるか……
「じゃ、じゃあ仕方ないかぁ」
とはいえ、真っ直ぐな眼差しで敬意を表してくれる相手を疑うのも、それはそれで悪い気がする。なので、いつもの如く最終的には折れてしまう浩介。
「……やはり、お前は国に残るべきだった。私になど付いてくるべきではなかったんだ……」
浩介と妹分へ交互に視線を投げながらやりとりを見ていた朱が、唐突にしょぼくれた。
確かに、戦闘能力や道士としての力量という意味では、柳は朱の足下にも及ばない。それどころか〝影法師〟の中でも下から数えた方が早かっただろう。
だが、それを帳消しにするだけの素晴らしい能力が柳にはある。まだ十代半ばで延びしろだって膨大だ。
それを誰よりも知る朱だから、どうしても〝自分のせいで〟と思ってしまうのだろう。大事な妹分の将来を潰してしまったかもしれない、と。
「姉様、お言葉ですが今の役目も大切です」
「分かっている。世界情勢が急速に移ろう中で帰還者や陰陽寮の中枢と接触できる立場は重要だ。この先の両国の関係にも深く関わってくる」
「なら、そう卑下せずともよいではないですか」
「仕事そのものを卑下しているわけではない」
落ち込んでしまうのは、魔王にメイドコスをさせられたことに始まり、自分達をふざけまくった言動と共に壊滅にしてくれやがった浩介を見返してやりたいのに、中々それが実現しないからだ。
今回の任務でのミスもそうだ。
どうにも気合いが空回ってしまう。〝影法師〟時代と違って、物事が頭の中で想像した通りに上手く運ばないことが多いのだ。
「こんな意味もなく何度もターンするような奴に助けられてばかりなんて……うぅ、情けないっ」
「意味もなくターンしてごめんね……とめられないんだ……」
「あ、あの姉様? 環境も土地勘も、それに相対する者の性質も違うのですから、まだ上手くいかないことが多いのは仕方ないことかと。徐々に慣れてきているのですから、ミスがなくなるのも時間の問題です。……深淵殿がやたらと回る意味は確かに分かりませんが……」
「そうだよね。俺も分からないよ……」
ボソボソと死んだ目で呟く浩介は放置して、姉妹の話は続く。
「あんな小娘にも舐められっぱなしであるし……」
「藤原姫が姉様を侮っているということはないと思いますけれど」
「いいや、舐めている! 確かに才能は認めよう。私以外に神降ろしができる者など他には知らん。内包する氣力も化け物じみている。だが、実戦となればまだまだ未熟だ! だから、この私が直々に指導してやろうと、それどころか任務でも手助けをしてやろうと言っているのに、くっ、いつもいつも澄ました顔で断りおって!! 生意気な!」
「お、落ち着けって、朱さん」
放っておくと止まらなそうなので、浩介は言葉で止めつつ腕を上下に軽く揺すった。
それが、まるで赤ん坊あやすような仕草に感じたのだろう。ピキッた朱さんから高速ビンタが飛んできた! 緊急回避! 成功! あぶなかった!
