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精神疾患とともに生きる

みなさま、こんばんは。
今回のnoteは写真とあまり関係ないのですが、自分と向き合うため、書き記しておこうと思います。
※あまり良い内容ではないため、読んでいてしんどくなったら、読むのをやめてください。

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私は中学3年生の頃から、精神疾患を患っています。
病名は不眠症とうつ病です。

高校生のときに発症したときは、不眠がひどく、
毎日22時に布団に入っては、明け方まで眠れない生活を送っていました。

入眠困難と覚醒困難が出ていたため、明け方に寝たあとは昼過ぎまで起きられず、学校を休む日々が続きました。

天井を眺めながら布団のなかで考えていたのは、
「これから自分はどうなっちゃうんだろう」
ということでした。

高校は行けてなかったので、退学がほぼ確定していました。

毎日眠れない中で考えるのは、
親が敷いてくれた人生レールから外れる恐怖や、
大好きな友達と会えなくなることのさみしさ、
周りから置いていかれてしまうことの困惑で、
布団の中で泣き続ける日々。

そして、朝になっては起きられず、親を苛つかせてしまうのが、とても苦しかったです。

高1の夏休みに入院したこともありますが、
健康体であることが分かっただけで、
症状の緩和などはありませんでした。

そこから全く治らないまま、高校は留年になり、通信制高校へ転校しました。

通信制高校での日々は、朝起きる必要がなく楽でしたが、
勉強はとても簡易なものだったため、将来が不安で不安でしょうがなかったです。
中高一貫の進学校に元々いたため、周りの友人たちとの差にも苦しんだ時期でもありました。

高校3年生の時に、父の助言で、ファミレスのキッチンでアルバイトを始めました。
社会と強制的に関わるようになったため、毎日寝たきりだった頃よりも、少し症状が回復しました。
この間も、1週間に1回は精神科に通っていました。

少し回復したとは言え、朝起きられることはなかったです。

忘れられないのは、高校3年生の秋に駿台模試を受けた記憶。
まず、朝起きられなくて、模試に遅刻しました。
会場に着いても起きていることができず、残りの教科もほとんど解けませんでした。

結果が返ってきて、偏差値40だったのが、ものすごく惨めでした。
前にいた高校は偏差値70を超えていたため、
病気になったことで、ここまで落ちぶれてしまった。
もう自分の未来に希望はないんだと思い、
模試の成績表をビリビリに破ったことを覚えています。

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大学進学も、まず入試の時間に起きられないため、
通信制高校から指定校推薦で所謂Fランク大学と言われるようなところに入りました。
(面接が午後だったのでなんとか受けられました)

大学では相変わらず朝は起きられず、1限は入れられませんでした。
必修の授業が週一であったのてすが、ほぼ眠りながら家を出る準備をして授業中もずっと寝ていました。 あまりにも意識朦朧で、左右別々の靴を履いて学校に行ったこともありました。

大学1年の後半で、クラスメイトが、上のランクの大学の編入試験に合格した、という話を聞きました。前の高校の人たちが皆良い大学に行っていることに、ひどく劣等感を感じていたため、自分も受けることにしました。
でも、自分の状態で受けられたのは、中堅大学レベルで、それもとても悔しかったです。

無事大学の編入試験に合格して、別の大学に入ることに。
相変わらず朝は起きられなかったけれど、勉強に少し手応えがあって楽しかったです。

コロナ禍に突入した後も、小康状態が続き、就職先も決まり、充実した日々でした。

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問題は、就職した後。
また、うつ病と不眠症の波に襲われました。
欠勤の繰り返しで、まともに仕事に行けない時も多々ありました。
一ヶ月休まず行けた月は、ありませんでした。

周りの職員にも無視されるようになって、
もうここにはいられない、と悟りました。

仕事に行けないくらいなら死んでしまおう。
何度そう思い、
何度電車に飛び込もうと決心したか、わかりません。

結局転職しましたが、やはり秋頃になると調子が悪くなる日々が続きました。
毎年のことでしたが、正社員としては致命的な欠陥です。
前職でもそうだったのですが、仕事中に耐えられない眠気に襲われ、眠ってしまって、怒られる。
そんな日々でした。

欠勤も繰り返し、在宅勤務に切り替えてもらって、なんとか乗り切りました。
しかし、今年の春に経営が傾いてしまい、社員の8割ほどがリストラ。自分はリストラされなかったものの、再度の転職を決意しました。

そして、今年の9月に2度目の転職。
周りの友人たちは立派な会社で、休まず働いているのに、どうして自分はこうなんだろうと劣等感に襲われました。

そして、9月末にまた、鬱の波が来ました。
1週間体調を崩して欠勤してしまい、今度こそ本当に命を絶とうと思いました。
ドアノブで吊ろうとしたのですが、ドアノブが斜めになってずり落ちしてしまい、失敗しました。
今度仕事に行けなかったら、もっと確実な方法で…と段取りについて考えていました。

医者には入院を勧められました。
会社での信用も、失いました。

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上司と話をして、医者の話も伝えて、
結果、休職はせず、頑張る。ダメな日は、謝る。それで良い。
ということになりました。

それから、仕事には行けています。
毎日22時に布団に入ったら、7時に起きられるようになりました。

でも、それがいつまで続くか。
冬は毎年調子を悪くしているため、相変わらず綱渡りの日々が続いています。

でも、もうここで変われなかったら終わりだと思って、踏ん張っています。
薬も相変わらず大量に飲んでいて、健常者には正直程遠い。

自分は本当に駄目な人間です。
病気に甘えて、変わる努力も、乗り越えようという気も失っていました。
でも、今年の冬を乗り越えられたら、なんとかこれからも生きられる気がするんです。

だから、本気で、生きています。
周りの人には本当に感謝しています。

それでは。


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たまに左右別々の靴で出かける人間/写真・映像作家
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