「異人」を排除し、平和を取り戻したい
一般的に、庶民が悪政に苦しみ困窮すると、その怒りや憎しみは権力者へ向かう。民衆が決起して王を捕らえ、ギロチンで首をはねるのだ。しかし、日本人は歴史的にも「市民革命」というものはやったことがない。憂さ晴らしで「一揆」のようなことを起こしても基本的には「お上」には逆らってはいけないという思いがDNAに刻まれている。
そうなると、庶民が憎悪を向ける先は「異人」しかいない。「ムラ」の外からやってきて、自分たちとは異なる顔、異なる文化を持つ者たちが「災い」をもたらしたと考えて、ここを排除、敵視、抹殺することで平和を取り戻そうとする。ここまで言えばもうおわかりだろう、それが「攘夷」であり、令和の外国人ヘイトの本質なのだ。
なぜこのような「国民病」が80年スパンで繰り返されるのかというと、ちょうどそれくらいが「先人の記憶」が途絶えるタイミングだからだ。
幕末に「外国人を追い出せ」と叫んで攘夷運動をしていた人たちの大半は、1940年代には鬼籍に入っているので、外国人ヘイトがもたらした結果、反省を、次世代に語り継ぐ人たちはほぼ存在しない。
なので、同じことが繰り返された。「アメリカに目のもの見せてやれ」と叫んで外国人に嫌がらせをして、日米開戦を決断しない政府や軍部は腰抜けだと罵るようになる。次第に世論もそちらに流れて最終的には、真珠湾攻撃後にはサッカーW杯で優勝したくらい「開戦バンザイ」ムードができあがった。
令和の「外国人ヘイト」が行き着く先
そして現在、戦前にそのように「欧米列強への憎しみ」を叫んでいた人たちはほとんど鬼籍に入っている。「外国人ヘイト」の行き着く先を実体験で語る人がいない。「あれはロクなことにならなかった」と警告する人もいない。なので、戦前の外国人ヘイトのような言論・思想が再び生まれてくる。
これが80年スパンで「攘夷」というブームが繰り返しやってくるメカニズムだ。
二度あることは三度ある。これから「外国人は出ていけ」と叫ぶ日本人はもっと増えていくだろう。一部の過激な攘夷論者たちによって、なんの罪もない外国人や、外国人と近しい日本人に「天誅」が下されないことを祈るよりない。