「……この有様だ。馬鹿にしやがって……」
「あ……」
「あはは……」
ばつの悪そうな浩介と、苦笑いが漏れてしまう柳。
なるほど、元々相応にプライドの高かった朱である。敬愛してくれる妹分の前ということも加われば、確かに卑屈にもなるのも無理はない、かもしれない。
朱は咳払いをして自ら気を取り直すと、一転、真剣な表情を柳に向けた。
「死んで当然だった私を、まだ使ってくださる祖国の意向には感謝しかない。だが、祖国の影には二度と戻れん」
誇りだった。たとえ表舞台には生涯出ずとも、たとえ、身命を賭した功績が闇に埋もれようとも、国の形態、権力者の移ろいに関わらず、悠久の時、常に外敵から国を守ってきた〝影法師〟の一員であることは。
超常現象が特別でなくなっていく今の世の中、〝影法師〟の重要性は格段に上がっていくだろう。
ならば、若く才能に溢れた柳なら、きっと今よりずっと重宝されたに違いない。
少なくとも、こんな有様に陥っている自分なんぞのサポート役より、ずっと誇りある生き方が、もっと有益な仕事ができたに違いないのだ。
「影であるか否かは重要ではないと思います」
影法師でなくてもできることはある。何者になろうと、どこにいようと、誇りある生き方はできる。
そう教えてくれたのは姉様ではありませんか、と言外に訴える柳に、朱は軽く首を振った。
「分かっている。分かってはいるんだ……それでも私は、お前に残ってほしかった。影法師として誇りある生き方をしてほしかったんだ……」
影法師としての柳の将来を誰よりも楽しみにしていたのは、きっと朱だったのだろう。
と、浩介は思った。唐突に始まったシリアスなやり取りを、一方をお姫様だっこ状態で聞かなければならない状況に動揺しながら。え、どうしよう……俺、邪魔じゃない? と。
そんな視線を泳がせる浩介を一瞥した柳は、改めて朱を見やった。どこか困った人を見るような、でもとびっきりの優しさが滲む眼差しで。
少し考える素振りを見せ、一拍。柳は言葉に力を込めるようにして話し出した。
「いいえ、姉様。お言葉ですが、やはりついてきて正解でした」
「……お前が私を慕ってくれているのは分かっている。だが、情で目が曇っては……姉離れするべきだったのだ。そうできるよう、私がもっと――」
「だって、姉様がこんなにも誰かに甘える姿なんて見たことがありませんでしたから」
「………………………………は?」
長い沈黙の後、ようやく朱は言葉を発した。零れたというべきか。
柔和に目を細めている柳と、自分を抱きかかえている浩介を交互に見やり、もう一度、「は?」と首を傾げる。
「私が、この変人に甘えているだと? なんだ、そのおぞましい言葉は」
「不意打ちで心に刃物を突き立てるのやめてもらっていいかな?」
「戦闘中にわざわざムーンウォークする男だぞ? それも気持ち悪いほど高速で!」
「不意打ちで自分の気持ち悪さを自覚させるの、や、やめてもらって、い、いいか、な?」
泣くぞ、思い出し笑いならぬ思い出し泣きするぞ。エミリーが処方してくれた精神安定剤、まだあったっけ?
「ですが、姉様。〝真影〟であった時、姉様がこれほど感情をあらわにすることが、いったい何度あったでしょう?」
「それは……」
「真影であった姉様は極力、感情を殺していました。生活を共にさせていただいていた私でさえ、微笑を幾度か見たことがあるだけ」
「祖国の影として当然のことだ」
「はい。私も努めてそうあろうとしました。なので、能面のような姉様のお顔も決して嫌いではありませんでした。あえて俗な言い方をするなら〝クールでかっこいい〟と思っておりました」
「そ、そうか……」
「ですが、だからといって〝こんな私〟な姉様に失望したことはないのです」
「……」
「私、やっぱり姉様の笑ったお顔が一番好きです。怒った顔も、落ち込んだ顔も、嬉しそうな顔も、全部好きです」
朱の顔に朱色が差す。頬がほんのり染まっていく。
浩介は思った。あれぇ? なんか俺、やっぱり凄い場違いだよね? と。ここは存在感のなさを最大限に発揮すべきか? そっと朱を置いて退散すべきでは? と逡巡。
「姉様のたくさんの表情を見ることができた……。それだけで、貴女についてきた甲斐があります」
「柳……」
やだ、柳ちゃんったらイケメェン! お姉ちゃん、複雑そうだけど嬉しさが隠しきれてないよ! 口元めっちゃもにょもにょしてるし! 言葉だけ聞いたら愛の告白ですし! と浩介は内心でツッコミを入れることで居たたまれなさを必死に誤魔化す。俺は電柱。朱さんがもたれているだけの電柱さ! と自己暗示をかけながら。
「ですので……こう言うと不心得者と怒られるかもしれませんが、私は今の状況を好ましく思っているのです。影法師であった時よりも。深淵殿や藤原姫と関わっている時の姉様が一番好きだから」
「……む、むぅ」
本来なら説教ものだ。何を腑抜けたことをと、確かに怒るところだろう。だが、朱は口を噤むことしかできなかった。浩介や陽晴を前にした時の自分の有様を思えば、とても頭ごなしに物は言えない。
「お前が今の状況を好んでいることは分かった。いや、やはり言いたいことはあるが……面を取ってしまった以上、今更言っても仕方ないことではあるし……」
実は既に何度も激論を交わした内容である。
柳が自分に無断で上層部と話をつけて〝影法師〟を辞したと聞いた直後は、盛大な姉妹喧嘩をしたくらいだし、なんなら本人には黙って上層部に柳の復帰を掛け合ったことも、それを知って柳を丸一日泣かせてしまったこともあるくらいだ。
結果、どうなったかは現状が全てを物語っている。
影法師として国に貢献し、裏の世界とはいえ格別の人間へと育ってほしいという願いは、あくまで朱の願い。妹分が自分で決めて、上層部が認めたというのなら、確かに悪戯な蒸し返しと言えるだろう。
なので、柳に対する未だに割り切れない自身の心情は脇に置いておいて。
「だが! 甘えているという発言は撤回しろ!」
ここは譲れない。お姫様だっこ状態なので説得力には最初からヒビが入っているが、断固として訴えねばならない!
