ある日既婚の男性社員が言った。
「俺、アズサさんのこと結構タイプなんすよね」
正直、その瞬間に一気に空気が変わった。笑って流すこともできたかもしれない。でも私は笑えなかった。
冗談であっても職場でその一言が出てしまう感覚そのものにもうズレを感じたからだ。
私は社内に恋愛も男女の駆け引きも求めていない。
この会社を作った目的は誰もが安心して真面目に働ける場所をつくることだから。だからその人には辞めてもらった。もちろんそれだけの理由ではないが。
結論、それだけ。
ただ他のメンバーはその理由をほとんど知らない。
なんで急に辞めたんですか?と聞かれても表向きは別の説明をする。そう、組織には見えている理由と見えていない理由があるということ。
経営者は常に全員に共有できる情報だけで判断しているわけではない。
内部での違和感や価値観のズレ言葉の裏にあるリスクを感じ取って静かに手を打つこともある。
それは正義を振りかざすためではなく組織全体を守るための予防策だ。
たとえば倫理観の乱れは静かに組織を蝕む。
一度崩れた信頼は業績や実績で取り戻せるものではない。だから私はたとえ優秀な人材でも価値観の線を越えた瞬間に決断する。仕事の上手さよりも人としての誠実さを優先するのがこの会社のカルチャーだから。
経営とは、時に誰にも言えない判断の連続だ。
理由をすべて説明できないことのほうが多い。それでも私は信じている。組織にとって必要な透明ではない判断が結果的に健全な文化を守る。
見えていることだけで世界はできていない。
それを理解してくれるメンバーが増えたとき、初めて信頼でつながる組織になるのだと思う。
きっと家庭内では穿った見解で話されているだろう。
会社の都合で切られた。理不尽だったとか。
そんな報告がされているのも安易に想像がつく。
でもそれは一方的な会社都合ではない。
組織を守るという責任のもとで冷静に判断した結果だ。
経営者は常に表に出せない判断材料を持っている。
倫理の乱れは小さなノイズのように始まりやがて組織の信頼を崩していく。それを早期に断ち切ることが経営者の務めだ。
誤解されることもある。でもそれでいいと思っている。
経営者が全員にわかる説明を優先した瞬間に会社は甘くなる。正しさは必ずしも多数決で決まらない。
「見えている理由」と「見えない理由」のあいだに経営がある。それを理解してくれる人だけが、組織の中で本当に信頼できる仲間になる。
だから今日も、静かに決断する。
感情ではなく未来の健全性のために。