柳は「う~ん」と人差し指を唇に当てて、また少し考える素振りを見せた。
「姉様と深淵殿、それに藤原姫との関係を、どう表現すべきか。未だに図りかねているのですが……」
利害が一致しただけの関係者というのが表向きの正しい表現だろうけど、それだけなら朱は今まで通りの鉄仮面だったろう。
想い人、も違うと思う。将来のことは誰にも分からないが、少なくとも今は惚れた腫れたの空気感ではない。
友人、仲間、というにもまだ足りない気がする。
ただの同僚、では遠すぎる。何より少し寂しい。
「近しい関係を素直に表現するなら、〝認めさせたい相手〟〝ライバル〟でしょうか」
「む……」
少なくとも、いつでも誰にでも丁寧な物腰で対応する陽晴が、朱だけには妙に辛辣というかドライな点からも、お互いにそういう認識というのが一番しっくりくる。
朱も咄嗟に反論できないようで唸るのみ。浩介は意外そうな目を向ける。
「少なくとも、姉様がお二人の実力を認め、人として信頼していることだけは分かります」
「信頼、だと……?」
「はい。この程度のわがまま、理不尽、八つ当たり、お二人なら許してくれるはずだ、という信頼です」
「ち、違うぞ! 本当にこいつらが気にくわないだけだ! 藤原陽晴とて、なんて生意気な小娘だろうと――」
「それはあり得ないと思うのですが……」
「あり得ない!? 何を根拠に!」
「だって、姉様。今ここにいるのは祖国の命令だからですよ?」
一応の協力体制を築いた日本に対する窓口、オブラートに包まず言うなら対応課や帰還者の情報収集を目的とした表のエージェント。それが今の朱と柳の立場。
ならば、関係悪化を招きかねない愚行を、揺るがぬ愛国心を持つ朱が繰り返すはずもない。
取りも直さず、それは関係悪化には至らないという確信が、言い換えれば信頼があるからだ。
「うっ、ぐぅっ」
ぐぅの音は辛うじて出た。柳のロジックに反論が思いつかないらしい。柳がまたも優しげに目を細める。
「だからこそ、深淵殿と藤原姫のお二人には認められたいのですよね。自身もまた信頼に値するのだと」
操られ、この国の無辜の民どころか祖国にさえも害を及ぼすところだった。それを止めてくれたことへの感謝は尽きない。
まして、最後の戦いで共に戦う選択肢をくれたことへの礼は、どう返せばいいか分からないくらい。
実力は認めている。自分と同等以上の才能を持つ相手と、洗脳されて猪突猛進状態だったとはいえ死力を尽くしてなお届かなかった相手だ。当然である。
だが、それ以上に、朱は二人の人柄をどうしようもなく好ましく思ってしまっているのだ。プライドやら複雑な心情やらが邪魔して、いろいろこじらせてしまっているけども。
というか、赴任した最初にメイドコスなんてさせられていなければ、普通に接することができていた気がする。あの日から羞恥心で情緒がおかしくなったのだ。
柳も言っていたクールで格好いい自分のままなら、もう少し素直に感謝の言葉も伝えられた気がしないではない。
つまり、諸悪の根源は魔王。
「あ~、そのなんというか、信頼してくれてありがとう?」
浩介が少し照れた様子で微笑を浮かべる。
朱は視線を彷徨わせた。かと思えば、おもむろにキッと浩介を見上げ、目が合うなりキュ~ッと赤くなる。もちろん恋愛的な意味ではなく、単に「実は人として信頼してました」という内心が暴露された羞恥心で、だ。
「招来――飛僵ッ!」
「うおぉ!?」
唐突に取り出された呪符。喚び出されるは朱の式神が一体――飛僵。武に優れた朱のご先祖様でもある高位キョンシーだ。
純粋な格闘術では浩介を凌ぐ実力者が、一族の末娘を無刀取りのような鮮やかさで奪い取る。
「勘違いするな」
「は、はい?」
「確かに信頼はしている。だが、それは貴様と小娘の実力に対してだ! 我等を打ち破ったその力にだけは敬意を表する! それ以上でもそれ以下でもない! いいな!」
「お、おう」
なんだろう。朱をお姫様だっこする飛僵の表情が、無表情ではあるのだがどことなく困った孫娘を見るお祖父ちゃんのように見えなくもない……
「それと柳! 後で話がある! 覚悟しておけ!」
「はい、姉様!」
明らかに説教が待っていると分かるのに、柳の表情は嬉しそう。
だから、朱は「まったくっ」と悪態を吐いて去るしかなかったようだ。ゲートを開く予定の裏路地へ、飛僵に命じてさっさと入っていく。
「もうとっくに認めてるし、頼らせてもらってるんだけどなぁ」
頭を掻きながら、浩介はぽつりと呟いた。
実際、侮ってなどいないのだ。朱の実力は本物で、生活環境どころか生き方そのものが激変してしまってまだ間もないというのに、日本語まで身に付け、なんだかんだ数々の仕事もこなしている。
陽晴にしてもそうだ。実は朱と術比べなんてものを定期的にしているのだが、双方、模擬戦故に手段は選んでいるとはいえ、戦績はなんと陽晴が負け越している。
地力では陽晴が上を行くのだが、そこはやはり経験値というべきか。術の選択、戦術の組み立て方などは朱が圧倒していて、力を発揮させてもらえないことが多いのだ。
だから、陽晴もお澄まし顔で「よき訓練になりました」なんて言うが、内心ではとても悔しがっていて、朱にだけはライバル心のようなものが滲み出てしまうようで。
けれど、あの時、樹海の中で奇しくも背中合わせに戦った時のように、背中を預けるに足る人だと信頼しているのは確かなのである。
「お人好しですね。私達は、祖国の命令があれば皆さんを背後から刺さねばならない立場ですよ?」
「逆に言えば、祖国の命令がない限り頼っていい相手ってことだろ?」
「そう言えてしまうのは、貴方が強いからだと思いますけど」
「いやぁ、どうかな。俺も同じだからじゃないかな? 仲間や家族にとって必要なら、俺は誰とだって戦うし」
「……なるほど」
浩介達は必要とあらば祖国たる日本にだって牙を剥く。忠誠心で対応課に協力しているわけではないのだ。
強い愛国心が基準にある〝影法師〟には理解し難いかな……と浩介が苦笑いを浮かべる。
だが、返ってきたのは意外な反応だった。
「なら、私と同じわけですね」
「うん?」
「私も、姉様のためなら誰とだって戦いますから」
「そっか……ん? え?」
一瞬、普通に仲良しだなと納得しかけるが直ぐにハッとする。もし、自分と同じ意味で言っているなら、柳は、必要とあらば祖国とさえも……
よくよく考えると、〝影法師を辞してきた〟というのはおかしくないだろうか?
ふと浩介の脳裏に、そんな疑問が湧き上がった。
そもそも国家の裏組織の人間が、そんな簡単に辞めたうえに他国に渡れるだろうか?
陽晴の母親に化けていた工作員を思えば、影法師の覆面を付けたままでも朱のサポート役は担えたのでは? 協力体制にあるのだから、対応課とて割り切って受け入れただろう。
だとすると、柳が〝影法師〟をやめる意味はどこに?
「あのさ」
「はい」
「影法師を辞める時、結構、苦労した?」
「そうですね……無意味に人材を失うか、姉様の新たな仕事が最大限の効果を発揮できるようにするか、どちらがいいかと粘り強~く交渉しました」
「お、おう。そうなんだ……」
「はいっ。本気だと分かってもらうために自分を割と刻んだんですけど、その甲斐あって認めていただけました。治癒の術を使ってもらわなければ普通にあの世でしたね」
浩介は思った。
重ッ! この子の朱さんに対する感情、激重なんですが!?っていうか、ちょっと怖い! と。
柳自体、本気で楯突いて上層部に勝てるなんて思っていなかったのだろう。だから、ナチュラルに命を賭けたのだ。
実際、どんなやり取りだったのかは分からないが、オブラートに包む感じで言うなら――姉様の傍にいられないなら死んでやるっ! という感じだろうか。
柳自身が将来有望という若き才女である。
確かに、無意味に死なれてはただの損失だ。逆に、その語学力と話術は海外での情報収集でこそ輝く。朱の傍に置くこと自体に問題はなかったのだろう。
「でもさ、それなら別に辞めなくても任務として傍にいれば――」
「私、実の両親に売られたんですよ。小さい時に」
浩介は思った。
重ッ!? この子、姉への感情と同じくらい人生の序盤が激重なんですけど!? と。
二の句を告げないでいる浩介を放置して、柳はなんでもないことみたいに淡々と言葉を続けた。
「影法師の道士は大抵、そういう由緒ある血筋の方々です。ですが、たまに先祖返りなんかで一般の家にも素質ある者が生まれるんですね。私の場合、無意識に言霊を使っていて、人様に迷惑をかけていたようで……」
「な、なるほど?」
「で、そんな私が両親は恐ろしかったようですね。妖魔扱いされていました」
「ぐ、具体的には……聞かないでおくよ」
「賢明な判断、ありがとうございます。で、噂を聞いた影法師の方が来て、私をスカウトしたんですね。で、私さえ生まれなければ苦労しなかったのにと恨み辛みが募っていた両親は、せめてお金くらいは得られないと割に合わないと考えたようで」
「……くそったれだな」
「ふふ、ありがとうございます」
本気で憤りを感じているらしい浩介に、やっぱりお人好しだなぁと思いつつ嫌な気はしない柳。少し笑みを零しつつ、
「で、スカウトされた私に待っていたのは引き続きの監禁生活と、訓練時以外の口封じ。訓練も血反吐を吐くまでやらされ、呪いの耐性を身につけるべく拷問じみた耐性訓練も繰り返し――」
浩介は思った。
ダメだこの子! まだ十六歳なのに人生ハードモード過ぎる!! と。心の準備なく聞くには何もかもが重すぎる!
なんて浩介の心情を青ざめた表情から察したのか、早々に壮絶人生語りを打ち切る柳。苦笑しながら言う。
「連綿と呪いを受け継いできた組織ですからね、清廉潔白な正義の組織ではありません。とはいえ、道士の家に生まれたわけでもない子供にする仕打ちとしては〝認め難い〟と判断できる方々も、もちろんいるわけです」
「まぁ、長く続く組織なら意見の相違も出るだろうしな。相違は派閥を生む。柳を引き取った奴等は、過激な派閥の人だったってことかな?」
「その通りです」
〝言霊〟自体は術としてある程度は再現可能な部類だが、それを生まれながらにできる言霊特化型の天才となれば話は別だ。将来性は溢れんばかり。
ならば、己の派閥の意見を通しやすくする切り札として秘密裏に育てたいと考える者がいたとしても不思議ではない。
つまり、柳はとことん運が悪かったのだ。
「私が言いたいのは、そんな状況から救ってくださったのが姉様という話です」
「話の流れ的に、朱は反対派閥だったってこと?」
「ご明察です。しかも、上層部に幾人もの幹部がいる名家中の名家です。道士としては最高位の血筋の、しかも将来を約束された神童です」
「そりゃあ発言力もありそうだ」
「まさしく」
結果は言わずもがな。柳は人間の生活を取り戻した。それどころか、朱の妹として縁組みまでしてもらい、実の妹のように大切にされた。
「意外かもしれませんが、姉様は最初、私を影法師から抜けさせるつもりだったんです。まだ間に合う、表の世界で生きられるからと」
「そっか……影法師であったのは、ちゃんと柳の意志だったんだな。姉の力になりたかったわけだ?」
尊厳を踏みにじるような訓練と生活を強いた組織に、自ら所属しようとする心情とは。その要因が何かは想像するまでもない。
「格好良かったのも本当なんです。私には未だによく分からない価値観ですけれど、国のため、そこに住まう人々のために身命を賭す姉様は影に生きながら輝いて見えました」
好きな人が大事にするものは、自分にとっても大事。それが、柳にとっての愛国心の源だ。
でも、あくまで間接的だから。
「私の祖国は姉様です。姉様こそが私の世界の中心にいる人」
世界で一番大事な人がいない組織にいるのは耐え難かった。
異国の地で、しかも操られていたとはいえ敵対していた者達の中で生きていかねばならない姉様は、いったいどんな扱いを受けるのか。
結果的に杞憂ではあったけれど、心配で心配でたまらなかったから。
「それが影法師を辞めた理由です」
「なるほどなぁ」
なんとなく、浩介はエクソシストのアジズを思い出した。彼もまた凄惨な幼少期を送り、それをクラウディアに救われ、弟として受け入れられた子だ。
どちらも割と重度のシスコンである。ちょうど日本に滞在していることだし、事情込みで改めて紹介したら仲良くなるかも?……いや、どちらの姉が素晴らしいかで争うか? なんてことを少し考えていると。
「なんにせよ、深淵殿。姉様を受け入れてくださってありがとうございます。貴方や藤原姫、それに対応課の方々の姉様への接し方は、まさに望外。今の生活が両国の平和の上にあるというのなら、私――柳はその維持のために身命を賭すと誓います」
「うん、まぁ、国同士の関係が良いに越したことはないよな。そんな話を聞いたら余計に二人と敵対なんてしたくないし。俺も悪化しないよう頑張るよ」
「ありがとうございますっ、深淵殿!」
本当に嬉しそうな笑顔を浮べる柳。
今の生活を大事に思っているのは本当なのだろう。重い話ではあったが聞けて良かったと思う。話してくれたということは、きっと、それだけ柳自身も浩介達に信頼を寄せてくれているということだろうから。
自分にも妹がいるので、なんだか親近感も湧いた。
だから、つい説教じみたことも口にしてしまう。
「でも、柳も無理しちゃダメだぞ? 自己犠牲なんて、大抵は人を不幸にするだけなんだからさ」
言外に、どんな理由があれ自分を切り刻むような真似はもうしちゃダメだぞ? と釘を刺しておく。
柳はバツの悪そうな表情になるが、直ぐに表情を改めた。
「肝に銘じておきます。姉様との今の生活を楽しんでいるのは本当なので、無闇に自身を傷つけることはもうしません。どうかご心配なく」
「そっか。ならいいんだけど」
「はい。この後もさっそく楽しみが待っています」
「そうなのか?」
「対応課の方へ出前を注文済みなんです! 美味しいと評判の天丼です! ちなみに、今日で十日連続です!」
「天丼で天丼してやがるっ」
「特盛りにしました。あと明後日の休みには姉様を連れて評判の店を回る予定です! 食い倒れの準備はできているっ」
「本当に楽しんでやがるっ」
「影法師やめて良かったっ!!」
「それが本音じゃないだろうな!?」
「ちなみに、この間の大阪出張で姉様は〝粉もん〟にはまりました。お好み焼きとたこ焼きを、もう二十日連続で食べています」
「とんでもないリーク来た!」
「次の店巡りは合わせるが、その次は絶対にお好み焼き屋巡りだぞっ。広島風と食べ比べもしたいんだ! と必死に訴えてきた姉様は過去一で可愛かったです!!」
「姉は姉で今の生活めちゃくちゃ堪能してやがるっ」
どうやら、この姉妹に関してはあまり心配しないで良さそうだ。
「しかし、粉もんはあれですね。味に中毒性があるといいますか、つい食べ過ぎてしまう手軽さが女泣かせといいますか」
「女泣かせ? どいうことだよ」
「最近、姉様のお腹周りがちょっとぷにぷに――」
「リィイイイイイイイイウゥウウウウウッッッ!!」
裏路地から凄まじい絶叫が響いてきた。
某呪いのビデオの貞○さんみたいに前髪を垂らし、地を這ってくる姉様がいた。後ろから飛僵が慌てた様子で駆けてくる。
よくよく考えると、さっさと去ったところでゲートを開けるのは浩介だけなのだ。いくら待てども追いついてこなければ、「なんで来ないんだ?」と引き返してくるのは当然。
そこでちょうど、妹分がまさかの暴露をしているのを聞いて、思わず飛僵から飛び降りたらしい。
「すみません、姉様!」
「説教! 説教だ! 今夜はとことん説教だぁ!!」
「はいっ、喜んで!」
「喜ぶな!!」
飛僵が再び朱を抱きかかえる。その朱の視線が浩介を捉えた。目元をほんのり赤く染めて、
「ぷにぷになどしていない!」
「あ、はい」
「虚偽の噂を流したら呪うからな!」
「も、もちろんっす」
ふんっと鼻を鳴らし、再び裏路地に消えていく朱。
その後を追いつつ、浩介はふと気が付いた。そう言えば、柳と話している間にすっかり人気が失せたな、と。
(っていうか、人っ子一人いない……あ、もしかして)
隣の柳へチラッと見やると、柳はパチンッとウインクを返してきた。あざとい。だが可愛い。というのは置いておいて、どうやら人払いの術を使っていたらしい。
対応課に戻れば常に人がいる。本音の話をするには更に場所を選ぶだろうし、人の興味も引くだろう。人払いが通じない人達の興味を。
(やっぱりこの子、普通に優秀なんだよなぁ。なんというか、こう凄く気が利くというか、人のサポートが上手いというか……)
朱の言う通り、確かに将来有望だ。
「さぁ、参りましょう、深淵殿。天丼が待っています」
「はいはい。っていうか、時間的に出前って時間指定だろ? 就業時間後の配達ならまだ時間あるって」
「いえ? 報告書を作りながら食べます。お腹が空いているので」
「自由!? 最近、あんまり対応課に来てないから知らないんだけど、もしかしていつもそうしてんの?」
「対応課の皆さんは優しい人ばかりですね。たくさん食べなさいって、時には私費で美味しいものをくれるんです」
「子供を甘やかすご近所の方々ッ」
のようだ。まるで。どうやら柳ちゃん、実年齢のこともあるのだろうが対応課の職員の方々に随分と可愛がられているらしい。
そこで、ふと思う。
彼女は言霊使い。語学に天賦の才能を持つ若きエージェントであり、その話術は非常に優秀。
そして、彼女は重度のシスコンであり、その姉の任務には良好な関係の構築と情報収集も含まれていて。
(え、待って……まさかのまさかだけど……狙って好感度を稼いでいるなんてことは……)
まさか、赤裸々に身の上話や心情を語ってくれたのも、浩介を籠絡する一手だったり?
なんて疑念が不意に脳裏を過ぎってしまって、ついチラッと横目に柳を見てしまう浩介。
すると、
「あはは。流石にあざとすぎましたか?」
「んんっ、的中してほしくなかったっ」
「でも、もっと仲良くなりたいのは本当です。今の生活を維持するためにも、両国の関係のためにも。だから、もっともっと心の扉を開いて、たっくさん情報をください!」
「ぶっちゃけすぎだろ!」
「村人化されたらどっちにしろ洗い浚い吐くことになるんですから、深淵殿に対しては素直に行こうと決めているんです。もちろん、気が付かないでいてくれるなら、それでいいんですけど」
「開き直り方がやべぇよ。思ってた以上に怖い子だった」
時には自分本位にふざけたことをしでかし、時には演じて相手さえも踊らせる。故に〝影戯〟。
元ですけど、その名を授かったエージェントですからと、柳は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「末恐ろしいなぁ」
「恐縮です!」
対応課の人達はみんなベテランだ。服部を含め、分かっていてなお柳を甘やかしているところもあるのだろう。
だが成長して更に魅力が増していったらと思うと、なるほど。やはり将来有望だ。
(こりゃあ、多少は注意喚起しとかないと若い人の中にはコロッと手玉に取られる人も出てきそうだな。いや、服部さんのことだし注意はしてるか……)
なんて苦笑しながら思いつつ、「いい加減にしろ! 私を放置して二人でずっと話し込んで!」と、ちょっと除け者にされて悲しそうな雰囲気を滲ませる朱が怒声をあげたので、今度こそ急いで裏路地へ。
対応課のフロアの一室に設置されているゲートに繋げる。
特に問題なく転移完了。
そうして、対応課の部屋の扉を「お疲れ様で~す!」と声を出しながら開けて入る――
「リーウさん! お帰り! 奇遇だね! 俺もちょうどバイト終わりだったんだ!」
将来の就職先に希望していることもあって対応課で時折バイトしている相川昇が、それはそれは引くくらいの満面の笑みで出迎えてくれた。
浩介は両手で顔を覆った。
(もう籠絡されとるぅ~~~~~っ!!)
朱の目が釣り上がっている。あと、柳ちゃん、ちょっと目元が引き攣ってる?
なんにせよ、事情聴取が必要なようだった。
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